「神」という謎 宗教哲学入門 (SEKAISHISO SEMINAR)
- 世界思想社 (2007年4月12日発売)
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感想 : 4件
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Amazon.co.jp ・本 (308ページ) / ISBN・EAN: 9784790712534
作品紹介・あらすじ
「神」の存在を信じなくても信仰が持てる? 「自由」の概念に潜む宗教的な意味とは? 宗教について、楽しく学びながら、自分の頭で考えてみたい貴方に贈る。分析的宗教哲学の入門書として好評を博した旧版に新たに二章を追加した待望の改訂版。
感想・レビュー・書評
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宗教的議論とは何か
論理実証主義による宗教批判(検証可能性に基づく)とその問題点
フロイトの宗教の心理学的解釈(宗教は「幻想」「神経症」として解釈)
信念の原因と信念の真偽は区別すべきであり、心理学的解釈は宗教の真偽に直接関係しない
無神論と悪の問題
「悪の問題」:全知全能で至善なる神の存在と世界の悪との矛盾
自由意志による弁護:悪は人間の自由意志の濫用による結果であり、神は自由意志を持つ世界を選んだ
「魂の完成」による弁護:悪や苦しみは人間の魂の成長のために必要
神の全知全能の性質と人間の自由意志の両立可能性についての議論
神の存在論証
アンセルムスの存在論的論証:「それ以上大きいものが考えられないもの」という神の定義から存在を導く
ガウニロの「失われた島」による反論とカントの「存在は述語ではない」という批判
「考えられる」という概念の曖昧さと存在論的論証の限界
信仰と理性
クリフォードの原則:「不十分な証拠に基づいて何かを信じるのは常に誤り」
パスカルの賭け:神の存在/不在と信仰の有無による損得計算から信仰を勧める
ジェイムズのクリフォード批判:信仰は「理性的に決定できない本物の選択」
改革派認識論:神の存在を信じることは「適切に機能している認識能力」の働き
合理的信念の理論としての内在主義と外在主義の議論詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久しぶりに読むに値しない文章に出くわした感じ。私に
とってとても興味ある分野、内容についての本でありながら
読めば読むほど徒労感だけが増していく本だった。
やれやれ。この本が本当に教科書に使われているとしたら、
とても残念だし恐ろしいことだとまで思う。無神論と有神論
の議論を純粋に歴史的に記述し、その上で自分の考えを
著した本、を望む。著者は明らかに中立の立場にはいない。 -
わが国では、宗教を社会現象として問題にすることは多いが、宗教が主張する内容の真偽を、合理的な議論に基づいて検討することはほとんどない。だが西洋では、神の存在を合理的に証明しようとする努力が連綿と続けられてきた。こうした努力は現在も続いており、20世紀以降、主として英語圏で展開された分析哲学の成果を取り入れての議論がなされている。本書は、こうした英語圏の宗教哲学の教科書だ。
本書は4つのパートから構成されている。第一部では、宗教が主張する内容を合理的な議論に基づいて検討することの意義が考察される。現代の日本では、神や魂や来世などの宗教的な事柄について、二つのタイプの「片付け方」が存在する。一つは、「宗教は科学的ではないので、宗教について考えることには意味がない」というものであり、もう一つは「宗教はけっきょくのところ、それを信じる人の心の問題だ」というものである。本書では、こうした「片付け方」によって、宗教についての合理的な検討を無意味なものとすることはできないということが説明される。
第二部では、「悪の問題」が論じられる。この世には悪が存在する。もし神が存在するのであれば、こうした悪の存在を許容するはずがない、ゆえに神は存在しないという無神論の議論が検討され、悪と人間の自由をめぐる問題が手際よく紹介されている。
第三部では、伝統的な神の存在証明の中から、宇宙論的証明、目的論的証明、存在論的証明が取り上げられ、その現代的ヴァージョンが紹介される。
第四部では、十分に合理的な根拠のない事柄を信じることは間違いだとするクリフォードの議論に基づいて、理性的な立場から信仰を退ける議論の是非が検討される。本書では、現代知識論の信頼性主義の立場が紹介され、理性と信仰の問題が、信念の正当化条件についてどのように考えればよいかという問題につながっていることが明らかにされる。 -
読みかけ本。私が今まで頭の中でぐるぐる考えていたことを論理的に書き表してくれた本。
著者プロフィール
上枝美典の作品
