- Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
- / ISBN・EAN: 9784788700765
作品紹介・あらすじ
恋が終わった時、仕事に行き詰まった時、家に帰りたくない時、もう若くはないと感じた時、なぜ生きるのかと考えてしまったら-。精神科医の著者が語る、意味や救いに寄りかからぬ生き方のすすめ。
感想・レビュー・書評
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著者は小生と同い年だが、生き方について共感できるものが多かった.第2章 "思い込みの由来" でsein(ザイン)とsollen(ゾルレン)の話が出てきて、第二外国語だったドイツ語を思い出した.ほとんど忘れたが.第五章"死に絶える覚悟"で、仏教、キリスト教、イスラム教の立場での死に対する解説が楽しめた.膨大な知識を本の形で表すのは非常に難しいことだと想定していたが、著者の筆力は素晴らしい.
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価値観や倫理感といったものを論理的に一度崩してくれるような人生論
様々な科学や宗教の知識をもとに、独自のとても鋭い考察が展開
タイトルや帯や紹介文で食わず嫌いになるところであった -
とにかく話が冗長でだらだらとして読みにくい.
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ねむたい。
頭いい人が、よく勉強して、わかりやすく書いてあるのに、ねむたい。
この本のおもしろさは著者がいうところの、常識の浸透具合によるんだろうなあ。骨の髄まで浸透したか、皮膚で止まったか。
最後らへんに他者を自己と思うことがどうしてもできないって下りがあるけど、今のできあがった自我と比べるから難しいのであって、もしも自分が目の前のだらしない若者や、太ったおばちゃんとして生まれ育ったらどうだろうと考えればそうべらぼうに不可能なことでもないんじゃないかな。
魂の種みたいなもんがあるとして、将来その太ったおばちゃんになる赤ん坊の中に、自分の魂の種が入ったらどうなるか。今の自分のようなおばちゃんになるのか。それとも今のおばちゃんのような自分になるのか。おそらく後者だろう。
あのように生まれ育てばあのようになり、このように生まれ育てばこのようになる。あのおばちゃんもこの若者も自分である。
こう考えていくと彼も彼女もまた自分であるといえる。もしかしたら自分が彼らであったかもしれないという意味で。可能性としての自我であり、根っこに連なる巨大な神の触手である。宗教乙。
ま、だからといって、特になんかなるわけじゃない。電子レンジやリモコンの仕組みを知ってる人と同じ。知ってても知らなくとも使用するのに問題はない。
なあに、等しく無価値である。好きにすればいいさ。名を残そうが、悪に生きようが、絶望しようが、聖人になろうが、自殺しようが、懸命に生きようが、怠けようが。好きにせいや、である。 -
認識を推し進めればこんな感じになるという本。これは3回ほど読み返しました。ニヒリズムは認識的には「正しい」が怠惰の言い訳に使うのは良くないという指摘が印象に残っています。