神は詳細に宿る

著者 :
  • 青土社
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感想 : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791771332

作品紹介・あらすじ

ロングセラー『唯脳論』から30年、待望の新著が小社より堂々の刊行!!
日本を代表する解剖学者が、現代の自然科学、ヒトの脳の変化、科学信仰の功罪から、日本の政治、経済、社会までを論じつくす! 小さな動物やミクロな細胞など、細部をつぶさに見つめることが、地球や歴史などの全体へと繋がってゆく。いつも私たちのそばにある思想。

感想・レビュー・書評

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  • 『その点日本は律儀な社会です。それが裏返って気持ち悪いことになるのです』―『煮詰まった時代をひらく』

    ご本人もちらりと述べているように、養老先生の仰ることはいつも大体同じことだ。「神は詳細に宿る」という文章は、元の文脈を離れ、そのいつも大体同じことの芯を簡潔に表した言葉であるようにも思う。但し、それにはちょっとした前提が付くことも忘れてはならない。神は「実際に存在するものの」詳細に宿る、であって、間違っても「議論の」詳細に宿る訳ではない。そちらに居るのは悪魔である。

    例えば光の三原色という理屈を習うと、うっかり「そうか光は元々三つの色の要素で合成されているのか」と考えてしまう。それが人間の側の受容体の原理の問題であるのを取り違え、可視光線の「元素」に相当するようなものを捉えたと考えてしまう。世界の有り様は常に観察によって支えられているけれど、観察によって失われているものには中々思いが至らない。そこに気を付けなさいと養老先生はいつも言う。

    清原なつのを一躍有名にした「花岡ちゃんの夏休み」の中で、特に印象深い「恋の病の第二期症状“妄想”」という場面がある。その主人公二人のやりとり(花岡ちゃんの妄想)は何とはなしに戒めのように響いて記憶に留まっている。そこには養老先生の教えに重なるものがあるようにも思う。養老先生の諧謔的趣味にも通じるこの一場面は、心しておくべき哲学的な事実を伝えている気がする。同じ物語の中で天才簑島さんの言う「ものごとは、まげて見、ナナメから見て、ホントのことが、わかるんだよ」セリフの通りなのだろう。

    「あなたーっ、みつけたわっ、みつけたわっ」
    「なにを?」
    「絶対的心理よ」
    「うそつくな」
    「ほらきて見てよ、あ…らら、こわれちゃった、だめねーーふれるとすぐこわれてしまう」
    (中略)
    「うたかたつかまえんのならアワててはいかんよ、それと下ごしらえに手をじゅうぶんぬらす必要がある、ぬれ手にアワーーなんちゃって」

    『実は、言葉はそういう性質を持っていまして、物事をシャープに切るのてす。意識の中でそれは切れるのです。しかし実態の中では切れません』―『世間の変化と意識の変化』

    動物の持っている意識以上の働きをしている人の意識が、自己言及するための脳の活動であるならば、言葉はその活動を整理するためのもの。自己言及から発展して、あなたの脳の活動とわたしの脳の活動が同じであるという為に。とすれば確かに言葉は「同じ」という定義の為に多少曖昧な縁辺部は切り捨てざるを得ない。あなたの赤とわたしの赤はほんの少し違う、だからそこに新しい色の名前を与えましょう、と続けていたら言葉が多くなり過ぎて何も伝わらなくなる。しかしそこには居心地の悪さが生まれる。だから詩人たちは常に「言葉にならない何か」を表現しようとするのだろう。「言葉にならない夜は貴方が上手に伝えて、絡み付いた生温いだけの蔦を幻想だと伝えて」とある歌姫は歌った。その居心地の悪さを忘れないよう。不感症にならないよう。うっかり騙されてしまわぬよう。「数えきれない意味を遮っているけれど、美しいかどうかも分からないこの場所で、今でも」

