文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

制作 : Jared Diamond  楡井 浩一 
  • 草思社
4.06
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本棚登録 : 950
レビュー : 60
  • Amazon.co.jp ・本 (547ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794219404

作品紹介・あらすじ

人類の歴史には、転げ落ちるように崩壊した社会がある一方、危機に適確に対処し、乗り越えた社会もある。問題解決に成功した社会例として、徳川幕府の育林政策で森林再生を果たした江戸時代の日本、過酷な人口制限で社会のバランスを保つティコピア島等を検証する。さらに現代の危機として、中国やオーストラリアの惨状を分析し、崩壊を免れる道をさぐる。資源、環境、人口、経済格差など複雑化する崩壊の因子を探り、現代人の目指すべき方向を呈示する。

感想・レビュー・書評

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  • 文明がどのように姿を消したのか、また生き残るために社会がすべき意志決定について興味をもち手に取る。


    あまり興味のなかった環境問題の本を読んで、重大な意志決定を行う(長期的な繁栄と存続のため)には多面的に捉えることが重要であることなどをはじめ、物事の見方に大きく影響を受けました。


    上巻の内容の総括もふまえると、

    世界で人口の増加が進む中で食糧消費が増大し、
    それをまかなうために有限な資源(森林、海洋生物、農地)から
    再生可能量を超える過剰な生産を行うことで資源が枯渇していく恐れがある。
    これからの未来を人類がどう歩むべきかについてを現在発生しているいくつかの問題を例に挙げて論じている。


    上巻を踏まえても、国家や人類が長期的に存続していくためには、抱える問題をしっかりを捉え、短期的な利益だけを追求することなく、長期的に安定した利益を得られるような意志決定をしていくことが必要であることがわかる。

    国家は政治、経済を豊かに保つために様々な問題や情勢を踏まえて短期的、長期的に政策決定をしていくのだが、国内が抱える問題の規模などから短期的利益をもたらす選択を高い優先順位にすることが多いだろう。

    また現在の社会はグローバルに結び付き、資源などを相互依存しているため
    一国の利害を考えるだけで意志決定を行うことは非常に難しい。

    依存しあっているからこそ、ひとつの国で起こった問題の影響は波及していくことは過去の金融危機などからも明らかであろう。
    これは環境問題でも同じである。
    一つの有限な資源が枯渇したり制限がかかることは、多くの国に影響を与えることにつながる。

    長期的な繁栄を考える上で、環境問題は様々な利害関係が複雑にからみあっており、有限な資源をめぐっては、場合によっては双方ないしは全員に利益をもたらす選択をする、またはそのような選択を準備することは難しいだろう。

    これらを成し遂げることは容易ではないが、対応するために2種類の選択があると筆者は述べる。

    ・政府の徹底したトップダウン型の対策措置の実施
    ・地域や人民によるボトムアップ型の対策措置の実施

    トップダウンには厳格な統制機構と、それを行う社会の風潮(適切な言葉がわからないです)、そして最低限の経済の発達があるように思う。
    個人的には共通の利害関係の認識をもった国民が自主的に問題を発見し、それを防止・解決するために活動をしていくボトムアップの方が望ましいと思われるが、
    それには国民に共通の認識が必要であるしどちらも組み合わせてこそだとも考える。

    日本は国土の70%以上を森林を持つ国であるが、国でつかわれる木材はオーストラリアから輸入し被害を他国に押し付けているとの記載があったがショックを受けた。
    このようなことからも、物事には一面的にみることができないことはたくさんあるということを気づかされました。

    複雑な問題を抱える現在の社会を生きる人にとって、解決策を考えるためのヒントになる本だと感じた。
    ぜひいろんな人に読んでほしいです。

  • 過去の事例を紐解き、現代に警鐘を鳴らす良書。かなりのボリュームで読むには根気がいるが、後世への負の遺産を残すことなく、この世の永続は環境との共存と人類の謙虚さ、慎ましやかさが必要だ。意思決定システムのエラーは人類の最も恥ずべき行為である。三人寄れば文殊の知恵ではない集団心理を構造的に抉るには様々な知見が必要だろう。

