漂泊する自我―日本的意識のフィールドワーク

著者 : 老松克博
  • 新曜社 (1997年10月1日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788506183

漂泊する自我―日本的意識のフィールドワークの感想・レビュー・書評

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  • ずっとずっと、旅をするひとという存在が不思議で仕方なかった。たまにしか訪れないのに、とてつもなく魅力的で、忘れられない。そんなひとが話してくれるものはほんとうに大切でたまらない。
    そんな不思議をどうやったら考えられるのか、心理学的に捉えることはできないのか、いつも思っていた。民俗学からは、かの大人折口信夫が”まれびと”と名づけたものが存在したが、どうにも学問として扱うにはまだまだ推測の域を出ない。だが、確かに、そうしたものたちが存在している。
    また、そうした存在を心理学的に取り扱うにも、難しさがある。なぜなら、そうした漂泊するものたちは記録に残されないからだ。なぜ、彼らは旅に出るのか。しかし、そんな存在からじかに発せられることばは聞けない。失われて久しく、形のみが伝説や昔話となっているからだ。
    ならば、それを伝説として、あるいは昔話としてでも残そうとするこの生きた人間たちから考えてみればよいではないか。ユングという西洋の大人がかつてそれをやってのけている。同じことをこの日本の心に対して行えば、新しいものがきっと見えてくるはずだ。
    どうやら、この心性は”漂泊”というものであるようだ。定住生活が根付いているにもかかわらず、なぜ漂泊が忘れられることなく、残されているか。それは漂泊のもつ逆説的な力によるものだ。忘れられるために旅に出る。定住するために漂泊する。そして、漂泊者は定住者に漂泊を思い起こさせる。すなわち、漂泊は定住の始まりであり、定住は次の漂泊のはじまりなのだ。そうして、この島国の人間は何万年と暮らしてきた。漂泊者が与える予祝とは、定住者に、本来宿ったその漂泊性を思い起こさせるものだと言える。
    ユングと折口が出会う瞬間。時代と空間を超えても、こうしてなお二者が出会うことができる。それもまた、ひとえにこの漂泊性がなせる力か。

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