ヒットラーのむすめ (鈴木出版の海外児童文学 この地球を生きる子どもたち 1)

  • 鈴木出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784790231493

感想・レビュー・書評

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  • スクールバスを待つ間にお話をする「お話ゲーム」

    ある日オーストラリアの少女アンナがはじめたのは、「ヒットラーのむすめ」の話でした。

    聞いていたマークは、家に帰ってから「あれは、ただのお話なんだ、つくった話でほんとうのことではないんだ。でも、ほんとうのことも出てくる。だから気になるのかもしれない。」
    と思い、疑問を父親にぶつけます。

    「もし父さんが、ヒットラーと同じようなことをしてたとしたら―すごく悪いことをしてたとしたら―そしたら、ぼくはどうするべきなの?」

    「おまえは、自分が正しいと思うことをするべきだりうな。だけど…」
    「もしお父さんとおまえの意見がちがっても、話し合うことができたらいいよな。どんなに言い争っても、それでも顔を合わせて家族でいたいと思うね」

    さらに、
    悪いことをした人物の子どもも悪くなるのか?自分がほんとうに正しいことをしているかは、どうやったらわかるのか?
    と考えるようになるマーク。学校の先生に質問しても、驚かれ、納得できるような答えは返ってきません。

    「人は、正しいと思ったことをするべきだ。でも、正しいと思ったことが間違っていたら、とうなのただろう?
     みんながしていることをやればいい、というのは答えにならない。ヒットラーがやったことから一つわかるのは、国じゅうの大多数の人が間違っていたということだからだ。
     当時の人たちは、ものごとをちゃんと考えていたのだろうか? (中略)それとも、ただ信じてしまったのだろうか? それも信じたかったから、という理由で」

    だんだんマークの疑問をはぐらかし、やめさせようとするようになる両親の様子も、一般的によくあることだと考えさせられます。

    「難しい問題」「子どもは知らなくていい」とつい家庭では避けたくなる話題ですが、この本が考え、話し合うきっかけになれば、と思います。






  • 想像してみてください。もし、自分がヒットラーの子どもだったとしたら。暴走していく親をとめられただろうか。それとも父を崇拝して、一緒に事に加担していただろうか。とてもとても難しい問題だし、その時代の価値観だったり、自分を取り巻く環境だったりで、良いことも悪いことも一変するので、何が正しいことかなんて答えはでないのだけれでど、常に考えたり想像することは大事ですよね。人を殴るとどうなるか、人に意地悪するとどうなるかとか。身近なことから、世界で起こってることまで。

  • もしも自分の親がヒットラーだったら?
    想像してみることが、考える力を生むのだと、あらためて感じた。
    ユダヤ人は本当にアーリア人より劣っていたのか? そんなはずはない。それなのに、どうしてナチスはユダヤ人を迫害し、あんなに恐ろしいホロコーストが起こってしまったのか? 当時のドイツ人は、本当にそんことを信じていたのだろうか? マークは考え続けます。
    バスの運転手、ラターさんは言います。
    『「どうしてだって? どうしてか教えてやるよ! 統計の数字を見さえすりゃいいのに、だれもそんなことしないからさ。それどころか、テレビでインチキなやつがとんでもないこと言ってるのを真に受けて、それをありがたい福音みたいに受け取ってるのさ。それがほんとかどうかなんて、気にしてもいない。だれも、自分の頭で考えようとはしない。そこが問題なんだよ。」』

    『「だけど、自分がほんとうに正しいことをしているかどうかは、どうやったらわかるんですか?」マークはさけぶようにして、きいた。』
    『人は、正しいと思ったことをするべきだ。でも、正しいと思ったことが間違っていたら、どうなのだろう?
    みんながしてることをやればいい、というのは、答えにならない。ヒットラーがやったことから一つわかるのは、国じゅうの大多数の人が間違っていたということだからだ。
    当時のひとたちは、ものごとをちゃんと考えていたのだろうか?』

    これを読むと、今の日本の状況と重なることがあって薄ら寒い。今、みんな本当に自分で検証し、自分の頭で考えているだろうか?
    もちろん、マークは子どもで、疑問ばかりが浮かんでしまうが、きちんと頭で考えている。だからこそ、疑問が浮かんでくるのだ。そのマークに対し、親も先生も、なかなか真摯に話を聞き、答えてはくれない。

    『「あのときのドイツの人たちも、わたしたちみたいな態度をとってたんでしょうね? ヒットラーのすることにはきっと反対だったと思うわ。少なくとも、すべてに賛成してたわけじゃない。でも、見たり聞いたりするのを避けてるうちに事態が進んで、気づいたときはもう遅かったのよね。みんなが目をつぶっているあいだに、ナチスの思うつぼにはまってしまったのよ。」頭の中のお母さんはうなずき、大真面目な顔でマークを見てこう言う。
    「あんたがきいてくれたおかげで、いろいろ考えることができたわ」』
    子どもの言葉の中に、問いの中に、真実があるかもしれない。忙しさに紛れて、見逃してはならないと思う。そして、忙しさを言い訳に、考えることを放棄してはならない。