  • 栄えていた文明が、どんな要因で崩壊に至ったのか?
    その要因を、過去の文献・地質調査などから事細かに洗い出していく。
    化学実験のように現象を再現はできないが、過去に起こった出来事をシミュレーションして法則を導き出す。
    本書では、気候変動・人口増加・環境破壊・外敵を要因と推測(まだあったかもしれない)。これらの要因はからみあって、次第に後戻りできないところまで崩壊が進んでいってしまう。
    何百年と続いた文明が崩壊した過去。その地続きである現代の文明も崩壊してもおかしくない。崩壊の要因となることは現代でも起こっている。むしろ科学技術の発展により、より加速している。
    こうすれば崩壊は防げる、というような銀の弾丸は示されない。環境破壊については、企業が長期的な利益を考えて環境負荷が低い行動をとるようにする流れがあること、消費者が環境に良い製品をより購買する傾向がみられること、などを上げている。(しかしまだまだ少数派)
    グローバル化は世界が繋がってひとつの世界となりつつあること。ひとつの国・企業の影響が他のところに連鎖的に影響を与える。
    過去の文明が滅びた時は、その地域だけで済んでいたことが、全世界規模で起こりうる可能性がある。
    世界で起きてることは他人事じゃあない。

  • ・成功・存続した社会
    ・アフリカの人口爆発
    ・ドミニカ共和国とハイチ
    ・中国
    ・搾取されるオーストラリア

    文明社会はその絶頂期に人口を大幅に増やし、周辺環境を破壊して滅亡に至るのか。
    環境が許容できる以上の人口を持ってしまった社会の結末は。
    環境問題解決の2つの道;トップダウンとボトムアップ
    中規模な社会はなぜ滅亡に至ったか。大規模な中央集権体制が鍵か?
    イースター島やマンガイア島などの中規模の社会は、島全体を治める中央主権的な政治組織を持てず、分裂した集落が互いの争いで環境破壊を促進した。

    景色健忘症:徐々に進む環境変化に要注意。
    変化は突然訪れない。はい進む常態なのだ。イースター島の樹木は徐々に少なくなり、重要性を失って行った。最後の一本が切り倒された時、木は、とうの昔に経済的な意義を失っていたのだ。

    当然ながら、それぞれの環境にはその環境が許容できる人口がある。環境が回復に必要な時間以上に消費が早いのであれば 、その文明は崩壊する運命にあると言える。

    翻って、現代社会はどうか。
    持続可能な社会保障な統一的な機構を現代社会は持っているのだろうか。それぞれの国家が互いの争いで環境破壊を促進してはいないだろうか。

    ルワンダの事例は、環境問題と社会的な構造が破滅的な結果を招いた事例だ。世界はこの方向に進んでしまわないか?

    ドミニカ共和国とハイチの例も、同じ環境でも社会が異なることで結果が大きく異なることを示している。

    中国はその巨大さから、その将来が人類の将来に大きな影響を及ぼす。そして中国は振り子というべき歴史的な特徴を備えている。
    中国はその統一された政治体制から、国民とその環境を大きく変更させることが可能なのだ。

    オーストラリアは絶望的なほど脆弱な環境状況で、今後改善する可能性はあるのかな?
    破壊される環境と環境を懸念する民間と政府の対抗措置の2頭だての競馬は果たしてどちらが勝つのだろうか。

  • 環境問題に関しては気が滅入るような内容が多いが、分析力や情報量が多く非常に勉強になる。 江戸時代の森林保護などは全く知らなかった事例だった。博士が自然エネルギー技術の進展に期待を寄せていないのは少し残念な気がした。
    環境問題のキーとなるのは大企業を中心とする経済活動にあり、環境への取り組みが評価を得て会社の利益にとってもプラスとなる方向性に今後も進んで行くことを期待したい。 広く危機意識を持ってもらうためには、身近に環境問題由来の災害などが作用しなければダメなのか… より先見の明を持たせる啓蒙が急務と感じた。 日本の国会で環境問題について議論されることはあるのか?聞いたことがない… トランプ政権の方向性について見てもアメリカがどれだけ愚かな国かと呆れるばかりで、文明の将来に暗い影を落としている。 ゴアのような人物がまた出てきてほしいと願うばかり

