ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

制作 : 篠儀直子 
  • 青土社
3.92
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本棚登録 : 993
レビュー : 128
  • Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791765553

作品紹介・あらすじ

「グーグル化」でヒトはバカになる。グーグルで知らないことを検索し、ツイッターで日常をつぶやき、iPadで本を買って読む。さまざまなインターネットメディアを当たり前のように使う日常のなかで、実は私たちの脳は少しずつ変化しているのだ。『クラウド化する世界』の著者がメディア論から神経科学までを使って暴きだす、まだ誰も知らない驚きの真実。

感想・レビュー・書評

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  • 著述家ニコラス・G・カーによる
    インターネットの人間の脳にもたらす影響を
    自然科学的な傍証に基づきながら、
    主観的な立場を明確に打ち出しながら主張している
    「意見表明書」のような一冊。

    この邦題は、誤解を招くような気もするが(笑)、
    実際原題は
    「The Shallows What the Intenet Is Doing to Our Brains」
    であり、
    直訳するなら「浅い(人々)」というところだろうから、
    その著者の意図をくみ取った「名訳」かもしれないと思う。

    本書の意図を私なりに要約すると
    「情報がデジタル化してネットワークを通じて
     自在にアクセスできるようになり、それらが検索を通じて
     とても便利に使えるようになった結果、
     人間の脳は、その情報の無限ともいえる供給に
     慣らされてしまい、深い思考が失われるようになっている」
    ということだと思う。

    別に学術的な調査データがあるわけではない。
    根本的には、著者の主観的な実感である。
    「どうしても前のように読字に没頭できない」という
    気づきにはじまり、
    ひょっとしてそれが
    Web、SNS、マルチデバイス、検索…という
    情報の氾濫が脳を変えてしまったのではないかという
    推測を立てたところから、一連の考察は始まっていく。

    むろん、著者が取り上げるように、
    Googleのようなネットというインフラを構築することで
    大成功した企業や、情報の利便性を神聖視する人々からは
    この考え方は支持されないであろう。
    そして、それが主流派になりつつあると感じたから、
    それに対する強い警鐘として、著者はこういう主張を
    なるべく説得力あるかたちで展開することにしようと
    思ったのではないか。
    (本文中に取り上げられるジョウ・オシェイという哲学専攻の
     学生の例はびっくりする。「哲学」専攻なのに、
     本は不要で図書館には行かないというのだ!)

    私自身は、この著者の指摘に対して、かなり衝撃を受け、
    そして身につまされた。
    私はたとえば、PCでウェブブラウザのタブを常に10個以上
    開いていろいろやり(職場でも自宅でも)、
    さらにスマートフォンを開いていたりするが、
    私自身はこういう状態を
    「マルチに処理する能力が高いのでは」
    と自惚れていた節すらある(恥ずかしいことに)。
    だが、本書を読んで、その状態をまったく違う視点で表現する
    ことができると気づいた。
    私は「The Shallows」あるいは「ネットバカ」そのものだ、と。

    最近、ますます本に没頭することが難しいような気がする
    というのはまさにそのとおりで、本を読んでいたはずが、
    ついPCで何かフレーズを検索したり、あるいはそれに派生して
    いろいろウェブを見ているうちに、本ははるかに彼方に
    忘れていたりする。
    そんな私を受け入れるウェブには長い文章はほとんどなく
    (まぁ、長い文章は「浅い」利用形態ではウケが悪いから
     減っていくのは当然だろう)
    手短な記事や、ばらばらのTwitterまとめを読んでいたりする。

    問題の本質は、そういう状態にあるということよりも、
    「脳が浅い思考状態に慣れ、常に情報消費を欲している」
    という一種の中毒状態になっていることを、自覚できないことに
    あると私は思う。
    アルコールやニコチンの中毒も「無自覚の人」と「自覚状態の人」
    がいると思うが、
    少なくともそれらの中毒性は科学的に証明されており、
    それに対する警句も社会で広く共有されているから、
    無自覚から自覚に転ずる機会はそれなりに多いはずだ。
    しかし、この「情報中毒」は科学的に示すことはおそらく困難であり、
    またアルコールやニコチンと違って明らかに人体や健康に
    ダメージを与え、社会不安要因に繋がる、というものではないから
    それに対するストッピング・パワーも働きづらい。

    この情報中毒は、私自身にとっては恐ろしいとつくづく感じたのだが、
    しかしながら前述のように、社会全般に明らかに問題、とは
    言い切れないであろう。

    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3956.html
    これは日本人の読書量の調査データであるが、
    1か月に本を読む量が0~2冊程度の人が全体の8割を占め、
    年齢にもそんなに偏りがないことがわかる。

