機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる
- 草思社 (2012年5月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794219008
作品紹介・あらすじ
「人間らしさ」を競う大会で優勝するには、どうすればいい?AIの人間らしさを測る「チューリングテスト」の大会。そこに人間代表として参加し、勝利することを誓った著者が探究した、AI時代における「人間らしさ」の正体とは?人間を見る目が変わる科学ノンフィクション。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
本書は,科学と哲学についてのノンフィクションライターである著者が「人間らしさとは何か」をテーマとして書いた本である。著者自身によれば「本書は人生について記したものである」(29頁)。具体的には,チューリングテストにさくら役として参加することになった著者が,「もっとも人間らしい人間」賞を獲得するために「人間らしい」とはどのようなことなのかを様々な角度から考えていくというものだ。
著者がチューリングテストにさくら役として参加することが決まったところから話は始まる。チューリングテストとは,まるで生身の人間であるかのように会話できるチャット・プログラムを競い合うというテストである。つまり,チューリングテストとはコンピュータが「人間に似ている」のか「人間に似ていない」のかを見極めようとする試みなのだと言える(61頁)。しかしながら,サクラ役としてテストに参加した著者の目的はそれとは異なる。著者の目的は,本物の人間が自分を「本物の人間である」と審査員に信じさせられる会話を展開することである。では,人間らしい会話とはどのようなものなのだろう?
本書では,非常に多くのテーマを扱いながら「人間らしさとは何か」を考えていく。魂と心,チェスの定石,合理的経済人にデータ圧縮など。これらの幅広いトピックを通じて,「人間らしさ」を形作っていると著者が主張するものは大きく二つあるように思える。一つ目は,全体を通じての統一感や人間としての一貫性である。チューリングテストでは,相手が人間かどうかを判断するための手掛かりは文字を通じた会話しかない。その会話の一部を取り上げたときに,その部分がどれほど「人間らし」かったとしても,全体的な統一感に欠けているとそれは人間らしい会話とは言えない。「人間らしいとは(...)一つの視点を持つ特定の人間であるという(51頁)」ことであり,「人間らしさの断片を寄せ集めたところで,人間らしくなれるわけではない(54頁)」のである。言い換えると,多くの知識を持っていたり言語の仕組みに精通していたりしても人間らしい会話はできないということだ。日常的に目にする文章を理解するためには語彙や文法の知識を持っているだけではなく「世界の仕組み」を理解している必要があるのである(95頁)。
二つ目に,状況に応じた対応力(=どれだけサイトスペシフィックに対応できるか)が人間らしい会話を成り立たせているというのである(117頁)。言い換えると「会話の定石を用いた会話」は会話っぽくならないということだろう。著者のことばを借りれば「具体的な会話の「メソッド」を教えてところであまり役に立たず,営業マンやナンパ師や政治家の言葉が人間味に掛けるのは,そのせいでもある(130頁)」ということだ。就職活動の面接での会話を思い浮かべるとこの指摘にはうなずけるのではないだろうか。
本書はあまりにも幅広いテーマが扱われているため,とりとめがない印象を受けることは否めない。それでも,読み進めていくうちに,その部分が本論と関係することがわかってくる。しかし話が唐突な感じがして読みにくいという印象は受けるかもしれない。それと関係して,本書のテーマとの関係性が見えにくいために,何を主張したいのかが分かりにくい部分も少なくないように思う。10章の「人間らしさとデータ圧縮の関係」を述べた箇所は理解しにくい。また比喩がわかりにくく比喩の役割をはたしていないと感じる記述も多い。しかし,読みにくいところはそのまま読み飛ばしてしまっても概ね全体を理解するのに支障はないかもしれない。 -
