「コミュ障」の社会学

著者 :
  • 青土社
3.25
  • (2)
  • (2)
  • (6)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 121
レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791770625

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • ・「コミュ障」の要素を冷静に分析すると実はたいして重要なことではない、にもかかわらず不釣り合いなくらい深刻な生きづらさを当人にもたらしうる。
    ・「コミュ障」は他者の視線を意識して苦しんでいるのであるから「社会的」であり、社会から漏れ落ちているのではなく否応なく社会に絡め捕られている。
    この2点が慧眼で、だから本人に対して、なぜつながらないのかを問い、つながりの大切さを指摘し続けても意味がないことが理解できる。また、ただそのままでいいというだけ(いつかはきっと・・を孕んだ)姿勢も違うんだということが感じ取れる。

    書き下ろしでないので仕方ないとしても、不登校から学者となり母となったという自分語りが再三出てきて若干鬱陶しいのが残念。


    [more]<blockquote>P25 (知識量の多さや知的操作の速さに代表される「近代的能力」よりも、個性や創造性、対人能力といった「ポスト近代型能力」がますます要請されるようになっている)これは、人間の人格を評価にさらすものであり、どうすれば獲得できるかも不透明だ。

    P30 コミュ障とされる人が「持たない」とされている力、すなわち「学校の休み時間などにノリで盛り上がる力=コミュ力」について検討すると?学校の成績や職業能力に直結するわけではなく、恋人や親友を持つうえでの必要条件ともいえない。あえて一般的な基準で価値判断をすると「長期的に見れば大して重要ではない」?個々の努力や経験の積み重ねによって身に着けうるとも限らない?「なんとなく」作られる「空気」になじめるかどうかにすぎない とすると、コミュ障のいったい何が問題なのだろうか。なぜ私たちはコミュ障と名指しされることを恐れ、何とかしたいと思うのだろう?
    コミュ障の奇妙さは、制度的不利益のあいまいさと滑稽な外観に比して主観的には不釣り合いなくらい深刻な生きづらさを当人にもたらしうることだ。

    P40 コミュ力のある人もコミュ障の人も実は同じ文脈で空気を読みあいながら生きている。


    P91 生きづらさという箱のふたを開けても、そこには「これが私の生きづらさである」と言えるものがごろりと入っているわけではなく「中身が見えない」。そのことが二次的に、さらなる生きづらさの箱を出現させる。そのように生きづらさの原因が認識できない状態が生きづらいのである。【中略】「私が漏れ落ちたのは、私が差別に遭遇したためではなく、私の選択が間違っていたから/能力が及ばなかったから」この認識は、個の尊厳に傷をつけるだろう。

    P117 「そのままでよい、いつかは問題なく社会に出ていける」とする周囲の者の語りは、たとえ本人の生の在り方を尊重しようという意図のもとになされたものであっても、時として本人の生の在り方や苦しみの内容を限定的に意味づける効果を持ってしまうためである。「働くことはつらい、けれども働かないことはもっとつらい」と考える本人にしてみれば、単に「働かなくてもよい」と言われても、その困難は止みがたい。

    P131 ひきこもっている人は、繰り返し繰り返し「なぜひきこもっているのか」を問われます。ひきこもり支援とは「社会復帰させること」だし、支援者は自分の仕事について「いかに復帰させるか」を考えればいいのであって「なぜ復帰させるのか」は考えなくていいことになっている。ここに根本的なすれ違いを感じます。【中略】ひきこもる人を「ひきこもらないように」変化させるのではなくその人がひきこもりに至る自己の核心を捨てたり変えたりすることなく、社会とつながるための支援。

    P161 「働かないことが苦しい」という事態は「働くべき」という価値があらかじめ本人に内面化されていなければ起こりえない。他社から見て無価値であるだろう己の姿が、自分で「見えて」いるからこそ、「苦しみ」は生じる。これを踏まえれば「苦しみ」を抱える若者はすでに十分に「社会的存在」になっていると言える。働かないことに苦しみを覚える若者を「非社会的」とするのは適切ではない。

    P176 「大人」は、「他者から測られ、他者を測る」ことから完全には自由であれない。

    P182 「働くべき」という時、そこに想定されている仕事とは何か?「自活し子供を養うために欠かせない収入源であり、平日のほとんどの時間を費やす主要な所属先」と李ジッドにとらえるのであれば、そのような仕事はますます減少して織、より多くの働かない・働けない若者を生み出し続けてしまう。働くことを「食い扶持を得ること「子供を持つこと」「アイデンティティの帰属先であること」などと切り離し「社会とつながる」活動を幅広く指すものとして緩やかに構想していく必要がある。

    P205 目的設定の間接性は、づら研の母体である若者の居場所においてとりわけあてはまる。居場所とはそもそも、就労や修学といった短期的なゴール設定を避けて、人々が安心して休むことができ、「自分でいられる」場を指す。誰も頑張って助けようとしない点がよかったとかったように、明示的な目的を有する支援者の不在が、参加者にとってポジティブな意味合いを持つ場合は少なくない。実際に無業の若者支援の現場では「私はあなたを支援します」と上から目線で接する支援者を「あの人は支援臭がする」などと揶揄する言葉がしばしば聞こえる。

    P205 「不登校に対する望ましい対応」にひとつの正しい答えを出すことはできない。その答えを「当事者は知っている」と考え、「だから語ってくれ」と迫る時、もしかしたらそこでは、周囲の側が引き受けるべき試行錯誤が本人に押し付けられてしまってはいないだろうか。</blockquote>

  • 「コミュ障」とあるが、この本は「不登校」と「不登校のその後」についてを主たるテーマに構成されている。
    タイトルから想像する内容とは違っていたかな…と言うのが素直な印象。
    とは言え、何でもかんでもコミュニケーションに紐づけられ、それがあたかも至上主義のごとくはびこることへの批判や疑問の提起は理解できる。