    つまり、「一般人」はほとんど本を読んでいないし、それで
    問題ないのである。
    だが、著者のような「言葉・思想」を生業とする人々
    (上述の哲学の学生もそれに含まれるだろう)が、
    この情報中毒になりつつあり、それに無自覚であることが、
    とても憂うべきことなのだ。
    究極的には、この情報氾濫世界からは、歴史上に名を刻むような
    「知の巨人たち」がもう出てこないのではないか?
    (ソクラテス! 彼は言葉を書き記すことに批判的だった!)
    そう思うと、なんだか暗澹な気持ちがしないでもない。

    だが、とはいえ、本書で逆説的に示されているように
    脳は適応の天才であり、「思想家不在の時代」だって別に
    それに適応してしまえば何も思わないだろう。
    もしかしたらあと十数年もすれば、著者の警句も過去の遺物に
    なるのかもしれない。

    著者自身、本書を書くために「山籠もり」し、厳しい
    情報の節制によってなんとか「集中できる脳」を取戻し、
    本書を仕上げたものの、いまは結局情報の海に戻ってしまっていることを
    認めている。
    ああ、それほどまでに、この情報とテクノロジーの甘美な融合が
    もたらす極めて低コストで便利な海は、脳にとって中毒的快感を
    提供し続ける。

    本書に
    「自然の中で過ごすと集中力が回復する」
    という指摘があった。
    たぶん、そうだと思う。
    「書を捨て、街に出よう」という寺山修司の言葉があるが、
    今日では「iPhoneを捨て、山に籠ろう」くらいしないと
    回復できそうにない気がする。

  • 11月6日週刊ブックレビューで作家の藤原智美さんが薦めていました。
    「これを読むとネットやめようと思うが、やっぱりやめられない」と言っていた記憶があります。

    神経可塑性に関する科学そして知的テクノロジーの進歩についての長い話があり、脳がどうなっているかグーグルとは何かそして記憶とはどんなものか…

    著者もそうだと思いますが、ネットをやめることはできないが
    その悪影響も理解した上で上手に利用していくことが必要なんですね。

    自分はネット大好きですが肉体的にかなり苦痛でしたから
    これからはやはりほどほどにしていきます。

    まあ、この本読みながら知らない言葉がでるたびにグーグルで調べましたが。

    最後に引用。

    >われわれを最も人間的にしているものは、われわれの最も計算不可能な部分だとワイゼンバウムは信じるに至った
    ーその部分とは、精神と身体とのつながり、記憶や思考を形成する経験、感情や共感の能力である。われわれがコンピュータといっそう親密に関わるようになる際にーわれわれが人生の多くを、スクリーン上で点滅する身体を持たないシンボルを通じて経験するようになる際にー直面する大きな危険は、人間性を失ってしまうこと、われわれと機械とを区別している特性そのものが犠牲にされることだ。この運命を回避する唯一の方法は、われわれの精神活動と知的追求における最も人間的な部分、とりわけ「知を必要とする作業」を、コンピュータにゆだねまいとする自覚と勇気を持つことだとワイゼンバウムは述べる。

  • 前著『クラウド化する世界』では、過去に米国で起きた電力産業黎明期の変化になぞらえて、クラウド化していくITインフラの社会的意義を論じたニコラス・カー。本著では、ネットの利用が我々自身に与えている影響について論じている。その名を広めた論文"IT Doesn't Matter"のタイトルからも分かる通り、ITを論じながらその利便性等を手放しで礼賛するのでなく、批判的に引き受けた上で巧みな筆致でその意義をわれわれに問うてくれる希有なライターだと改めて認識した。

    "The Shallows - What the Internet Is Doing to Our Brain"が原題であるが、邦題の『ネット・バカ』はこのタイトルがよかったのかどうか疑問である。『ネット・バカ』ではあまりに軽すぎて内容を正しく伝えることができていない。
    (...例えば前著にちなんで『浅薄化する私』とか。違うかな)
    少なくとも単純に「バカ」になったというものではなく、考えの深化と集中力が引き返すことができないような形で損なわれていっているのではないかという警鐘が本著の主題である。

    まずプロローグとして、1964年に書かれたマーシャル・マクルーハンの『メディア論』への言及から本書は始められている。「メディアはメッセージである」という余りにも有名な言葉を引いて、内容よりもメディア自体がより重要であり、結局のところメディアが我々の主人なのである、というところから始まる。
    マクルーハンについてはその後本文中で何度も繰り返し言及されている。この本自体が、読まれるよりも語られる方が多いと著者もいう『メディア論』の、インターネットという新しいメディアの出現を踏まえた今日的注釈と言えるかもしれない。
    著者もインターネットとともに過ごすうちに感じた、自らが変質しているという感覚を解釈することを通してマクルーハンを再発見したのではないだろうか。

