ギボンの月の下で

制作 : Leif Enger  小島 由記子 
  • ソニーマガジンズ (2003年1月発売)
4.00
  • (2)
  • (2)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
  • 本棚登録 :10
  • レビュー :1
  • Amazon.co.jp ・本 (498ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784789719889

作品紹介・あらすじ

物語はミネソタ州のある小さな町ではじまる。ルーベン・ランドは息をせずにこの世に生を受けた。だれもが死産だとあきらめたそのとき、父ジェレマイアの祈りによって奇蹟が起こった。ルーベンが息を吹き返したのだ。喘息のルーベン、不思議な力をもつ父、たくましい兄デーヴィ、文学好きの妹スウィード-家族は貧しいながらもしあわせに暮らしていた。だがルーベンが11歳になった冬、家族にふりかかった最悪の事件をきっかけにデーヴィが失踪してしまった。残された家族はデーヴィを捜す旅に出るが、彼らの行く先に待っているものは…。奇蹟にふれたとき、家族になにが起こるのか。

ギボンの月の下での感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 原題の「Peace like a river」にある「川」には、この物語においては特別な意味があるだろう。それはいわゆる、黄泉の国の川、のことなのだが、それでふと思うのだ。人々の持つイメージが民族的な背景や文化の違いを越えて、時々共通するのは何故だろうか、と。この世とあの世を分けるものはなぜ川なのだろう。そんな連想をしながら本を読んだ時、翻訳ではなぜ「ギボンの月の下で」という、ある章の題を借りて本のタイトルとしたのかに、少し疑問が湧いた。

    ギボンとは手長猿のことらしい。ギボンの月というのは、まん丸ではなく、少し欠けた楕円の月、手長猿の頭の形のような月を指して、主人公の妹が名づけたものである。ほぼ満月に近い月が高く上がっている夜も遅い時間である。その月明かりの下で、主人公の家族は真冬のピクニックをしている。雪で閉じ込められてしまったある土地で。一夜の宿を頼んだ家人と一緒に。周りは一面の銀世界だというのに。そして主人公の肺は冷気に文字通り縮こまっているというのに。宿を提供してくれたガソリンスタンドの女主人は、主人公達をピクニックに誘い出すのだ。するとそこには不思議な光景が拡がっている。主人公の顔も、あたかも春の陽気に当てられたように上気する。冬の夜の雪景色の中で。

    その風景から連想されるものは、実はとても淡い。それを幸福と呼ぶこともできるかも知れないが、そう呼んでしまうには余りにも淡い、のだ。その風景から喚起される感情に近いものとして、例えば、冬の日に吐く白い息を子供が喜んでいる様を見て感じる感傷のようなものを挙げればよいだろうか。吐く息は、ある非日常性を具現化していて、そのことに小さな驚きと共に、その普通でないものを自らが作り出せることに対するちょっとした優越感、そのようなものが混じり合って起こる幸福感が、確かにそこにある。しかし、その確かなものは、一瞬の内に消えることもまた運命(さだめ)られている。その運命に気づかないで、嬉々として白い息を吐き続ける子供の姿に感じる気持ちと近いものを、その風景には感じる。大人は、一瞬の中に満ちている幸せよりも、その儚さの方にむしろ目が行ってしまう。そして沸き上がる、ないまぜな感情は、喜怒哀楽という要素には分けられない、とても不思議な感傷である。この章に描かれる情景には、その冬の日の白くなる吐息の持つ儚い幸せをどうしても連想させてしまうものがある。そしてタイトルはそれを上手く凝縮している。

    個人的な想い出に連想が繋がってしまうのだが、冬の日の白い吐息、には子供の時の冬のある日のイメージがついて回る。その日の朝、クラスのみんなは駅のプラットフォームで下りの電車を待っていた。子供の集団であるにも拘わらず、だれもはしゃぐことなくきちんと並んで待っていたのには、訳がある。自分達は急に亡くなった担任の先生のお葬式に向かう集団だったのだ。その時、自分は友達と、子供ぽっくイメージされた魂の存在、みたいなことを話していたのだ。先生は自分達のことが見えているんだよね、とかいうような会話がなされていた。会話が途切れた一瞬、自分は吐く息が白いことに気づいた。それは2学期の終わり、冬の初めの時期だった。自分が、はあっ、と息を吐くとたちまち水蒸気は液化して白くなった。それを見ていた友達も思わず息を、はあっ、と吐く。夢中になって何度か息を吐き合った時、ふっとその他愛ない熱中が何か罪深いことのように思えて二人とも、しんとした。白い息は、すっとなくなった。その吐息が、魂のイメージに繋がっているなんて単純なものではないけれど、何故か冬の日に吐く白い息には、死のイメージがつきまとっている。

    そんな個人的な想い出を持ち出さずとも、この本には静かだが暖かい死のイメージが、初めからつきまとっている。キリスト教圏における奇跡というモチーフが、物語を非現実的な印象にし過ぎるきらいがある程多用されてはいるのだが、それはある死という一点に向かって収束していき、その死によってファンタジーになり過ぎた物語は清算される印象がある。そしてその展開は初めから読むものに了承されていたといえば言えるものだ。もちろん、その清算書はキリスト教に根付く算出根拠に基づいている訳で、その雰囲気を出すために、原題を「ギボンの月の下で」というある章のタイトルと置き換えたのだろう、と推測する。「川のような平和」では、仏教的イメージが強過ぎるだろうから。

    それでも、ギボンというカタカナ言葉が含まれているにも拘わらず、このタイトルには日本人的な美を感じる。それは、どちらかと言えば中世日本の美、だとも言える。そしてその美には信仰に繋がっていくような妖しさがある。信仰といっても、無信仰であって日本人でもある自分がイメージする信仰とは、神仏が混合したどちらかと言えば仏教のようなものである信仰であるに過ぎないのだが(だから、その川には賽の河原があって小石の山なども見えてしまうのだが)、そのイメージを持ったとしても、本質的に大きくずれて行かないものが、この物語にはあったように思う。だから、もしこの本のタイトルが「川のような平和」というものであって、そのタイトルから直感的に連想したものが仮に仏教的な色彩を帯びていたとしても、この物語を読み進めている内に違和感は取れて来たんじゃないかなあと、お節介な気持ちになったのだった。

全1件中 1 - 1件を表示

ギボンの月の下でを本棚に登録しているひと

ツイートする