ドキュメンタリーは嘘をつく

著者 :
  • 草思社
3.56
  • (18)
  • (25)
  • (66)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 254
感想 : 23
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794213891

作品紹介・あらすじ

ドキュメンタリーとは事実の客観的記録である-ほんとうにそうなのだろうか?すべての映像は、じつは撮る側の主観や作為から逃れることができない。ドキュメンタリーを事実の記録とみなす素朴で無自覚な幻想からは、豊かな表現行為は生まれようがない。だが、撮ることに自覚的で確信犯的な作品の中には、観る側の魂を鷲づかみにしてきたものが多々ある。本書は、ドキュメンタリーというものが拓いてきた深甚な沃野に向き合い、その悪辣で自己本意で、自由で豊潤な表現世界の核心へと迫るものである。たんなる映画作品論ではない。この現実世界の見方そのものを揺さぶる鮮烈な論考である。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ふむ

  • 一気に読めた。面白い。


    結局ドキュメンタリーというのは世間で認識されているほど“事実”に忠実でないわけで、そこには大きな制作者の作為が入っている。その作為こそが視聴する側が一番面白がるべきところで、作り手の意図を汲み取り、受け取ったメッセージで他の制作者との差別化を図ることの必要性がある…その根拠をもう少し書いてほしかった。(一言でいうと、媒介する人間の必要性って何?)

    “やらせ”かどうかは制作者の判断に委ねられる。っていうのがとっても面白かった。
    この本が書かれた時代と今は、状況が違っているけども、本から伝わる葛藤はこの時代にもまだ残っていると思う。森さん、コロナをテーマに何か作ってくれないかなーーー!!!

  • ドキュメンタリーという名のジャンルにある作品を木っ端微塵に打ち砕く---と思って読んだ本。ぜんぜん違いました。
    ウーン、考えさせられる。そもそも著者は『ドキュメンタリというものはドラマと違いはないのだ』という観点から攻めてくる。演出、脚本、演技はドキュメンタリにもある。ただし、その元になっているのが、実際に起こったことを記録、あるいは起こると予想することを取捨選択し、ディレクタ(と呼ばれているのかな?)が表現するために使ったという手段が異なっている点だけ。ようするに素材が違う。これはやはり作る側の論理ではなかろうか?

  • ドキュメンタリーと報道は全く正反対の性質のもの。
    日本のテレビドキュメンタリーは客観性、中立性、公正中立主義、客観主義とうたうが、ドキュメンタリーは本来作者の主観が入りこむもの。撮る側と撮られる側の交流の中で、価値が生み出されるということ。
    という主張にいままでモヤモヤしていた頭が晴れる思いがした。
    ただ、報道も同様であろうと思うとどこまでがドキュメンタリーでどこまでが報道なのだろう?というところに興味がわいた。
    先人のドキュメンタリー作家たちの、コアな意思が良く出ていて、ドキュメンタリー作品に興味がわいた。

    <本に出てきた気になった作家>
    小川紳介
    土本典昭
    原一男

    アン・ホイ
    イ・ホソプ
    スティーヴ・ジェイムス
    キム・ドンウォン
    エロール・モリス
    フレデリック・ワイズマン
    ワン・ビン
    アヴィ・モグラビ

  • 図書館で借りた本。

    んー、氏の本はこれで5冊目だが、これはあまり面白くなかった。なぜだろう?ドキュメンタリー映画にあまり興味が無いから?それとも最初の時点で氏の考えが分かってしまって、この本は結局その繰り返しだって読みながら思ってたから?

    わたしの周りにカメラを回している人がいて、その人を思いながら読んだ。

  • 大学1年生の時、マスコミュニケーション論の授業で使われ興味を持ち、読んだ本。これに関連して見た映像で衝撃を受けたことを今でも覚えてる。

  • 森さんに会ったことがある。ゲストとして大学に招かれ、講義を聞いたときだ。
    淡々としゃべり、声が低く特徴があった。物静かな印象を受けた。

    ドキュメンタリーに真実はない。
    ドキュメンタリーというのは、作り手の主観を基に現実を再構築したものだ。そのなかに作り手の世界観が現れ、現実世界のひとつの見方が表現される。それがドキュメンタリーの面白みであり、醍醐味である。
    けど、特にテレビは客観公正中立という建前に逃げ込み、映像とはなにか、ドキュメンタリーとはなにか、と考えることを放棄している。

