帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺

著者 :
  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791767977

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  • 西にイスラム国が誕生し、北ではウクライナ・ロシア国境付近が不穏な動きを見せている。アメリカは、シリアに爆撃を決定し、ロシアはウクライナのNATO入りを武力行使してでもやめさせようと躍起になっている。スコットランドが連合王国から独立するための住民投票を実施し、独立の可能性が高まると、それに呼応するようにスペインではカタルーニャやバスク地方独立の火花が上がる。まさに混沌とした世界情勢である。東欧の自由化、アラブの春の掛け声が騒がしかった頃に思い描いていた自由で平和な世界の到来は、淡雪のごとく消えてしまい、世界はまとまるどころか、ばらばらに粒状化し、隙あらば戦争状態に入ろうと、きな臭いにおいを漂わせはじめている。

    それは日本をめぐる環境においても変わらない。安倍政権誕生以来、領土問題に端を発する中国との関係、同じく領土問題に加え、従軍慰安婦問題が関係をこじらせたままの韓国、と隣国との関係は冷え切っている。主権国家の独立が、それ自体価値を持つと信じられていた時代にあっては、予想もつかなかった事態に世界は突入しようとしている。このような時代を誰も予想していなかった。あのマルクスでさえも。では、なぜマルクスはまちがったのか。

    『世界史の構造』以来、柄谷が提唱するのは、世界史を読み解く鍵として、マルクスのように「生産様式」を用いるのでなく、柄谷の発案した「交換様式」を採用すればいい、というものだ。マルクスのいう「生産様式」では、アジアは、生産手段を共有化するということで一括りにされ、原始共産社会のままで停滞した社会としてしか見られない。一方、「交換様式」という解析格子を適用すれば、アジアにも、いやアジアにしか見られない「世界史の構造」が見られるというものだ。

    『帝国の構造』は、ギリシアにおけるイソノミアを扱った『哲学の起源』に続き、『世界史の構造』で言い足りなかった点を補説するものとして構想された。その名の通り、「帝国」に焦点を当てた内容となっている。近代国家の誕生は、旧帝国の崩壊を契機としている。それゆえに近代国家において、「帝国」は評判が悪い。しかし、フランシス・フクヤマが『歴史の終焉』と名づけた、資本主義のグローバリゼーションによる世界の安定は、一時的なものであり、それ以後の世界情勢は次々と見舞われる危機的状況にあえいでいる。柄谷によれば、世界は90年代から何ら変わっていない。世界は、いまだに資本=ネーション=国家というシステムの上に乗っかっているからだ。

    柄谷が言うには、社会構成体は単独では存在せず、他の社会構成体との関係つまり「世界システム」において存在する。その四つの段階を交換様式との関係で述べると以下のようになる。第一、交換様式A(互酬)によって形成されるミニ世界システム、第二、交換様式B(略奪と再分配)による世界=帝国、第三、交換様式C(商品交換)による世界=経済(近代世界システム)、それにカントが「世界共和国」と呼んだ交換様式Dによる世界システムである。

    それによれば、資本=ネーション=国家は近代世界システムである。実は交換可能な概念がまるで必然でもあるかのように三位一体の構造をなしているところに、近代世界ステムの問題がある。いちど、それを解きほぐし、新しい目で世界を見て見れば解決策はある、それは交換様式A(互酬)を高次元で回復した交換様式Dによる「世界共和国」であるというのが、柄谷の主張である。その主張はいつもながらの預言者めいた、ありえない未来を語るもので、現実離れしているのだが、それを解説するために持ち出した「帝国」擁護論が目新しい。特に、中国の学生に対する講義を基にした論考なので、中国の王朝史を帝国の歴史として読み替えるあたりの説得力はなかなかのものである。

    主権国家ありき、という目線で世界に接する限り、目下の情況が好転することはまずありえない。それは誰にでもわかることで、未来への展望が開けない状況が、各国の疑心暗鬼を助長し、刹那的な祖国防衛、民族自決主義に奔らせている。旧帝国を専制国家としてではなく、宗教に対する寛容さ、周辺国の独自性の保障、多民族、多文化の共生、といった観点から見ることで、それを高次に回復することは可能ではないか、という提言と見れば、耳を貸すこともできよう。

