- Amazon.co.jp ・本 (363ページ)
- / ISBN・EAN: 9784790706144
作品紹介・あらすじ
幸福、喜び、楽しさ、最適経験などの現象学的課題の本質を心理学、社会学、文化人類学、進化論、情報論を駆使し、原理的、総合的に解明した労作。
感想・レビュー・書評
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日本語がわかりにくい意外は非常に学びの多い本でした。
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・ 社会の統制からわれわれを解放するための最も重要な第一歩は、そのときその時の出来事の中に報酬を見いだす能力を身につけることである
・ 現実とはわれわれが経験していることである以上、われわれは自分に関する限り、意識の中に生じていることに働きかけることによって、外界からの脅しや追従から自分を解放するよう現実をかえることができる
・ 人は現実に「外」で起こっていることとは無関係に、ただ意識の内容をかえるだけで自分を幸福にも惨めにもできる
・ 我々は一時にせいぜい7ビット(0-1パタンの7乗)の情報、異なる音や視覚的刺激、認知可能な情緒や思考のニュアンスの差異などしか処理できないようであり、一組のビットをほかの組から区別する最短時間は18分の1秒程度らしい
・ フロー体験によって自己の構成はそれまでよりも複雑になる。次第に複雑になることによって自己は成長するといえるだろう。複雑さは二つの大きな心理学的過程、差異化と統合化の結果である。差異化とは独自性や他者から自分自身を区別する傾向を意味している。統合化はその逆であり、他者との結合であり、自己を超えた思想や実態との結合である。複雑な自己とは、これらの相反する傾向を結びつけることに成功した自己をいう。
・ 楽しいことの後では、我々は自分が変わった、自己が成長した、その結果ある面で自分は以前より複雑になったことを知るのである。能力の複雑さを高めるためには、新しく、挑戦的な要素を含む目標への心理的エネルギーの当社を必要とする
・ 楽しさの現象学
① 達成できる見通しのある課題と取り組んでいる
② 自分のしていることに集中している
③ 行われている作業に明瞭な目的がある
④ 直接的なフィードバックがある
⑤ 意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、深いけれども無理のない没入状態
⑥ 自分の好意を統制している感覚を伴う
⑦ 自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる
⑧ 時間の経過の感覚が変わる
・ 心理的エネルギーを投射してきた目標と論理的に結びつけられているならば、たいていのフィードバックは楽しいものになり得る
・ 彼らの楽しさは、危険からではなく、危険を細小にする能力から引き出されている。災難をあえて求めることから生じる病的スリルというよりむしろ、潜在している危険を統制することができるという完全に健康な感情なのである
・ 人々が楽しむのは統制されているという感覚ではなく、困難な状況の中で統制を行っているという感覚
・ 問題となる状況に含まれる挑戦は、「実際の」挑戦だけではなく、我々が認知する挑戦でもある。我々がどのように感じるかを決定するのは、我々が実際に持っている能力だけでなく、持っていると我々が考える能力である。
・ 様々な状況化で楽しむことができるものは、刺激を選別し、自分が当面関わりを持つと決めたことだけに焦点を合わせる能力を持っている。普通注意を払うということは、通常の基本的努力を超えた情報処理上の負担を負うのであるが、意識を統制sルウコトを身につけた人々は、意識の集中にあまり努力を必要としない
・ 最適経験を促進する家庭状況の5つの特徴
① 明快さ。自分への期待とそれへのフィードバック
② 忠信か。自分のしていることや具体的な感情・経験に興味を持っている。
③ 選択の幅。子どもは自分の結果に対して責任を持っている
④ 信頼。没入を認める
⑤ 挑戦。親からの機会の働きかけ
・ 多くの選択肢から新しい考えのいずれを選ぶかを決定する上で、外発的諸力は非常に重要である。しかし新たな考えは考えることの楽しさに動機づけられている
・ 思想の複雑なパタンを解き明かすには専門化が必要であるが、目標−目的関係が常に明瞭でなければならない。専門化はよりよく思考するためのものであり、それ自体が目的ではない
・ 強いられた仕事を複雑な活動に変換した。ほかの人々が認識しなかったところに挑戦の機会を認識することにより、そして能力を高め、当面する活動に注意を集中し、後に彼らの自己がより強く現れるまでに対象との相互作用に没入することによってこれ尾を成し遂げた。
・ 仕事の方が挑戦的目標に対峙しているが、「仕事を義務、束縛、自由の侵害」というステレオタイプに基づく前提でとらえている
・ 仕事の3つの不満
① 変化と挑戦の欠如
② 職場での他者、とくに上司との摩擦
③ 燃え尽き。圧迫やストレスが大きすぎたり、自分でモノを考える時間が少なすぎる
・ 上司や同僚の目標達成を助けながら、自分の目標を達成するという挑戦を設定する
・ 社会科学の調査は、国を問わず友人や家族といる時、または他者と一緒にいるだけで、人は最も幸福を感じることを明らかにしている
