原題:Eleanor Farjeon
A Bodley Head Monograph 1961
by Eileen H. Colwell
1988翻訳刊行
バージニアウルフの言葉
「ひとつの芸術作品を生み出すには、並み外れた努力と、芸術家の心を支えやすらぎを与えてくれる場所が不可欠である」
P3作家にとって、子ども時代というものは、重要な意味をもつが、エリナー・ファージョンの場合は、とくにその意味合いが大きい。
父ベンジャミン・レオポルド・ファージョン(ベン) イギリス生まれのユダヤ人
母マーガレット・ジェファーソン 音楽好き アメリカ人
ハリー アメリカで
ネリー(エリナー)1881年イギリスで
強度の近視
ジョー
バーディ(ハーバート)
のちにハーバート・ファージョンのリトル・レビューのプロデューサー1939
本だらけの家
日曜日ごとに子どもたちに本が手渡された
ネリーの一冊目『インメモリアム』エリザベス朝の抒情詩
プランテーションソング(黒人霊歌?)
P11ハリーの言葉
「私はつねづね、人生で最もすばらしいものは家族であると思っている」
P12ネリー
「私は一度も、学ぶ方法を、ひとから学んだことがありません。自分以外の人間の思考課程にしたがわなければならないなんて、とてもたえられないことだったのです」
P12TAR~子どものごっこ遊び
エリナー5歳、ハリー8歳の時みた芝居「The Babes」の登場人物TessyとRalphつまりTessy-and-Ralph
の頭文字。これを二人のごっこ遊びの暗号とした。『1890年代の子どもの部屋』より
何日も続くこともあった(現実逃避???)
ネリー、25歳まで続いた
22歳のときに父を亡くす
詩人で友人のエドワード・トーマスが1917年に第一次大戦で戦死
1916年ロンドンの町のわらべうた
1925五月の木の実
1930年代は弟ハーバートとの合作多い