小説の設計図(メカニクス)

著者 :
  • 青土社
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レビュー : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791763955

感想・レビュー・書評

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  • 2008年3月20日、初、並、帯付
    2016年12月8日、津BF

  • いい小説とはどんなものか?
    読者を感動させるもの。これに間違いありません。
    たとえば太宰の『走れメロス』。人々は感動し、男の友情に胸を熱くします。

    ただ、これは本当に名作なのか?
    落ち着いて冷静に読んでみると、メロスは短絡的で独り合点で猪突猛進型の迷惑男。
    周りを振り回してばかりいます。
    そんな読み方をした評論です。

    著者の分析にかかると、作品の表向きの顔とは違う、あやしげな位置関係が浮かび上がってきたりするのがすごいところ。
    まるであぶりだしされた手紙のようです。
    紹介されるのは、小説5作と漫画1作。
    川上弘美の『センセイの鞄』は、女性なら涙なしには読めないような作品ですが、実はセンセイとヒロインは、SM的な支配-従属関係だったという著者。
    それが、文中に挿入されたたった1行から明らかになっているのだそうです。

    小川洋子が『博士の愛した数式』の語り手である家政婦の語り落とし(見落とし)を恣意的に利用することで、作品の虚構性をいかに排除しているかも、著者の解説にかかるとクリアに見えてきます。
    「ノーヒット・ノーランのゲームを興奮して観戦することができるのは、試合全体を俯瞰できる者だけだ」
    たしかにその通りですね。指摘されないと気が付かないのは、私の読解力の至らなさと作者の技術力の高さでしょう。
    専門的な難解さのため、よくわからない章もありますが、久しぶりにきちんとした文学評論を読んだ気分。

    巧みに隠された作者の意図を読み解いていくと、作品はまた違う様相を見せてくるものだと語ります。
    著者は作品批判をしているわけではなく、小説作法の技法を解説し、隠された「小説の設計図」を見せてくれており、非常に注意深くテキストを読み込むことで、またちがう作品の読み取り方ができるということを教えてくれています。

    たしかに・・・メロスはよく考えれば面倒な男です!

  • 文学批評。
    文書の構成、言葉を客観的に見つめる。
    物語に隠された記号を読み解く。
    いやいや、それはという程無茶苦茶な読み方も多いがそれはそれで面白い。
    物語の面白さを再確認。

  • 内容は、わたしの力ではぜんぜん「読めない」…。つい表明にばかり気をとられるのは、読解力のみならず集中力さえ欠けているからで。

    半端な論文口調が大学生のレポートみたい。表面すべる言葉に聞こえて、その言葉は内容をもそう見せてしまう。
    …かと言ってこの人は、軽い言葉づかいで語っても軽さを取り繕ってるように見えるのであって不思議。この人のほんとうの、通じさせようという意志を取っ払った言葉をききたい。もはやそんなものは、(とくに「ほんとうの」なんて形容のもとでは)存在しないのかもしれないけれど。

    「固く」飾られた言葉のなかで、文章が歪む。なにとなにがつながり、示すのかを混乱させている。固すぎる部品の困難、その「固さ」は言葉の「イメージの付属性」、それによる身動きのとりづらさ、を表してるようにも見える。不自由に伸びる文章は、でもほんとうに、殻のかたい蛇みたいだ。

    45、「センセイぶんのツキコ」爆笑! やりすぎだ!

  • 先生の授業をもう一度受けたくなります。
    「疑うこと」の楽しさと深さを初めて知り、小説ってなんなのか、考えるようになりました。
    斜めから逆さまから世界を見るような視点がたまらないです!