    ---
    マクルーハンによると、「どの部分であれ、道具によって「増幅」された我々の身体部分は、最終的にはその道具によって「鈍く」される」。ITによって我々は後戻りができないやり方で作り変えられている。そのことに対して我々は、変わった後に初めてそのことに気づき、そして結果として受け入れるのだ。「ネットの便利さと引き換えに「直線的思考プロセス」を手放した」というのが著者の主張である。

    この本書の主張を支える論拠のひとつが「脳の可塑性」に関する医学的見地である。脳内の神経の接続が外からの刺激によって物理的に変えられているということを丁寧に解説している。これがよって立つ重要な論拠であるからだ。

    「神経可塑性に関する科学、および知的テクノロジーの進歩についてのわたしの理解が深まるにつれ、インターネットの重要性と影響力は、より大きな精神史のコンテクストの中でその意味を考えたとき、初めて理解できるのだということが明らかになってきた」(P.164)

    この辺りの筆の進め方は説得力があり、ライターとしての力量を感じることができる。

    ---
    また本書では弱められつつある集中力/注意力/記憶力を必要とする「直接的思考プロセス」を代表するものとして、印刷された書籍の行方についてもひとつのテーマとして取上げている。電子書籍やGoogleの取組みなどに対して、単に「インクをピクセルにしたもの」ではないとし、「メディアの形式の変化が同時にメディアの内容の変化でもある」(p.146)という観点から考察を加えている。

    「新しいメディアというものは決して古いメディアへの付加ではなく、古いメディアをそのまま放置するものでもない。古いメディアにとっての新しいかたち、新しい位置が見つかるまで、それらに圧力を加え続けるのだ。」とマクルーハンは『メディア論』で述べている。彼の所見はとりわけ今日にあっては、真実味をもって聞こえる」(p.129)

    電子書籍についての本は色々と出版されているが、その視点は特別である。

    ---
    少し褒めすぎかもしれないが、自分が変質しているのではないかと漠然とした思いは個人的には共感できる。平たく言えば、仕事を進める上でメールとウェブを軸とするようになって、仕事のやり方が変わっただけではなく、自分自身の資質が変わってしまった、と感じる。
    集中力がますます散漫になり、記憶力が弱くなり、ますますネットに頼るようになる。
    (記憶力の低下が年のせいかと思っていたが、それはネットのせいだったのか...(笑))
    そのことをよいことか悪いことかと問う前に、事実として意図しない変化がそこで起きているのだと言える。少なくともそのことについて著者は意識的であるべきだと言っているのだ。

    ---
    ニーチェを登場させ、最終章をハイデガーで締め、『2001年宇宙の旅』のHALを第一章に置いた上でエピローグに配置する点などサービス満点である。われわれの世代が慣れ親しんだ世界へのオマージュなのかもしれない。

  •  先日読んだ立花隆の『読書脳』の巻頭対談で、相手の石田英敬(東大図書館副館長)がこの本をホメていた。いわく――。

    《俗っぽい邦題がつけられているせいか、あまり真面目に受けとめられていないようですが、非常に示唆に富む本です。ネットのもたらす注意力の分散化はもっと深刻に考えていい問題だと思いますね。》

     石田の言うとおり、私もこの本の存在は知っていたが、タイトルで食わず嫌いして読んでいなかった。

     ネットの日常的利用が、私たちの脳と思考力に与える負の影響について論じた本だ。

     私自身も痛感していることだが、ネットやメールが生活の一部になってから、我々は一つのことを集中して思索することが苦手になってきている。
     たとえば、1冊の本に没頭することはなかなかできなくなって、読み終えるまでに何度もネットを見たりしてしまう。
     「ネット以前」に比べて、現代人は総じて注意力散漫になっているのだ。

     そうした変化がネット社会がもたらした必然であることを、著者はさまざまな分野の科学的知見を動員して明らかにしていく。

     ただし、本題に入るのは第7章「ジャグラーの脳」からで、そこまでは長い長い前置きのような内容だ。
     我々の脳に可塑性があること、メディアが進化すれば脳のありようも変わること、ネットが本などの過去のメディアと比べてどのような本質的差異をもっているかなどが、脳科学研究史やメディア史を振り返るなかから示されていく。

