現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー ―黒ノート・存在と時間・技術への問い―

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791713592

感想・レビュー・書評

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  • 鼎談がおもしろい。小泉義之が二人に「ハイデガー研究者として」などと挑戦的な質問を投げかけており、議論を盛り上げている。
    ・鼎談
    小泉義之
    それまで認識論中心だった西洋哲学を切り替えたハイデガー存在論を継承したのはフランス哲学で、ドゥルーズ『差異と反復』は、科学的実在論として受け継いだ。ベルクソンよりむしろハイデガー由来。存在するということを出来事として捉えたのは、ドゥルーズで、ハイデガーの性起Ereignisも出来事を表す語。
    ・メタポリティーク 轟孝夫
    政治以前の民族の精神的世界の確立。ハイデガーがナチ下のドイツ学生団に期待し学長となったが、果たせなかった、政治の存在論的思索。
    ・順応と逸脱 池田喬
    ダスマンの順応主義的読みの可能性。人間を、ポリス共同体的動物、ロゴス「語り」的動物の、近代的なロゴス合理性解釈から逆転したハイデガーの発想。道徳的常識的頽落に安寧せず、単独化の不安から本来的自己を見出す決意性。他者の範例、つまり良心となる現存在が日常性から自由にする。代表representation。「前例がない」は世人の平均化の正当化。名もなき世人に責任転嫁せず、自己へ配慮し、自己に対して責任を持つこと。
    ・大陸実在論の未来 グレアム・ハーマン
    不在と現前、覆いをかけることと取ること、隠蔽と暴露、退隠と「として」構造、道具と壊れた道具、被投と企投、過去と未来、存在と存在者、これらの対立はどれもまったく同じで、現在で結びつく。この点に注意すれば著作の大半を一挙に習得できる。
    ・「組み立て」の時代の芸術 安部浩
    技術的なものから技術の本質に到達できないのは、その本質「組み立て」によって、人間が利用するのではなく、そもそも利用されているからである。
    技術との対決が技術ではなく芸術に可能なのは、美とは存在の真理=非隠蔽性であるからである(『芸術作品の根源』)。芸術は、現存在を可能存在へと導く。それによって組み立てGe-stellを目撃することが可能になる。それは、西田幾多郎における自覚「真実在=絶対意志が自己の中に自己を写す」知覚の発展作用としての芸術に見て取れる。芸術によって導かれるのは象徴の世界。種田山頭火は、印象詩を象徴詩として完成させる必要性、つまり現実から神秘に至る必要性を述べた。象徴とは生命や本質の源泉の在処。
    ・そいつはただの動物だ 後藤嘉也
    人間と動物の違いとは何か。人間が理性的動物というのは、アリストテレスのゾーオン・ロゴン・エコンというのを、ラテン語でアニマル・ラティオーナーレと訳したものに端を発し、ヒューマニズム(人文主義から近代的人間主義)を生み出した。ハイデガーからすればロゴスは理性ではなく、「語り」であるので、何かを暴くことであり、何かについて何か「として」現す構造に関わっている。よってハイデガーは、自然支配をするはずが隷従するだけのヒューマニズムを批判する立場にある。
    社会にとって人は物になる。歯車だったり、マーケティング対象だったり。ハイデガーは、有為な人材を評価するような近代的なヒューマニズムを超える、人間性と尊厳を回復する「存在することの牧人」を提示した。
    食糧産業の機械化と絶滅収容所を同一視する所見はおぞましいが、総駆り立て体制によって存在者が等しく資源としてのみ評価・処理されるという洞察は鋭利である。
    動物に見つめられるとき、人間の主権は簒奪される。ただの動物、物として処理することが必要とされる。
    →ヘーゲル主僕
    動物を食したり、擬人化して理解したり、他を自己固有化する。その意味でデリダ的に言えば食人である。投影は贈与ではなく暴力である。しかし、動植物に代わって語ることができるのはロゴス的動物に課せられている。自然に苦痛を語る声を与える哲学、芸術、文学。
    ・器楽的幻覚から哲学的幻想へ 串田順一
    退屈が、現存在を孤独にし根源的な世界を解釈できる。音楽の視覚聴覚の分離で感じる幻覚、幻想。カントの図式は、「概念にその形像を付与する構想力の一般的な手続きについての表象」。つまり、幻である。
    ・プロト脱構築について 宮崎裕助
    デリダ脱構築概念の起源、ハイデガー解体はどんなものなのか伝統的存在論の解体は、それ自体が伝統的存在論の概念・用語を使わざるをえないので、反復になる。後期ハイデガーまで徹底した解体は、存在論から存在という言葉を消すという閉域clôture。デリダは、『存在と時間』がヘーゲル批判で終わっていることから、解体の本質をヘーゲルとの対決に見る。同時にデリダ脱構築は、ヘーゲル弁証法との対決である。
    ハイデガーの解体はルターdestructioに基づく。ルターはハイデルベルク討論第21命題で、栄光の神学の「わざ」が破壊destructusされて無になり、(原始キリスト教パウロの)十字架の神学こそが、神の前で驕らない、弱さと愚かさと受難を受け入れた善である旨を述べている。既存前提を排して、歴史的事実の根源性に立ち戻る。ルターは、アリストテレス研究者でもあり、トマスアクィナス的解釈でない=非スコラ的ギリシア哲学概念を取り入れた。ハイデガーはルター研究の中で、頽落、気遣い、不安、恐れ、死、良心のモティーフを得た。
    ジャンリュックナンシー「キリスト教の脱構築」講義において、デリダ『信と知』批判の中で、「キリスト教がイエスの死=無化によって、神に達する脱構築形式を持っていること」に触れている。脱構築そのものがキリスト教的であり、そのものから抜け出す脱構築は、ルターハイデガーデリダによっても存在しない。

  • 結局購入した。
    三人の対談を読む限りでは、普通の日本語で喋ると、哲学者という人種は、このレベルの議論しかできないのかと唖然とする。普通だったら掲載ボツの対談内容で、編集者はいったい何を考えていたんだろう。
    半分くらい読んだところで放棄。

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著者プロフィール

(Martin Heidegger)
1889年、ドイツ南西部、メスキルヒ生まれ。20世紀最大の哲学者の一人と呼ばれる。フライブルク大学で当初神学を専攻し、のち哲学専攻に転じ、リッカート、フッサールに学ぶ。1919年、フライブルク大学私講師となり、「事実性の解釈学」を講じる。マールブルク大学員外教授、教授を経て、1928年フライブルク大学教授。多くの優秀な弟子を育てる。1927年、普遍的存在論の書『存在と時間』を出版、爆発的反響を呼ぶ。1933年から翌年まで、ヒトラー政権のもとでフライブルク大学長。1976年、フライブルクで死去、メスキルヒに埋葬。他の主要な著書は『哲学への寄与論考』、『ニーチェ』、『道標』、『杣道』、『講演と論文』、『言語への途上』など。全集は100巻をこえる。

「2019年 『ハイデガー=レーヴィット往復書簡』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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