社会学的思考の基礎―社会学基礎理論の批判的展望

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  • 新泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787787071

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  • 社会学に向き合うための基本姿勢及び社会学の実践的考察方法を教授してくれる一冊。

    以下は内容に関するメモ書き。


    社会学とは、他の諸科学と同様に、一般には経験科学と言われる。具体的な社会生活の経験的データと無関係には成立しえない。
    コントやスペンサー以降、社会学を独立した社会科学と位置づけようとする知的努力の連続であった。
    デュルケームは、人間にとって在外的で拘束的な、社会的事実の学として規定した。
    ジンメルは、人間の心的相互作用にもとづく社会科の形式に求めて独自の社会学を展開した。
    ヴィーゼは、関係学として社会学を発展させた。
    マックス・ヴェーバーは、社会的行為を解明しつつ理解し、その行為を経過ならびに結果において因果的に説明する科学であるとした。

    スメルサーが述べるように
    特定の種類の経験的データを取り扱うのではなく、特定の概念的枠組みのなかで解釈されるものとしてデータを取り扱う。

    社会学がその他の諸科学と異なるのは、人間生活の経験的実在のうちに、独自の他の社会諸科学とは異なる経験的データをもっているということにあるのではなく、それがどのような概念的枠組みを駆使して経験的世界の社会的諸事象に選択的アプローチを試みるかということにある。

    社会学が共通の財産として保持している独自の概念的枠組みないしは、その基本的視座の抽出の方向性と基本的カテゴリーを明らかにすることで可能になる。
    1) 歴史的な方法で、社会学の古典的な業績を頼りにして、社会学が独自の研究分野として伝統的にどのようなことに関心をもってきたかを研究する方法。
    2) 経験的な方法で、現代の社会学者たちが何を研究しているかを問うことによって、現代の社会学が最も注意を向けている主題は何かを経験的に解明しようとする試み、
    3) 分析的な方法で、社会学の領域に、論理的推論によって一定の定義を与えることによって、かなり恣意的な学問上の区分を試みる方法。


    ニール・J・スメルサーが社会学の分野での主題を確定し、記述するために提供した概念的枠組みは、

    1) 人口と生態学の分野において見いだされる。そこでは、事象の解釈は人間と物理的・生物学的環境との関係、時間・空間的座標軸との関連の中で考察され、心理学的存在としての人間とか社会的諸関係のなかにある人間という視角は、一応度外視される。
    2) 人間の行動の解釈が焦点となるが、自我としての、あるいは人間としての個人にとってその行動がどのような心理的意味をもつものであるかが、ここでの主たる観点とされる。
    3) 集団という、なんらかの共通の方向づけをした諸個人がひとつの集合体の成員として、多少とも目的的に集合押した集団が考察の焦点とされる。
    4) 社会構造という、人間間のしぃお関係という観点がここでの焦点となる。夫と妻や、雇用者と被雇用者、政治家と選挙民といった、役割という概念が中心的な位置を占めている。
    5) 多様な文化現象に関係するもので、人間のあらゆる社会行動を規制し、正当化し、それにたいして意味付けを付与する文化現象がその焦点になる。イデオロギーや宇宙観などがここでの重要な概念として指摘される。


    社会構造としての概念は、社会変動という概念とともに社会学のもつ包括的な概念のひとつであった。これらは二つの方向において整理することができる。
    1) 社会の静態的な構造論的方向での概念的抽象化を行う枠組み。
    2) 社会の動態的な社会過程論的方向性での概念的抽象かを行う枠組み。

    動機・意図・目的などは、社会関係のあり方の条件づけとなるものであり、社会関係における地位・役割の相互関連性の内容は集団の特性を規定するひとつの条件づけとなる。

    Mウェバーは価値体系への社会成員の価値思考がいかにして近代資本主義の成立に寄与したかを、プロテゥタンティズムの倫理の詳細な吟味を行うことによって解明した。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、社会の成員の間にいかなる価値体系が一般化しているかによって特定の社会体制が自然形成的に存立しうることを歴史的に証明したものであり、社会の文化によって社会の体制そのものが制御されることを示したものとも言える。

    社会学は社会体制や文化とどのような相互関係を持っているかを常に問題にしなければならない。
    行為→関係→集団→制度→文化というそれぞれの枠組みは、社会学考察の窓口である。
    社会現象の何を考察の焦点とするかによって、社会学はさまざまに分化した社会学を形成する。
    1) 集団的特性→家族・都市・農村など
    2) 構造的特性→組織・官僚制・階級・マスコミなど
    3) 機能的・制度的特性→宗教・政治・法・経済・教育など

    多様な内容を含む学問ではあるが、基本的視座は「社会的実態」への独自の視点を提供している。Mウェバーは社会的実態把握のために「社会的現実の思惟的整序」が必要であると主張した。


    1950年代以降、社会学はロバート・マートンの提唱した「中範囲の理論」に代表されるより成熟した社会学の時代となる。
    ロバートマートンは、社会学理論と呼ばれている範疇を六つのタイプに分類してそれぞれのタイプの理論に特有の功績と限界とを解明した。
    1) 方法論
    2) 一般的な社会学的志向
    3) 社会学的諸概念の分析
    4) 事後の社会学的解釈
    5) 社会学における経験的一般化
    6) 社会学理論

