人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-

著者 :
  • 青土社
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (467ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791768585

感想・レビュー・書評

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  • 精神病理学の専門家としての立場から、特に鑑別診断に焦点を当ててラカンを年代別に論じる。
    フロイトとの対応も詳細に解説し、ラカンはフロイトをどのように受け継いだのかもわかりやすい。
    また、ジャック=アラン・ミレールはじめ現代ラカン派の議論も適度に参照するとともに、ドゥルーズ=ガタリやデリダによる批判も検討している。
    さらに加えて、DSMに代表される現代の精神医学の方法論への痛烈な批判がしばしば見られる。

    本書の冒頭に書かれているように、ラカンは構造主義として、あるいはポストモダニストとしてしばしば批判の的にされるが、ラカンは常に自己の理論を刷新し続けており、どの批判もラカン理論の全貌を捉えられているとは言い難い。東浩紀『存在論的、郵便的』のいわゆる否定神学的ラカンは乗り越えられるし乗り越えられている。「結論」の末尾にもあるとおり、本書は「人はみな妄想する」時代の社会を見つめ直し続けるための前提を築いている。

  • 人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-

  • ジジェクを読んでいく中でアマゾン検索中に発見して購読。以下印象的な箇所のまとめ。

    ・70年代のラカンはドゥルーズ=ガタリやデリダによる批判と前後して、フロイトの精神分析を更新することを企てていた。

    <60年代のラカン>
    ・神経症は父の権威による抑圧。エディプスコンプレックスの構造化にある。父の名において禁止されたこと、命令の繰り返し。正常な社会生活を送れない。
    ・精神病は父の権威の排除。エディプスコンプレックスの導入に失敗。現実社会の価値規範から遊離して個人の妄想に逃げ込む。
    ・エディプスコンプレックスは家族主義。父の権威を想定。社会規範があり、そこからの抑圧、排除として狂人を定義。
    <ドゥルーズ=ガタリによる精神分析批判>
    ・神経症と精神病に差異はない。精神病を神経症の価値を転倒させ、精神病を神経症の上位に置くのではなく、神経症と精神病の前にある原・精神病的スキゾフレニーを掲げ、神経症と精神病の二項対立を脱構築した。
    ・エディプスコンプレックスの構造からの離脱を推奨する。精神分析は健全な主体を想定し、そこから逸脱する存在を病と診断した。欲望の流れは固定化され、一般的な欲望の流れから逸脱する自由な表現は病とされた。
    ・精神病には固定化した構造を変革する可能性がある。
    <デリダによるラカン批判>
    ・父の権威は絶対ではない。父の命令には失敗、誤配がある。
    <70年代のラカン>
    ・父の名は見せかけの権威に過ぎない。
    ・エディプスコンプレックスは「フロイトの夢」に過ぎず、確固とした科学的概念ではない。
    ・精神病を特徴づけるメカニズムだった排除は、あらゆる主体が構造的にはらまざるを得ない欠如として一般化される。
    ・精神分析で症状を変化させることはできるが、症状を消し去ることはできない。症状は満足(享楽)の側面を含むが故につねに残余を残す。しかし、精神分析は終わりなきものではない。分析作業の最後に残った享楽の屑(特異性)としての症状=サントームに同一化すること、あるいはそれとうまくやっていくことが、分析の終結となる。
    ・サントームとは、私がこの私であることを示す、主体の固有名。
    ・ジョイスは精神分析を実践することなしに「精神分析の終結に期待できる最良のものに直接到達した」。意味を理解することも翻訳することも誰にも不可能。『フィネガンズ・ウェイク』は、作者であるジョイスの特異性=単独的な享楽のモードを呈示している。治療不可能性の肯定。
    <70年代ラカンとドゥルーズ=ガタリ、デリダの相違点>
    ・ドゥルーズ=ガタリは精神分析を終わりなきプロセスとみる。ラカンにとって治療は終わりがあるもの。
    ・デリダにとって治療は不可能なもの。抵抗の痕跡は治療不可能。ラカンにとって治療は終わりあるもの。治療の終結後も、享楽のモードを残してよい。
    ・精神分析の終結とは、いかなる構造にも還元されない各主体が固有に持つ「享楽のモード」、その特異性=単独性とうまくやっていけるようになること。
    ・70年代ラカンの対象は、ゆるやかな自閉症の患者を想起させる。それぞれに自分の自閉症がある。

  • ブログ更新:『人はみな妄想する━━ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』松本卓也
    http://earthcooler.ti-da.net/e9256782.html
    さて、ここからが重要である。フリュストラシオンにおける現実的対象(乳房)と象徴的対象(母)は、それぞれ異なる水準にある。この二つの水準のズレ=裂け目は、人間の欲望を構成する原理でもある、すなわち「欲望の弁証法」ということが。

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著者プロフィール

2020年11月現在
京都大学大学院准教授

「2020年 『メンタルヘルス時代の精神医学入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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