実際の大会には触れないまま終わってしまったけど、哲学的で、科学的で非常に読みごたえのある本
-
タイトルに惹かれて購入。
「チューリングテスト」という名の人間 VS ボット(AI) で行われる競技大会。
それはコンピュータ端末を使用して、
審判員が見えない人間(サクラ)とボット(AI)交互に5分間チャットを行い、
その相手が人間かボットか判断し、その得票数を競うというものでした。
その結果、人間と判定された最多得票数のAIには
「最も人間らしいコンピュータ」賞、
また、人間と判定された最多得票数の人間には
「最も人間らしい人間」賞が与えられるというものです。
これは、その「最も人間らしい人間」賞を受賞すべく奮闘した著者のお話です。
内容の大半は実際に行われたテストの話ではなく、
著者がその準備として意見を求めた専門家との話やその考察となっています。
テーマ自体は面白いのですが、著者が多彩な分野に精通しているためか、話が飛びまくり、
最終的に何を述べたかったのかが自分には良く分かりませんでした。
チェスやボットプログラムについてのくだりは、良いのですが
哲学的な部分が長すぎて焦点がぼけてしまった感じです。
人間と言えどもルーチン化されたような会話しか出来なければ、
ボットが同等又はそれ以上の会話が出来てしまうという
現在の技術に考えさせられるものはありました。-
コメントありがとうございます。
本のボリュームも結構あるので、ざっと一読されてから購入を決めるのも良いかもしれませんね。コメントありがとうございます。
本のボリュームも結構あるので、ざっと一読されてから購入を決めるのも良いかもしれませんね。2012/08/23
-
-
ローブナー賞、チューリングテストの話しを一旦終わらせてから、他の話題に行ってくれたら良かったんだけど、、、あちこちに話が飛んでしまって、かつ翻訳本なので、なかなか体系的に理解できなかった。
チェスのプログラムの作り方の部分は、とてもわかりやすかったかな。 -
チューリングテストとは人工知能の評価方法の1つで,遠隔地にいる判定者と会話し,判定者にコンピュータであることを見破られるかどうかをテストするというもの.著者はこのチューリングテストにサクラとして参加し,コンピュータに混じって判定者と会話するという経験をした. 著者はその中で「最も人間らしい人間賞」を受賞しようと思考を重ねるのだが,コンピュータ・サイエンスから認知科学から始まって,会話術・コミュニケーション・スキルに話が及び,さらにはシャノンの情報理論とチューリングテストとの関連性という話にいたる.
-
「2014年 インターンシップ学生のオススメ本」
http://opac.lib.tokushima-u.ac.jp/mylimedio/search/search.do?materialid=212002386 -
チューリングテストの大会であるローブナー賞にサクラとして参加し、人間と機械の違いについて考える。著者の専攻はコンピューターサイエンスと哲学だそうだがこれは哲学寄りの本か。
第2章 ボットにアイデンティティはあるか
ふだんの会話は意外と、直前の相手の発話にしか対応していない「ステートレス」な状態であることが多い。ボットもこの手のステートレスな会話は得意。しかし、より文脈に富んだ「ステートフル」な会話をできるボットをつくるのは難しい。会話の一貫性を持たせるのと返答の幅を広げるのはトレードオフの関係にある。人間がカッとなってする言い合いはステートレスな会話の典型。
→下條信輔による、脳の「来歴」論を思い出した。
第3章 「自分」とは魂のこと?
プラトンやアリストテレスの時代から、人間の感情よりも理性を重視する流れがあったが、コンピューターが人間の専売特許である理性を凌駕するようになり、自然、感情や肉体が復権しつつある。なおコンピューターでも、例えば機械翻訳では「きれいな」アルゴリズム重視型を、統計的なゲシュタルト派が上回るようになった。
→目新しくない。
第4章 ロボットは人間の仕事をどう奪う?
仕事が機械にとって代わられる前には、仕事自体が定型化する予兆がある。AIに単純作業から解放してもらって、人間はサイトスペシフィックな事柄に専念すれば。
→仕事の単調さにブツブツ言っている人が多い、との指摘はうなずけるかも。でも結論はふつう。
第5章 定跡が人をボットにする?
