銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794210067

作品紹介・あらすじ

なぜアメリカ先住民のほうが逆に旧大陸を征服できなかったのか?各大陸の住民の運命を決めたものとは?ピュリッツァー賞、コスモス国際賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 『銃・病原菌・鉄』は、その出版後すぐに、知識人層に広く積極的に受け入れられた。そこに含まれる人類史に対する包括的な論証と発想の面白さがその理由であろうが、もう一つ見逃してはいけないことは、多くの知識人にとって、著者の論理が人種間の能力差によってこれまでの歴史的な格差が生まれているのではなく、地理的要因という能力差に依らない偶然によって生まれたものであると自らを納得させるものであったということがその背景にはある。人は平等でなくてはならないという至高の原理を、ジャレド・ダイアモンドが論理的に証明してくれたのだから、これからはこの点については枕を高くして眠ることができるというわけである。それが、これほどまでに本書が深く世間に受け入れられた理由ではないかと考えられる。

    正確には本書は、世界を征服する「文明」が西洋において発生したのは、欧州に住んでいる人間が優秀であり創造的であったからだというのではなく、地理的環境からくる条件による影響が支配的である、という仮説を示したに過ぎない。また、人種間に差がないことを示したわけではない。しかし、我々人類の支配-被支配の歴史的過程が、人種間の能力の違いによって説明される必要がなくなっただけでも、それが不完全な仮説でしかないことを忘れさせてくれるくらい素晴らしいことなのである。

    本書に書かれている論旨は、注意深く読んでいくと、結論ありきの結果論と言われてもおかしくないところが少なくない。仮に、世界史の趨勢が人種間の能力差によって生まれた可能性が高いなどという結論が出たとしても、著者はそんな本は出さなかっただろう。もちろん、そういった方向え論旨を立てようとも証拠を探して配置しようともしないので、そんなことは起こりえなかっただろうが。
    むろん、著者のその意図は最初から隠されていない。なぜなら、この本に書かれていることを考えるきっかけとなったのが、パプアニューギニアの友人に、西洋人とニューギニア人とでここまで「持つもの」と「持たざるもの」としての差ができたのかという問いから来たと告白しているからである。本書の中では繰り返し、彼らの知性は、決して西洋人に劣るものではなく、かえって優秀であるとさえ言える、と言っている。生存に必要な条件が厳しいため、彼らの方が優秀だと語るときには、無意識的に優生学的な議論の罠にはまっていさえするようにも見える。

    この本の時代背景には、近年の遺伝子解析技術の目を見張る進歩がある。本書が書かれたときには、ヒトゲノムの全塩基配列を確定しようとするヒトゲノムプロジェクトが進行中(2003年に完了)であった。早晩、人種間の遺伝子の差や出自についても明らかになることが期待されもし、同時にまた怖れられてもいた。西洋文明が世界を支配したのは、それを産みだした人間に備わる遺伝的特質や傾向が見つかってしまうのではないか。そういった状況において、地理的要因によってそれらは説明可能なのだから、遺伝的差異などといったことは気にかける必要はないのだと言ってもらったのだ。

    その畏れを暗示的に示しているのは本書の中の次のような記述だ。
    「ミトコンドリアDNAを調べる分子レベルの研究は、最初のうち、現生人類のアフリカ起源説を示唆するものとされていたが、現在ではこの分子人類学の発見自体が疑問視されている。一方、生理考古学を専門とする学者のなかには、中国やインドネシアで発見された数十年前の人類の頭蓋骨に、現代の中国人やオーストラリア先住民のそれぞれの特徴と共通するところがあると指摘する人たちもいる。もしそれがほんとうであれば、現生人類の起源は、「エデンの園」起源説ではなく、複数地域での同時発生説を支持することになるが、どちらが正しいという答えはまだ出ていない」
    ジャレド・ダイアモンドがいち早く、その答えはなぜ世界が西洋文明によって支配されるようになったのかという問いとは関係ないことだと宣言したかったと想定するのはおかしなことではないだろう。それはまたジャレド・ダイアモンドにとってだけではなかったがゆえに、多くの人が彼の提示する仮説に飛びつき、そしてその仮説を真実だと信じたのだ。