・ 長子相続制はこの方法を採用している地方の土地への資本集中、ひいては工業化をもたらし、均等相続制は財産を分散させ、工業の発展を妨げた
・ 家族が共通の目的と開かれたコミュニケーションの通路を持つとき、それが信頼関係の中で徐々に拡大する挑戦の機会を提供するとき、生活は楽しいフロー状態となる。家族もその存続を確かなものにするためには心理的エネルギーを注ぎ続けねばならない
・ 若者が家庭に受容され、保護されていると感じるならば、仲間集団への依存は減少し、仲間関係を統制することを身につけることができる
・ 交友は表出的な挑戦を続けない限り楽しいものとはならない。挑戦の機会を与え、自己実現という目標を共有し、経験の密度を高めようとする際に常に付随する危険を進んで分け合おうとする人が友人
・ よい共同体は、人々にできる限り多くの楽しみの機会を提供し、人々が絶えず増大する挑戦を追求することによって、その可能性を発達させる共同体がよい共同体なのである。
・ 悲劇的な自己が積極的なものと考えられる理由は、その自己が犠牲者から矛盾した、本質的ではない選択を減少させる一方、彼らにきわめて明瞭な目的を与えたということであった
・ ストレスへの対処の分類
① 利用できる外的支持(保険、家族など)
② 知性、教育、適切なパーソナリティ因子のような心理的要素
③ 成熟防衛と変換対処(否定的物事を機会として捉える)
・ 地球上のすべての生命を究極的にはカオスと捉えそれをより複雑な秩序に作り替える散逸構造
・ 心理的エントロピーに対応する方法
① 自分の目標達成を妨害するものに注意を集中し、それを除去する
② 自己を含めて状況全体に注意を向け、より適切と思われるほかの目標を立て、異なる解決法をさがす
・ 自己目的的な自己とは潜在的な脅威を楽しい挑戦へと変換し、従って内的調和を維持する自己である。自己目的的な人の基本的な目標は、意識によって評価された体験、従って、独自の自己から生じている
① 目標の設定
② 活動への没入
③ 現在起こっていることへの注意集中
④ 直接的な体験を楽しむことを身につける
・ 体験の中に秩序を創り出す喜びが、進化を推進するエネルギーを生む
・ 日々の出来事を意味あるものにするためには、全体的な文脈での目標を持つことも必要である。それぞれの活動を結びつける秩序を持たず、ただひとつのフロー活動から、別のフロー活動へと移ることを繰り返すならば、人生の終わりに過去を振り返り、過ぎ去った出来事に意味を見いだすことは困難になるだろう
・ 感覚的文化、観念的文化、理想型文化−それぞれの型では異なる優先事項が存在目標を正当化(ピットリム・ソローキン)
・ 活動は盲目であり、反省は無力である。大量のエネルギーをひとつの目標に投入する前に、基本的な疑問を問うてみるのは無駄ではない。それは私が本当に望んでいることなのだろうか。私はそれを楽しんでやっているのだろうか。近い将来私はそれを楽しんでいるだろうか。もしそれを達成したら、私は自分自身と折り合っていけるだろうか
・ ライフテーマはなにが存在を楽しいものにするかを規定する。ライフテーマを持つことによって、日常生活のすべては意味を持つようになる。
・ 苦悩の中から目標を見いだすためには、それを達成可能な挑戦と解釈せねばならない。それにより、無秩序から秩序を創り出すことができる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分がフローになれる行為は大事にしたい
・読書
・ゲーム
・テニス
・アルバイト
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マーティン・セリグマンと並ぶポジティブ心理学の重鎮・チクセントミハイが、本国アメリカでは1990年に刊行した著作。チクセントミハイ自身が提唱した「フロー理論」を、一般向けに解説した本である。
一般書とはいえ、わりと論文臭がある。しかも、訳者も学者なので訳文もかなり堅く、読みやすいとは言えない本だ。とくに、「幸福」を再定義した1章、「意識」について原理的に考察した2章は難解で、途中で投げ出したくなった。
が、ようやくフローについての解説が始まる3章からは、一気に面白くなる。
「フローとは何か? それは我々の人生にとってどのような意義をもつのか?」が、多角的に解説されている。また、心理学の枠を軽々と越え、人類史全体を射程に入れた深みのある文明論にもなっている。
そして、「人間いかに生くべきか?」を探求するのが本来の哲学であるならば、古典のように格調高い文章で「何が人生に幸をもたらすのか?」を科学的に探求した本書も、一級の哲学書といえる。
私にとっては「一生もの」の本。つまり、これから何度も読み返して血肉化していきたいと思える本なのだ。
四半世紀近く前の本ではあるが、幸福が見えにくくなっているいまの日本でこそ、もっと読まれるべき名著。 -
多くの人に読んで欲しい一冊。単に一つの思想を広めようというわけではなく、人それぞれに思想を持って欲しいという思いでこの考え方に触れてほしい。
