「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

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  • 青土社
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本棚登録 : 680
レビュー : 67
  • Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791766109

作品紹介・あらすじ

原発は戦後成長のアイコンだった。フクシマを生み出した欲望には、すべてのニッポンジンが共犯者として関わっている。それを痛切に思い知らせてくれる新進気鋭の社会学者の登場。

感想・レビュー・書評

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  •  ブラックな話です。眉を顰めて聞いてください。

     被災地では、雇用がなくて困っているという。そこで中央の資本と国家の補助で企業のプラントを建設することにする。津波で図らずも更地ができているから、そこに大きなプラントを作る。
     まずは建築業で雇用が創出される。そしてプラントが稼働したら、住民はそこで働くことになる。反対運動も起こるだろう。そこは金をばらまいて懐柔する。何しろ、プラントができれば出稼ぎしなくとも、家族とともに故郷に住むことができる。4人に1人くらいはプラントで雇われ、労働者を相手にした商売で潤う人も出てくる。プラントでは定期点検があり、数千人単位で季節労働者もはいってくるようになるので、地元はますます栄える。
     反対派は反対運動を続けるだろう。住民もプラント建設を手放しで歓迎しているわけでもないので、反対派の運動を見ると、変わり者だと思いつつも「がんばれよ」などと声をかけてみたりする。しかし、もはやプラントなくして生活は成り立たないので、プラントを通して社会貢献している地域や自分に誇りを持つようになる。

     本書は気鋭の社会学者の、「原子力ムラ」を通して、戦後日本の成長神話と地方の服従のメカニズムを明らかにしようという研究である。ここでいう「原子力ムラ」とは原発の立地する地域のことである。電力会社や行政の原子力部門をまとめた閉鎖的集団を原子力ムラとも称するが、本書で問題にするのは地方の在り方であり、それは戦前に遡る「ムラ」の在り方を継承しており、それは、3.11以降もなにも変わっていないと述べられる。
     福島原発が中心にすえられるのは、著者自身が福島県出身ということもあろうが、もっとも早期の原発のひとつであること、また当該地域が、反対なく建設成功(第一原発)、反対あるも建設成功(第二原発)、反対のため建設断念(浪江小高原発)と三様の様態がみられているということがある。研究は2006年から進められ、2011年1月に修士論文として提出されており、3.11に乗ってやっつけ仕事で書かれた本ではない。

     その「なにも変わっていない」という点について評者が敷衍してみたのが上述の「ブラックな話」である。中央から、あるいは「原子力ムラ」の外からみる限り、原発推進−反対というのは明確な対立軸だが、「原子力ムラ」の中からみると、そうではないということが重要な論点のひとつ。原発はいやいや「ムラ」に押しつけられたとはいえず、「ムラ」は原発をすすんで「抱擁」する。そして首都圏の電力生産を担うことに誇りすら覚える。
     双葉町の元町長は当選以前は原発反対派だったが、町長に選出されてから推進派に「転向」したという事実が述べられる。彼にとっての軸は愛郷であり、愛郷のもとでは原発推進−反対は対立軸ではなかったのである。歴代の福島県知事は地方の自律を目指そうとする「反中央」の立場から原発を推進したが、佐藤栄佐久知事は同じ「反中央」の立場で東電と対決姿勢を取らざるを得なくなった。しかし、「原子力ムラ」は原子力によって雇用を得、繁栄を続けるにはさらに原発を建設するしかないaddictionに陥っている。栄佐久知事のプルサーマル凍結にムラはむしろ戸惑うのであった。
     筆者は前近代的な要素を残しながら都会のように繁栄したいと望む「ムラ」の欲望と、成長を遂げつつ支配を徹底したい中央とのあいだに、県などの地方がメディエーターとして機能して原発が推進されたが、もはや地方の仲介は排除され、ムラが自動的・自発的に服従する支配の構図ができあがったと分析する。「補助金もらって潤っている」「原発を押しつけられて可哀想」といった推進派・反対派の言説は中央からみているという点で、同等だという。そうした硬直化した視点でみているかぎり、「希望に近づこうとすればするほど希望から遠ざかって行ってしまう隘路に、今そうである以上に、ますます填りこむことになるだろう」。

     上の「ブラックな話」の「プラント」には何も原発ばかりが挿入されるわけではない。過去には炭鉱だったり、軍需工場だったりしたわけであり、被災地のこれからとも関わってくる問題と思われる。本書の「フクシマ」は放射能によって蹂躙された土地の代名詞ではない。「中央」によって蹂躙された「ムラ」の代名詞なのである。

  • 反原発やら再稼働反対やらのデモ騒ぎを見ていてず〜っと抱いていた「これって沖縄基地問題と同じじゃん」という違和感。『「フクシマ」論』はそんな自分の違和感の出所をきれいに解説してくれる内容でございました。

    多様性を重んじる立場の自分としては,誰が何に反対しようが結構なのだけど,デモで騒ぐ前にこのくらい読んでから行けよ〜と思う次第。

  • 原発推進派・原発反対派ともに聞こえてくるのは中央からみた地方であり、フクシマ自身は原発に両価的な思いがあると…当事者の思いを想像しつつ考えることについて改めて思わされるところがあった。

  • 二項対立を排した重層的な視座で「地方からみた都市と地方」を描いており、目を開かされた。使う言葉の一つ一つを丁寧に選んでいる姿勢にも好感。地域の歴史を、地域の視点から見つめた記録はとても大切だ。島根でも取り組みたい。

  • 社会
    原子力発電

  • 著者の方、お若いのにたいしたもんです。これまでのムラの気持ち、よくわかりました。問題はこれからですね。

  • さらささん

  • 母方の実家は原発立地地域である。そこに行くたびに子供心に感じてきたなんともいえない感覚、「いびつさ」。その肌感覚からしても、本書の論は正しいと思う。賛同する。でも、その指摘だけでよいのか。今後どうすればよいのか。もちろん、それを考えるのは我々であって、本書は忘却・無意識化してはならない視座を与えてくれるものではあると理解はしているが。

  • <閲覧スタッフより>
    「3.11以前の福島は思いのほか「幸福」に満ち、3.11以後も彼らはその日常を守ろうとしている」と述べる著者。もしそれが本当だとしたら、私たちは"フクシマ原子力ムラ”とどう向き合えばよいのだろうか?

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    所在記号:539.091||カイ
    資料番号:10211817
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著者プロフィール

1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。現在、立命館大学衣笠総合研究機構准教授(2016-)。東日本国際大学客員教授(2016-)。福島大学客員研究員(2016-)。
著書に『福島第一原発廃炉図鑑』『はじめての福島学』『漂白される社会』他。

「2017年 『エッチなお仕事なぜいけないの?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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