  • マヤ文明とかエスキモーとかの話含めて、人が生きるには何が必要か?サステナビリティとはなぜ必要か?それが綺麗事でなくわかる本。

  • イースター島やノルウェー人のグリーンランドでの生活など、崩壊していった文明を紹介した上巻に対し、成功例や近代における問題を指摘する下巻。

    江戸時代に森林の管理を木々の本数単位で管理していたことを始めて知り、その意思決定をした背景や当時の利害関係などに興味が沸いた。
    (鎖国をしていた分、国内の資源を大切に思う心が備わっていたのだろうか)

    一方で、1994年という近代において、ルワンダで大量虐殺があったということを恥ずかしながら初めて詳しく知った。(やはり、学生時代に近代については真面目に聞いておくべきだった)
    フツ族とルチ族という民族間の憎悪の歴史もさることながら、人口増加に伴う食糧難や経済的困難が一般市民による虐殺に繋がったという話は、考えるだけで恐ろしいが、人間の側面を考える上で、重要な示唆だと思う。

    もし、ジャレドダイヤモンドの言うように、世の中の凶悪犯罪が資源や土地の豊かさと人口増加に伴う1人当たりの配分と強い相関があるとするなら、まずはそのバランスを取るところから国政を考える必要があるのではと思わされる内容だった。

    そして、ボーダレスな社会となっている今、世界的にそのバランスを取れる組織が必要なのだろうが、個人ごとの動機が社会性を担保できない限り、結局は利権にまみれてしまうのだろうと思ってしまう。悲観的に考えると、全ての資源を食い荒らしてしまった後の対策フェーズにおいてのみ、人類は一致団結できるのかもしれない。

    また、これまで、中国の一人っ子政策は、経済成長に大きくブレーキをかける悪手だと思っていたが、この本を読んで考えを改めた。むしろ、政策を打たずに人口増加が続いていたら、今の公害どころではなかっただろう。

    そもそも、経済成長は人類の最終ゴールにはなり得ない。仮に、全人類が飢えないことが短期ゴール、幸福が最終ゴールなのだとすると、組織や国が追うべきKPIの形は、変わっていくのかもしれない。
    だとすると、個人の(周囲に悪い影響を与える)我欲をいかに制限するかが今後の主題となりえそうだ。

  • いろいろ示唆に富んでいて、得たものは多かったのだが、特に一つ言えるのは、『土壌』が消耗される資源だという認識はコレを読むまで一切無かった。
    オーストラリアが食料(主に小麦)輸出国なのは当たり前だと思っていたが、かなり無理矢理な形なのか(そして、であるからこそ、いつまでも続くものではないのか)

  • 邦題は少し大げさで、現代「Collapse, How societies choose to fail or succeed」からも分かるように、人間社会(文化)が崩壊するのはなぜか、という内容だ。世界各地の文化が、対立や孤立、衰弱を経て滅びるのは、その社会に内在する本質なのか、あるいは、自然災害や外敵の侵入など偶発的なのかについて検証する。著者は、主な要因として、自然環境の悪化、気候変動、隣接する敵対集団、友好な取引先、環境問題に関する社会の対応(適応)という次の5つの要素を挙げる。ただし、たとえばイースター島では、森林海抜が社会の崩壊の引き金ではない可能性があるというなど、最新の学説もある。しかし、史実がどのような内容であったにせよ、著者が訴えるのは、持続的な社会を維持するためには、環境に対する意識を変え、行動することだという。全体を占める整った学説に対し、締めくくりとして語られる「環境意識の訴え」は、必然的帰結と言うより、プロパガンダと言えなくもなく、その点は多くの読者に指摘されているようだ。しかしながら、社会を価値観的に表現するなら、そのような前提があっても良いのかもしれない。

