神話が考える ネットワーク社会の文化論

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  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791765270

感想・レビュー・書評

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  • 物語に関する批評であるものの、
    物語の内在的な分析に基づくものではない。
    文化批評と物語批評を行き来している。

    大筋においてうなずいてもいいのだけれど、
    その曖昧さが僕にとっては物足りない。

    神話は確かに考えるだろう。
    神話の中の私も考えるだろう。
    しかし、私からもっとも遠い石ころが何かを考えているわけでもなく
    無意味に我々の惑星に激突せんと近づいていることだってある。

    それ自体考えてもいず、考えられさえしない不気味なもの
    それだって物語は扱うことができるが、
    それは捨象されている。

    データベースに持ち込まれるノイズこそ
    物語にとって要になるのではないかと思う。

  • 情報処理の様式としての「神話」についての分析。モノのダイナミクスを強調する近年の思潮のなかでの思索なのだろうが、ありきたりな感想を言うと、やはり人間疎外を感じる。福嶋は人間の欲望にネットワークの動態の偶然性を見出しているようだが、むしろフィードバックシステムを備えた資本のエサになっているようにしか思えない。また、神話を生み出すことでシステムを生み出していけるとしても、我々を取り囲むネットワークの総体が根本的に変えられるわけではなく閉塞感がある

  • 完全に理解できとは言えないけれど、少なくとも半分は理解できたと思う。今日のネットワーク・システム社会と人との関係。我々は「神話」を通して物事を理解する。

  • ふむ

  • 社会学
    評論

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784791765270

  • 文系の本に慣れていないせいか、言葉の使い方が自由奔放でついていけないところがあった。
    最近のコレ系の話を抑える上では読ま無いわけにはいかないとは思う。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00155167

  •  「記録や情報は本来的には人間に<記憶される>客体であるが、人間に記憶された瞬間にそれは主体となり、逆に我々を客体として<支配する>というパラドックスが生じるのではないか」

     「言葉と無意識」(丸山圭三郎)を初めて読んだときに、私はそのような疑問に思い至ったことがある。
     「神話が考える」において、そういった疑問に対する違和感を「客体の優位性」として、分かりやすく回答しているのが印象的だった。現在において社会はそういった『神話』で埋め尽くされており、人間は既にその『神話』…情報を媒介するメディアにすぎない。

     客体である情報は本来、我々に「摂取される」存在であるはずだ、だが、数々の情報を自分の中に摂取するうちに、疑問を感じたことはないだろうか?
     
     自己とは『一つの統一体』<ゲシュタルト>という神話が長く存在してきた。それはある意味では間違いであるように思う。実際の自己とは、それぞれ異なる時間・場所で摂取された、数々の情報の『無差別的な集積体』<ディスオーダー>にすぎない。自己とは、統一体に見えて、実のところ混沌としている。完全なる主客転倒ではなく、完全なる主客合一でもない。両方の中間を行くマージナルな存在が、私たちなのだ。

     本書の主要な議論は、前述したような自己に関する記述ではない。むしろ、現代の文化を新しい観点から読み解く文化論である。それは『レヴィストロースから東方プロジェクトまで』と、東浩紀の書いた扇情的な文句からも読み取れる。
     そういった人類学の権威と、一介のサブカルチャーを並列する試みは一見危険のように思えるが、しかしそのような知の権威付けを一旦無化し、あらゆる文化・知を同じ土俵の上で論じることは、今後の文化・社会批評においてかなり重要になっていくのではないか。また古典哲学のみでなく、同世代の批評家の積極的引用や、流行のサブカルチャーを躊躇無く批評に組み込んでいることからも、『イマ』を評価するということへの熱心さが伝わってくる。

     まぁ、西尾維新論に関してはやっつけなきがするけどw

  • 特に小難しい書き方をしている本を読むと、最初はなかなか苦労するんです。
    でも、大体の本は「はじめに」と「第一章」を読めば、
    だんだんとその文体に慣れてきて、普通に読めてくるわけです。
    ところが、本書はそうじゃなかった。
    「第二章」まで読んだ上で、改めて最初から読み直して、ようやくリズムをつかめた感じ。
    それでも、気を抜くとすぐについていけなくなっちゃう。
    いやあ、難しい本だなあって思いました。
    そう思って、諸批評家の書評を読んでみると、わかりやすいって言っている。
    ほんと、批評の世界ってのはスゲー世界に生きているんだなあ。

    さて、本書はネットワーク社会を形作る「神話」について論じたもの。
    当然、レヴィ=ストロースが関係しているわけですが、
    「神話」について福嶋は独自の概念として展開している。
    ゲンミツに言うと違うんだけれど、福嶋の言う「神話」とは「世界」を知覚するためのフィルターのようなもの。
    例えば、「戦争」という「世界」そのものを人間は完全には知覚できない。
    だから、「ガンダム」という「神話」を通して「縮減」された「戦争」を知覚するわけです。
    そういった「世界」を知覚するための縮減装置が、本書でいう「神話」なわけです。

    「おわりに」で福嶋さん自身が述べているんですが、「神話を扱う本書もまた、一編の神話である」という。
    この本自体が「神話」であるという点も含め、
    かなり戦略的に「神話」が存在することを証明しようとする執念がスゴイ。
    この本を読んでいると、本当に「神話」はあるんだ、と思わせる説得力は感心しちゃう!
    こんな文章を僕も書いてみたいものです。

    以前、『涼宮ハルヒの驚愕』をレビューした際に、その展開が予測しやすかったことに触れ、
    「それだけ「涼宮ハルヒシリーズ」(あるいはもっと大きな括りかも)の文法というようなものが、
     確立されているってことだと思う」
    と、したり顔で述べたんですが、同じようなことが本書にも書いてあった。
    やっぱり僕如きが考え付くことって、すでに論じられているようなことらしい。ちぇっ。

    僕の無い頭をこねくり回された本書ですが、
    批評という世界を垣間見れた点で、なかなか有意義だったなあ。
    批評本も多く読んでおかなくっちゃ、という気分にさせられまんた。


    【目次】
    はじめに
    第一章 ポストモダンの公私
    第二章 神話の神話
    第三章 象徴的なものについて
    第四章 ネットワーク時代の文学―村上春樹前後
    第五章 ゲームが考える―美学的なもの
    おわりに

    キーワード解説
    あとがき
    索引

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著者プロフィール

1981年京都市生まれ。文芸批評家。京都大学文学部博士後期課程修了。現在は立教大学文学部文芸思想専修准教授。文芸からサブカルチャーまで、東アジアの近世からポストモダンまでを横断する多角的な批評を試みている。著書に『復興文化論』(サントリー学芸賞受賞作)『厄介な遺産』(やまなし文学賞受賞作)『辺境の思想』(共著)『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』『百年の批評』『らせん状想像力 平成デモクラシー文学論』『ハロー、ユーラシア 21世紀「中華」圏の政治思想』『感染症としての文学と哲学』等がある。

「2022年 『書物というウイルス 21世紀思想の前線』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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