     そのような6章までの“前置き”も面白いのだが、「手っ取り早く本題だけ知りたい」という人は7章から読むとよい。

     ネットの利便性と引き換えに、いま私たちが深い思考力と集中力を徐々に失いつつあることを論証して、慄然とさせられる。たとえば――。

    《ネットは注意を惹きつけるが、結局はそれを分散させる。われわれはメディアそのもの、すなわち、点滅するスクリーンには強く集中する。けれども、そのメディアから速射砲のように発射される、競合する情報や刺激のせいで、注意は結局散らされる。》

    《ネット使用者の脳が広範に活動することは、深い読みなどの集中を維持する行為が、オンラインでは非常に困難であることの理由にもなっている。多数の一時的な感覚刺激を処理しながら、リンクを評価してネット上での移動を選択せねばならないので、心的機能の調整と意思決定を行う必要が絶えず生じ、その結果、テクストなどの情報を脳が解釈することがさまたげられるのだ。》

    《ウェブ閲覧は、非常に集中的なマルチタスク処理を脳に要求する。このジャグリングのような作業は、作業記憶を情報であふれさせることに加え、脳科学者が「切り替えコスト」と呼ぶ負担をわれわれの認知に課す。》

    《オンラインで絶え間なく注意をシフトすることは、マルチタスクに際して脳をより機敏にするかもしれないが、マルチタスク能力を向上させることは、実際のところ、深く思考する能力、クリエイティヴに思考する能力をくじいてしまう。》

     週一回くらいは、「休肝日」ならぬ「休ネット日」を作ろうと思った。 

  • 『ネット・バカ』(ニコラス・G・カー)
    タイトルの語の響きからくる印象とは違って、とても深いところまで論を進めている。
    生まれながらにネット時代にいた者でなければ、このネット時代の変化のスピードに、躓き、戸惑ったことのあることが一度はあるはず。そんな方々は、ときとしてネットの行く先を否定したり、不安視したりしたこともあるのではないだろうか。またはネットにはまり、膨大な時間をそこに注ぎ込む人たちを、またはその対象であるネット自体を罵りたくなることもあるのではないだろうか。
    だが、この本はタイトルが指し示す方向に直線的に導いてはくれない、ネットに適応する人類の可能性や、ネットが拡張する人類の脳が見せる世界の夢を想像させてくれながら(著者自身もその可能性を実感している)、人類がネット社会に溢れる情報に適応して、(人間が他の動物との違いを隔絶している力)『注意力をある対象に意識的に向けさせる力』が失われていくことに、少しの不安とやるせなさを滲ませながらも、冷静に、両者の可能性を読むものに提示してくれている。
    論は、肯定、否定、容認、運命とゆらゆら揺れながらも、最終的には著者がこの本を書こうと思ったきっかけに戻りつつ自分の想いでページが閉じられてゆく。
    そこには『人間らしさ』の所以が偏向されていき、未来の人間たちを、自分たちが必死に生きてきた後継者として認められない寂しさが伺える。

  • SNSは脅迫的社交を作り出す。ネットを使っているつもりが、知らぬ間にネットに使われているということにも。

  • この本の原題は『The Shallows』(浅瀬)。著者の本をいくつか読んでみて感じたのは、すばらしい詩情をもっている方だということです。本のタイトルを重視し、その本を貫く北極星としながら書いたり読んだりしている人も多いことを想うと、この邦題は少々浅薄で誤解を与えてしまいます。間違ってもネットを使うとバカになる、といった短絡的な本ではありません。

    高度に発達した技術や情報ネットワーク社会は、私たちの生活を根本から変革し多大な恩恵をもたらしています。ネットで情報交換し、ネットで買い物をし、支払いや決済をすませ、さらにはネットで美味しそうな店やら目的地を決めてナビで向かう……とても魅力的で有益なものだと私は痛感しています。もはや人はこの技術を捨て去ることなどできないでしょう。一方で、人類が手にした恩恵の陰には、失ったものあるいは失いつつあるものがある、ではそれはなんなのか?

    「……出来事をモニターし、メッセージやお知らせを自動的に送付するネットの能力……われわれは依存している。われわれは作業が中断されることを求めている。なぜなら、中断するたびに、貴重な情報がもたらされるからだ」