    副題の「中心・周辺・亜周辺」というキイ・ワードは、最終章「亜周辺としての日本」を語るためにも重要な概念である。日本が、中国という巨大な帝国の中にありながら、なにゆえ独自の発展を成し遂げたか、という所以を、海によって切り離された「亜周辺」であったことがその要因であったことを論証する過程は、少々大雑把に過ぎる気もするが、そういう細かなことには目もくれず、自分の思いつきをぐいぐいと引っ張ってゆくように読ませる柄谷の文章は好感が持てる。

    日本のクオリティー・ペーパーである朝日新聞の相つぐ誤報問題に頭を悩ませておられる良識ある読者に、長年、マルクス、フロイト、カントを読み続け、自家薬籠中のものとし、今度は、アウグスティヌスの『神の国』まで引っ張り出し、力業で世界を解釈しなおそうとする柄谷の仕事は、巨視的な視点から世界の歴史を見ることの爽快さを味わわせてくれるのではないかと愚考する。

  • 本書は、中国語に翻訳された『世界史の構造』を解説するため、北京の精華大学での講義として準備されたものを元に構成された本である。講義は、その後中国の複数の大学でも行われている。人文科学の分野において、まず日本向けに出版されたものが英訳どころか漢訳までされてグローバルに評価されるのは、もはや柄谷行人以外にはいないのではないか。その意味ではいまだに重要な著作家であるといっていいのだと思う。
    内容的には講義録というよりも書き下ろしの書籍に近い印象を受ける。なお、講義を元にしているため「ですます調」となっているのだと思うが、柄谷の「ですます調」は、それまでよりもやや広い読者を想定したとされる新書形式の『世界共和国』に続くものだ。個人的には柄谷は、やはり断定調の方がよく似合うと思っている。

    本書の内容は、『世界史の構造』を書くにあたって整理した中で、特に「帝国」について着目をしたものとなっているという。こういう本を読むと、大学受験のときに世界史や日本史を取らなかった(倫理政経を選択)のが遠い昔のことながら少し悔やまれる。常識であるらしい大きな流れがわかってなかったりするのだ。それでも、何とか読む。

    さて、まず第一章では、『世界史の構造』の核となった交換様式の理論について丁寧に説明されている。たとえば本章では、贈与と負債の関係が売買を通した経済関係とは異なる様式としてあり、交換様式の論点においては売買と並んで対等に重要な概念であることなどが述べられている。ただ、ここでの議論の正確な理解のためには『世界史の構造』に当たるべきであろう。

    続く第二章では、互酬性に基づく交換様式Aの起源として、世界史における定住革命が説明される。本来、狩猟採集民であった人類があえて定住するには何らかの強い理由が必要であったとされるが、ここでは、農業のために初めて定住が始まったという従来の説ではなく、保管と管理を必要とする漁具を用いる漁業のためにまず定住が始まったとしている。そして、いったん始まった定住の後に、それをベースとして農業が発展したとする。そこにおいて、定住から始まる不平等とそれを解消するための互酬性を基本とする交換様式Aが主流となったというのが柄谷の見立てだ。

    そして、いよいよ第三章で本書のメインテーマである帝国について論じられる。柄谷は「帝国」の一般的な特長として次のような要素を挙げる。
    ・帝国内の交易の安全を脅かすのでないかぎり、その中にある部族・国家の内部に干渉しない
    ・「世界宗教」を持つ ... 仏教、イスラム教、ゾロアスター教、キリスト教
    ・「世界言語」を持つ ... ラテン語、漢字、アラビア文字

    この後の章で、実際の歴史上の帝国として、東アジアにおける、秦、漢、隋唐、モンゴル、近世の帝国として、ロシア・オスマン・ムガール帝国に触れられるのだが、ここではこれら世界帝国がもたらしたものとして、貨幣、法とともに上に挙げた宗教、言語、が挙げられる。

    「世界帝国は世界貨幣をもたらしただけではない。その他、さまざまな間共同体的な原理やテクノロジーをもたらしました。それは、第一に、法です。この法は、小さな部族や国家を越えた領域で通用する法、いわば万民法です。帝国の関心事は、諸部族・国家を支配することだけでなく、それらの「間」、いいかえれば、諸部族・国家間の交通・通商の安全を確保することです。したがって、帝国の法は、根本的に、国際法なのです」
    法もまた、共同体と共同体の間において初めて生じるというのが柄谷の説である。さらに世界言語についても帝国を論じる上で非常に重要なものとして認識される。この後の日本を論じる章でも、漢字や仮名文字が日本に与えた影響にも触れられている。そして、次のように結論づける。

