はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)

著者 :
  • 新曜社
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本棚登録 : 219
レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788515628

作品紹介・あらすじ

はじめて沖縄に出会い沖縄病になって、勝手なイメージを沖縄に当てはめ、押しつけていた20代。本書はそんな著者の、やむにやまれぬ思考が出発点になって書かれた、切実な「沖縄論」です。この本には、初めて沖縄に行く人のための基本的な情報、その歴史や文化、そして観光名所の解説はありません。社会学者として沖縄をテーマにし、沖縄の人びとの話を聞き取りながらも、「ナイチャー」である自身が「沖縄」について語りうる言葉を探し続けて右往左往するのはなぜなのでしょうか。芥川賞・三島賞候補になった著者が描く、個人的かつ普遍的な、沖縄への終わることのない旅。著者による写真も多数収録。「よりみちパン!セ」新刊第一弾です!

感想・レビュー・書評

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  • 著者の岸政彦は沖縄を研究している社会学者だ。
    話題となる著作もいくつかあり、メディア上で本人の語る沖縄の話が面白かったので、いつか著作をちゃんと読もうと思っていた。
    たまたま、高崎の新刊書店Rebel booksで見つけて購入した。

    著者の沖縄をめぐる自意識がヒリヒリと伝わってくる本だった。
    それは“沖縄病”をわずらい、「沖縄らしさ」(例えば、沖縄の地域コミュニティの強さと言われるものとか)をめぐる議論に対して誠実に答えようとする姿勢からくるものだろうと思う。

    「沖縄らしさ」を、例えば東京との相対的な位置付けとして語る時に言えることは、タイやフィリピンと比べた時に同じように言えるのだろうか?という疑問。
    それは「立ち位置」によって都合よく「沖縄らしさ」を利用する事にもつながる。

    「立ち位置」をどこに置いているのかと自問することは著者の出身が本土である以上考えざるを得ない部分だろうし、読んでいる自分もまたそうだろう。「ただ考え、そしてその考えたことについて書く、ということぐらいしかない」(本書24頁)と、その自問自答の試みがこの本だと思う。

    著者は沖縄の研究、生活調査をしながらずっと自分の「立場性」を考え続けている。

    どのように沖縄を語ろうとも、ある種の政治性からは逃れられない。
    沖縄について基地問題や貧困のような弱い立場を強調して語ることも、逆に多様さやしたたかさをそれに対するアンチとして保守派が語ることも、さらには語らないことも、その政治的立ち位置の問題を回避するために「『沖縄とはどういうところだと語られてきたか』をみる…結局のところそれは、沖縄そのものについて語る『責任』を回避しているのだ…それもまた、とても政治的な選択である」(本書240頁)。

    著者は、硬く言えば「責任」を引き受けているから考え続けているのだろう。

    この最後の章、「境界線を抱いて」というタイトルとその内容は以前読んだ『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、松村圭一郎著)にも通じる。
    『うしろめたさ〜』は断絶された境界のこちら側(日本)と向こう側(エチオピア)を構築人類学という手法で断絶を飛び越える可能性を探っていた。

    日本本土と沖縄の断絶、どこに断絶があるかと言えば、その非対称な関係にある事が考慮されなければならないという。
    日本本土と沖縄にある非対称な関係、基地問題や貧困、地位協定のような大きな話の中での非対称な構図だ。
    一方でそれらも利用しながら多様でたくましく生きる生活者の小さな話もある。
    大きな話と小さな話を結び付けるように語る、その試みが本書にはいくつもある。時々挿入される写真もそうした試みの一部なのかなと思わされる。
    そういう読者の立場を揺さぶられる、非対称な場としての「沖縄」を考える為の入門書なのかもしれない。

    興味深い指摘や語りも多かった。
    例えば、本土復帰までの景気の良さに関する話はその一つだ。
    「復帰前の沖縄の失業率は、一~二%と、きわめて低い水準で推移していた。経済成長率も毎年九%前後で、日本本土に比べて遜色がなかった…この成長をもたらしたのは…基本的には沖縄の人びとによる個人消費と民間設備投資と住宅投資だった」(本書108頁)