  • 一つ一つの話の筋は分かるが全体を通すと分からないというところで、
    おそらく万人受けはしないだろうし、その難解さにギブアップするのも分かるが、
    ひとつひとつのヒントが実は、恣意的に読書という体験をカスタマイズし、
    小説を再構築するという働きを呼び起こしていて、非常に発展的にものを解釈する力を
    養ってくれると、僕は思った。
    初読ではあきらかに、作品背景の基礎知識が不足だったので再読は必要。

  • 小川洋子『博士の愛した数式』分析は、へ、へーってな感じで面白かったです。ルートのあの頭はそういえばそうだ(ひょっとしてみんな気がついていたのか?)。数字は表のテーマだけじゃなく背景にもさまざまなところにちりばめられていたのか。

  • 「博士の愛した数式」、「センセイの鞄」などをこの著書名通り丁寧に噛み砕いて中身を見せてくれてます。

    「センセイの鞄」の映画とか本の感想で感動したとかいうのがよくあって、わたしは川上弘美さんは初期の作品しか読んでいないからなんだか想像がつかなかったけど、この本を読んで、あーやっぱり川上弘美じゃないかぁとどこか安心したりした。

    芥川賞とった人がお涙頂戴の売れ線に走ってるのかと思ってなんか悲しかったから、とりあえず読んでみようという気になった。

  • 早稲田文学編集長の別名「前田塁」名義。扱っている作家は、特別読解が難しいものではなく、川上弘美や小川洋子などなので読みやすいと思う。

  • 「『小説は小説家にしかわからない』など、あまりに当然のことなのだ。他方でそれに疑義を唱える側にも、結局はその言葉の背後に見え隠れする集団性への違和感があるわけで、それも当然といえば当然である。」

    小説には無数の読みがある。と、そう言明した言葉の意味もまた無数の読みがある。そうは言いながらも、それを記号論的に、つまりは少しメタなレベルで捉えてみたくなる誘惑もやはりある。前田塁は、これは思考による結論であるという仮面をやすやすと被ってみせる。したたかである。少なくとも前田による五人の小説家と一人の漫画家の読みは、読み切れていないモノたちへの批判をまじえつつ、その基本を記号論の読みに据えたものであると読んでしまうことができる。

    読みとは、前田の説明にある通り、発信者の側で起こる「イメージから言語へ」の変換の際に起こるズレと、受信者の側で起こる「言語からイメージへ」の変換の際に起こるズレという要素がある。しかし前田が展開しているのはもっぱら後者中で生じるズレの解明であり、ズレを敢えて顕在化させるような批評手法をとっているかのようである。しかもそれが一つの可能性にしか過ぎないと認識した上で。その自虐的な二重性が興味深い。例えば、川上弘美に関しての評論など、川上弘美好きなものの弱さを一見攻撃しているかのような展開であって、自分自身もそうじゃないのでは、と反論したい気持ちが起こった。しかし、それこそ前田が意図したことなのだろう、と思う。

    顕在化、と簡単に言ってしまったことについてだって、単なる指摘という次元での顕在化ではなく、誤解を誘導するかのような言葉の連なりを読者へ投げかけ、前田の言葉を読む過程で生じる言語−イメージ変換の際に生じるズレを、読者自身の疑問という形を通した上で顕在化させるという、なんともまどろっこしい手順を踏んだものである。そのことは、末尾(しかしこの文章群は横書きされ、そのことによって末尾であることを拒絶するのだが)のノートの中での前田自身のメタレベルの設計図に関する意図を読めばよりはっきりとする。

    引用された文章にあるように、発信者側の担保を当然とする一方で、小説家の中に生じているであろうズレというものにも容赦のない前田なのだが、それは傲慢とは程遠く、真摯な態度と言えるようにも思う。しかしそれが生産的な思考とはなり得ないことも事実で(前田自身も気付いているように)、結局はヴィトゲンシュタインの有名な言葉に対する肯定を前提としたあがきのようなものであるようにも思えるのである。

    結論は思考を抜きにしても訪れ得る。ハイパーテキストのような試みがその実証例となると人々が思っていたのだろう、という前田の指摘はするどいと思う。しかし記号に対する気付きは、そのような明示的な対象(リンク)に対してのみ起こることではなく、非顕在化されているレベルでもやすやすと起こってしまう。人間の思考とはなんとしなやかで奥深いものなのだろう。久し振りに頭の中の細胞がぐるぐると動き回るような興奮を覚えた。

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