徳川慶喜家の子ども部屋 (草思社文庫)

著者 :
  • 草思社
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本棚登録 : 58
感想 : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794218926

作品紹介・あらすじ

最後の将軍慶喜の孫娘に生まれ、高松宮妃殿下を姉にもつ著者が小石川第六天町の三千坪のお屋敷で過ごした夢のような少女時代を回想する。高松宮妃となる姉上が嫁ぐ日の記憶、夏休みの葉山や軽井沢へのお転地、四季折々の行事や日々の暮らしを当時の日記や写真とともに振り返る。戦前の華族階級の暮らしを伝える貴重な記録であり、四百年近く続いた将軍家に生まれた一人の女性の生き様を記した回顧録である。

感想・レビュー・書評

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  • 学生の頃、歴史の授業が全然おもしろくなかったわたしでも読了後に徳川の家系のことを調べたり、屋敷はまだ残っているのか見られるのか(残っていなかった)を調べるくらいに面白かった。幼少期から少女期の断片的な日記と、著者の記憶による自伝であり、日々暮らしたことを綴っている。徳川家最後の将軍の孫の暮らしとは?と身構えたが、お屋敷内に住む家族同然の付き人たちと遊んだり、年中行事をこなしたりと結構楽しそうだった。浮き世離れ感は多分にあったが。将軍って本当にいたんだな…百十年前にはまだ生きていたんだなと思うと、急に身近な存在になった。歴史の一部としてではなく、生身の人間として人物を掘り下げると歴史は面白いと思った。

  • とても興味深い内容でした。
    昔のお金持ちってとてつもなくて、格差は物凄かったんだと思い知らされる本です。

  • 渋沢栄一を読むと随分渋沢は徳川慶喜に恩義を感じているようで、徳川慶喜にも興味を持ち読んでみた。

    慶喜の孫として大正10年に生まれた著者の少女時代から姉や兄の結婚、母の死、自身の結婚まで、小石川の三千坪の敷地に千坪の家屋でおよそ50人の使用人と暮らす生活を綴っている。

    明治維新後、秩禄処分のあと華族たちは収入は何から得ていたのか、知識不足のため疑問なのだ。だがこの徳川慶喜家に関しておもしろい記述があった。静岡から東京に移った頃(明治30年)は、徳川宗家からの「お仕向け」だけで暮らしていたが、「この苦しい切り盛りを陰で支え、お家の基礎を作ったのが、一ツ橋家家臣でもあった実業家、渋沢栄一翁だった」というのだ。そうか、なるほど。

    著者が育つ時「古沢」という幼児の頃から祖父慶喜公にお小姓として仕えた者がおり、「渋沢のご恩をお忘れになってはいけません」と、古沢は渋沢さんの話が出ると必ず言ったとある。渋沢氏は夫妻で小石川にもみえ、著者も家族で渋沢の飛鳥山の自宅に招待を受け行ったことがあるという。白髪ででっぷりした方だったとある。

    中学の歴史の教科書に載っていた、慶喜が「大政奉還」をする図、の絵の前で作者の邨田丹陵(むらたたんりょう)と撮ったセーラー服姿の著者と兄妹の写真が載っている。昭和10年10月とある。2年前初めて神宮外苑の絵画館に入ってこの絵があったのに驚いた。この本を読むと邨田氏は著者の絵の先生で、もともと絵画館に収めるために依頼したもので14年の歳月をかけて仕上がったものという。


    メモ
    著者は慶喜の孫。徳川宗家は慶喜のあと徳川家達(田安徳川家)が継ぐ。慶喜はそれとは別に自身の「徳川慶喜家」とした。慶喜の後は慶久(母は側室、新村信で慶喜の7男)が継ぐ。その慶久の子である。大正10年生まれ。慶喜は大正2年に亡くなっている。

    慶喜は慶応4年、宗家が静岡に移封されるのに伴い静岡に行き廃藩置県後もずっと静岡に居たが明治30年東京に移動し小石川・第六天町に屋敷を構えた。敷地三千坪、建坪千坪の屋敷。著者が育つ時、身内は8才上の兄・慶光と10才上の姉喜久子(後に高松宮妃)、1歳下の妹。父は著者1才の時急死し、母も著者が12才の昭和8年に癌で亡くなってしまう。が、屋敷には屋敷の管理、経理、外交などをする男性、運転手、コック、植木屋、大工、請願巡査、風呂焚き爺。女性は総称「お次」といい、母や子供にそれぞれ専任の者がいた。そのほか台所にいる若い女中とご飯炊き婆、草取り婆2名がいた。台所や草取りの女性は「彼女たちはお目見え以下なので、ふだん私たちは顔を見ることはなかった」とある。・・江戸時代が息づいているようだ。

    旧小石川区小日向第六天町:現在の文京区春日2-8-9
    「徳川慶喜終焉の地」として石碑
    https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/ato/yoshinobu.html
     (今は国際仏教学大学院大学の敷地になっている)

    ※単行本 1996.11.17第1刷 1997.3.17第16冊 図書館

  • ■2012.07 新聞
    ●著者は最後の将軍の孫娘

  • (欲しい!/文庫)

  • 徳川慶喜さん自体がエピソードにそう頻繁に登場するわけではないけど
    当時の「華族」しかも、その中でも「元・将軍家」という特殊な家庭で育った人の
    生の言葉で綴られる思い出は
    ひどくあたたかい気持ちと切ない気持ちが混ざり合う読み応えでした。

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著者プロフィール

1921(大正10)年、東京小石川第六天町の徳川慶喜家に一男四女の三女として生まれる。父は慶久、母は有栖川宮家から嫁した実枝子、姉は高松宮妃殿下喜久子様。女子学習院を経て、1940(昭和15)年、越後高田藩の元譜代大名、榊原家の第16代当主、榊原政春氏と結婚。一男一女を授かる。2013(平成25)年、逝去。著書に『徳川慶喜家の子ども部屋』『殿様と私』『大宮様と妃殿下のお手紙 古きよき貞明皇后の時代』などがある。

「2020年 『榊原喜佐子遺歌集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

榊原喜佐子の作品

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