感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)

著者 :
  • 世界思想社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784790717133

感想・レビュー・書評

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  •  芸術における感性とは、あくまで見る側の心の自由にある。決して、高められるような代物ではない。その代わり、貶められることもない。その人がその人であるということ、それだけが感性の根拠だからだ。(中略)結局、芸術作品は自分で見るしかない。それは誰にも肩代わりができない、あなただけの体験だ。言い換えれば、個が全責任を負って見ることができるのが芸術だ。そして、これがすべてなのである。(pp.6-7)

     絵を鑑賞するのに大切なのは、なにかを学ぼうとしないことです。現代では美術は教育の一環として国の管理下に置かれています。だから、小学校のころから私たちは絵を学校の授業で習い、見方を教わります。でも、少し考えてみればわかりますが、これはちょっとおかしな考えです。(中略)私たちは、その絵がいま疑いようもなく自分の目の前にあり、それを否定することは絶対にできない、というところから出発しなければなりません。(pp.12-13)

     どんなに人が連日行列を作って並んでいる展覧会でも、自分がつまらないと感じれば、それが正しい。逆に、どんなにガラガラで閑古鳥が鳴いており、ネットでもどこでも話題になっていなくても、自分がおもしろいと思えれば、批評家としてはそれが絶対的に正しいのです。(p.43)

     正しいことは、正しいことによって守られているようではいけないのです。正しいことは、つねにまちがっているかもしれない可能性が残ることでしか検証できないのです。これは、「いい」と思うことはつねに無根拠であり、そのことの危うさに身をさらすことと表裏一体でなければならないという意味のことを書いたのと、まったく同じです。美術においてそれを知ることができる唯一の場所が、作品の前です。(p.45)

     ものづくりを学ぶ学生が大学に籠って自分の技を磨くのはよいとして、日ごろから多くの展示に接していないと、どうしても体験が貧困会します。仲間どうしでいくら意識して見ても、それは結局学校という限られた内部だけの話にすぎません。コンビニ食ばかり食べていたら、フランス料理の判断はできっこありません。そして美術はどうしてもフランス料理のほうに近いので、美術家を目指すなら、美術体験の貧困は致命傷になりかねません。早め早めに機会をつくるしかありません。(p.50)

     こういう見方を続けて半年くらい過ぎたころから、絵についての知識ではなく「体験」が、少しずつからだに刷り込まれてくるのが実地で感じられるようになりました。絵を見る、というよりも獲物をまるごと呑み込んで、やがて胃袋がそれを消化して、いつのまにか血となり肉となるような感覚です。決して、知識や勉強ではないのです。(p.58)

     本から本を伝って、行けるところまで行く。いや、本だけではありません。映像のことだってあるし、音楽のことだってあります。とにかく、そうやってバラバラの断片を好奇心だけを頼りにつないでいく、縫い合わせていく。そのときふと、まったく未知の風景が見えてくることがあるのです。道に迷わなければ、絶対に出くわすことのできない風景です。(p.74)

     歩きスマホがいやなのは、人の善意に頼っているという点もあります。自分はただ直進するわけだから、危ないと思うなら、気づいた人のほうがよければいいという暗黙の考えがある気がします。これは他者の存在という考えを根本的に欠いた態度です。そういう人は、自分とはまったく異なる価値観をもって、同じように行動しない人が世の中にはいるし、それが世界というものなのだ、という認識をもっていないことになります。(p.114)

     これだけ情報が密に行き交うような世の中では、「ぼーっ」とするのはいわば無駄な時間です。しかしこれが無駄ではぜんぜんなかったのです。バスの座席に座って窓からどうでもいい風景を漫然と眺めている。こういう時間は、実は随所随所で頭を休め、それまでに取り入れた情報を咀嚼し、意味あるものへとゆっくり醸成するうえで、とても大きな役割を果たしているのではないでしょうか。(p.117)

     よく考えてみれば奇跡のような出来事です。遺伝子を分けているとはいえ、まったく別の人間が、ある日を境に自分の家に登場するのです。見知らぬ宇宙からやってきたような感じさえします。母親にとって子供は、自分のからだから血や肉を分けてじかに出てくるわけですから、立場的に父親とはちょっと違うかもしれません。しかしそれにしても、命が現れる不思議に違いはありません。生まれ落ちたときには、子供はこれから自分で生命を維持するための複雑きわまりない臓器や生理をすでに身につけています。誰が設計したわけでもありません。(p.193)

  • ‪エッセイ集ということで、テーマも美術だけではなく、音楽やツイッター、子育てまで幅広い。とはいえ、やはり冒頭の表題作や、鑑賞時の歩くスピードの重要性や基本的に美術は一人で見るもの、といった鑑賞の仕方に触れた一章が一番興味深かった。

  • 美術をいかに鑑賞するのか?美術批評家とはどんな人なのか?など知られざる部分をエッセイとして書いてくださっているので、非常に読みやすく、インデックスごとに読めるので気軽に自分の知らない世界を垣間見る楽しさがあります。

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著者プロフィール

美術批評家。1962年秩父生まれ。
著書に『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)、『「爆心地」の芸術』(晶文社、2002年)、『黒い太陽と赤いカニ─岡本太郎の日本』(中央公論新社、2003年)、『戦争と万博』(美術出版社、2005年)、『なんにもないところから芸術がはじまる』(新潮社、2007年)、『反アート入門』(幻冬舎、2010年)、『新版平坦な戦場でぼくらが生き延びること岡崎京子論』(イースト・プレス、2012年)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎、2015年)ほか多数。
2015年、『後美術論』(美術出版社)で「第25回吉田秀和賞」を受賞。現在、多摩美術大学教授。


「2017年 『震美術論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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