    「帝国の法、宗教、哲学がこうした世界言語であらわされる以上、帝国の特質は、何よりもその言語においてあらわれるといっていいでしょう」

    その上で『世界史の構造』で深く論じた交換様式と帝国との関係について説明する。帝国は、交換様式Bが優越しているような世界システムにおいて形成されるとされ、交換様式Cが優位にある世界システムでは存在しえない、と結論づける。つまり、帝国の原理は、多数の部族や国家を、服従と保護という「交換」(交換様式B)によって統治するシステムなのだと。一方、「帝国主義」は交換様式Cに基づくネーション=国家の拡大としてあるものだと。ここで気を付けるべきなのは、柄谷が「帝国」と「帝国主義」を全く異なるものとしている点である。自分はここで初めて気が付いた。

    この第三章を受けて、第四章は、中国での講義らしく、東アジアの帝国、秦、漢、隋、唐、モンゴル、について詳しく論じられ、第五章では近世の帝国としてロシア、オスマン、ムガール帝国、の勃興とその凋落について論じられる。
    そこでは帝国が、交易が国家によって管理される、つまり交換様式Cが交換様式Bの管理下にあるということが、帝国の限界であったとされる。それが帝国の亜周辺で発展し、世界=帝国から移行することとなる世界=経済との違いだという。

    第六章は「帝国と世界共和国」と題される。ここで、『世界史の構造』でも議論の余地が大いにあるところでもあるカントの「世界共和国」になぞらえた世界の将来構想について触れられる。そこではあらためて世界国家間の贈与と互酬性が期待される。「贈与の連鎖的拡大によって創設される平和状態が、世界共和国」だという。『世界史の構造』以降の柄谷を評価する上でここが非常に重要な分岐点になると思われる。

    第七章では、世界史の中における亜周辺としての日本について論じられる。亜周辺の議論では、中国と韓国(柄谷はあえて「コリア」と表記する)との比較論が歴史に沿って説明される。やはり、十九世紀の後半において、西洋列強が世界を支配する中で、その中に自ら列強として加わったことは世界史の中でのひとつ謎であるとしている。その理由を日本が帝国の亜周辺にいたからという地政学的な事実から説明するのが本章の内容である。

    その流れの中で最後に憲法九条を取り上げて、カントの「永遠平和」の理念に結びつける。
    「この憲法第九条は日本の中では、米占領軍によって強制されたものだという理由で批判されてきました。しかし、米占領軍がその後まもなく朝鮮戦争に際して日本に憲法改正と再軍備を迫ったとき、日本人はそれを斥けた。ゆえに、憲法九条は日本人自身が作ったものだといってよいのです。この憲法の根底にあるのは、カント的な「永遠平和」の理念です。そして、この理念は近代国家ではなく、「帝国」に由来するものです。したがって、憲法九条は、もしそれを真に実行するのであれば、たんに一国にとどまるものではない。それが世界共和国への第一歩となりうるものです」

    この最後に置かれた文章に対する態度こそが、キャリア・人生の最終盤にある柄谷を評価するときの鍵になるのではないだろうか。ここまでの議論を積み重ねた上の言葉が、凡百の憲法九条擁護派の言葉と変わらないように見えるのは、その言葉は同じ重さを持つものではないと思うにしても、個人的には少し残念な感じが否めないのである。

    本書によって『世界史の構造』の理解は深まったと言える。ただ、一方では世界共和国の構想については今のところ共感できない。2015年の現状、憲法九条はますますポリティカルな様相を深めており、世の中で注目を集めることは多くなったが、少なくとも柄谷が望んだような形で世の中が進んでいるわけではないだろう。グローバルの状況については、言わずもがなである。世界史に対する理論的な成果および読み物としては評価できるが、実政治への影響度や将来に影響を与える構想としてはもの足りないのである。それは、ネット技術によるコミュニケーションの変容について論じることを避けていることもその理由のひとつでもある。たとえば、世界共和国の文脈の上で、現在のEUやSNSに代表されるネットコミュニティに対する柄谷さんの具体的な見解を聞いてみたいものだと思うのである。



