- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784788515628
作品紹介・あらすじ
はじめて沖縄に出会い沖縄病になって、勝手なイメージを沖縄に当てはめ、押しつけていた20代。本書はそんな著者の、やむにやまれぬ思考が出発点になって書かれた、切実な「沖縄論」です。この本には、初めて沖縄に行く人のための基本的な情報、その歴史や文化、そして観光名所の解説はありません。社会学者として沖縄をテーマにし、沖縄の人びとの話を聞き取りながらも、「ナイチャー」である自身が「沖縄」について語りうる言葉を探し続けて右往左往するのはなぜなのでしょうか。芥川賞・三島賞候補になった著者が描く、個人的かつ普遍的な、沖縄への終わることのない旅。著者による写真も多数収録。「よりみちパン!セ」新刊第一弾です!
感想・レビュー・書評
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若いときに沖縄の魅力にはまり、沖縄に恋い焦がれる「沖縄病」にかかった著者は、その後社会学者になり、沖縄で生活史の社会調査も行うようになった。そして、沖縄の人びととの付き合いや聞き取りの調査を通して、沖縄についていろいろなことを考えてきた。本書はそんな著者が沖縄について考えたころを書いた本。
基本にあるのは、沖縄と本土の非対称性。ウチナンチュとナイチャー、日本でありながら本土と境界のある沖縄、差別されている沖縄。
多くの沖縄の人びとの「語り」を著者は聞く。「その語りは、沖縄の失業率や成長率、労働力率、産業構造といった経済的な指標や、あるいは復帰運動や基地反対運動といった政治的な問題、あるいは、武力侵略、沖縄戦、米軍による統治、日本復帰といった歴史的な出来事などの、沖縄独自の「歴史と構造」の問題へと、私たちを導いていく」(163頁)。このような生活史が語る人生の物語と、巨大な歴史や構造の物語とを、架橋しなければならないと、著者は考えていく。
文化的DNAや気候風土、沖縄人気質といったもので、「沖縄的なもの」、「ほんとうの沖縄」といったものに安易に還元しがちであるが、著者は沖縄の「歴史と構造」に結び付けて考えなければならないという。
平易な文章、著者撮影のたくさんのモノクロの写真と、サクサク読み進めることができるが、本書を読んでいると、特に本土の人間に対して、とても重い問いかけがされていると感じます。沖縄のことを考える上で、多くの示唆を与えてくれると思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルから想像させられるガイド本、解説本のような内容ではない。若い頃から沖縄の魅力にはまり、現在は社会学者としても深く関わる著者による十篇のエッセイ。当地への個人的な思いやエピソード、凄惨な戦時中の話からタクシー運転手との何気ないやり取りまでを含めた聞き取り、沖縄の歴史への考察などが絡み合っている。約250Pのうち60Pほどは著者によるものらしい、観光的ではない現地の写真が掲載されている。このうち一部は、元沖縄県知事の大田昌秀さんと撮影したものなど、本文に沿った写真が添えられている。
現在の沖縄社会の出発点には沖縄戦の経験があり、戦後から本土復帰までは景気が良かったこと、そして「戦後の沖縄の経済成長と社会変化は米軍がなくても成し遂げられた」とし、このことが沖縄の人々の「家族規範」「自治の感覚」「お上に頼らない生き方」と繋がるという考察が興味深かった。読書中は常に沖縄の多様性、「沖縄を語るとはどういうことか」を意識させられる。また、以下のような著者の沖縄への思いの一端を示す言葉も印象に残った。
「私たちは沖縄を心から愛している。なぜかというと、それが日本の内部にあって日本とは異なる、内なる他者だからだ」
「右だろうが左だろうが、ナイチャーはナイチャーなのだ」 -
今年沖縄ひとり旅を満喫して以降、沖縄のことを改めて考えなければと思い、この本を手に取った。
「沖縄の独自性を、亜熱帯や『民族的DNA』に還元するような本質主義的な語り方を、一切やめること。そして、できるだけ世俗的に語ること。」
頭では理解していたつもりだったけど、身体的なレベルではわかっていなかったと思い知らされたし、戦後政治的にも経済的にもさまざまな困難を乗り越えてきた沖縄の人の「たくましさと知恵」を無視して接することはやめようと思った。
沖縄のこれまでと今、これからについて考え続けなければいけない。
そしてまた、沖縄に行きたくなった。 -
沖縄について継続的に研究する筆者が語る、自らの目線で見た時の沖縄。
飛躍するようだが、本書で語られる主題は、沖縄ではない。
『俺はこんな風に生きている。あなたが生きていることも認めたい。でも、なんでこんなにも分かり合うこと、ステレオタイプではなく語り合うことは難しいんだ!!』
という魂の叫びを感じた。
そういう矛盾する想いが、日本で最も分かりやすく色濃く示されるのが沖縄なんだと思う。
本書で何かが解決することはないが、分かりやすく一刀両断してしまう、スピードアップした待てない現代に疑問を持つ方は、ほっとした気持ちなれるのでは、と感じた。 -
