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Amazon.co.jp ・本 (244ページ) / ISBN・EAN: 9784790706083
感想・レビュー・書評
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本書は『クワインと現代アメリカ哲学』(世界思想社)の姉妹編として位置づけられている。第1部ではクワイン、サール、ローティ、デイヴィドソンらの言語哲学についての議論が展開されている。著者がとくに力を入れているのは、彼らの思想から創造的な側面を取り出すことだと言えるだろう。
第1部第3章では、指示の理論におけるサールとドネランやクリプキの対立と、彼らの論争に対するローティの態度が論じられる。サールは伝統的な記述理論を修正した指示の「クラスター説」を提唱した。だがドネランやクリプキは、記述理論が引き起こすパズルを指摘し、「指示の因果説」を唱えた。この両者の論争を概観した上で、著者はローティが「指示の理論」そのものに対する根本的な問題提起をおこなっていることを取り上げる。指示の理論は、私たちの発言や信念が真であるのはそれが私たちの考えとは独立に存在する何かを言い当てているからだという「真理の対応説」を前提している。だがローティは、『哲学と自然の鏡』などの著作において、これらの議論を「鏡のイメージ」に基づくものとして退けている。著者はローティの立場に共感を示しながらも、言語哲学から心の哲学へと歩みを進めたサールの立場には、ローティへの接近が見られると指摘している。
続く第4章では、デイヴィドソンのメタファー論を紹介しながら、そこで言語の創造的機能への着目が見られることを、ローティが高く評価していたことを論じている。デイヴィドソンは、メタファーの構造や機能を詳細に論じたブラックの試みを批判する。彼によれば、メタファーとはさまざまな効果を生むような私たちの言語の「使用」ないしは「工夫」にすぎない。彼は「メタファーを理解することは、メタファーを作ることと同じく、創造的な努力であり、規則はあまり支配されていない」と述べている。このように述べることによって、世界のあり方を映すのが私たちの言語の役割だという見方とまったく異なる言語の見方を彼は切り開いたのであり、著者はローティとともにこうしたデイヴィドソンの立場を高く評価している。
第2部では、デカルト、ロックらの近代観念説にクワイン流の自然主義を見ようとする議論が展開されるとともに、M・エアーズに代表される心像論的ロック解釈の批判がおこなわれている。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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