宗教とは何か

  • 青土社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791765386

作品紹介・あらすじ

ドーキンスらの科学万能主義が蔓延する現代にあって、宗教はやはり阿片にすぎないのか。後期資本主義の格差・貧困を打開する可能性は、革命と救済を目指す宗教にあるのではないか。知の巨人・イーグルトンによる画期的宗教論。

感想・レビュー・書評

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  • テリー・イーグルトン『宗教とは何か』青土社、読了。ユダヤ・キリスト教における「神」をめぐり、ドーキンスやヒッチンス等らの宗教を非科学的「妄想」として批判する科学的・合理主義的論難を快刀乱麻に斥ける。「およそ似つかわしくない人」による宗教が政治的に重要な意義を持つとの現代批評。

    著者は、宗教と科学、キリスト教と進化論、信仰と理性某等々、宗教にまつわる様々な論難を取り上げ、宗教に注目する意義を語る。宗教の復活は冷戦構造の崩壊による。それまで社会主義名ナショナリズムが引き受けてきた課題を宗教が引き受けたからだ。

    その過度のリアクションは宗教を「看板」にする原理主義運動だ。しかし、それは特定の宗教の専有物でもない。こうしたアクションに対して、欧米のインテリはドーキンスの『神は妄想である』のように、それを非科学的妄想として斥けた。しかし実際はどうか?

    宗教が現実的諸問題をパーフェクトに解決することは不可能であろう。しかし宗教運動は、グローバル資本主義の下にある現実と向き合っている。しかし「妄想論」と斥ける論者たちはどこに定位するのか。彼等は全く無視している。ここは著者らしい眼差し。

    さて、本書は「神の存在」を否定したドーキンス、ヒッチンス(著者はまとめて「ディチキンス」と表記!)らを批判する。しかし、一方で、キリスト教とキリスト教会の歴史の負荷は弁別し、特に後者の害(例えば聖職者の腐敗や暴力)も同時に弾劾する。

    権力に処刑されたイエス=キリストと、原点から乖離したキリスト教会。そして西洋文明による搾取と差別の歴史に真正面から取り組む著者の姿勢と、科学の進歩の積極性のみを楽天的にとらえ、暗部を顧みない批判論者との違いは大きい。

    ドーキンス等の眼中にあるのは、恐らく合衆国の原理主義的宗教運動批判であろう。そして著者が注目するのは、ヨーロッパの伝統的キリスト教であると思う。その違いもあるが、著者は、資本のトータル支配に抗う宗教の生命力に積極的に注目する。

    本書は現代社会で宗教の意義を再確認する一緒であると思う。ただし著者の『~とは何か』シリーズと同様、それに答えてくれるものではない。原題は『理性、信仰、革命 ー 神論争についての省察』(訳者)。原点と流通を顧みさせてくれる好著。

  • 宗教とは何か
    (和書)2010年10月01日 15:32
    テリー・イーグルトン 青土社 2010年5月25日


    柄谷行人さんの書評から読んでみました。

    対抗運動という視点でみるととてもよく読み解ける。

    神学と言えば佐藤優さんですが、神学のあり方がとても有益に吟味されている。

    それは対抗運動を導く貴重な視点であると思いました。

    マルクスというものは、対抗運動としてある。

    決してユートピアではないと言うことを考えさせられた。

    宗教の対抗運動としての資質を柄谷さんは「世界史の構造」で明確に示している。

    そういう意味で、この本の面白さもあるように感じた。

  • 講演録をまとめたものだからか、散文詩のような表現。

    全体的にドーキンスとヒッチンスに対する反論なのだが、その言説は当を得ているし、論を反するだけではなく、信仰の本質をあぶり出している。

    第1章は宗教と科学の関係を考えるにあたって示唆に富んでいる。

    第2章は、ドーキンスに象徴される合理的な世論が宗教を否定・無視し、嘲笑している態度によって、イスラム原理主義のテロは起こっていると指摘。宗教がはらむ非合理性、道徳性を擁護しつつ、それを無視して、なにが平和だと舌鋒は鋭い。

    第3章は、誤解されがちな信仰の本質をえぐる。

    第4章は、多元主義の悪い面が際立った現代を語る。

    P20/キリスト教はそもそも、なにかについての説明たることを意図されていない。
    P35/わたしたちは、宗教という特殊な装置によって救われるのではなく、わたしたちの日常生活における人間関係の質によって救われるのである。
    P36/男女は動物を生け贄に捧げたり、食事制限をしたり、非の打ち所のない善行を重ねたりすることで、神のご利益が得られるわけではない。神が、彼らを、その道徳的に不純であることも含め、すべてをとにかく愛していることである。