    『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4004310016

    『世界史の構造』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000236938



  • 柄谷行人 「帝国の構造」 

    著者の「資本=ネーション=国家」概念や 4つの交換様式を用いて、帝国の原理を論じた本

    帝国について、明確な定義はないが、帝国と帝国主義と明確に区別し、帝国とは 世界共和国やコスモポリス に近い意味なのだと思う

    著者の「資本=ネーション=国家」概念や 4つの交換様式を理解するのが かなりハード。この2つの概念でヘーゲル、マルクス、カント、レヴィ=ストロース、ブローデル、中国史、帝国主義 全てを説明するのだから守備範囲の広さに驚く

    最後の「亜周辺としての日本」の論考は、日本の資本主義経済の発展論証として興味深い

    帝国の原理(帝国である条件)
    *多くの国家が積極的に服従する
    *互酬性原理ともとづく遊牧民国家と定住農民国家と統合
    *共同体間や国家間の交易が発展
    *世界宗教、世界言語を持つ
    *帝国は、交換様式Bが優越している世界システムにおいて形成される


    「資本=ネーション=国家」とは
    *資本主義的な市場経済が進み、階級格差など諸矛盾が生じても、国家が規制や援助により緩和しようとする体制
    *この体制が出来上がると、革命は起きず、本質的な変化はない(歴史の終焉を意味)

    社会構成体を説明する4つの交換様式
    A 互酬(贈与と返礼)=ミニ世界システム=ネーション
    B 略取と再分配(支配と保護)=帝国=国家
    C 商品交換(貨幣と商品)=経済〜近代世界システム=資本
    D 資本=ネーション=国家 を越える新しいシステム〜カントの世界共和国

    交換様式D
    *Dは交換様式Aを高次元で(=Aの原理を一度否定することを通して)回復すること
    *互酬原理によって成り立つ社会が、国家の支配や貨幣経済の浸透により解体されたとき、そこにあった互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものがD
    *Dはネーションと同様に想像的であっても、人間の願望や想像でなく、人間の意志に反して課される義務として生まれてくる〜Dは抑圧されたものの回帰としてあらわれる

    交換様式A
    *農業によって定住したのでなく、定住した結果、農業が起きた
    *互酬の原理により、定住から生じる生じる不平等、階級、国家形成を抑制した
    *氏族社会は国家社会を回避する企てであり、高度な社会システム〜国家を越える道
    *互酬原理は、神の命令(普遍宗教)として到来

    AとDの共通点
    それが生じるのは人が望むからでなく、人間の欲望や意志を越えて出現する〜自由の相互性への回帰

    交換様式C
    *資本制社会では交換様式Cが支配的、封建制社会では交換様式Bが支配的
    *マルクス「資本論」は資本主義経済を対象とし、交換様式Cのシステムを考察するために、Aと Bを度外視
    *近代国家とは、交換様式Cが支配的なモードにあるときに、交換様式Bがとる形態

    ブローデルが 世界=経済と呼ぶところでは、交換様式Cが優位にある
    *都市に市場経済が発展した〜帝国は成立しなかった
    *世界=帝国 と 世界=経済 は同時期に、相関的に存在した

    西ヨーロッパでは、帝国ができなかった分、自立的な都市が増え、ヨーロッパの社会構成体における交換様式Cの優位〜世界=経済をもたらし、資本主義経済が生じたが〜帝国が生じたところでは、資本主義経済に至らなかった

    帝国主義
    *帝国主義とは、帝国の原理なしにネーション=国家 が拡大し、他のネーションを支配すること
    *帝国主義は交換様式Cにもとづく
    *他の国家から関税権を奪う〜交易の自由により利潤を得ることにより経済的に支配する
    *帝国の膨張が交換様式Bに対して、帝国主義の膨張は 交換様式C










  • ・父ー第一子ー第二子
    ・イノベーション 経営層ー管理職ー一般社員

  • これもか。最後まで読めないんやなあ。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    難しい内容ではあったが、書いてある内容に納得できるような事がたびたび存在し、色々と感心しながら読み進めた。
    著者が本書で提唱しているのは「交換様式論」でマルクスの「生産様式論」ではヨーロッパ以外の地域の歴史で説明できないことが多く存在し、それを説明するために著者が考えたのが「交換様式論」だ。
    「交換様式論」は大きく分けて4つのタイプが存在し、これらを様々な歴史を引用し、解説しているが納得できることも多く、非常に面白く読むことができた。

  • 第一章がチンプンカンプンだからといって、そこでやめないで。
    第二章以降は超面白い内容になっているから!