    また、現時点では多くの専門家が同意するネアンデルタール人との混血について、本書では次のように記載されている。
    「ネアンデルタール人とクロマニヨン人とが混血したという痕跡は、まったくといっていいほど残されていない」

    マックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボのグループが、ネアンデルタール人と現生人類との混血の可能性が高いことを報告したのが2010年。たった10年少々で、ここまで断言したことが覆されることは科学の発展という観点からエキサイティングなことだが、著者がネアンデルタール人との混血を潜在意識で望まなかったこともまたここから示唆されるのである。なぜなら、西洋を特徴付けるものとしてネアンデルタール人由来の遺伝子が入りこんでくる可能性を排除したいという意向が潜在意識において働いていてもおかしくはないからである。その意味では、ネアンデルタール人由来の遺伝子が欧州以外のアジアや南北アメリカの現生人類にも引き継がれているという最近の研究結果は、ある種の人びとにとっては僥倖であった。一方で、アフリカ人には、ネアンデルタール人の遺伝子が含まれていない。その遺伝子は生存・繁殖に有利だからこそ非アフリカ人のゲノムの中に残ったという論理も成立し、その遺伝子がゆえに歴史の中で優位に立ったのだと解釈することも仮説として成立するのである。今般のコロナウィルスへの耐性が国によって違うことをネアンデルタール由来の遺伝子の可能性があるというニュースが流れたが、そういった議論はある種の「危険」を孕んでいたのである。

    以上のような背景・理由でもって、本書がダイアモンドの理論に有利な証拠だけを選択的に集めているかもしれないという可能性、悪意のない恣意的な論理が含まれている可能性、無視できないほどの単純化が行われている可能性、について念頭に置いて読み進められるべき本だというべきなのである。その論旨が、多くの識者に受け入れられているからといって、それを鵜呑みにするべきではなく、逆にだからこそ疑ってかかるべき理由にすらなるのである。出版当初、自分も含めて、かなり熱狂的かつ無批判に受け入れられた印象がある本書だが、20年を経た今であれば、もう少し慎重な評価を求める作品であると言える。

    この『銃・病原菌・鉄』出版のしばらくの後、専門を持ちながらも博識な知識を駆使して、いわゆるビッグヒストリーを描いた著作が何冊かベストセラーとなった。遺伝学関連の科学ジャーナリストのマッド・リドレーが『繁栄』(原著2010年刊)を出版し、経済学者のダロン・アセモグルは『国家はなぜ衰退するのか』(原著2012年刊)を世に問うた。超ベストセラーとなった歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(原著2014年刊行)はその代表例だろう。ユヴァル・ノア・ハラリはその後、『ホモ・デウス』や『21 Lessons』を出して、ビッグヒストリーをさらに未来の方向に進めた。

    一方で、ジャレド・ダイアモンドは、『文明崩壊』(原著2005年刊)で過去の事例分析を行い、そして、その後『国家はなぜ衰退するのか』をダロン・アセモグルと書くことになるジェイムズ・A・ロビンソンとの共編著として『歴史は実験できるのか』(原著2010年刊)を刊行し、『銃・病原菌・鉄』が結果論ではなかったのかという問いに対して、自らその証明を模索したのである。その後、『昨日までの世界』(原著2013年刊)で、世界にいまだ残るが恐るべき速さでなくなりつつある原始社会を分析し、『危機と人類』(原著2019年刊)では、近現代における国家的単位での歴史事例の分析に向かったのである。それらは彼が『銃・病原菌・鉄』で提示した理論にとって、少なくとも彼にとってはいずれも切実な問題だったのである。その意味で、ジャレド・ダイアモンドは学者として誠実であると言ってよいのではないか。少なくともユヴァル・ノア・ハラリが進んだ道との差について、それがよいとか悪いとかではなく、地理学者・鳥類学者としての出自と、歴史学者としての出自の差を見るべきなのかもしれない。

    本書でも最後まで課題とされていたのが、同じユーラシア大陸に位置する中国と西ヨーロッパとの歴史上における差異がなぜ生まれたのかである。そこまでは栽培に適した植物や家畜化可能な大型哺乳動物の存在によって、比較的きれいに整理されていたものが、中国の分析になると筆の鈍りが感じられる。中国が揚子江と長江に挟まれた比較的地理的な障壁が低く、統一国家が生まれやすく、それが国家共同体間の競争を産むことを妨げた。一方でアルプスや川など地理的に統合が難しいヨーロッパで複数の国家共同体が競争したことで、西洋文明とそのグローバル展開が生じたと結論づけてはいる。やはり、そこでも地理的条件が要点になるのだが、論理的にどこか無理が生じており、またそのことは著者もきちんと意識をしているのである。