  • 人生は3分の1は寝てるんだから、
    食べる、遊ぶ、働く、寝る・・・といった生き物の基本を犬や猫に学んでほしい。
    というとこと

    認知科学で「心の理論」を語ってるとこのギャップ
    笑ってしまった

    さすがやな

  • 養老孟司待望の新刊である。しかも、出版社はかつて『唯脳論』を上梓した青土社。いやが上にも期待が高まるではないか。題名はアビ・ワールブルクの「わが愛する真理の神は、一つ一つの細部に宿りたまう」という言葉を想起させるが、なんとも養老先生らしい。
    養老先生の名言に、「真理は単純を好むが、事実は複雑を好む」という言葉がある。たしかに真理はいつだっていたって単純だが、でも事実は複雑ですよ、と心のなかで言い返す養老先生が目に浮かぶ。養老先生は、単純な真理よりも、複雑な事実を愛する人なのだ。
    科学は事実と事実のあいだに共通性を見いだし、抽象化しようとする。そして、抽象化された事実は、さらに別の事実と抽象化され、より抽象化された概念へと帰納される。諸事実は系統樹をさかのぼるように抽象化を繰り返し、その頂点にいたって究極の普遍的真理となる。科学者はみな、それを目指している。
    この真理は、キリスト教の神と同義である。究極の真理への信仰と、神への信仰は同じことである。科学という名の神を信じるか、それとも単に神を信じると表明するか、それだけの違いに過ぎない。したがって、西洋科学と一神教はコインの表裏である。
    この真理と事実の問題は、どちらが正しいとか、優劣の問題ではない。ただ、現代人はやや概念に傾きすぎる。養老先生はゾウムシの研究家でもあるが、普通の人はヒゲボソゾウムシを見ても、「そういう名前の虫なんですね」で満足してしまう。もっとひどい場合、「なんだ、虫か」で終わり。
    たしかに、これはヒゲボソゾウムシであるという知識は、ある種の有用性には違いない。しかし、それは単なる知識であり、事物を本当に知っているのとは異なる。そこからこぼれているのは、手足の動き方であったり、表面の感じであったり、彼らの発する音や匂いだったりする。そうしたディテール(詳細)を知ることが、事物を本当に知ることである。つまり、「神は詳細に宿る」。
    現代はインターネットとスマホでなんでも知ることができる時代である。だから、いまの人は知識だけは事欠かない。しかも、その事実は有用か否かという尺度でのみ測られた知識である。そうした知識を積み上げていけば、やがて普遍的な真理にたどり着く。そう信じるのは勝手である。しかし、ほかならぬわれわれ人間自身が、有用性という尺度では測れないことを忘れてはならない。

  • 著者が各種雑誌に寄稿した文章を纏めたもの。「煮詰まった時代をひらく」、「世間の変化と意識の変化」、「神は詳細に宿る」、「脳から考えるヒトの起源と進化」、「「科学は正しい」という幻想」、「面白さは多様性に宿る」、「虫のディテールから見える世界」 、「ファーブル讃歌」の8篇を収録。

    印象に残ったのは、「おそらく人間の脳って、必要以上に大きくなっちゃったんですよ。人間の筋肉って、使わないと退化していきますね。それと同じで、人間がものを考えるのは、でかくなっちゃった脳を維持するためなんです。だから脳が働くというのは、自己保存的であると同時に、非常に自慰的な行為なんですね。」という言葉。考えるって,デカくなった脳の自慰行為に過ぎないんだ! 本屋さんが「病院の神経科の待合室」だとも言ってる(笑)。

    「音痴をきちんと定義すると、音の高さが違っていても同じ曲だと信じて歌える能力のこと」というのも面白い見方。感覚優先の動物は絶対音感を持ち、言葉を解さない、一方、人間は感覚を鈍くし、その代わりに感覚の違いを超えて概念を把握できるようになったのだという。音痴の人にとっては朗報だな。