    マートンによると「中範囲の理論」とは、彼の言葉によれば
    「調査というきまりきった手順を通じて豊富に展開されている小さな作業仮説と、社会行動について経験的に観察される非常に多くの斉一性を導きだすことが期待されている、ある主要な概念図式を抱含する包括的な思弁とを媒介する理論」ということである。
    日常的な社会調査の小さな作業仮説と、抽象度の高い概念図式を主内容にする、包括的で思弁的な一般理論との媒介的な働きをする理論ということである。

    パーソンズの社会学
    アメリカ社会学を中心とする理論社会学は、構造機能主義をその方法論とする社会システム・モデルを中心に展開されてきた。これは客観主義社会学のひとつのハイライトをなすものであった、
    社会学者は、いかなる社会的現実を記述し説明するためにも、記述と説明のための準拠枠を必要とし、これにもとづいた概念図式やモデルを論理的推論によって構成し、それを普遍的・客観的な尺度として現実を分析し説明するという客観主義の立場である。
    行為の準拠枠から全体としての社会システム・モデルを概念化し、一般化したものがパーソンズの社会理論である。

    社会学における相互作用は、本質的に何か客観的な規則に支配されているという考え方と、社会学的説明は、自然科学に特徴的な演繹的形式をとるべきだとういう2つの手動理念であった。


    主観主義
    1960年代以降、社会学の中心的な関心は、人々の有意味的な社会的行為あった。社会的に意味のある行動の規則性や変動は、客観的な規範や価値基準といったような規則に支配された過程として考察されるのではなく、現実に行動している人びとがその相互作用過程にどのような意味を付与し、互いにどのように解釈しあいながら相互に作用しあっているかが、研究者の立場からではなく、行為者自らの解釈過程として考察されなければならないと考えた。
    これが主観主義社会学の基礎理論である。
    人間の主体性を中心に据えた社会学とも言いえる。
    本書では、アルフレッドシュッツの現象学的社会学を中心に、個人の生活が発端と同時に相互主観的世界のうちにあり、個人の生活は相互主観的に形成された先所与的・先構成的生活世界と不可分のものとする見地を解説している。
    シュッツの発想には、「人びとの相互主観的世界こそが社会的世界である」というもの。

    シュッツの研究方法は、
    1) 科学的研究は科学者の社会的現実に対する前科学的直感による問題意識(関心)からはじまる。これは、研究者は主観から発する一種の哲学的関心である。
    2) 研究者は、自己の主観的関心から、自己の関心のある領野についての前科学的理解を得るために検索へ向かう。対象との相互主観レベルに立って行われる。
    3) 対象について全科学的理解を前提として、自己の洞察力により解釈的理解を行い、モデルを構築する。自己本来の主観性をとりもどし、科学的志向において自己を表現する。
    4) 主観的解釈によるモデルの普遍妥当性の確立に向かい、科学的検証によってモデルの科学的客観化を行い、対象を演繹的に説明する事のできる理論に立つ。



    ウェバーの社会学
    ウェバーは、無限の内容をたたえた現実を、我々の持つ価値理念に関係づけてみたとき、その現実のある側面だけが一般的分化意識を有すると認める事だけが知るに値し、それのみが因果的説明の対象となり、本質的意義を有するという。
    ウェバーの客観性の第一前提は、研究者の関心によって主観的観点を前提として、認識の客観的妥当性を確立しなければならない。
    多様にして無限の質的内容をたたえた社会的現実は、研究者の一定の観点から思惟的に整序されないかぎり、混沌とした社会的現実の客観的な科学的分析などできるものではないということである。
    ウェバーが求めてやまなかったものは、「認識と価値判断とを区別する能力、また事実の真理を直視すべき科学的義務、ならびに自己の理想のために尽くすべき実践的義務の遂行」であった。



    ウェバーは、社会科学的認識において、一切の価値判断は排除しなければならないという考え方は、偽の価値自由であるとした。
    ウェバーが社会学的認識において説いたのは、研究者の現実に対する価値理念が認識の前提とされなければならないのであって、その価値理念が社会的現実に対する一定の評価・個人的感想・信念をも含んだ、実践的理念であった。

    この考え方は、ウェバーの社会的現実認識と密接に関わっている。
    人生は、神々の永遠の争いのみより成るという根本事実。
    調停しがたく解決しがたく争っているという事実。
    我々は立場のいずれかを選定する必要あるという事実。
    このような事実にちょくめんするとき、われわれは自身の立場を自覚的に鮮明ならしめることによって、誠実に内的整合をもって科学的認識の明晰性に到達することができると考えたからである。

    認識主観における自己責任の要請であったといえる。それは価値理念の主観性を主張することによって特定の価値理念の普遍性や絶対性を拒否するという意味で価値自由である。
    ウェバーはこれを、知的誠実さを失わないための規範とした。

    また、ウェバーにとっての社会学における客観性とは、人間の尊厳を踏みにじることなく、自己の価値基準を相対的に隠蔽することなく、全面に打ち出すことによって自己の前提に責任を負う科学者的義務の問題であった。

    研究者の研究の結果、価値理念に照応した価値関連が構成された場合、その関連が単に論理的矛盾性ばかりでなく、客観的に可能であるかどうかという、客観的可能性判断と法則論的知識に照らして因果的・意味的適合判断にかなうものでなければならない。

    ウェバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」において、個人主義の根深い宗教的倫理性による内面的孤独化の感情を解明することにより、近代資本主義の市民的な経済的エートスを解明したものにほかならなかった。

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