<<ディープブルー>>とカスパロフの対戦にかかわるエピソード。ディープブルーの勝利により、「人類は絶望的」か「チェスはつまらない」かの選択を迫られた。しかしカスパロフによれば「あれはノーカウント」だそう。序盤にカスパロフが犯した着手のために定跡から外れることなく勝負が決した、中盤のない大局だった。定跡の出番はもっぱら、戦跡研究の進んだ序盤と、可能な手筋の少なくなる終盤。中盤に創造性を発揮する余地がある。カスパロフは奇手で意図的に定跡から外れようとしたがそれが裏目に出たみたい。会話も定跡化する。
→ランダムネスを導入することの効果はここらへんにあるのだろう。定跡から抜け出す契機。
第6章 エキスパートは人間らしくない?
人間は目的論的存在ではなく実存が先行するという実存主義。実はコンピューター、特にパソコンなんかも「実存」が先行して用途は後から考えられることが多い。一般領域型の会話ボットも、エキスパート型のAIと比べて、目的論的存在とは言いがたいが。コンピューターに独創性がないならば人間にもない、としたのはチューリング。
目的のない遊びを楽しめるのは今のところ人間だけか。コンピューターが自我を獲得したら、ターミネーターみたいなことになるよりかは、自らの存在意義を疑うに違いないとは著者の説。
第7章 言葉を発する一瞬のタイミング
ほんとうの会話はターン制で進むわけではない。AIは相手の話に割って入るということがまだできない。人間は会話の間や間投詞からも意味を汲み取る。
第8章 会話を盛り上げる理論と実践
会話はバーバルな要素だけでなくボディランゲージなんかも込みですねとか、ゼロサムではなくて相手にイイ「ホールド」を与え合う協調的なゲームですねとか、会話が記録に残るとガードが固くなりますねとか。
第9章 人間は相手の影響を受けずにいられない
あるトピックに特化して驚くほど人間らしく見せる戦略のAIもあるが、実演しているだけで反応ができないのでは知性といえない。また、コンピューターの挙動には再現性があるが、人間が会話をすればシナプスが変化して前と同じではいられない。ケヴィン・ワーウィック教授のエピソード、ソナーを腕の神経系につないでしまうわ、奥さんの腕にもチップを埋め込んで通信してしまうわ!
→また「来歴」みたいな話である
第10章 独創性を定量化する方法
情報エントロピーについて。繰り返しが多いなど、情報に予想がつく部分が多ければエントロピーや情報量は低い。そういう情報は高いレートで圧縮できる。エントロピーを測る簡単な手段:文章のスペル一字一字を予測する「シャノンのゲーム」。圧縮には可逆圧縮と非可逆圧縮がある。可逆圧縮は機械的だが、非可逆圧縮にはアート的なところがある。あらゆる会話は代名詞の利用など非可逆圧縮的なところがある。圧縮とテキスト予測とチューリングテストは同じところがある。
うーん、結局はローブナー賞への参加は話のマクラみたいなもので、人間と機械の違いに関するエッセーみたいな感じだった。興味深い箇所も多々あったが、海外のこういう本でたまに見かける冗長で散漫なところが気になった。この内容であればもう少し圧縮できるのでは。。。 -
*****
たとえば,コンピュータは計算が得意であるという事実によって,人間はある意味で活動する舞台を奪われるのだろうか,それとも人間的でない活動から解放され,より人間らしい生活を送れるようになるのだろうか。後者の見方のほうが魅力的に思えるが,将来「解放」されずに残る「人間的な活動」が嫌になるほど少なくなるかもしれないと思えば,それほど魅力的には感じられなくなる。もしそうなると,どうだろうか。(p.27)
機械の世界では,パスワード,暗証番号,社会保障番号の下四桁,母親の旧姓といった「内容」に基づいて本人かどうかを認証する。だが人間の世界では,顔つき,声,筆跡,署名といった「形式」に基づいて本人かどうかを認証する。(p.32) -
資料ID:W0169368
請求記号:007.13||C 58
配架場所:1F電動書架A