- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784788786134
感想・レビュー・書評
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三田さんのセカンド・サマー・オブ・ラブ以前の文章。
20代前半らしく若々しいが、文体の基調は今と変わらない。
24年前に書かれた文章なのに、語られている問題の骨格は何も変わってないんじゃないかと思えてくる。
当時はバブル経済の頂点だったわけだけれど、今と変わらず若者は先が見えず、ウツと隣り合わせだったらしい。
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要するにどんな音楽を「選ぶ」かということで自分を「表現」することが出来ると言うことを長い時間を掛けて阿木譲から学んだのだと思う。(P.258)
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野田努をして「三田さんはレコードを買うことが表現だから」と言わしめた態度はここから来ているのか。
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ところで僕はちゃんと選んでから買ってきてもまだその<B>レコードを疑っている</B>。
そしてその僕のかけらとどうかする為のベスト・タイムを一生懸命探してから聴くし、そういったことを(儀式?)をとても大事に思っている。自分の身体だし、それが一番わけのわからないものだから。音楽は僕のもうひとつの身体だと本気で思っている。そして僕はたったひとつの音だけを聴き続けるほど枯れたボディではないし、ありとあらゆる音楽をつめこむほどの肥満した精神の持ち主でもない。いろんな取捨選択をしてやっとつくりあげたのがいまの<B>身体</B>だと思っている。
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音楽ライターでもなく、音楽評論家でもなく、自らを"エッセイスト(書くことが音楽に偏っているだけ)"と評している三田格のリスナーとしての態度が端的に現れた文だと思う。
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だから不用意に自分の音楽の趣味をペラペラと喋っている人を見るとまるで"魂のストリップ"を見ているような思いに感じることもある。
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"魂のストリップ"であるからこそ、DJだったり文章だったりで自らの音楽趣味を晒したくなるのではないか。
この一文が一番DJカルチャー以前の考え方と言う感じ。
[private]<blockquote>
〜音楽と言うのはおそらくたった一曲の楽曲の中にすべてがすでに入っている。そのうちの何を強調するかによっていろんな曲が出来てくるんじゃないかと思うのです。比重の反映としてその作曲者のオリジナリティというものがでてくるんじゃないか。
</blockquote>[/private]詳細をみるコメント0件をすべて表示