邪馬台国時代の王国群と纒向王宮

著者 :
  • 新泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787719089

作品紹介・あらすじ

3世紀の都市・纒向遺跡が出現した時代、列島各地はどのようであったのか。奈良県の二上山博物館で17回にわたって開催された邪馬台国シンポジウムの資料集に寄せた論考を中心に、各地域の遺跡をとりあげ、その交流関係をさぐり、あらためて邪馬台国の問題に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 二上山博物館主催の17回に渡るシンポジウムに寄稿した論文に加えて、関連論文をまとめた。シンポの中心者である著者の邪馬台国論の集大成。それは即ち現代の邪馬台国近畿説の集大成ということになるだろう。かなり専門的だが、それでも短文が多いためにラフな論考が多い。ザッと読んだだけだが、細かに検討する時には再読しなくてはならないと思う。

    以下は、あくまでも私的メモ(ウェブ上に残しておくと、何かと便利なんです)。特に吉備との関係で前半部分から少しメモした。無視してください。

    ・「倭人は文字を使っていた」唐古・鍵遺跡(1ー2C弥生後期)で使われていた記号は後続の纒向遺跡(3C)では消滅する。漢字の導入のせいではないか。卑弥呼の外交と関連しているのでは。伊都国三雲・井原遺跡の1ー2世紀の硯片、島根田和山遺跡の硯片、福岡県薬師の上遺跡から完全形の硯等で、文字使用は決定的に(←最新報道では弥生中期の硯片が大量に発見された)。
    ・「半島との交易」日本海航路では、松江市南講武草田遺跡、太平洋航路では高知市仁淀川河口の仁ノ遺跡に近畿系土器出土。瀬戸内航路では、姫路市丁・柳ヶ瀬遺跡で丹波系土器、総社市津寺遺跡・ほか酒津遺跡、楯築遺跡など。福山市御領遺跡には纒向甕、湯田楠木遺跡には第5様式系の叩甕。大分安国寺遺跡には纒向大和型甕、宇佐市豊前赤塚古墳周辺から纒向型壺。関門海峡の航行には熟練の海導者が必要。田布施町国森古墳に楯築・ホノケと共通するヤス(への字型鉄製品)がある。海峡通過後は、中津宮、沖津宮(沖ノ島)等のコースを辿ったろう。
    ・「阿波・讃岐・播磨の連合はあったか」1-3世紀にかけて、積石と石囲いの遺跡と吉備・大和の葬儀用器台のグループに分かれる。
    ・「3世紀の大和と吉備の関係は?」楯築は180年ごろ、纒向石塚は210年ごろ、と一世代遅れた、と分析。大きさは楯築(80m)を超えた(96m)が、葺石も墳頂の列石なし、突出部は1つ(総社立坂、宮山)。特殊器台採用は、3世紀の中山大塚古墳(130m)、箸墓古墳(280m)まで待つ。しかもこの時期は器台と壺が分離、葬送儀礼の変質があった。ホノケ山(3C中、80m)は阿波・讃岐の海洋民か。
    ・「3世紀の三角関係 出雲、吉備、大和」楯築のころ、越の人々が因幡に集団移住(西大路土居遺跡)。2-3世紀は越と因幡・出雲(吉備)に航路があった。3C前半から後半にかけて、伯耆西部と出雲東部(南講武草田遺跡)に大和・河内の人々が現れて定住した。それとともに、吉備は出雲から姿を消した。四隅突出墓も衰退に向かった。出雲は吉備との連合を解消し、大和との連合に向かったのだろうか。2世紀末大和に多くいた吉備が3世紀に激減、しかし特殊器台は採用し続ける。河内は繋がりを持っていた。河内を通じて大和は瀬戸内航路を持っていたのか。3世紀前半まで多かった尾張が激減し、3世紀中以降近江系が増加、かつ大和は出雲に進出、日本海ルートを選択。3世紀中は卑弥呼・トヨの交代時期。2世紀末は吉備主導だったが、3世紀後半から4世紀中にかけて大和主導に転換した。
    ・卑弥呼登場の時期の2世紀末の各地域を見て、楯築の被葬者が中心になって卑弥呼擁立を決めた可能性が高い。箸墓はトヨの可能性が高い。邪馬台国は吉備ではなく、大和だ。

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著者プロフィール

1933年、宮城県生まれ。
関西学院大学文学部史学科卒業、関西大学大学院修了。
兵庫県教育委員会、奈良県立橿原考古学研究所副所長を経て同研究所顧問、奈良県桜井市纒向学研究センター顧問、兵庫県立考古博物館名誉館長。
主な著作  『古墳文化出現期の研究』学生社、『邪馬台国の考古学』吉川弘文館、『アジア民族建築見てある記』小学館、『古墳時代を考える』雄山閣、『三角縁神獣鏡・邪馬台国・倭国』(共著)『邪馬台国の候補地 纒向遺跡』『邪馬台国とは何か』『古墳とは何か』『倭国乱とは何か』新泉社、『弥生興亡 女王・卑弥呼の登場』文英堂、『研究最前線 邪馬台国:いま、何が、どこまで言えるのか』(共著)朝日選書ほか多数。

「2019年 『邪馬台国時代の王国群と纒向王宮』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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