    こちら側(日本本土)と向こう側(沖縄)の二元論にならない、新しい語りを模索する著者の試みを今後も読みたい。
    相対的に生まれる「沖縄らしさ」だけではなく、生活者から見える「歴史と構造」から出てくる「沖縄らしさ」を。
    「いまだ発明されていない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ」(本書249頁)とあるように。

    ところで、本書を機に「沖縄の、あるいは『マイノリティ』と呼ばれる存在のことについて、あるいはまた、境界線そのものについて考えるきっかけにしてもらえたら」(本書25頁)と冒頭にあった。だから、自分の中にひっかかった本を引き合いに出してみる。

    『あのころのパラオをさがして』(集英社、寺尾沙穂著)というパラオの日本統治時代を暮らした人々のルポルタージュがある。
    そこには、パラオの人々にとっての日本に対する親日的と単純化できない愛憎がでてくる。
    日本本土からパラオに来た人、沖縄から来た人、朝鮮半島出身者というパラオ内でのヒエラルキーがあったという話もあった。『マイノリティ』や境界線はパラオでも引かれ直されたのだ。日本から遠く離れた南洋の「楽園」でも。

    他にも経済的な部分について興味深かったのが『パラオ人主体で仕事を作り出す仕組みがまず必要。パラオで稼いだお金をパラオに落とす仕組みがね。与えられるというのは搾取されることなの』(上掲書93頁)というセリフがでてきたところだ。これも沖縄にもきっと通じることなのだろうと思う。

  • “沖縄病”を発症し、沖縄を語ること、考えることを職としながら、沖縄をたやすく語ることへの逡巡、葛藤を書く。ゴーヤチャンプル、58号線、ビーチ、基地問題、表層的に“ナイチャー”の視点で語られる言説は、ほんとうの沖縄を覆い隠し、その先を知ろうとすることで初めて見えてくるのは“はじめての沖縄”だ。とてもいい本で、何度でも読み返したい。そのたびに沖縄は“はじめて”の顔を見せるのだろう。

  • 著者がコミュ強すぎてだんだんよむのが辛くなることをのぞけば良著。タイトルは詐欺。今後沖縄の議論をする際に参照されてしかるべき著者であることがよくわかる。概説でありエッセイ的な本。沖縄の戦後復興は基地がなくても可能だったという指摘は大きい。

  •  ふむ

  • 岸さんの本はこれで3冊目。誠実で自省的な文章にいつも惹かれます。

    本書に関しても、これだけナイチャーとして誠実に沖縄に向き合った本はあるのかな、と思います。

  • とても身近に沖縄がある内地の者として、この本のあらゆるシーンで共感と感銘と、唸りが漏れ出た。スーパーやモールのような場所でも肺一杯感じられる沖縄らしさを同じく体感し肯定している人が居ること、そして様々な境界線を、内側と外側から、愚直に筆致する事の大事さ。

    沖縄と接すれば誰もが感じられるやさしさと苦味、知るほどに言葉にすることを諦めるような、曖昧で複雑で多様で根深くて、単純には語れないものを、しかし恐れない為に、複数の物語と共に丁寧に描き出す。それは沖縄(へ)の愛おしさでもある…知事選が終わって…果たして俺達は沖縄の何を知っている?

