娘に語る人種差別

制作 : Tahar Ben Jelloun  松葉 祥一 
  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (142ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791756827

感想・レビュー・書評

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  • 4年前に読んだ本を、もう一度読みたくて借りてきた。こないだ読んだ『ヘイト・スピーチとは何か』の中で、「人種【的】差別とは何か」というあたりから頭がごちゃごちゃしてしまって、とくに私が知りたいと思った「第二次世界大戦後の国際社会では「人種」の存在自体を否定する考え方が主流になっている」というのが、この本で書いてあったかなーと思ったからだった。

    そのことを気にしながら読みなおしていると、こんな箇所があった。原著はフランス語なので[ラス]とルビがあるところは、英語でいうraceなのだろう。人種差別主義には、[ラシズム]とルビがあった。メリエムは、著者が語りかけている娘の名。

    ▼複数の人種[ラス]はないんだ。あるのは一つの人類で、そこには色々な素質をもった男性と女性、肌の色の異なる人々、背の高い人や低い人が含まれる。そして、動物には複数の品種[ラス]がある。「人種[ラス]」という語は、人間の多様さを言い表すために使うべきではない。「人種[ラス]」という語には、科学的な根拠がないんだ。それは、外見上のつまり身体の違いのもたらす印象を大げさに言うために使われてきた。人間を階級で分けるために、つまり下の等級に入る人間に比べて優れた人間がいると見なして、身体の違い つまり肌の色、背の高さ、顔の特徴 を根拠にする権利はないんだ。言いかえると、肌の色が白いからといって、色がある人に比べて余分の長所をもっていると思いこむ権利はないし、とりわけ人にそう思いこませる権利はない。僕はメリエムに、もう「人種」という語を使わないよう提案したいんだ。この語は、悪意のある人たちに悪用されすぎたから、「人類」という語に置きかえた方がいい。だから、人類はいくつかの異なるグループからできていることになるね。(pp.35-36)

    前に読んだときには、著者が、教育の力、人種差別をなくしていくには子どもの教育が大切だと強く語っていたのが印象に残っている。

    4年ぶりに読みなおして、人種差別主義的な言動に怒るだけでは不十分で、そういう方向にずれていくことを「見逃さずに、対処しないといけない」(p.106)という著者の主張が、教育の話とあわせて、心に残った。それは、ひどいヘイト街宣が拡がり、対抗する「カウンター」行動がおこなわれていて、京都の朝鮮学校へのヘイト街宣のことでは裁判がすすんでいたからでもある。

    著者の言うとおり、「もし見逃して、言わせるままにしておけば、人種差別が発展して、この災いにのみこまれなくてすんだかも知れない人たちにまで広がることを許してしまうことになる」(p.106)のだろう。

    この本には、原著にはないという「子どもたちの言葉」が巻末に付録としてついている。著者が、1998年の1月から3月のあいだ、フランスとイタリアの約15の中学と高校へ行って、この本を読んだ生徒(とくに中1、中2)と会談した中で、子どもたちから出た質問などが紹介されている。

    自分の親が人種差別主義者だという子がいたり、人種差別主義者の両親をもつ子に働きかけることはできるだろうかと問う子がいたり、人種差別主義者の攻撃にどのように対抗すればいいかという子がいたり…。自分の子が人種差別的な言葉を口にしたり、そういう団体に加わったりしたと語る親もいた。

    この本には、対抗の手だては具体的には書かれていないが、著者は、「軽い人種差別があると考えてはならないこと、人種差別的憎悪の扇動を罰する法律があることなど」(p.118)を述べて返答したそうだ。

    子どもたちは、反人種差別法がありながら、人種差別をまきちらす国民戦線のような党がなぜ禁止されないのか、とも問うている。『ヘイト・スピーチとは何か』では、法規制をおこなっている社会の例としてフランスはあがっていなかったが、法規制があってなお、人種差別的な言動に対抗することは容易ではないことが窺える。

    京都朝鮮第一初級学校への在特会によるヘイト街宣に損害賠償を命じた一審、二審の判決も読んで、法規制を含め、人種差別に「対抗すること」を考えたいと思った。

    図書館で、フランスの反人種差別法についての本をとレファレンスをお願いし、それと書架でみつけて『ポピュリズムに蝕まれるフランス』という本を借りてみた。

    (2014年7月9日 再読)

    街頭宣伝差止め等請求事件(平成25年10月07日  京都地方裁判所 第2民事部)
    http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=83675&hanreiKbn=04

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    図書館でみかけて、現代企画室の娘/子どもたちと話すシリーズかと思ったら、青土社の本だった。でも、似たようなのを見たことがあるよなーと、昔読んだ本を探していたら、娘/子どもたちと話すシリーズの『子どもたちと話す イスラームってなに?』が同じ著者の本だった(これは昔読んだことがある)。

    この本は、出版社は違うものの、同じ感じの本(原著は同じシリーズなのかもしれない)。1997年の2月、著者が娘と一緒に、外国人のフランス入国と滞在に関するドブレ法案(移民締め出し法)反対のデモに行こうとしているときの娘との会話を思いだしながら書いたのが元で、それを15回書き直したものだという。

    著者が冒頭で「私は、人種差別反対の闘いが教育から始まるという原理から出発した」(p.9)と書いている。この本を読んでいると、「教育」とは、主義主張の教え込み(植え付け)でいかに先手を取るか、ということなのか?と思えたりする箇所もある。

    ▼…子どもは人種差別主義者として生まれるわけじゃないんだ。両親や近くにいる人が子どもの頭に人種差別思想を植えつけなかったら、その子が人種差別主義者になる理由はない。たとえばもしメリエム[※著者の娘]が、白い肌の人間は黒い肌の人間より優れていると教えこまれて、この主張を本気にしたとすれば、黒人に人種差別的な態度をとるかもしれない。(pp.13-14)

    「人種差別は、人間が住んでいるところならどこにでもある。」(p.93)という話は、聞きようによっては無力感につながるかもしれないと思ったりもした。が、「私たちは、つねに誰かにとって外国人だ。一緒に生きることを学ぶこと、それこそが人種差別と闘うことなんだ。」(p.93)という主張は、そこがキモやろうなと思えた。

    そのことは、しばらく前に読んだ『種をまく人』を読みなおしても思った。

    ▼…アメリカでは、黒人に対する人種差別が非常に激しかったし、現在も続いている。黒人たちは、権利を手に入れるために激しい闘いを行った。それ以前、いくつかの州で、黒人は、白人と同じプールで泳ぐ権利も、白人と同じトイレを使う権利も、白人と同じ墓場に入る権利も、白人と同じバスに乗ったり同じ学校に通う権利もなかったんだ。…(p.83)

    同じプールで泳ぐことが禁止されていた州はどこで、いつまでその差別はあったのだろう。

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