  • 普通に順調に人生を歩んでいるように見える人はまだ漏れ落ちていない人に過ぎず漏れ落ちた人と地続きだから。
    それが私には排斥の原動力になっているように思える。その後研究が呪いに受け取られる文脈をどうやって避ければいいのだろう。私が語ることは呪いではないと、伝えることは可能だろうか。

  • 【書誌情報】
    『「コミュ障」の社会学』
    著者 貴戸理恵
    定価 本体1800円+税
    発売日 2018年4月24日
    ISBN 978-4-7917-7062-5
    http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3157

    【目次】
    はじめに 

    第Ⅰ部 「コミュ力」時代の生きづらさ 

    1 若者の対人関係における「コミュ障」
    「コミュ力」の時代/「コミュ障」とは何か/大学における「コミュ力のある人」/「エンタテイメントとして人を侮る力」としての「コミュ力」/対人関係をめぐる生きづらさ/「空気」が読めてしまうから生きづらい/異文化と「コミュ力」

    2 「生きづらさ」の増殖をどう考えるか――みんなが「当事者」になる時代 
    「生きづらさ」が増えている/学校のなかの「生きづらさ」/自己責任のリアリティ/それでもつながって生きる知恵を

    3 リスク社会と不登校―― 一九八〇年代の不登校運動から二〇一〇年代の生きづらさへ 
    はじめに/「学校+企業=社会」/「場」に包摂された生きる息苦しさ/不登校運動の興隆/リスク化・個人化/「生きづらさ」へ

    第Ⅱ部 「当事者」と「専門家」のあいだで 

    4 「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」――「当事者の語り」再考
    「問題に取り組む私」から出発する/「ぼくは、もっと怒っていい」/「終わりのない語り」の可能性

    5 「学校」の問い直しから「社会」とのかかわりの再考へ――不登校の「その後」をどう語るか 
    はじめに/「ひきこもりにつながる不登校」の語りづらさ/「当事者」再考/実践と語り/おわりに

    6 支援者と当事者のあいだ 
    「支援者」の揺らぎ/「当事者」・「支援者」が曖昧な「生きづらさ」の現場/「マイノリティとしての当事者」と「関与者としての当事者」/「生きづらさ」支援を考える/おわりに

    7 不登校の子どもの「居場所」を運営する人びと――それでも「学校に行かなくていい」と言いつづけるために 
    はじめに/専門家の言説と不登校の「その後」/調査対象と調査概要/「居場所」を運営する人びと/それでも「学校に行かなくていい」と言いつづけるために/おわりに

    第Ⅲ部 新たな「社会とのつながり」へ 

    8 「働かないことが苦しい」という「豊かさ」をめぐって 
    「働かないことが苦しい」ということ/価値の内面化と「苦しみ」/価値の内面化による「苦しみ」の源流としての不登校/若者就労における「苦しみ」の解除/「シューレ大学」信田風馬の手記から/存在承認と業績承認/「働くこと」の再構想へ

    9 「自己」が生まれる場――「生きづらさ」をめぐる自助活動としての居場所と当事者研究 
    「生きづらい人」にとって「対話」が持つ意味/「づら研」の概要と私の関わり/語りを介した自助活動は何をするのか/何が起こっているのか/変化の条件/「個」を生み出す「場」の重要性

    10 不登校からみる共同性の意義――「多様な教育機会確保法案」に寄せて 
    「いまあるよいもの」を生かす制度化を/フリースクールの意義としての共同性/「共同性の制度化」の困難とその必要性

    11 「書くこと」のススメ 
    「書く」ことで社会とつながる/「書くこと」の三角形/おわりに

    12 「当事者」に向き合う「私」とは何か――不登校への「よい対応」とは 
    「当事者に向き合いたい」という思いとは何か/私の不登校体験/今、親・教師として不登校に向き合うなら

    13 家族とコミュニケーション 
    三歳の不機嫌に寄り添う/家族のコミュニケーション/産後に変わる夫婦の関係/関係は生き続ける/姓が変わるということ/「生きづらさ」と家族

    14 「学校不適応でも大丈夫」と言いつづけるために 
    元不登校の母親が、娘の不登校を考える/オーストラリアで娘が不登校に/娘に付き合い、試行錯誤/学校不適応でも大丈夫、と言いうるために


    おわりに
    参考文献
    初出一覧

  • 20180922~

  • 台風が通過している前夜、
    読み終わった
    翌日の朝
    台風の余波で
    傘などおちょこにしてしまうほどの
    もの凄い横殴りの雨風の中を
    集団登校している小学生の集団を見た

    こんなひどい天候の日は
    雨風をやりすごして
    収まったころに出かける
    それか
    もう、いっそのこと
    休んでしまえばいいのに…

    警報の有無など
    関係なく
    自分の五感が
    優先されるべきだのに

    それができにくい
    この国であることに
    いまさらながら
    はぁーっ
    とため息が出てしまう

    この国で
    生きづらさを抱えさせられて
    しまっている
    その背景には
    常識という名のもとに
    無意識に追い詰めてしまっている
    根深いものが
    潜んでいる

  • 東2法経図・6F開架 361.45A/Ki13k//K

全9件中 1 - 9件を表示

「コミュ障」の社会学のその他の作品

「コミュ障」の社会学 Kindle版 「コミュ障」の社会学 貴戸理恵

貴戸理恵の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三浦 しをん
ミシェル ウエル...
エラ・フランシス...
リンダ グラット...
ジャレド・ダイア...
有効な右矢印 無効な右矢印

「コミュ障」の社会学を本棚に登録しているひと

ツイートする