    この本自体の成立が、たいへんなバランス感覚であり、勇気であると思うようなそれだった。『はじめての沖縄』というタイトルから勘違いして手に取るような人がいっそ増えればいい。
    寄り添う視点から腹に残る歯応え、島豆腐のように何度も噛み締めたくなる、そしてこの国を捉え直すことさえできる本。

    https://twitter.com/magoshin/status/1046812080324542466

  •  沖縄は、時事問題や歴史の解説でアンクても、「それについて考えたこと」を書くだけでも一冊の本になるような、そういう場所だ。それはまったく、ほんとうに、日本のなかの独特の、特別な場所なのだ。
     たとえば、沖縄について何か文章を書くときに、その文章の「人称」をどうするか、そこに誰が含まれるか、という、「書く」ことにあたってのもっとも基礎的な部分でさえ、考えられるべきことがたくさんある。

     こういう感覚。沖縄の人びととみんなが同じ感覚を共有しているわけでもないだろうが、こういう感覚が存在する。彼とは友だちです。ほんとに植民地だからね。どちらも嘘ではない、ほんとうの実感だろうと思う。あまり政治的なことは関わらない、どちらかといえば「保守的」な女性だったのだが、それでも自然にそういう言葉が出る。(p.66)

     私は、良い社会というものは、他人どうしがお互いに親切にしあうことができるような社会だと思う。そしてそのためには、私たちはどんどん、身の回りに張り巡らされた小さな規則の網の目を縛る必要がある。(p.70)

     要するにこういうことだ。戦後の沖縄の経済成長と社会変化は、おそらく米軍の存在がなくても、自分たちの人口増加と集中によって成し遂げられただろう。このことをさらに言い換えれば、次のようになる。沖縄は、米軍に「感謝する」必要はない。この成長と変化は、沖縄の人びとが、自分たち自身で成し遂げたことなのだ。
     米軍のおかげなんて思わなくてもよい。沖縄は、沖縄人が自分たちで作り上げてきたのだ。(p.110)

     私たちは「単純に正しくなれない」のだ、という事実には、沖縄を考えて、それについて語るうえで、なんども立ち戻ったほうがよい。
     そして、さらにその先がある。単純に正しくなれないからといって、私たちは正しさそのものを手放してしまってよいのだろうか。私たちは、沖縄自体を語ることを、あきらめなければならないのだろうか。(pp.141-142)

     壁とは何だろう。境界線とは何だろうか。私たちは沖縄に限らず、常に多様で流動するそれぞれの個人と、かけがえのない出会いを果たし、それぞれに個別の関係を結んでいる。そこには壁や境界線など、存在しないようにみえる。(p.142)

     社会というものがつながりであり、そのつながりのなかで私たちが生きているとすれば、なぜ「わずかなお金で美ら海を売り飛ばした沖縄人」というような語り口が、権力に批判的なはずのナイチャーの元教員の口から出てくるのだろうか。
     私たちは実は、つながっていないのではないか。私たちは、私たちとは異なった歴史を歩んでいる人びとのことを、理解することができているのだろうか。(p.145)

     私は若い女性が、その日常の中でどれほどのリスクとともに暮らしているかを、頭では、理屈では理解していたつもりになっていたが、まったく不十分であったことを、連れあいから教わった。もちろんいまでも不十分なままだ。女性というものが、あるいは男女の枠にもはまらない少数者たちが、どのようなリスクとともにあるか。そういうことの意味は、いくら勉強してもし足りない。公園のベンチで本を読むということさえ、私たちが生きるこの社会では難しい人びとが、それも私のすぐ隣にいるのだ。私は、私の隣人であるそのような人びとと、立場を交換することができない。したがって「自分のこととして」理解することも、非常に難しい。私にとっては常にそれは、言語によって伝えられるものであり、合理的にしか理解できないものである。(p.147)

     調査者は、見知らぬ土地で大きな孤独を経験することになる。見るということは、対象から距離を置いた、孤独な感覚だからだ。
     この段階では、沖縄はひとつの巨大な「風景」だ。見る、という行為には、大きな快楽がともなうこともあるが、しかしそれはやはり、その社会に参加できない、他所者でしかないものの、孤独で不安な状態そのものである。(p.150)