    考えさせられる論考ばかり。読めば読むほど、いまのメディアの問題点が見えてくる。

  • “放送禁止歌”“と“職業欄はエスパー”を紹介したドキュメンタリー監督+作家の森達也さんの本。内容はズバリ『ドキュメンタリーって何?』。

    私は今まで『ドキュメンタリー』=『ノンフィクション(嘘が無い)』だと思っていたけれど、この本のタイトル通り『ドキュメンタリーは嘘をつく』と著者は言う。ドキュメンタリー映画というものが生まれてから、現代までの数あるドキュメンタリーのなかで、演技をしたもの、シナリオが存在するもの、出演者全て役者で『存在しない家族』を撮ったもの、様々な作品があって、『ドキュメンタリー』=『ノンフィクション(嘘が無い)』という定義なのであれば、これらはいずれも『ドキュメンタリー映画』とは呼べない。リアルや真実を伝えるもの、がドキュメンタリーではないんだ?役者もシナリオもあるんだったら、フィクション映画とドキュメンタリーの差って何?

    ドキュメンタリーは、『撮られる側』と『撮る側』の関係を撮るもの。と著者は言う。本のなかでいろんな表現があったけど、そうか、ドキュメンタリーって、瞬間、瞬間お互いが作用し変化していく『フリージャズ』みたいなものなのかな、と思った。映画をつくる人は『素材』を見つけて、この素材だったら、こんな演奏が出来るだろうと予測する。こんな仕掛けをしたら、もっと面白い演奏をしてれるんじゃないかと思う。演奏はナマモノで、内容は環境、その人の性格、内面、クセひとつひとつが滲み出てくる。それを撮る。素材はこういう演奏をするだろうと思っていたら、(撮る側を意識して)急に自分の想像を超える演奏をすることもある、すごくくだらない演奏をすることもある。それを撮る。撮る側はそんな演奏を聞きながら、びっくりしたり、混乱したり、喜んだり、絶望したり、自分の内面に気付いたり、変化したりする。あれはカメラアングルひとつ、編集ひとつに滲み出る。その間の、カメラを持つ『人間』と撮られる『人間』の関わり合い、それを『撮る側の意向』を元に作品としてまとめられた、手の加えられたもの、がドキュメンタリー映画なのかな。…とにかく、ドキュメンタリー作品というものが、すごく『超個人的視点のもの。クリエイティブなもの。偏ったもの』で『真実、中立、正義感的』なものからは遠いものである、ということはなんとなくわかったかな。だいぶ本の内容と違っているかもだけど、私がこの本を読んで感じた『ドキュメンタリー』ってこんなカンジ。

    嫌なところも醜いところも、きれいなところも可愛いところも、嘘をついたところも、演技しているところも、すべてひっくるめてひとつの人間で、すごく曖昧なもの。とても“正義”“ラブ&ピース”“平等”なんて言葉で言い切れない。その曖昧な人間同士のリアルな作用する姿を、カメラはすごい細部まで記録する。頭のなかではキレイに蓋をしていることも、それは違うんだ、人間はもっと醜くて曖昧な生き物なんだ、ということをカメラは映す。それを『撮る側』の超個人的な“独断、偏見、意志”のもと、加工される。そう思うと、撮る側のエゴで、被写体(場合によっては一般人)というひとりのリアルな人間を材料に作品を表現する『ドキュメンタリー』って、かなり“グロい”作品だなあと思った。作品を絵画に例えると、絵の具が生身の(撮る側も含めた)人間なんだもんなあ。

    わたしは今まで“正義や平等などの『きれいな言葉で物事の決着をつける世界』の住人”で、その人間の曖昧さと、曖昧同士の関係を、蓋をして、逃げて生きてきたんだ、改めてと気が付いた。ドキュメンタリー映画を鑑賞するのが正直恐い、と感じていた私は、そんな曖昧な自分と向き合うのが恐ろしかったんだと思う。とにかく観ないとそんな自分は変わらない、と思った。

  • 05/17 せんげんカメレオン ¥105

  • 何とレビューを書いていいのか・・・
    ガツンと来ます。彼の言葉がすごくわかりやすい。
    私の抱くモヤモヤをガツンと活字で手渡してくれる。

    所謂メディアに疑問を感じる人はその答えが見つかると思います。
    所謂メディアに既に魅力を失っている人は、その原因を再確認することになると思います。
    所謂メディアに拮抗しようとする人は、、、

    世間や組織やはたまた個に埋没せず
    エゴイスティックに撮りましょう。

全23件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森達也の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×