    P80/聖書にもとづくキリスト教と、イデオロギー的キリスト教との区別

    P154/バデイウは、信仰とは、物事のありようを記述することよりも、そもそも愛ある関与をつまびらかにするものであるという主要点をしっかりおさえている。
    P163/リベラリズムは、みずからの基盤となる根本原則のことになると、過度にリベラルになれない。
    P178/わたしたちのある種の関与は、いまのわたしたちを構成するものであるため、わたしたちが、そうした関与を変更しようと思うなら、伝統的にキリスト教が回心と呼ぶような過程を経なければならないのであって、それは、ある意見を別の意見に取り換えるだけでは済まないような大事なのである。

    P187/キャサリン・ギャラガによれば、小説を読むことは、信条にとらわれない態度をはぐくむのにぴったりの想像力の訓練であるという。

  • イーグルトンは昔、『文学とは何か』を読んで、ただの優秀なだけの人ね、というイメージを抱いていたのだけど、けっこう「理性の限界」とか、「悲劇的なもの」とかいうことについて、ちゃんと考えている人なのだというのがわかり、なんか意外だった。まあ、やはりアイリッシュという出自とともに、古典文学についての教養を積み上げているゆえなのだろうと思う。

    『Reason, Faith and Revolution』という原題に示されているように、これは「文明」と「宗教」と「政治」の話なのだけど、核心となるのは、そうした人間の営みは常に、「暴力」を根底的に含むものであるとの認識だと思う。

    たとえば・・・

    「人間の文明は、とりわけ、かなり細部にいたるまで、暴力と攻撃性の『高尚な』あるいは昇華された形態なのである。ラディカルな思想によれば、野蛮は、わたしたちが文明と呼んでいるかけがえのないものを密かに可能にする成立条件のひとつ、あるいはかろうじて隠されている文明の裏面のひとつでありつづけている」(126頁)

    といった記述に、そうした認識がみとめられる。

    そして「文明と文化の葛藤」という対立項を立てるとき、イーグルトンは「文化」を「新たな野蛮の形式」としてとらえている。

    「文化が表明するものとは、肝臓や膵臓と同じく、わたしたちのなかにあらかじめ組み込まれていることがあきらかな、検証を経る必要のない忠義なり忠誠心めいたもので、極端な場合には、男女とも、その大義のもとに人殺しも辞さないのである。」(196-197頁)

    ここで、ふつうの意味で「文化」と言われるようなものを思い浮かべてはダメで、むしろイーグルトンの区別によれば、そういうものは「文明」の範疇に入ることになるだろう。

    「植民国は文明であり、これにたいしてほとんどの被植民地あるいは旧植民地は文化ということになる」(197頁)とも言っているように、近代西欧の合理主義的な思想をよりどころとして成立したものは、だいたい「文明」の側に属することになる。

    ここでイーグルトンが定義する「文化」とは、そのために「人殺しも辞さない」だけでなく、そのために「自死をいとわない」ほどの忠義心を抱かせるような、何かである。

    日本は西欧の「植民地」になったことはないが、かつては「文化」を持っていた国だったといえる。具体的に言えば、戦前までだ。それが「文化」を喪って「文明国」になってゆくのを三島由紀夫はいたく悲しんで、このような心情を吐露した。

    「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」

  • 狂信者に対する冷静な指摘。

  • 一神教にまつわる問題を日々あれこれ考えているうちに手に取った一冊。
    文芸理論の大家として知っていたこの著者が宗教について何を語っているのか……と、思ったら、無神論に対する批判、そして、その内容がほぼ「ドーキンス」に対する批判になっていて驚きました。
    文芸理論家VS生物学者 ただし競技は「《神》問題」。
    これが面白くないわけないですね。
    実際、ものすごく面白いです。

    ちなみに、私がこの戦いの審判だったとしたら、こちらに旗を挙げます。

  • ドーキンスらが批判しているキリスト教のあるひとつの側面とは別の,彼らが良く見ていない側面を取り扱っている.

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著者プロフィール

Terry Eagleton 1943 年〜。イギリスの文芸批評家・哲学者。ロングセラーの『文学とは何か』(岩波書店)はじめ、『イデオロギーとは何か』(平凡社)『宗教とは何か』(青土社)『文化とは何か』(松柏社)など、ほとんどの著書が翻訳されている。

「2013年 『人生の意味とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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