言語哲学を学ぶ人のために

制作 : 野本 和幸  山田 友幸 
  • 世界思想社
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784790709459

作品紹介・あらすじ

20世紀初頭の「言語への転回」以来、言語を中心に据える哲学的考察すなわち言語哲学は、哲学探究の枢要な位置を占めるにいたった。言語哲学の多彩な論争的諸問題に気鋭の哲学者十余名が挑む、言語と哲学に関心を寄せる人々への刺激的な入門書。

感想・レビュー・書評

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  • 本書を貫く態度は、
    philosophy of language 言語哲学 乃至 言語の哲学

    一方の linguistic philosophy 言語論的哲学 とは、linguistic turn により
    言語による定式化、複雑多岐にわたる精妙な区別をよりよく理解することにより、
    哲学的問題の(解決および)解消が可能になるもの、とみなされてきた。
    言語こそがさまざまな哲学的難問の(解決乃至)解消が求められる場となったのである。

    はじめのphilosophy of language 言語哲学 とは次と並列する領野であり、
    philosophy of mind
    philosophy of action 行為の哲学
    philosophy of science
    等々と並ぶものの一つである。

    第一部 基礎
    第二部 意味論
    第三部 行為としての言語

    第一部 基礎
     序 野本和幸
    問題群の洗い出し。ただちに発話するものは思考しているとも、
    言語をもたないものは思考しないとも、断定する必要はないだろう。
     例外例:卓越した知性は思想を直接把握することが可能かもしれない
         テレパシーで言語なしに意思疎通

    Rene Descartes 1596-1650
    考えることを見ることになぞらえた。
    精神的直観を用いて、精神に内在する観念(生得観念 innate ideas:神、物体)を言語を介することなく直観せねばならない。
    われとは精神である
    演繹して概念を媒介として、外界を把握しなければならない、と
    言葉はわれわれの精神が身体と合一していることの証左である。
    観念に対するしばしば混乱した符丁にすぎない。
    だから身体と結びついた言葉から精神をできる限り引き離さなければならない、というプラトン的ideology。
    ∴哲学が関わりを持つべきなのは言語ではなく、観念の連鎖、精神的言説なのである、という主張。

    Thomas Hobbes 1588-1679 同時代人
    mental discourse という語を用いている。論理的には言語に先行するものであり、私的言語といえるだろう。
    発話とはこうしたmental discourse を言語化すること、既存の流通した言葉にあてはめることだ。        ⇒私の今の状況とおなじ
     発話 >分解 記憶のための標識mark, sign記号として他人に伝える
    これはちょうど雨雲が継続する雨の記号であり、雨がその前に雨雲の通貨したしるし・記号であるのと同じだ、と野本氏。
    つまり論理的には並列(両者は必要十分の関係)。時間的に雨雲が先行し、雨が後に続く。

    John Locke 1632-1704
    18世紀に入り、innate ideas は以下経験論に反対される。Baconもいるけど。
    感覚印象からinductiveされ抽象されて観念はできあがる。
    しかしそれでも、本来的かつ直接的に表示することのできるものは、精神の内なる観念のほかにはないと。
    しかし、間接的に言葉に2つの指示作用をみとめる
     1 言葉による事物への指示
     2 話して聞き手の間での共通な受け取り common acceptance

    Immanuel Kant 1724-1804
    The concept of innate ideas still survives as presentations of \"a priori\".
    しかし、直観ideasはすべて感性化sensitiveされ、
    魂、世界、神 のようなsenseを超えたideasは単なる理念ideal idea にすぎない。  ⇒理念ってなんだ
    確かな認識は、思考の純粋形式である、亮、質、実態・因果等の
    悟性概念 category が時間・空間という直観によって感性化されない限り、人間に与えられない。
    category 時間と空間 は
     人類にとって共通で、公共的という意味で「客観的」を得る
     個々の経験に先立たつアプリオリな表彰ではあるが、
    感性化されたカテゴリーの与える認識も、もの自体にではなく、われわれ人間への現れとして現象に関わるのみである。
    Kantはpresentation, language のconnection、categoryを用いた思考とlanguage の関係については積極的には語っていない。

    したがって18世紀までの西洋近世哲学の主流においては、思考―観念 また 観念―外界 の関係に関心が集中し、
    思考―言語 また言語―実在 の関心は低かった。


     2 言語への転回

    言葉にあらわせないときはひどくもどかしい感じがする。まるで完成されてないスケッチのようなもの。
    思考が言語に依存していることを示した先駆は・・・

    Gottlob Frege 1848-1925
    ドイツ。現代論理学の創始者。
    19世紀末〜20世紀初めに風靡した心理主義。
     各人各様の主観的な表彰、内的観念、内的心象ならびにその操作に過ぎない
      対象:思考一般、論理的推論、数学的思考を含む

