レクサスとオリーブの木 下: グローバリゼーションの正体

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794209474

作品紹介・あらすじ

奇妙な事実がある。マクドナルドのある国どうしは、戦争をしないというのだ。なぜか。マクドナルドはまさにグローバル化のしるしであり、グローバル化世界の価値観は、問題解決の方法として「戦争」を好まないからだ。世界はすでに国家の論理ではないものによって動きつつある。二十四時間市場は、ネットワーク上の無数の多国籍投資家たちに支配され、もはや誰もコントロールしきれない。オリーブの木に象徴される旧い価値は、絶え間ない紛争を生んできたが、一方では文化や社会の安定ももたらしてきた。そして、グローバル化はそれらを破壊しようとする。新旧の価値が衝突するなかで、変化の巨大なうねりが世界を覆いはじめた。このうねりを乗り越えるための条件とは何か。

感想・レビュー・書評

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  • 賞味期限切れ本読破計画でやっと下巻を読破。
    著者が指し示したメタファーとしてのレクサスとオリーブの木というのは結構的を得ていて非常に興味深かった。この本が書かれてから約20年、そこまでの揺り戻しが起きてはいないかもしれないが、日本なんかは進むことを止めちゃったのかなという気がしなくもない。。。

    P.10
    フランスの哲学者モンテスキューは、十八世期に、国際貿易は国際的な”大共和国”を生み出す、と記した。この共和国は、あらゆる商人や貿易国を国境を越えて結びつけ、間違いなく、より平和な世界を確立する。また、『法の精神』のなかでは、こう書いている。「互いに通称を行う二国は、相互依存することになる。片方が買うことに利益を有し、もう一方が売ることに利益を有するなら、双方の結びつきは互いの必要性に基づいているのだ」そして、”商業はいかにしてヨーロッパの野蛮性を打ち破ったか”という題の章で、彼自身のビッグマック理論を唱えている。「人は、劇場にかられて邪悪になりがちだが、それにもかかわらず慈悲深く高潔であることが自己の利益になるような状況に置かれているなら、その人は幸せである」(中略)
    トゥキュディデスは、ペロポネソス戦争の歴史を綴ったなかで、国々は、名誉、恐怖、利害の三つの理由のどれかによって戦争に向かう、とのべた。そしてグローバル化は、名誉、恐怖、利害を理由に戦争を始めるときの代価を引き上げるとはいえ、これらの本能のどれひとつとして退化させる意図も能力もない。(中略)
    「単に、違う言語を話すのが大変だという理由だけではない」と、一九九九年八月六日号の「エコノミスト」詩に掲載された、地政学に関するエッセイは述べている。「ほとんどの人は、自分が根を張っている場所や、”われわれ”が”彼ら”にまじわって暮らすのをためらう理由について、はっきりした認識を持っている。逆に”われわれ”はあまり多くの”彼ら”が、自分たちにまじって暮らすのを望まない」(中略)
    グローバル化にもかかわらず、人々はまだ、それぞれの文化、言語、そして祖国と呼べる場所に愛着を抱いている。祖国のために歌い、祖国のために泣き、祖国のために戦い、祖国のために死ぬ。だからこそ、グローバル化は、地政学の教義に終止符を打たないのだ。(中略)
    ”グローバル化は、地政学の競技に終止符を打たない”。

    P.54
    モンサントのロバート・シャピロが、よくこう言っている。「人口に、中流階級の生活をしたいという人類の熱望に乗じて、現行の技術手段一式で除してみると、地球上の生命を維持する生態系に、支えきれないほどの圧力を加えていることになる。湖畔に住む三人の人間が、湖にごみを投げ入れても、たいして影響はない。三万人が投げ入れるなら、そんなごみを出さない方法か、ごみを処理する方法か、ごみを出す人間を減らす方法を考えるべきだーーそうしないと、湖がなくなってしまう」

    P.72
    思うに、最も重要なフィルターは、”グローカル化”能力だ。わたしが定義する健全なグローカル化とは、ある文化がほかの強力な文化に遭遇した際、自分の文化に自然になじんで豊かにしてくれるような影響は吸収して、まったく異質なものは阻み、異質だが異質なものとして楽しみ味わえるものを選り分ける、という能力だ。グローカル化の目的は、グローバル化のいろいろな側面を、自分たちの国や文化を打ちのめさない方法、これらを成長させたり、より多様化させたりするような方法で、取り入れることにほかならない。
    グローカル化は実際はきわめて古い手法で、古代にまで、例えば、地方の文化がヘレニズム文化の広がりに遭遇し、それに打ちのめされずにできるだけ多くのものを吸収しようとした時代にまで遡る。ユダヤ教は、核となるアイデンティティをけっして失うことなく、何世代にもわたって、さまざまな国から影響を受けてきた宗教文化の典型例だ。わたしの恩師で律法学者のツヴィ・マルクスは、次のように述べた。「ユダヤ人が紀元前四世紀にはじめてギリシャ文化に遭遇したとき、ほぼ完全にゆだやの思考を吸収したものは、ギリシャ人の論理学だけであり、これは当時の聖書やラビの競技に融合された。
    ギリシャ人の論理学の吸収は、比較的たやすかった。なぜなら、当時のラビや聖書学者が行っていたことに、すなわち真実の修得に、構造的な連関があったからだ。健全な九州とは、社会が外部から何かを取り込んだとき、それを自分のものとして受け入れ、自己の基準枠に適応させたのち、外部から来たという事実を忘れ去れることを言う。これが怒るのは、吸収される外部の力が、自分の文化に潜在しているが完全に発達していないものに刺激を与える場合であり、このような外部刺激との遭遇が、潜在物を真に豊かにして、反映させる場合だ」