この世がギスギスしているのは、ギスギスさせている人が不満を持っているからである。そして当該不満人に対する不満が当事者同志から周囲へと波及していく。その原因が何かと探っていけば、個々人の欲望が叶えられないということ。どうすれば叶えられるのかわからないので、とりあえずお金を貯める。貯めていくうちにこれで足りるのかと不安になる。そのうちお金を得ることが目的化していく。その目的がうまくいかないからさらに不安になり、それが積み重なって不満となり、やがて暴発する…。この悪循環を断ち切るには、自分が欲する物事をはっきりとさせ、それに向かった考え方を持ち、それにしたがった行動をする。これに尽きると思うのだが、行動はもちろん、考え方を持つことすら許されなくなりつつあると思えるのは多くの人が考えているところではないか。
「前向き思考の心理学」とでもいうものは、新書や文庫を初めとして数多く出されているが、そこに提示されている考え方のオリジナルに近いものが本書での提言である。多くの著者が参考文献として本書を取り上げていることからしてその重要文献性は明らかであろう。単なる人間の快楽というものを通り越して「生き方」あるいはそれを統合した「社会の在り方」として本書の提言はもっと注目されてしかるべきである。
エッセイなどでおなじみの「幸福論」というものを現象学的に詳細に記述したものと言っていいが、唯心論的啓蒙書を嫌う人でも科学的な観点から興味深く読めると思う。スポーツや芸術の分野で話題となりやすい「ゾーン」も本書によるフローの延長線上にあるものと考えれば、たんなる「考え方」の問題ではなく、結果に結びつく「技術」であることが理解できるのではないか。
とはいえ「幸せというものは主観的に決まるものである」という認識を一般化してしまうと、権力者はそれを口実に我々から多くの物を奪っていくだろう。ただ、その逆に権力者がどんなに豪勢な報酬を与えようと我々が心から欲しないことに屈することはない。前者のような横暴を防ぎ、後者のような非服従を貫くには、主観的な幸福感と並行して、客観的な生きる術をも身に付ける必要がある。そしてこの「術」は一般的に言われているような「稼ぐ力」あるいは「周囲に認めさせる力」というものではなく、自らが生きていく力とでもいうもの。ここでは主観と客観の間に存する「身体」という概念が有力ではないだろうか。
いずれにしても、行き詰まっている人、落ち込んでいる人はもちろん、今がイケイケドンドンな人でも、視界が広く開けることを期待できる一冊である。 -
人が楽しいと感じる要素は「非日常性、挑戦性、連帯性、没入性」の4つと言ったオムロン会長の「私の履歴書」を思い出した。(どんな仕事でも感じられるものだなんてイキイキしたことは言いたくないけど。。)
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内容が難しく、ついていけてない。
人生に目標を持ち、生活を統制することで、苦しいこともあるだろうが、突き進んでいるときにフロー体験が生まれる。みたいな感じであろうか。
最適経験はみずから生じさせるもの。
それは、困難はあるが価値のある何かを達成しようとするもの。
それに挑むには、生活の内容の決定に関わりを持つこと、生活を統制することになる。
生活を統制するとはなにか。
まずは、人間の意識って何かを知るところから始める。
意識には、限界があり、自分で取捨選択しているものだ。
どんなことにエネルギーを放射するかで自分自身が決まってくる。何に注意するのかを自己決定していくことが大事。
そのエネルギーの放射が自分の目標に向かっているとき、フロー体験が得られる。
生活の質を上げるのは、
環境を変えるか、自分がその環境の感じ方を変えるしかない。 -
数年ぶりに再読。事例や分かりやすくするたとえ話が沢山載せられていて面白いのは間違いないのだが、どうしたらフローを起こしやすく出来るのかのノウハウはない。天外伺朗の本でも読んどけと言うことなのだが、とにかく思考が硬くて、現象を観察するにとどまっている感じ。
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「フロー」「ゾーン」「本当の満足」系の本を読むと必ず参照されているミハイ・チクセントミハイ教授の本、これは原点をあたろうと思い読んでみたがかなり難解で時間がかかった。幸福というものは我々の外側のことがらによるものではなく、我々がことがらをどう解釈するかによるのである、という指摘はぼんやりとしていたイメージを明確化してくれた。また仕事柄、リスクに挑戦する起業家を多く見るが、その心情も、災難をあえて求める病的スリル追求ではなく、潜在している困難を統制することという健全な感情と言える。人間の肉体を作ろうとすると、たんぱく質やカルシウム、毛髪など、数千円程度の材料で足りてしまうが、脳の活動は数百億円のスーパーコンピューターでも代替できない、つまりそれだけ精神的な活動は貴重なもので、もっとよりよく活かしていくことが、満足や充実につながるのだろうと思う。
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メンタルのドン底期を経て、2ヶ月強かけて読み終えた。
メンタルのドン底期は読んでいる本を手にする気にすらなれず、延々と横になりながらタブレットで不毛な情報の閲覧をして過ごす。
要は、本書で言うところの全くフロー出来ていない状態になる。
経済面も大事だけど、仕事とオフを切り分けること無く、何よりフロー体験し続けられる人生でありたい。