    世界史日本史上の様々なことについて、交換様式の観点、さらに帝国・周辺・亜周辺という地政学的な構造から説明しています。
    亜周辺は、周辺とは違って、中心による直接支配の恐れがなく、文明の摂取を選択的に行うことができるような空間です。


    初めて知ったこともあるけど、もともと知っていることについて興味がかきたてられる説明が多く、
    まるで自分の中で凍っていたものが溶けていくような、
    あるいは血液の中にとまっていたものがさらさら流れ出すような感じ?

    たとえば「日本は19世紀の後半、西洋列強が世界中を支配した中で、それを免れただけでなく、自ら列強の中に加わった。これは世界史における謎です。ウェーバーからブローデルにいたるまで多くの歴史家がこれを説明しようとしてきました。しかし、このことは、帝国の亜周辺ということからしか説明できないと私は思います。しかも、ギリシアやキエフとは違って、日本の場合、それについて考える資料が十分にあります。(後略)」とか、
    「ベトナムでは、フランスの植民地支配の下で、アルファベットを採用しました。漢字のみならず仮名(チュノム)も放棄したわけです。しかも、独立後もそれを回復しようとはしなかった。コリアでも第二次大戦後、南北ともに漢字の使用をやめました。対照的に、日本では漢字は廃棄されなかった。通常、ナショナリストは、他国への文化的従属に反撥します。日本にもそのようなナショナリズム(国学)がありますが、それさえも漢字廃止に向かうことはなかった。そもそも日本語のエクリチュールは、漢文を読むことにもとづいて形成されたからです。もっと根本的にいえば、日本人は漢字あるいは中心の文化を、選択的(自主的)に取り入れたからです。くりかえしますが、それは「亜周辺」に特有の現象です。」とか。
    ね、面白いでしょ?ほんの一部紹介しました。

  • 再読。難しい〜♪

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784791767977

  • 「資本=ネーション=ステート」が確立されたのちは本質的な変化はあり得ない(=歴史の終焉)とするヘーゲル批判から始まつて、「帝国」論を展開する。

    マルクスが国家やネーションを「上部構造」に置き、これらを規定するのは経済的土台すなはち「下部構造」とし、その下部構造は生産様式すなはち「誰が生産手段を所有するか」のあり方に着目するのに対して、筆者は交換様式に着目する。

    具体的には、交換様式をA(互酬…贈与と返礼)B(略取…支配と保護)C(商品交換…貨幣と商品)D(X…「それらを超えるなにか」)に区分する。

    そして、遊動的狩猟採集民社会からの大きな社会変革を「定住」に求め、そこから農業や牧畜(さらには遊牧)…そしてさまざまな社会のあり方を見てゆく。

    帝国…多数の民族・国家を統合する原理がある
       ローマ法は根本において国際法…民族・国家の内   部だけでなくその間の問題にも適用される
    国民国家…そのやうな原理はない。拡大して多民族・国家を支配する場合は「帝国」ではなく「帝国主義」

    交換様式C…「世界=経済」が優位な社会…ギリシャ文明や西ヨーロッパの自立的な都市の繁栄は、帝国の周辺にあつてかつ選択的態度が可能だつた「亜周辺」にあつたことによる。

    さらにその帝国の亜周辺に生まれたヨーロッパの主権国家が帝国を解体して、多数の民族国家を生み出してゆく歴史を振り返る。
    そのうえで、国際連盟から始まつた諸国家の連合に、カントの言ふ諸国家連合から世界共和国への可能性を見出し、その過程に働く力として武力や金銭の力ではなく「贈与の力」にそれを求める。

    ヘーゲル批判から始まつて、正直最後まで読み切れるか不安になつたが、世界史の流れをみるにも非常に面白い切り口と感じた。
    あとは…昔、手にしたことのあるカントの「永遠平和のために」を読み返してみたくなつた。

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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