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    『超訳 ヨーロッパの歴史』の著者は、なぜヨーロッパ文明がどこよりも早く最初に産業革命・科学革命に辿り着き、世界を席巻する結果となったのかと問うた。そしてその答えは、最初に辿り着いたのではなく、奇妙なその独特さからこそそこに辿り着いたと結論付ける。おそらくヨーロッパ文明がこれほど獰猛であったことは、『銃・病原菌・鉄』ではカバーしきれないテーマであったのだろう。

    今となっては批判的に読まれてもよい本。またそれがおそらくは、著者の意志に添うものでもあるのだ。

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    『銃・病原菌・鉄 (上) ― 1万3000年にわたる人類史の謎』(ジャレド・ダイアモンド)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4794210051

    『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの(上)』 (ジャレド・ダイアモンド)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4794214642
    『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの(下)』 (ジャレド・ダイアモンド)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4794214650
    『危機と人類(上)』 (ジャレド・ダイアモンド)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4532176794
    『危機と人類(下)』 (ジャレド・ダイアモンド)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4532176808
    『昨日までの人類(上)―文明の源流と人類の未来』  (ジャレド・ダイアモンド)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4532168600
    『昨日までの人類(下)―文明の源流と人類の未来』 (ジャレド・ダイアモンド)のレビュー

    『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(上)』 (マッド・リドレー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152091649
    『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(下)』 (マッド・リドレー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152091657

    『国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源』 (ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152093846
    『国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源』 (ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152093854

    『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』 (ユヴァル・ノア・ハラリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/430922671X
    『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』 (ユヴァル・ノア・ハラリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309226728
    『ホモ・デウス (上): テクノロジーとサピエンスの未来』 (ユヴァル・ノア・ハラリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227368
    『ホモ・デウス (下): テクノロジーとサピエンスの未来』 (ユヴァル・ノア・ハラリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227376
    『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』 (ユヴァル・ノア・ハラリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227880

    『超約 ヨーロッパの歴史』 (ジョン・ハースト)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4487811996

  • ようやく下巻読み終わりました。
    上巻は家畜を飼うことによって感染症が多く発生し、その感染症の耐性を持つヨーロッパ人(スペイン人)が南北アメリカのインカ、アステカ帝国に渡ったとき、多くの現地人が感染症で命を落としたところまで書いて終わっていました。

    下巻は文字が生まれた地域とそうでない地域の話しから始まります。そもそも文字が必要にならなかった地域。つまりは狩猟採集で暮らしている人が住む地域では文字は必要にならなかったので、文字は生まれなかった。農耕が早くにいきわたった地域では人口が増え、上下の差が生まれ、人々を支配する階級が出てくると支配するルールを広く浸透させるために文字が必要になり、文字が生まれてきた。メソポタミアのシュメール人、エジプト人、メキシコの先住民が作り出した文字は独自に作り出されたものとされている。

    という話しから始まって、その後地球上の大きな大陸(ユーラシア、アフリカ、アメリカ、オーストラリア)ごとに発展の違いがどこから生まれたか、についての考察が進む。

    結論としては、第二次大戦下のナチスドイツのような人種による優劣というのはみとめられず、ただただその地域の環境によるものだ、というのが著者の考え。

    環境といっているのは、まず栽培化できる作物がそもそもあったかどうか。もちろんその地域の気候にも左右される。それから、家畜にできる動物がいたかどうか。南北アメリカには家畜にできるような動物がほとんどいなかったため、先住民(インディアン)はヨーロッパから来た人たちに侵略されてしまったという。インディアンは、馬に乗って雄々しく戦っているイメージだが、もともとは馬を家畜として飼ってはおらず、ヨーロッパから馬が入ってきてから、それを使いこなすようになったとのこと。栽培化できる作物があって、家畜がいるってことは農業しながら豊富な栄養素をとることができたということ。そうすると、狩猟採集していた時代より人口が増える。人口が増えるとやがて集団を形成する。形成した集団が大きくなるとやがて国家を形成する。国家ほどの大きさになると多くの人民を使って灌漑を作ったりすることができ、より発展する。そして文字も浸透し、さらに発展する。