    なお、第6章「面白さは多様性に宿る」は所々難解で分からなかった。説明が足りてない感じがする。

  • 読みやすさ★★★★
    学べる★★★★
    紹介したい★★★
    一気読み★★★
    読み返したい★★★

    久しぶりに養老先生を読んだ。意識のこと、経済のこと、科学、美学、虫のこと。とりとめのない随筆というか哲学書であり感想に悩むが、養老先生の思想に心は休まる。
    2019年出版本だが、コロナ禍でもノーマスクを貫く私は、普遍的なその思想に救われた。こういう人には死んで欲しくないなぁ、と心から思う。
    また、直近で読んだ宮沢孝幸氏を連想したが、顕微鏡を覗いた世界を知ると神を感じるのは感覚的にも理解できる。
    極小の世界、宇宙、時間、それを意識する自分。
    お金や世間や情報に疲れたら、スケールを変えて世界を見つめ直すといい。

  • 養老先生のエッセイ。

  • 解剖学者の養老孟司先生によるエッセイ集。
    書き下ろしではないので全体の統一感は薄め。

    しかしながら、相変わらず説得力のある文脈が心地良い一冊。

    「ニュースやインターネットを見て、何か新しいことが起きていると思っていませんか?」
    「情報とはすなわち過去である。」

    一見して様々な気付きが詰まった本である一方で、ユーモアたっぷりの語り口には思わず笑ってしまう場面も。

  • すごく考え方が整理されていて納得感がある。これからの時代や社会をどう捉えどう考えるかの参考にもなり勉強になる。

  • 養老孟司(1937年~)氏は、人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという「唯脳論」を唱えた解剖学者で、『バカの壁』(2003年)をはじめ、一般向け著書も多数発表している。『バカの壁』は、同年のベストセラー1位となり、題名の「バカの壁」は新語・流行語大賞も受賞した。
    本書は、青土社の月刊誌「現代思想」や「ユリイカ」、集英社の季刊誌「kotoba」、新潮社の月刊誌「新潮45」などに、2009~2018年に掲載されたエッセイ8篇を集めたもの。
    8篇に通底するテーマは、著者のこれまでの創作活動で一貫する「人間の脳・意識」であるが、私が最も印象に残ったのは、随所に出てくる「死」と「生」について語った部分である。
    「死」について・・・「死は一人称、二人称、三人称と専門家は言うのですが、赤の他人は三人称の死ですね。これは知識にしかなりません。関係がないのです。一人称の死はこれも関係がないのです。自分が死んだら自分はいないのですから。死というのは実は二人称しかない。・・・それをひっくり返すと、生きているということは二人称で、なんと世のため人のためだという、極めて簡単な結論が出る。」、「(ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』から)人生の意味は自分の中にはない」、「一人称つまり自分の死は要するに「ない」、だからまあ考えたってしょうがないということ、もう一つは、死は二人称であり、親しい人の死が死である、ということ。」等
    「生」について・・・「死を想うなら、生きそびれないようにすることであろう。現代人のいちばんの危うさは、生きそびれることである。」、「折角生きているんだから、死ぬことなんか考えて、時間をムダにしないほうがいい。」、「以前、ホスピスで働いていた若い女医さんに、「ホスピスでいちばん上手に生きている人はどういう人だと思いますか?」と尋ねたことがあります。彼女の答えは、「その日その日を一生懸命生きている人です」というものでした。・・・一日一日を積み重ねていくこと。大事なのはそこだと思いますね。」等
    また、書名の「神は詳細に宿る」は、収録されたエッセイ1篇の題名であるが、一般に、あるドイツのモダニズム建築家や美術家の好んで使った言葉と言われているが、著者はその原義を「自然の詳細を見て驚き、そこに造物主の存在を見る」ということであろう」と述べている。
    初出はいずれも硬派の雑誌で、必ずしも読み易い内容ではないが、随所に気付きの得られるエッセイ集と思う。
    (2019年4月了)

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著者プロフィール

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞したベストセラー『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)など多数。

「2021年 『AI支配でヒトは死ぬ。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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