     私たちは沖縄を心から愛している。なぜかというと、それが日本の内部にあって日本とは異なる、内なる他者だからだ。規格化と均一化が果てしなく進む日本の内部にあって、沖縄は、その独特なものを色濃く残す、ほとんど唯一の場所である。その地理的条件、その気候、その歴史、その文化、全てが日本とは異なる。だがそれは法的にも現実的にも日本の一部である。私たちは沖縄を持て余しているのだ。(p.174)

     しかし、岡本太郎も撮影していない沖縄がある。それは、商店街でパンや薬を買い、サラリーマンや公務員や労働者として働き、当たり前に家族を養っていく、「ふつうの沖縄」の姿である。50年代の与那原の地図を見ながら私は、この時代にこの人びとの暮らしはどうだったのだろうと想像してしまうのである。(p.204) 

  • 岸さんの研究スタイルは、その個人のライフヒストリーをインタビューで聞き取る人生史を紡ぎとって、大きな歴史の流れのなかでは掬い取れないものを捉える、というものだと思う。
    沖縄に対しても、そうした姿勢で臨んでいる。自分も沖縄に魅せられている一人だから、それは参与観察でもあるかもしれないし、沖縄好きな本土の人として、沖縄の人と相互作用を起こしている。
    沖縄と本土、日本という関係は大きな歴史の流れ無しには語れないけれど、それとは別に沖縄の人はそれぞれの生活を生きている。たくましくもあり、ずるがしこくもあり、どうしようもなく辛いこともあるだろうけど、それはいろんな人の人生に必ずあるものでもある。
    それでも沖縄的ななにか、がやっぱりそこにはあって、それを魅力に思う多くの人がいる。「はじめての沖縄」は、そうした不思議な沖縄の世界を垣間見せてくれる。

    中高生の初学者向けの本としてはやや読みづらいけれど、やっぱり面白い。

  • かなり良い本。沖縄に熱を上げた自身の経験や、具体的なエピソードから沖縄との関わりを回想しながら、それらを生み出す沖縄という土地や文化や歴史の性質を掘り下げて考えている。沖縄を非対称的な位置に置く内地の人間は、沖縄をどのように語ることができるのかとか。

    「断片的なものの社会学」でも、「こうだ!」と断定できない「多様な語りがある」といったことは言及されていたように思う。が、今回そこからさらに一歩踏み込んで、「しかし、それは油断すると差別構造や非対称性を温存させてしまうものだ」とかなり注意を払いつつ、ありうる、まだ見ぬ「沖縄の語り方」を模索している。

  • 『はじめての沖縄』 問い直す「沖縄らしさ」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
    https://ryukyushimpo.jp/news/entry-740369.html

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     はじめて沖縄に出会い沖縄病になって、勝手なイメージを沖縄に当てはめ、押しつけていた20代。本書はそんな著者の、やむにやまれぬ思考が出発点になって書かれた、切実な「沖縄論」です。この本には、初めて沖縄に行く人のための基本的な情報、その歴史や文化、そして観光名所の解説はありません。社会学者として沖縄をテーマにし、沖縄の人びとの話を聞き取りながらも、「ナイチャー」である自身が「沖縄」について語りうる言葉を探し続けて右往左往するのはなぜなのでしょうか。芥川賞・三島賞候補になった著者が描く、個人的かつ普遍的な、沖縄への終わることのない旅。著者による写真も多数収録。
    https://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1562-8.htm

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著者プロフィール

岸政彦(きしまさひこ)
1967年生まれの社会学者。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。研究テーマは沖縄、生活史、社会調査方法論。
『断片的なものの社会学』で紀伊國屋じんぶん大賞2016を受賞。初の小説「ビニール傘」(『新潮』2016年9月号)で第156回芥川龍之介賞候補及び第30回三島由紀夫賞候補。
その他の著作に、博士論文を元にした単著一冊目の『同化と他者化』、『街の人生』、『はじめての沖縄』、雨宮まみとの共著『愛と欲望の雑談』、『質的社会調査の方法—他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇・丸山里美との共著)などがある。

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