    ネットやメールやアラートを完全に断ってしまうと、誰ともどことも繋がらず、まるで世界から孤立してしまったような不安な気持ちになる人も多いと思います。膨大な情報が四六時中途切れることなくもたらされる結果、それを目の当たりにし、把握し、処理し、決定していくことでたしかにマルチタスク能力は向上していきます。
     他方で、溢れる情報処理に脳は疲れ果て、長い文章を読むことができなくなる、一つのことあるいは少々難解なタスクに集中して深い思考をすることができなくなり、ひいてはクリエイティビティや創造性を失っていきます。これは若い世代でも同様ですし、決して加齢のせいでもなさそうです(そういえば、右脳と左脳の役割の違いについては、せかせか有能夫とゆったりてんねん妻がお弁当をもってハイキングに出かける話をたとえにしながら、コリン・ウィルソンが面白い本を書いています。「右脳の冒険」)。
     なんだか空ろで物事に集中できない、いつも何かに追われて汲々としている、そのような漠とした不安や倦怠感を覚える人に、この本はヒントやある種の啓示を与えてくれるかもしれませんね。

    「…どの部分であれ、道具によって増幅されたわれわれの身体部分は、最終的にはその道具によって鈍くされる」

    この本の素晴らしいところは、単に有益な科学的、社会学的情報の提供のみならず、目まぐるしい技術進化とともに、いったい私たちはどう変化し、何ものになりたいのか? そして人が世界と繋がるということはどういう意味なのか? 人間性と人間存在の根本が問われているという深遠さにはたと気づかせてくれることです。ハイテクや科学を怜悧に論述展開する著者は、じつはすぐそこに隠れている永遠の輝くあたたかい何かを発見できる詩才ある人なのかも……。
     この問題と連動して「オートメンション・バカ」もたいへん示唆に富む良書です(邦題はやはり浅薄なものとなっていますが、原題は「The Glass Cage」(ガラスの檻))。

    「コンピューターに頼って世界を理解するようになれば、われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまう」

  • インターネットは便利だが脳に悪い影響をおよぼす
    知っていてもやめることができない

    • あいす桃さん
      もう、インターネットが使えなくなるまで、やめられそうにありません。
      自分は相当、脳にダメージくらってるようです。

      コメントと花丸有り...
      もう、インターネットが使えなくなるまで、やめられそうにありません。
      自分は相当、脳にダメージくらってるようです。

      コメントと花丸有り難う御座います。(*^_^*)
      2015/06/17
    • だいさん
      あいす桃さん
      コメントありがとうございます。

      これから、IOTの時代になると、意識しないでも使うことになるじゃないですか。
      もう、...
      あいす桃さん
      コメントありがとうございます。

      これから、IOTの時代になると、意識しないでも使うことになるじゃないですか。
      もう、便利⇒必需ですよね。もとに(ない時代)は戻れない。
      ただ、依存のしすぎには注意が必要かも?
      2015/06/18
  • ITにケチつける人、ニコラス・G・カーの「ネット・バカ」を読む。題名だけ見たらトンデモ本みたいやけど、内容はなかなかどうして。主に最新の脳科学の知見を元に、ウェブに依存し過ぎることの弊害について書かれとります。おっ!と思ったのは以下の2つ。

    ①神経可塑性、と言われると何か良く分からへんけど、脳の神経回路は、成人後も習慣に従い変化し続けるとのこと。極端な例では、後天的に失明した人の場合は視覚をつかさどる脳の箇所が、聴覚を処理するように変化するらしい。

    ②長期記憶を定着させるには、一度に情報を詰め込み過ぎると逆効果。読書くらいの情報量が丁度良いそう。ウェブブラウジングしてる際に受け取る情報量は、長期記憶を定着させるには多過ぎるみたいです。

    ハイパーリンク、画面の隅で自己主張するバナー広告、SNSやメールの通知、RSSフィード、などなど。で、ウェブに依存し過ぎると、目の前の情報を素早く処理する能力は強化されるけれども、深く考える集中力が衰えていく可能性が。。。

    本の発明で人間の知的レベルは大きく進歩したけど、ウェブの発明で人間はどう変わっていくんだろう、という漠たる不安でこの本はしめくくられます。とはいえ、今更昔に戻れないのも事実。読書する習慣は続けようと思いますた。「我々は道具を作り、そのうち道具が我々を作る」

  • タイトルがおかしい。文字、エクリチュール、本の精神史として読めばそれなりに面白い。分厚くて小難しくて論文を切り貼りしてる「コラム」という感じだけども。不満は唯物論的・機能主義的・物質還元主義的に偏っているところ。偏見と言われるかもしれないけどアメリカ人の文章だなあ、と思っちゃった。ワーマンの『それは「情報」ではない』に近いところもある。もっと精神分析的な議論が欲しかった。東浩紀著『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』的な。問題意識は西垣通著『情報学的転回』に通じるところもあるのに。もったいない。

    直線的思考プロセスからの移行
    情報への欲望
    脳の可塑性
    時計により人間は時間を連続的な次元として理解するようになった
    地図により人間の空間認識は変わった
    マクルーハンの登場回数が多い

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