  • 前作の銃・病原菌・鉄ほどのインパクトはないが、環境の持続可能性という視点も含めて、人が環境に適合することの困難さを多数の事例を上げて説明しており示唆に富むところが多い。
    環境破壊と文明崩壊が、すべての事例においてそこまで直截に関連していたかはさておき、100年後の世界のためにいま何ができるのか、もう一度考える機会を与えてくれる。

    とはいえ、他の方のレビューにもあるとおりやや冗長ではある。

  • 「文明崩壊(下)」(ジャレド・ダイアモンド:楡井浩一 訳)を読んだ。
    『イースター島の最後に残った一本のヤシの木を前にした島民が、それを切り倒しながらどういう言葉を吐いたのか』(本文より)
    我々人類は今その時の彼よりもより多くの情報に接しているのだ。希望はまだあるはずだと思いたい。

  • 章テーマの問題もあるが上巻より面白い。但し全体で1,200ページ超の大作の価値があるかは読む人によるだろう。私にとっては冗長的な内容と明確ではない主張にやや不満があった。

    とはいえ個別の事例は面白い。特に一島を東西に隔てるドミニカ共和国とハイチは興味深く、類する位置の2国が(現にハイチのほうが豊かな時代もあった)が、人種や文化、環境の微妙な相違が累積し、ドミニカ共和国は持続的社会を築き、ハイチは崩壊へ向かっている事実は、文明維持に相当の努力を要することを示す。

    ルワンダなど人類の愚かな歴史といった新しい視点はあるものの、興味あるなしが出やすい本だと思うので、下巻まで読むかは上巻の第1章(モンタナ州の事例)を読んで判断するのがよろしい。

  • 環境保護運動にとって、象徴的な事例であるイースター島のことは上巻で扱われている。
    私もそれを期待して読んだクチなので、下巻は、もういいか、と思っていたが、手に入ったので一通り目を通しておこうか、という低めのテンションで読み始めた。
    確かに、分量が分量なので、一気に読み進めることはできなかったが、最後まで読みたくさせる本だった。

    最初に、森林破壊が進んで一時は文明が崩壊する危険があったにもかかわらず、その危機を切り抜けた二つの事例が紹介される。
    それがニューギニアのティコピア島と、江戸時代の日本だ。
    共通点は外部から閉ざされた社会だったこと。
    違いは社会と国土の大きさ。
    小さな社会だったティコピア島は、島民皆が島のことを把握できるサイズだったため、ボトムアップで社会と環境のコントロールをした。
    一方、日本は、幕府や大名が自分たちと子孫が得られる恩恵を損なわないために、トップダウンで厳しい山林や木材の流通管理を徹底させた。
    読んでいると、ダイアモンド教授は江戸時代も現在も日本は外部に環境破壊や資源の枯渇を転嫁していると見ているようだ。
    耳が痛い話だ。

    「第14章 社会が破滅的な決断を下すのはなぜか?」は、四つの失敗のロードマップを示している。
    問題の予期への失敗、(予期はできても)問題の感知の失敗、(感知はできても)解決を試みられないという失敗、(解決を試みても)解決に失敗する、ということらしい。
    それぞれについて、本書の中で検討されてきた事例が例に挙がっている。
    共有地の悲劇や、囚人のジレンマとして分析される、短期的な利己的な行動の優先は、解決の試みに失敗する事例だそうだ。
    そして、その解決方法も、本書には提案されている。
    消費者が共通の利益を認識し、利用のルールを決めていくことだという。
    そうだな、と思いつつも、温暖化対策の国際会議が難航しているのを見ると、これから行くべき道はまだまだ遠いな、と思ってしまう。

    こんな風に、既にあきらめモードに入った私に、ダイヤモンド教授は、最後の檄をくれる。
    「第16章 世界はひとつの干拓地」は、環境保護を批判する「よくある言説」を10パターンほど取り上げて、反駁していく。
    私には「個人での取り組みに何の意味があるのか」が一番陥りやすいところだったが、これは何と、参考文献リストの中で、普通の人ができる6つの方法が挙げられている。
    投票と、不買/購買運動、企業の環境対策をを批判/称賛する、宗教団体を通じて活動する、地元の環境保護活動に参加する、自然保護団体に寄付する、の6つだ。
    う~ん…。これさえできるかなあ、と思っていると、すかさず「すぐに変化を期待するな」、「生涯を通じ、根気よく、複数の行動を続けなくてはいけない。」とある。
    すっかり見透かされてる?