    発展した技術は人が移動することによって伝播する。アフリカ大陸や南北アメリカ大陸は南北に長い。しかも途中で行く手を阻む障壁がある。アフリカ大陸は中央部にいたツェツェバエがそれより南に行くことを阻み、アメリカ大陸はそもそも地形的に中央できゅっとすぼんでいて南に行けない。でも、ユーラシア大陸は東西に長くいく手を阻むものが少ないため、農業やその他の技術が伝播してそこここの地域が発展した。

    そうして一足早く発展した地域の人たちが、その時点で遅れを取った地域を侵略し、またたくまに原住民を駆逐してしまった。結局は環境の差なんだ、と。駆逐された地域には「銃」も「病原菌」も「鉄」も無かったんです。

    家畜がいることで感染症の耐性が遺伝子に書き込まれたってのには驚かされました。でも、確かにそうかも。ユヴァル・ノア・ハラリからジャレド・ダイヤモンドにやってきましたが、とっても興味深く読めました。訳も読みやすかったと思います。

  • ⑦文字の広がり
    文字が広がっていった社会とそうでない社会があるのはなぜか?
    文字は最初、用途が限定されており、選ばれた者(余剰食料を管理する官吏)しか使えなかった。それが大衆に使われるようになり、ようやく曖昧性を減少させる方向(複雑な象形文字から音素文字)に向かった。
    文字形成は複雑であり、多くの国が自作せず他の社会から文字を借りているが、ここでも、自然環境上の障壁が伝播の速度に影響を与えた。

    ⑧技術発展のスピードの差
    技術に対する革新的社会や保守的社会は、どの大陸のどの時代にも存在する。技術自体の受容性だけによって、先進的な国と後進的な国が分かれたとするのは早計である。
    技術や概念といったものは「実体の模倣」か「アイデアの模倣」のどちらかで伝播する。ある発明を知った人が、それがうまく働くことを知っているにもかかわらず、独自に発明することは考えにくい。
    「実体の模倣」の場合入手可能な情報が詳細に模倣され、一部修正改良を加えたうえで使用されるので、その成果物はオリジナルと非常に似たものになる。
    「アイデアの模倣」の場合基本的なアイデアだけが模倣され、その成果物はオリジナルに似ることもあればそうでないこともある。発明は難易度が高いため、他者からの模倣がカギを握る。
    技術の発達の度合いも地理的要因によって決まる。伝播による新しい技術の習得がもっとも可能であった社会は、大きな大陸に位置していた社会だ。
    また、新しい技術は次なる技術を生み、技術は加速度的に発達していく。大陸ごとの面積や人口や伝播の容易さや食糧生産のタイミングの違いが、技術自体の自己触媒作用によって、時間の経過とともに増幅されていった。そしてこれが、ユーラシア大陸の人々にとてつもないリードを与えた。

    ⑨平等な社会と集権的な社会
    社会は規模に応じて、小規模血縁集団、部族社会、首長社会、国家と別れており、規模が大きくなるにつれだんだん集権的になり、階級が生まれ、労働の分化が進む。血縁関係による官僚制から能力による官僚制が起こる。トップ層が多数の平民をどう従えるかは国によって異なり、武器の取り上げ、富の再分配、イデオロギーや宗教によるエリート階級の正当化、などがある。
    最初は小さな集団がどのようにして大きな国家に変化していったのだろうか?
    それは食糧生産と人口増加が互恵関係にあり、互いに発展していったからだ。
    人口の増加が、集権化された社会を生み、公共建造物の建築を可能とした。これにより食糧の生産が助長され、さらに人口増加に繋がった、ということである。
    人口密度が高くなると、定住生活が必要になる。定住生活が原因となり、病原体が現れ、文字が発明され、技術革新が起こり、集権的な政治組織が現れ、征服という行為が可能になった。