    P.175
    北京大学の国際関係論教授の袁明は、中国におけるアメリカ研究の第一人者だ。以前、彼女が語ってくれた話からすると、中国は、アメリカのグローバルな傲慢に対抗する唯一の方法は、自分自身も傲慢になって接することだと考えているらしい。「中国の政府首脳は、公の発言で”グローバル化”という語は使いません。”現代化”という語を使っています。これは、文化的な理由があるんですよ。前世紀、中国が砲艦にいよって無理やり国際社会に組み込まれてしまったという歴史上の教訓はいまだに中国人の心になまなましく残っています。グローバル化が象徴するのは、中国が求めていないのに、西側すなわちアメリカが押しつけてくるものです。これに対して、現代化は、自分たちが制御できるものです。国営テレビのチャンネルに、新年恒例のテレビ番組があって、これは一年のうちで最大級のテレビの催し物なんです。十億人近い人がこの番組を観ます。いつもは歌手やコメディアンが出てくるだけですが、三年前[一九九五年]、農村の両親がアメリカで学んでいる息子に電話をかけるという寸劇がありました。正月に、元気でやっているかと尋ねられた息子は、元気だと答え、アメリカで博士号を取ったら故郷に戻るつもりだと言います。両親はそれを聞いて喜びます。でも、一番記憶に残っているせりふは、両親が息子に、中国は多くの点でアメリカに劣らないほどよくなっている、と語るくだりです。両親は『おまえはアメリカ人に皿洗いなどをしてやった。今度はわたしたちがアメリカ人に来てもらって、皿洗いをしてもらう番だ』と言ったのです」

    P.263
    イリノイ大学名誉教授で、二十世期の世界史の権威、ポール・シュローダーは、以前こう話してくれた。
    「歴史をひもとくと、比較的平和な時期に、耐久力があって安定したまあまあの盟主が、調整を行い、ゲームに最小限必要な規範と規則を維持している。そして、その盟主はつねに、共通の費用について不釣り合いに大きな割合を支払い、征服の機会をむざむざ手放すなど、いろいろな方法でみずから抑制さえして、他社が憤りを暮らせずに、システムを許容できる状態でいられるようにする」(中略)
    「温和な覇権勢力が、システムを安定させ続けてる責任を負っていながら、そのために不釣り合いな費用を支払えないか、その意思がない場合、または、その覇権国が温和でなくなって自制を失い、略奪を行う場合、または、かなりの数の活動家が覇権国の規則に背き、覇権国に利益をもたらさない、これまでとは違うシステムを主張する場合に、問題が起こる」

  • インパクトは上巻の方が大きい。それでも21世紀幕開け前に日中のグローバル化進展の予測等、非常に興味深い。日本経済のグローバル化前夜ともいえる当時の世界観がよくわかる。

  • グローバル化が牧歌的に語られた時代のベストセラー

  • 275pages

  • 「グローバル化の汽車の運転席には誰も乗っていない」というフレーズにグローバル化が集約されていると思った。

    グローバル化=アメリカ化、ではなく単にグローバル化という流れの中で最も恩恵を受けているのがアメリカであるということ。

    そしてそれゆえの「責務」を果たさなければいけないと述べているが、現在の(執筆当時の)現地に足を踏み入れたこともない議員達にそれはできない、とも述べている。


    レクサス一辺倒でなくオリーブ的価値観も重要であり、その多様性を維持することがグローバル化を持続可能にする

    学術的ではないが、10年経つとそれが正解だと思える内容だった。

  • (「BOOK」データベースより)
    奇妙な事実がある。マクドナルドのある国どうしは、戦争をしないというのだ。なぜか。マクドナルドはまさにグローバル化のしるしであり、グローバル化世界の価値観は、問題解決の方法として「戦争」を好まないからだ。世界はすでに国家の論理ではないものによって動きつつある。二十四時間市場は、ネットワーク上の無数の多国籍投資家たちに支配され、もはや誰もコントロールしきれない。オリーブの木に象徴される旧い価値は、絶え間ない紛争を生んできたが、一方では文化や社会の安定ももたらしてきた。そして、グローバル化はそれらを破壊しようとする。新旧の価値が衝突するなかで、変化の巨大なうねりが世界を覆いはじめた。このうねりを乗り越えるための条件とは何か。