  •  徳川時代の裕福な農民が普通に想定し、もっと貧しい村人も希望したのは、自分の土地を何自分の後継に譲ることだった。そういう理由などから、日本の森林管理は、しだいに森林の長期的な既得権を持つ国民の手に委ねられるようになった。なぜなら、それによって人々が自分の子どもに森林の利用権を継がせることを期待するから、あるいは、さまざまな形での長期の賃貸や契約が可能になるからだ。(p.69)

     ルワンダの大量虐殺の根源を理解することは、たいへん重要なのだ。殺人者に責任逃れをさせたいからではなく、ルワンダや、他の場所であのようなことがふたたび起こる危険性を減らすために、その知識を利用したいからだ。同じような目的から、ナチのホロコーストの根源を理解すること、あるいは連続殺人犯と強姦犯の心理を理解することに生涯を捧げる決意をした人々もいる。彼らがそういう決意をしたのは、ヒットラーや連続殺人犯や強姦犯の責任を軽減するためではなく、ああいう恐ろしいことがなぜ現実となったのか、再発を防ぐ最善の方法とは何かを探るためだ。(p.107)

     先進国の住民が現在享受しているライフスタイルを、あらゆる人が切望した場合、世界にどのような影響が及ぶのかについては、中国がよい具体例を示してくれる。中国は、世界最大の人口と、最も急速に成長する経済を併せ持っているからだ。(中略)中国が先進国の基準に達すれば、全世界の人間による資源利用と環境侵害がほぼ倍増するのだ。ところが、現在の世界の資源利用と環境侵害でさえ、このまま維持できるとは考えにくい。どこかで歯止めが必要だろう。中国の問題がそのまま世界の問題になる最も強い理由は、そこにある。(pp.188-189)

     基本的価値観の一部が生存と両立しえなくなってなってきたと感じるとき、それを捨て去るかどうかを決断することは、痛ましいほどの困難を伴う。どの時点で、わたしたちは個人として、妥協して生きるより死ぬことを選ぶのだろうか?現代世界では、実際に何百万もの人々が、自分の命を守るために、友人や親戚を裏切るか、堕落した独裁政権に黙って従うか、事実上の奴隷として生きるか、故国を捨てるかという判断を迫られている。国家や社会も、ときに集団として同様の決断を下さなければならない。
     おそらく、一社会としての成功と失敗を分ける肝心な点は、時代が変化したとき、どの基本的価値観を保持し、どの基本的価値観を捨てて新しい価値観と置き換えるべきかを知ることだろう。過去60年で、世界のほとんどの峡谷は、古くから尊重され、かつての国家イメージの中心だった価値観を捨て去る一方で、その他の価値観を保持した。(pp.296-297)

     世の中は妥協という土台の上に立った苦渋の選択に充ち満ちているが、これはわたしたちが迫られている最も過酷な妥協だと言っていい。全世界の人々がより高い生活水準を達成できるよう励まし助けながら、同時に、地球の資源に過度の負担をかけてその水準を崩してしまわないよう努めなくてはならないのだ。(pp.408-409)

     例えば、ニューギニアでは、葬儀の際、死者に敬意を表するために親族がその肉を分け合って食べるという。「ところが、多くの、もしくはほとんどの欧米の考古学者は、自身の社会において、人肉食は忌避すべきものだと刷り込まれているので、自分の敬愛と研究の対象となる人々がそんな風習を身につけているという考えにも強い忌避感を覚え、事実にふたをして、そういう指摘を人種差別主義者の中傷とみなす」(上巻305~306ページ)(p.409)