観光で沖縄を訪れた時、地元の方から「辺野古基地建設反対運動をやっているのは地元以外の人がほとんどで日当をもらってるんだ」などという話を聞いた。「日当をもらって基地反対運動に参加」というのはネトウヨのデマだと思っていた私は地元の人からそんな話を聞いたことに驚き、沖縄の人は本当はどう思っているんだろう、というのが気になり、この本を読んでみることにした。
そしてこの本を読んでわかったことは…まあシンプルな話ではない、ということだ。
私の疑問に関しては、著者は「教員や公務員や組合活動家が『日当』をもらって社会運動に参加する、というデマ」(p.224)と書いておられるから、それがデマであると確信しておられるようだ。
ただ、「沖縄の指導層の人々の、左右の政治的対立を超えた結びつき」(p.209)の例が語られているように、政治的立場が違うからといって日常の生活のうえで対立しているわけでもないのだ。
私が沖縄で話を聞いた方も、「日当をもらって反対運動をしている人と飲んで…」なんて話していて、「立場が違う人からも話を聞くんだよ」ということを言っていた。
「戦争を否定した平和憲法のもとへ復帰するのだという期待が、基地をそのまま残した復帰という現実に裏切られ」(p.65)た沖縄。「 存在してはいけなかったものたちと長い間、沖縄の人々は共に生きてきた。」(p.89) そんななかで基地も必要なのだ、という声も生まれてくる…
「腐れナイチャー」(p.217)という言葉がつらい。著者は「社会というものの本質は『交換できない』ということにある」のではないか、と言う(p.245)。他者の感じることを言葉で理解しても他者になることはできないのだ。沖縄と「日本」とはそういう関係なのでは…と。
「沖縄」と「日本」の間には確かに壁はある気がする。うちなんちゅという言葉が象徴するように、沖縄人であることの矜持を感じる。沖縄の自然や音楽や食べ物。独特の味わいに惹かれるナイチャーの私が「辺野古の海を守りたい」と言ったとしても、それは必ずしも沖縄の人々の思いと一致しないのか…
もやもやは残ったままだ… -
借りたもの。
沖縄県外(ナイチャー)の著者が沖縄の魅力にハマり、社会学である著者がないちゃーに向けて等身大の沖縄を描写しようと試みた意欲作。これは果たして沖縄入門なのか?
全体的にノスタルジー、哀愁に偏っている気がした。
もちろん、明るい沖縄、今の沖縄が全てではないけれど…
読んでいて沖縄の二面性を映し出していると言うより、どうしても越えられないないジレンマを感じさせる……
それは著者がナイチャー(よそ者)であるという事が大きいのかもしれない。何度訪れても越えられない壁のような……
「なんくるないさー」「沖縄あるある」な素朴で大らかな南国の島国、楽園感は無い。
本からにじみ出る、沖縄という土地の、「翻弄され虐げられた」という思いに溢れている。
本州への憧れと反発があることを明文化している。
あまりにもディープで書ききれないので、箇条書き。
・沖縄の景気が良かったのはアメリカ統治下(50~60年代。米軍需要と復興需要と都市部への人口集中による開発。)
・「ほんとうの沖縄」「沖縄らしさ」とは何か?人々が貧しくとも助け合う“文化”らしい。沖縄独特のものはあるが、日本統治関連や先の大戦で失われた?(私見。そもそも琉球・沖縄は大衆文化も宮廷?文化も大して発達していなかったんじゃ…)
戦争の時の話も取材している。紋切型な非戦闘員が巻き込まれた悲壮感ではなく、その中でもしたたかに生き抜いた人の視点が書かれているのは新鮮。
…この辺を語りだすと、どうしても色々言いたくなってしまう訳だが。著者は基地に対して無くなった方が良いという姿勢の模様。
米軍基地問題。基地反対運動。
ならば米軍追い出した後は?多くの話で“自衛”について何も言及されていない。この本も然り。
「先の大戦で本土襲撃の足止めにされた」というのなら、どう防衛すれば良かったのか公に議論されない。(沖縄限らず本州自体も然り)
自衛手段を持っていないからこそ、島津藩に征服され、アメリカにも占領されたという事実に対して、ずっと被害者意識が根強いだけで何も議論していない。と穿った見方までしてしまう……
そういう点では、私もまた腐れナイチャーのひとりに過ぎないのかもしれない……
私自身、色々、本などにも目を通して思うこと……
良くも悪くも、沖縄は沖縄の人たちの場所であり、誰も外に出ない、出さない体質だろう。地元愛、地元民の結束、自治感…文化的にも、信仰的にも…それが前述の“壁”でもあると思う。 -
タイトル通り、期待通り。読み終わるのが惜しくてちびちび読んだ。生きることに勇気が湧き、人と出会うことが楽しみになる。
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日本と沖縄の間の境界線
沖縄を語る際にありがちな「民族や文化に帰結させる本質化」や無邪気なラベリングをすることなく、向き合って語り、そして理解しようとする
これは沖縄に対してだけではなく、ラベリングが持て囃される現代のあらゆる語りに当てはまるんだと思う
著者プロフィール
岸政彦の作品





