日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主義

著者 : 酒井直樹
  • 青土社 (2007年6月1日発売)
3.67
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  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791763504

作品紹介・あらすじ

帝国の記憶を隠蔽し「共感の共同体」を捏造する日米の映画からNHK番組改ざん問題までを精緻に分析。「米国の傀儡としての天皇」など、戦後から現在に至る"帝国"とナショナリズムの結託を明るみに出し、歴史的責任をめぐる新しい倫理を構想する。

日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主義の感想・レビュー・書評

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  • 大変面白い本だった気がするんですがあいにくと眠いタイミングで覚えてないのでまた読み返します。

  •  映画に描かれた〈国民主義〉のファンタジーをめぐる分析と脱構築の試み。筆者が1995-2005年の間に発表した論文をもとにした1冊。『支那の夜』『ビルマの竪琴』『ディア・ハンター』『ペパーミント・キャンディー』など、それぞれの製作国の国民意識に依拠し、それらをある方法で刺激しているような作品の分析を行いながら、同時にそれを、〈特殊主義の普遍性〉とでも言うべき問題へと接続していく手つきはとても新鮮で、重要。改めてじっくり読み直したい。

     また、最後の2章「比較という戦略」「まとめに代えて」では、NHKの女性国際戦犯法廷番組改竄事件を手がかりにしつつ、「恥知らず」のナショナリストの心性とファンタジーを精緻に、かつ明晰に腑分けしている。現在の反レイシズムの立場にとっても、まず踏まえるべき有益な議論であることはまちがいない。恥をかくことを過度に恥じることによって、いっそうますます恥知らずになっていく人たち。

  • 帝国主義的な地位を獲得できたアメリカ、英国、フランス、イタリア、日本といった近代国家以外の領土では国民軍と警察の暴力の理念的区別がいつまでも妥当するわけではない。
    9・11以降のブッシュ政権の行動はアメリカ領土外の戦闘や外交政策の次元だけでなく領土内の戦闘や外交政策の事件でだけでなく領土内の諜報活動や官僚制の次元でも軍事力と警察力の区別を払しょくする結果をもたらした。

    国籍、民族、人種の違う登場人物の間の国際恋愛を描いた商業映画の作品はほとんど例外なく、外交関係や国際政治のアレゴリーになっていると考えた方が良い。

    アメリカには国民主義があっても、その国民共同体は民族主義を逃れているといった常識が喧伝されてきた。移民の国であること、人種主義はあっても、アメリカ国民はまず市民であるのだから、アメリカ国家では民族的な同一性は問わないというのが、いわゆる国家プロパガンダが提供する説明である。

  • 「比較という戦略」は面白かった。姉妹本の『希望と憲法』、鵜飼哲さんの論文「ある情動の未来-〈恥>の歴史性をめぐって」と一緒にどうぞ。

  • 『ディア・ハンター』や『二十四の瞳』などの作品を通じて第二次世界大戦後の日米の関係のありよう、それぞれの国のありようを浮き彫りにしていこうというものです。

    部分的に言葉を取り出すことが相応しい著書ではありませんが、例えば小豆島の美しい風景が印象に残る『二十四の瞳』に関してはその風景がなぜこの映画で必要であり、当時の日本人が称賛と共に受け入れたかについて次のように書かれています。

    ▲『日の名残り』や『ディア・ハンター』の読解のなかでも見てきたように、帝国国民としての矜持の喪失は、人々を田園の風景へのノスタルジックな夢想へと誘う。
     木下惠介監督作品『二十四の瞳』(1954)は、日本帝国喪失のあと田園の光景に癒しを求める典型的な空想を定着させた映画作品である。「国破れて山河あり」。破れた人々が戦場から帰ってゆくのは、空想においては、爆撃で焼き払われた都市の廃虚ではなく子供時代の日々を過ごした田園の自然なのである。▲

    読了 2007/9/7

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