  • 「自然環境を守る」ってどうして必要なのか全く理解出来なかったけれど、なるほどこういう説明をされたら納得する。と感じた本。

  • ルワンダの虐殺の背景に極度の人口過密とか、中国の中央政府右往左往による大きな改善と大きな失敗とか、環境後回しの経済主義とか。
    オーストラリアの長年のダメダメっぷりに愕然としたり、カンガルー美味しいのに。ウサギも食べればいいのに。
    日本はまあ、地理的に良かったのとか偶然平和な時代で上手かったという。

    後半は今は国家経営もそうだけれど大企業が環境へのウェイトも占めているからその辺は消費者である自分達が圧力を上手くかけるようにとか。
    かなり未来は暗いかもしれないけれど、それでも何とかなるかもしれないから諦めんな。な話で上手くまとめてる。

    文庫版はアンコールワットが追記されている。

  • 上巻に記載。

  • 文明崩壊…というか、環境破壊への警鐘が主題。前作の面白さを期待して読んだら、これじゃない感が半端ない。

  • 下巻では崩壊を免れ存続した社会についてから始まるのだが、そこで日本の事例が出てくるのが興味深い。また現代における事例として中国、オーストラリア等が挙げられていくのだが、中でもルワンダでのフツ族同士にまで及んだ虐殺を環境的要因から考察していくのは目から鱗であった。またドミニカとハイチという、一つの島を二分する国同士の事例は、残酷な現実を浮き彫りにしながらも、環境問題とは環境に適した正しい経済や制度が選択されることが重要であることを明らかにしている。これ程までの知的興奮は、そうそう味わえるものではないスゴ本。

  • 森林資源は貴重で壊れやすい。人間は自然をある程度抑制的もしくは継続的に活用すべきだ。

  • 赤坂Lib

  • なんとか読了。示唆に富む内容、私はこの事実をいかして生きていけるのか?

  • 下巻の最初は過去に社会の崩壊を組み止めたいくつかの社会を取り上げている。人知れず数千年間独自に灌漑を続けていたニューギニア高地、南太平洋の珊瑚海のはずれわずか5平方キロの孤島ながら3000年に渡り人が住み続けたティコピア島、そして江戸時代の日本。

    江戸時代といえば実は日本人の身長が一番低かった時代で、小氷期に入って気温は低下しているにも関わらず、人口は関ヶ原の頃の1200万人が明治維新の頃には3300万人と人口が増えており、しかも鎖国のために現代と違って食料は自給するしかないし木材やほとんどの金属品も自給している。1570年から1650年にかけて城や寺社の建造の木材伐採で森林破壊が進んでおり、1657年の明暦の大火をきっかけに幕府による森林管理システムが作られた。また人口も1721年2610万人に達した後1828年には2720万人と一機に人口増を抑制している。江戸時代の米価と出生率の変化が連動しているということから食料不足に対応したものらしい。1707年の富士山の大噴火、1783年の天明の大凶作、1833〜36年の天保の飢饉と厳しい気候条件だったようだが他の社会が目先優先で森林伐採をし結果として食料不足に陥ったのに対して、江戸時代の日本は耐えて生き延びた様だ。確かに昔の城の写真なんかを見ると今と比べて緑が少ない。日本の森林は回復している一方で現在の日本は世界最大の木材輸出国でもあり、ジャレド・ダイアモンドは森林破壊を輸出していると厳しく批判している。

    現代の環境破壊の代表は誰もが思いつく中国と少し意外なオーストラリア。中国の状況はよく知られているので今更書くこともないのだがこの本の出版が2005年で10年前にすでに大気汚染はひどいものだったらしい。ジャレドは一人っ子政策や1998年に始まった国家的な伐採禁止など時に中国の政策は一機に進むことがあると期待している。逆に振れた場合には大躍進政策や文化大革命など桁外れの悲劇も生んでいることも知りながらだが。広大なオーストラリアだが小麦の栽培に適した土地は限られており、地力の回復が弱い土地が多い。オーストラリアの場合、温室効果ガスの削減に最も有効な手段は牛を一掃することだという。土地の開墾や羊の放牧とイギリスから持ち込まれ大繁殖したウサギも土地を劣化させる要因になっている。