    ⑩オーストラリアとニューギニア
    何故、オーストラリアとニューギニアは世界で最も遅れた大陸だったのか?
    オーストラリアの社会もニューギニアの社会も、アジア大陸を起源とはしているが、アジア大陸の社会からは孤立した状態で発展してきた。
    オーストラリアとニューギニアは、気候、起伏、降雨量、季節変化、土壌が全く異なる。互いは長い間異なった環境のもとで孤立してきたのだ。
    ニューギニアは、肥沃三日月地帯や中国と同様に、植物の栽培化を独自に始めた場所だということが分かっている。農耕や漁労の発展により文化的に進んだ地域であったが、金属器、文字、国家を持たなかった。
    それは、①栽培可能な食糧が低タンパクだった②利用可能な土地に限界があった③集約的食糧生産に適した場所が無かった ことが要因である。
    以上の理由により、ニューギニアの人口は少ないままであり続けた。人々が小規模集団に分かれていただけでなく、地理的にも隔絶されており、技術やアイデアが到達しにくい地域だった。
    同様に、オーストラリアは世界の大陸の中で最も過酷で、土壌が不毛で、栽培可能な野生植物がいない。植物が育たない土壌では狩猟採集民として生きざるを得ず、人間集団同士も孤立して生活していた。これが金属器や文字システムや複雑な社会システムを持たなかった原因だ。
    後世になり、オーストラリアはヨーロッパ人に支配されたが、ニューギニアには定住できなかった。オーストラリアはヨーロッパ人たちの食料生産の方法に適した土地が一部あったが、ニューギニアにはヨーロッパの食べ物は根付かなかった。また、ヨーロッパ人の病原菌によってアボリジニが砂漠に追い払われたが、ニューギニアは入植が遅く、病原菌に抵抗力をもっているばかりか、逆にマラリアによってヨーロッパ人を死に追いやった。
    ヨーロッパ人は、熱帯東南アジアや太平洋諸島に到達した当初、技術面やその他のさまざまな面で有利な立場にあったことを背景に、一時的に植民地支配を確立することができた。しかし、ニューギニアにおいては、原住民がすでに食料生産を行って生活していたことや、土地固有の病気に抵抗力を持っていなかったことが災いし、大挙して入植はできなかった。ヨーロッパ人が入ってこれたのは、ニュージーランドやハワイといった、ヨーロッパに似た温帯気候の地域であった。

    ⑪新世界と旧世界の激突
    ヨーロッパはアメリカ大陸征服したが、何故、アメリカ先住民はヨーロッパを征服できなかったのか?
    まず1942年当時、南北アメリカ大陸では大型動物が絶滅してしまっていたため、家畜が少なく、軍事力が弱く、病原菌の数もユーラシア大陸と比べて少なかったことが挙げられる。
    また、食料生産の面でも、アメリカは低タンパク植物を栽培しており、単位あたりの収穫量にも差があった。ユーラシア大陸のほうが昔から農業生産をしていたため、技術に富み、労働の分化や集権化が進んだ。金属技術、軍事技術、航海術の大きな差はここから生まれている。対するアメリカにも車輪などの技術はあったが、彼らの社会は孤島のように分断されていたため、技術が後退し無くなってしまった。
    また、ユーラシアは多くの国を征服し政治的複合体を形成していた。特定の宗教を国教と定め、指導者階級の存在理由や多民族に対する征服戦争を正当化していた。文字を読み書きできる人間が官僚として存在していたため、知識が人々に伝播された。

    まとめると、アメリカ大陸は地理的要因により栽培化できる植物が不足していたため、発展が遅れた。ユーラシアはその間にスタートダッシュを決めており、どんどんスピードを加速していった。そしてヨーロッパ人は、自らの軍事力と政治力の高まりによりアメリカ大陸に行き着くことができ、自らの食料生産力が発揮できるような温帯地域に上陸して、自らの病原菌を効果的に使って「先に」征服したのだ。


    【感想】

    何故現在の世界は、今のような格差が出来上がったのか、先進国のほとんどはユーラシア大陸に位置しているが、これがアフリカ大陸や南アメリカ大陸で無かったのは何故なのか?