    Ludwig Wittgenstein 1889-1951
    私的言語批判だった。                           ⇒ラカンに共通?
    Frege 実在論者だった
     思想;Gedanke, thought と呼ばれる
      思想例;ピュタゴラスの定理、ニュートンの万有引力の法則?       ⇒野本氏の科学史の若干の理解不十分さが見える
    思想は人間の認識(like Berkly)とは独立に存在するとFrege.
     事実=真なる思想
    真なる思想をはつめいするのではなく、そこに存在する思想を発見するのだというFrege。
    教示的な公共的な、世代からせだいへと通時的に伝達可能な共有財だとFrege.  ⇒Kuhnらと衝突

    また、言語表現によって媒介されていない思考は無にひとしい、とFrege.
    同一の思想(実在)も、われわれの(多様な)言語によって多様な仕方で分節可能なのである。(実在は未分節)
    しかし、Fregeは日常言語はあいまいで多義的、概念や思想、推論を厳密に表現するにはきわめて不適切と考えた。

    →概念記法 Begriffsschrift とよばれる記号言語を創出しformal logic厳密に表現することに成功した。

    context princeple
     Fregeの文脈原理
    Fregeはプラトン的実在論者 ―数学的対象、論理的概念の客観的独立存在を認める
    しかし、直観によって把握しうると主張したのではない
    一方で次の主義と戦った
     心理主義、
     JSミル流の経験主義、
     物理主義〔思考を神経生理現象に還元する〕
    他方で次とも戦った
     カント主義〔アプリオリな感性的直観に訴える〕
     →しかしこれは知的直観に訴えるプラトン主義を退ける結果となってしまう。Frege矛盾!?
    meaning
    文という脈絡において問われねばならず、孤立として問われてはならない 『算術の基礎』1884
     文のなかにおいて語は元来一つの意味をもつ
    ∴context principle は意味の理論にとって重要なのは文の分析を通じてはじめて語の意味が確定される、という
     語(ギリシャ哲学的)から文への重心移動の表明だった
    →Wittgenstein の言語ゲーム論への拡張
     & Willard Van Quinエ & Donald Davidson  の語や文の意味は言語全体の中で問われるべしというholism
     を呼び起こす。

    チョムスキー
    Noam Chomsky 1928-
    言語の獲得について、一段メタレベルの、文法獲得の話をしているのが彼の生成文法。生得観念。
    「非言語的」「言語能力」しゃべれるように舌が成長発達する、といったようなものか。

     3 思考の言語への依存性
     意味と解釈
    『探求』第2部第174節より
    eg. ○犬は主人が戸口にいるということを信じうる
       ×主人があさってにやってくるということは信司得ない
      'cos こうした期待が、複雑な言語によってのみ、表現しうるように、期待の熟練した操作へ到達しえないから  ⇒(言語による期待expectの熟練)
    Anyway, 人間は言語と思考が一方を前提とすることなく、独立に理解しうるとは考えられないと野本氏。   ⇒両者を射程にいれる視座が必要
    そこで、
    Davidson『心理と解釈』特に「思いと語り」
     解釈者 ―自他の発話を理解する者
     新年や欲求
     一定の振る舞い、eg.手を挙げる
     なぜその人物が挙手をしたのか、という行為への目的論的説明
      e.g.タクシーをとめたいという欲求がある、と説明される
    行為の理論は、行為主体の振る舞いを、理由を構成する新年と欲求を主体に帰属させるように記述しなおす     ⇒無意識の行為は射程外

     信念と解釈
    解釈の理論 ―振る舞いを意味のこもった行為として記述しなおす
            発生を意味を担った言語行為として記述し直す
     中心的役割:文を真として受け入れる、という態度
    解釈者にとっては主体がある文を真とみなしているのはどのような状況の下であるかということに関する知識が不可欠である。
     e.g.ギャバガイ









    著者:
    野本和幸 46歳
    1962.3 国際基督教大学 教養学部(人文学科)卒業
    1967.3 京都大学大学院 文学研究科 博士課程(西洋哲学史専攻)満期退学 文学博士(京都大学)
    1967.4 茨城大学教養部 講師・助教授・教授
    1977〜78 ACLS特別研究員(UCLA)
    1979〜80 フンボルト財団特別研究員(ゲッティンゲン)
    1985.1 北海道大学文学部 教授
    1991.4 東京都立大学人文学部 教授
    1991〜92 フンボルト財団ヨーロッパ研究員(コンスタンツ、Oxford)
    2001.4 東京都立大学 名誉教授
    論理学、西洋思想入門、外書講読(ドイツ語)
    《院》哲学特論演習他
    分析哲学研究
    現代論理学の哲学、言語哲学、フレーゲ研究

  • 言語哲学についての入門書。入門書と言っても内容は少し難しめな部分がちらほら見られた。おそらく全く言語哲学について知識のない人が読むのはきついだろう。全体的にはその難しめな部分と、平易な部分の差が激しいように思われた。編者である野本氏の担当箇所がなかなかすらすらとは読めなかった。しかし、丁寧に説明している章が多いので、情報量が多く非常に有り難い。各章に付属している参考文献のリストが親切なので、他の著作を読み進めるのに役立つだろうと思う。

  • フレーゲなどに興味があるひとには良い入門書であると思う

  • 未読

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