    過剰な人口は内戦や社会崩壊の直接の原因とは言えないにしても、社会を不安定化する大きな要因になっている。ハイチとドミニカ共和国は同じ島を二分した国でスペインとフランスのサトウキビのプランテーション政策に振り回され今に至っている。先に入植したのはスペインだったがその後は力を入れず、西端に後から入植したフランスが連れて来たアフリカからの奴隷の子孫が反乱を起こしハイチになった。この時東部の入植者がスペインに助けを求めこちらが後のドミニカの基礎となっている。どちらも政情不安をへて独裁者が現れたが偶々ドミニカ側では工業化や現代化と森林保護に力を入れたのに対し、ハイチは先に農業経済を発展させ裕福になったが後に森林破壊と地力の劣化のため増え過ぎた人口を支えきれなくなった。

    ブルンジとルワンダといえば当時アフリカで最も人口密度の高い国であり、ルワンダでは少数のツチ族が多数のフツ族を支配する植民地時代の歴史から両国が独立するときにも民族対立と多数の殺戮があった。94年フツ族大統領の乗った専用機が着陸前に撃墜されたのをきっかけに起こったのが有名なフツ族によるツチ族の大虐殺で6週間でルワンダ総人口の11%にあたる推定80万人のツチ族が殺害された。しかしあまり知られていないのだがこの時フツ族同士でも殺し合いはありあるフツ族の村では人口の5%が殺されている。増え過ぎた人口に対して相続される農地は減る一方であり土地の相続を巡って家族や親族間で殺し合いが起こっていた。

    ジャレド・ダイアモンドはいくつかの希望の道も述べている。例えば搾取や環境破壊といえばたいてい悪役になる石油会社だが、パプア・ニューギニアのシェブロンが管理する石油鉱区では他の場所と比べても森林が保護されている。住民に取っては森林を切り開いて農業をするよりも補償金の方が大きく、シェブロンもより環境を破壊しない開発の方が最終的に安上がりになると計算した。石油に比べ大規模に土地を収奪する金属鉱山の場合でも例えばティファニーは供給元に環境への保護という条件を入れている。これは宝石店の店頭でのデモが効果を現したらしい。企業は当然ながらどちらが得かで動くし、企業イメージの低下を怖れる理由があるからだ。

    比較的楽観的な予測では世界の人口は100億人になる前に飽和するというが、この人口が今のアメリカの生活をすることはできない。イノヴェーションが解決するという楽観論もあるが、これができない場合は貧困を固定するのかハードクラッシュか。ジャレド・ダイアモンド自身は資源の適正な管理や短期志向に陥らない政治決定などがあれば希望はあると慎重な楽観主義者だと言うのだが。世界が江戸幕府の様であれば人口を増やさず、貧しくはなっても生き延びることができるということか。

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  • 下巻に入った途端、急激に読み易くなった。「沈黙の春」を読むなら、断然こっちだ。

    崩壊を免れるためのボトムアップ方式とトップダウン方式の実例、前者なんかはもう「楢山節考」の世界だ。ルワンダとブルンジ。ドミニカ共和国とハイチ。中国とオーストラリアの抱える環境問題……。

    原発の脅威に関してちょっとだけ言及されていたと記憶するが、チェルノブイリに就いては触れられていなかったはず。3.11以降に本書が著されていたら、いったい、どういう構成になっていたのだろう。

  • 上巻に同じく

  • 環境問題への警鐘で終わっているのが期待していた内容と違ってしまったという気持ちにしてしまっているのが残念です。

    新しい世界で常勝パターンで勝てるわけではないのですね。
    強いやつより適応できるやつが生き残るんだな~

  • 時間がなかったので、改めて再読したい。

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著者プロフィール

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)地理学教授
1937年ボストン生まれ。ハーバード大学で生物学、ケンブリッジ大学で生理学を修めるが、やがてその研究領域は進化生物学、鳥類学、人類生態学へと発展していく。カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部生理学教授を経て、同校地理学教授。アメリカ科学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ哲学協会会員。アメリカ国家科学賞、タイラー賞、コスモス賞、ピュリツァー賞、マッカーサー・フェロー、ブループラネット賞など受賞多数。

「2019年 『危機と人類(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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