  • 上下巻読了。
    作者はニューヨークタイムズの記者。
    グローバル化によって世界はどう変わったのか。

    もう10年前の本だ。
    本書が執筆された後も、世界は大きく変わり続けている。
    それでもなお読むべき本。
    世界をどのように見ればよいか、という指南書。
    ただし、ややアメリカに肩入れしすぎている感はある。

    どこでどんなことをしていても、私は世界と繋がっている。
    そういった感覚を、持ち続けたい。
    そして、世界に対して影響を与えていたい。
    そういう視点からは、グローバル化はチャンスだ。
    まずは英語。そしてスペイン語。

  • 本書ではグローバリゼーションがもたらす弊害とそのアプローチを論じている。

    グローバル化があるからこそ発展があり、また、発展しないのは悪だという前提のもと、発展するためにはアメリカのような自由主義経済を取り入れ、リーダーが確固たる信念をもってそれを推進する必要があり、また、それに伴って生じる障害を政府によるセーフティーネットを持って解消する必要があると述べている。

    仮にアメリカが本当にどの国にとってもフェアな制度を構築できていて、かつ、その制度を維持できる社会システムがあるとすれば論旨に納得はできるが、現に、アメリカでは投資家と政府の絡みによって、さまざまな問題が生じている。

    食品で言ったらマクドナルドなどのファストフード企業によって引き起こされた問題が耳に新しい。

    正直言って、世界で真にフェアで自由な経済環境を実現するためには、そのシステムを包括的に管理することが前提として必要で、おそらくそれが本書ではアメリカなのだろうが、実際それに失敗している。また、その失敗の原因が必ずしもアメリカ以外の国が健全な自由主義経済を導入していないから、というわけでもない。むしろアメリカの各国に対する高圧的な態度によるところも多い。

    そもそも一国が他の国を包括的に管理するというのがおかしい話で。
    各国には各国独自のオリーブの木があり、また独自の背景がある。
    それを保護するためには垂直的(歴史的背景考慮)かつ水平的な(産業間、もしくは社会の中での位置づけを考慮した)独自の保護の仕方があってしかるべきだと思う。

    たとえば日本の農業。
    昨今TPPによって農業の門戸が引かれようとしているが、そもそも解放なんてしようものなら、単純計算してみても見ても日本の農業に全く勝ち目はない。とりわけ農業の門戸を解放しつつ、労働者市場、土地市場を開放なんてしてしまったら。。。日本の農業にはそういったアメリカの論理にとらわれない適切な保護の仕方が必要だと思う。

    ただ、情報・金融・政治がフラットになっていっているのは確かで、それがもたらす様々な現象の描写、考察は非常に素晴らしい部分も多かったと思う。

    例えば、後半の「破滅に向かうシナリオ」からは、著者がやみくもに論旨を展開しているわけでなく、きちんとグローバル化の弊害を認識しているように見受けられた。

    しかし、その弊害に対するアプローチに関しては、たとえば世銀の文化融資プログラムの事例のように、局所的な事例を強引にマクロに当てはめているような感じがした。そういった例を皮切りに、他処々の考察が粗いのでこの本の評価が芳しくないのかなぁと思った。

    ちなみに情報が少々古い部分もある。
    例えば紛争防止の黄金のM型アーチ理論。
    これに関してはすでに反証がある。

    読むときには少し構えることをお勧めする。
    また、反証している本もいくつかあるので読んだほうがいい。

    個人的にはグローバル化の一側面としてこの本を認識すれば楽しく読めるのではと思う。

  • 読書期間:2011年2月23日-3月8日

    原題『The Lexus and the Olive Tree』
    著者 Thomas L Friedman

    上巻に続いてGlobalとは何かを応えてくれます。

    上巻が国と国との比較等を例えたのに対し、
    下巻は個人の状況等を例えてGlobalとはと考えています。

    総じて「本当に10年前に発行された本じゃないだろう」と感じる程、
    ここ最近の出来事の様に思えてなりません。

    後半以降は只々著者がAmericanなのでUS至上みたいな感じで、気分を害しました。

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著者プロフィール

ニューヨーク・タイムズ コラムニスト
1953年ミネソタ州生まれ。ブランダイス大学を首席で卒業後、オックスフォード大学で修士号を取得(現代中東研究)。UPI通信に入社し、79年から81年までベイルート特派員。その後ニューヨーク・タイムズ社に移り、ベイルートとエルサレムの両支局長を歴任。その間、ピュリツァー賞を2度受賞。89年に帰国。95年からニューヨーク・タイムズ紙の外交問題コラムニスト。02年にテロ問題に関する執筆活動により3度目のピュリツァー賞。

「2021年 『遅刻してくれて、ありがとう(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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