    筆者の主張は次の通りだ。
    ①大陸が伸びる方向により差が生まれる。ユーラシア大陸のように東西に伸びていれば、どの地域でも気候がおおむね同じであり、植物や動物の分散が容易になる。
    ②栽培・家畜化に適性ある野生種の数の多さによって差が生まれる。ユーラシア大陸は野生種の数が多い一方で、アメリカ・アフリカ大陸は少なく、狩猟採取生活から定住生活に移るのが遅くなった。また砂漠や熱帯といった過酷な気候が生物相を分散させ、狩猟生活に留まらざるを得ない環境を作った。
    ③多くの栽培植物と家畜の存在が高度社会を育む。そこでは余剰食糧が生まれ、人々の人口密度が増す。農耕を行う人間以外を養うことも可能となり、首長・司祭・神官・技術職といった多種多様な人々の集まりが、階層化された大規模社会を作る。
    ④大規模社会が国同士を強くする。大規模社会では技術が発達し、銃。鉄器、外洋船、航海術といった他国を征服する基盤が整う。同時に政治機構や文字といった文化的基盤も発達していく。また、大規模社会同士が隣接していると交流が生まれ、コミュニティ同士の関わりがさらに技術を伝播し、社会をより大きくしていく。
    ⑤人々が過密になることで生まれる病原体が、征服の下地を作る。疫病の多くは家畜から伝染するものであり、一足先に人口過密となったユーラシア人は、疫病への抵抗力を持っていた。これが過疎地域のアメリカ大陸原住民に襲いかかり、征服を可能とした。

    筆者はエピローグで、「何故中国ではなくヨーロッパが主導権を握ったのか」を取り上げていた。筆者は船団派遣の中止といった政治的争いに着目し、「中国では地域間の地理的結びつきが強すぎて、かえって政治的な強権を生み、国の技術が後退してしまった」と述べている。
    政治の統一不統一を地理的要因と結びつけているが、ページ数が少なく記述が駆け足なこともあり、この箇所を読んだだけではいささか腑に落ちない点がある。
    この箇所に疑問を持たれた方は、ダロン・アセモグル著「国家はなぜ衰退するのか(上・下)」を読むことをおすすめする。ダロンはジャレドとは異なり、「国において格差が生じているのは、地理的要因ではなく、制度や政治の問題である」と述べている。「貧困国の経済的障害は、政治権力が限られたエリートによって行使され、独占されていることから生じている」と結論づけており、ジャレドと同じテーマを論じているものの目線が違っている。より広い見識を持ちたい方にぴったりの書である。

  • 上巻が積読なので合わせて積読。

  • 今日の世界情勢を形作る要因となった人類の歴史を紐解き、なぜユーラシア大陸における農業や工業が早期に発展し、他の大陸ではそれが起きなかったのかを解明した一冊。(上下2冊)

    著者の分析では、人類発展の歴史が狩猟採集民族から始まった点は全ての大陸で共通している一方、ユーラシア大陸の肥沃三日月地帯に栽培可能な植物と家畜化可能な動物が数多く存在していたことにより、人類の定住化がいち早く可能になり、さらにはユーラシア大陸が東西に長い形状だったことにより、それらの農作物や家畜が同様の気候を持つ他の地域に容易に伝播したことが、同大陸における人口密度の拡大とそれに伴う文字や技術の発達、伝染病に対する集団免疫の獲得に繋がり、結果として他の大陸を侵略するための競争優位に繋がったという。

    今日の欧米諸国の政治や経済、文化が支配的な世界においては、ともすればヨーロッパ人種の生物学的優位性といった概念が人々の間で無意識に浸透し、それが差別的言動に繋がる場合もあるが、著者の主張は人種間に能力や資質の違いはなく、今日の地域間の発展の不平等は、単に地理的偶然性がもたらした結果に過ぎないことを明確に示してくれる。

  • ・何故世界はかくも不均衡な状態(ヨーロッパとアメリカを中心とした先進国と発展途上国)にあるのだろうか?スペイン人はインカ帝国・アステカ帝国を滅ぼしたが何故、逆にインカ帝国・アステカ帝国がヨーロッパを滅ぼすようなことが起こらなかったのかを突き詰めた本。
    ・最終氷河期が終わった1万3000年前の地球は、食料採集民族しか存在せず似たりよったりであったはず。どこで差が生じたのか。
    ・着眼点を民族としての優劣ではなく、環境に当て根本原因から解き明かしている力作。
    ・多様な家畜、食料の野生→東西に伸びる大陸→食料生産の開始(容易性)→人口の増加・集中→疫病への発生・免疫性の獲得→政治組織・分業・道具・武器のイノベーション→文字の発明といった流れで全体が説明されている。
    ・中国も西アジアと同様の時期に食料生産を開始しながら、世界の覇権を取れなかった原因が、統一国家であるが故に唯一の王が間違った判断をしたためイノベーションが停滞した時期があったことによる(ヨーロッパは統一されたいたことは一度もない。)といった理論が面白かった。この部分はもっと掘り下げて考えてみたい。
    ・橘玲氏も「(日本人)」で、大陸が横に長いユーラシア大陸が、食料生産が伝わるという上では有利だった(気候帯が似ているから)と記述しており、本書を参考にしていると思われる。