  • ヒットラーにむすめがいたら・・・、というお話。ヒットラーの娘と名乗る少女が主人公で、というような設定かと思ったら、そうではなかった。細かい章建てと素敵な挿絵で、あっという間に本の世界に引き込まれて一気に読んでしまった。とても面白かった。(読み終わって満足したあと、ふと、マークの疑問が少し教育的かなと「大人」みたいな感想を持ってしまったが。最近、絵本に関する講座を受けたから、作品が教訓めいてるとかそうでないとかの批評を無意識にしてしまうみたい…。)

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「素敵な挿絵で」
      この本は未見ですが、北見葉胡は好きです。
      http://www.asahi-net.or.jp/~bg4t-ktm/ind...
      「素敵な挿絵で」
      この本は未見ですが、北見葉胡は好きです。
      http://www.asahi-net.or.jp/~bg4t-ktm/index.html
      2012/05/01
  • いつか、子供にも読んでほしい本。「どうやったら、善悪の違いがわかるのだろう?」「自分のまわりの人たちがみんな間違っていたら、自分はどうしたらいいのか?」
    空想の物語の中で深く考える事は、子供にとっても大人にとっても大切な事。
    家族の一員が間違った事をしたら…?その一員の為に、そして間違いに晒された人の為に悲しむ。それまでと同じようにではなくても、その一員を大事に想い続けられるような、意見が違ってもちゃんと顔を合わせて話し合えるような関係でいたい。

  •  ヒットラーとのやりとりがもっと描かれるのかなと思いましたが、想像と違っていました。が、かえってリアルで、想像や思考をかきたてられました。
     物語にはヒットラーの娘や、お話をくりひろげる現代の子供たちが出てきますが、たくさんの大人も出てきます。それぞれが何が正解なのか悩んでいる様子がすごく印象的でした。
     私も子供にマークのような質問をされたらどう答えようか、本当に難しいなと思いました。
     現実に今も起きている紛争、考えなければならないけれど、声を上げないといけないけれど、でもそうする事によってどうなるかというマークの想像の通りで、でもその保身があのような事を招いてしまったとも言えるし…
     ゲルバー先生がいなくなった所が悲しかったです。
     答えの無い話なので、色々と考えさせられると思います。

  • こちらは児童文学というくくりではあるが、大人にも読んでもらいたい。ある日、お話ゲームのなかでとある友人が語りだした、もし、自分がヒットラーのむすめだったら……?という仮定のお話。その結末はぼわっとしており、登場人物同様読者もその後が気になる。最後まで読むと本のからくりがわかり、いろんなことを考えずにはいられない。戦争を学ぶ、自分はどう選択するかというディスカッションにも使えそうな本です。

  • アンナのお話に惹きつけられ、自分なりに考えていくマーク。父親や母親、マクドナルド先生にも自分の疑問を打ち明けていくけれども、納得する答えはかえってきません。
    私がマークだったら…、私がマクドナルド先生だったら…、私がゲルバー先生だったら…、私がアンナだったら…。どのように受け止め、どんな言動をとったかなぁと思いながら読み進めました。

    作品の本文からの抜粋
    ・過去にあった間違いをちゃんと見つめないかぎり、人間は同じような間違いをくりかえしまうからだ
    ・人間は、正しいと思い込んで悪いことをしてしまうこともある。
    ・自分が本当に正しいことをしているかどうかは、どうやったらわかるんですか?
    ・僕が聞きたいのは、もしもみんなが防戦みんなじゃないにしても、ほとんどの人が、ある人のことを正しいと思ってて、でも自分はその人が間違ってると思ったとしたら、どうすればいいのかってことだよ

  •  小学生の少女アンナが,スクールバスを待つ間の時間を利用して話し始める「ヒットラーのむすめ・ハイジ」の物語。友達マークたちに催促されて,話は展開していきます。もちろん,内容は作り話なんだけど…。
     話を聞いている間に,マークは,現実の世界と物語とを行き来するようになってきます。「もし,自分の父親が人殺しだったら,自分は何ができるのか」「もし,みんなが間違ったことをやっていたら,自分一人でも反対できるのか」「ヒットラーの時代は特別だったのか?」「今の時代はどうなのだ」
     読み進める内に,読者である私に対して「あなたは…本当に戦争を止めようと思って行動しているのか!」と問われている気分にもなってきます。
     なんとも,複雑でおもしろい物語でした。
     最後にも,思わせぶりな部分がありますので,お楽しみに…。
     これ以上書くとネタバレになるので,やめておきます。

  • [ 内容 ]
    雨がふりつづいていたある日、スクールバスを待つ間に、オーストラリアの少女アンナがはじめた「お話ゲーム」は、「ヒットラーのむすめ」の話だった…。
    もし自分がヒットラーの子どもだったら、戦争を止められたのだろうか?
    もしいま、だれかがヒットラーと同じようなことをしようとしていたら、しかもそれがぼくの父さんだったら、ぼくはどうするべきなのだろうか。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

著者プロフィール

オーストラリアの児童文学作家。シドニー生まれ。ニューサウスウェールズで、ワラビーやウォンバット、いたずら好きのコトドリ、オオトカゲたちにかこまれて暮らしている。『ヒットラーのむすめ』は、イギリスでの受賞をふくめ、現在、10 の賞に輝いた。主な邦訳書に、『ダンスのすきなジョセフィーヌ』(鈴木出版)などがある。

「2018年 『ヒットラーのむすめ〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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