  • 下巻は主に地政学と人種かな。
    結局タイトル回収ってあとがきにしか表立ってはしてなかった気がするから、あまりスペインによるインカ帝国制圧よりもそれに至る経緯の話だよね。
    まあ人類史だもんね。

    私の手札が「サピエンス全史」しか無いのでそれとの比較しか出来ないけど、それに比べると深く狭い地域のことを人類史に当て嵌めた感じがして、もっと俯瞰的な情報であれば良いのになと。

  • 『感想』
    〇おもしろいのだが難しい。そのため上巻を読んだ後下巻を読みだすのに半年ほどかかってしまった。

    〇結論は上巻から言っていることで、それを地域ごとに立証している。何よりも食糧生産ができることが第一歩で、そうすれば人口が増え、食料が保存できるようになれば生存に直結しない職に就ける人もでき、新しい技術も生まれる。家畜を育てられるようになるとさらに生産力が上がる。家畜と暮らすと病原菌が人間にも移り、そこから耐性が生まれる。

    〇ある程度対等な成長をしている集団同士ならば交易ができ(これがヨーロッパなど)、差がある集団は支配ができる(南北アメリカやアフリカ、オーストラリアなど)。

    〇結局はヨーロッパ諸国が世界を席巻したのだが、これは人種として優れていたわけではなく、気候等が同じで食糧生産の継続が可能だったユーラシア大陸という地理的条件が一番の優勢だったことである。その意味では中国が支配してもおかしくなかったが、ここは政治体制が1つでありすぎたため、全体として成長も早いが、減速も全体に広まってしまうため結果としてうまくいかなかった。この本の発売時点ではこうだったが、現在は成長期なため逆転するかもしれない。

    〇人の流れを考えたときに、言語学的証拠から推定していくことができるということが、考え方としてすごいと感じた。色々な証拠を集めることで、今は分からないことが将来わかるようになっていくのだな。

    〇人類史を見た場合に地理的条件が主な要因だということがよくわかったが、これは身近なところで仕事のできる出来ないから人の社会的価値が決まってしまうような現代の流れも同じなのではと思った。お金を稼げる仕事に就けるのは、自分の能力以上に生まれた地域に依存しているし、たまたま育ってきた教育環境や運よく出会えたメンバーによって、将来は分岐している。その後に就いた仕事にしても、結局は実際に働いてみないと自分と合うかどうかはわからないから、うまいことフィットした場合、仕事が他の人より順調に進み、収入も上がり社会的地位も上がっていく。

    〇決して本人の努力や能力を否定するわけではないが、偶然の要素は重要だし、だからこそ良い運を自分に引き寄せる力も必要となってくるな。

  •  ようここまで広範囲のことを1人で書けるなと感心しながら読んだ。

  • ずっと読みたかった本だが、たまたま向かいの主人が引越の際に譲ってくれたのでゆっくり手にとることに。

    本書について言えば次のような要約になるー「歴史は、異なる人々によって異なる経路をたどったが,それは、人々のおかれた環境の差異によるものであって,人々の生物学的な差異によるものではない」

    因果関係のつながりは双方向に働き,原因が結果であり結果が原因であるのが一般的である。

    なぜ世界各国の発展は不均衡になったのか。
    すごく興味深い名著。
    蔵書。引用省略

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著者プロフィール

1937年生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校。専門は進化生物学、生理学、生物地理学。1961年にケンブリッジ大学でPh.D.取得。著書に『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』でピュリッツァー賞。『文明崩壊:滅亡と存続の命運をわけるもの』(以上、草思社)など著書多数。

「2018年 『歴史は実験できるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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