文庫 人生を感じる時間 (草思社文庫 ほ 1-1)

著者 :
  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794220028

作品紹介・あらすじ

「希望」なんて、なくたっていい――。「いまここにいること」を肯定する、まったく新しい人生論。世界の魅力を再発見する、現代人必読の26編。単行本『途方に暮れて、人生論』(小社刊)改題。

感想・レビュー・書評

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  • ・自分が生きている時代をただ楽しいと思っていられる人は、その時代に適合するサイズの内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。
    ・人間は反復によって「何か」を理解するようにできている。
    ・よりどころとなるのは、明るさや早さや確かそうではなくて、戸惑い頭に暮れている状態から逃げないことなのだ。
    ・現代の人間に必要な事は、金のサイクルの中で成功することではなく、金のサイクルの外に出ること。これができるのは皮肉ではあるが金持ちだけ。

  • 初めて読んだ作者であるが色々とためになった。
    興味を持った。

  • 「ビートルズは幸せだったのか?」「身近な密度の高い時間よりも、気を紛らわす何も持たずに人を待っている長く感じられる時間の方こそ人生の素顔のようなものではないかと思える。」「一日中のんべんだらりとして生きている猫たちの方が、人生の素顔を見て、毎日を暮らしているように見える。」・・といった感じで始まる保坂和志氏の生き方論エッセー。読んでいて、住みにくい現代の私たちを、緊張の空気の中から、そっと広い野原に出してくれる感じがする。あとがきでは;「拠り所となるのは、明るさや速さや確かさではなくて、戸惑い途方に暮れている状態から逃げないことである。安易に結論だけを求めることがつまずきの因になる。生きることは考えることであり、考えることは結論なんかなくて、プロセスしかない。」

  •  相変わらず「ゆるく」も「するどい」保坂さんの実存的考察。エッセイとして書いているのだろうが「日常」というにはあまりにも重い。とはいえ、やはり「書く」題材は日常から持ってこなくては話の端緒がつかめるはずもないので、やはり普段の何気ない光景から考察は始まるのはエッセイの定石だろう。こうした文章を読んでいて「よかった」と思うことは「自分と同じようなことを考えている人がとりあえずはいる」ということである。さらにそこから少しの「ズレ」を見つけると自分の立ち位置がある程度つかめる。そこからどうこうするとは限らないが「腑に落ちる」という体験はこうした文章で触れる以外にそれほど多くはないように思う。

     エッセイで取り上げられることが多い「死」についても語っている。それぞれの作家の死生観はとても参考になるのだが、どれも結論は「納得」や「了承」といったものが多い。しかし多くの人間はそれに辿り着く前の「認識」にすら至っていないのが現状ではないか。本書のような深い考察を試みているような本でも読まない限り「死」など考えることもないのだろうか。ちょっとした考察のきっかけは日常にころがっているはずである。

     エッセイで取り上げられるものでさらに多いのが「お金」の話。経済というスケールの大きなものではないが、これまた「日常」においては避けては通れない話題である。周囲の人間は「ナニナニがいくらかかった」などといった話は張り切って語るのに「そもそもお金ってナニ?」といった話には「そんな話いいよ」といった感じで受け流す。「死」だの「金銭」だのという話の本質的部分は多くの人間が避けざるをえない話題なのだな、とつくづく感じる。こうした話は「教養」という範疇でくくれるかもしれない。その「教養」に対してある種の人達は「役に立たない」知識という考えをもっているようにみえる。むしろ「有害」と思っているヒトも多いかもしれない。

     保坂さんの年代の人達は、様々な物事に深い考察をしていて話がとてもおもしろい人が多いように思うがその反面、多くの物事に興味を失っていて話がものすごくつまらない人も多い。人それぞれと言われればそれまでなのだが、他の年代特に若い年代の人達の間ではそこまでの差がついてはいないような気がする。「日常」をきっかけにして「考察」するというささやかな営みは、今後いかなる状況に追い込まれたとしても継続していきたい。

  • 日頃から自分について考えた時に、ベストセラーやヒット映画は面白さをある程度説明不要で他人と共有できる面があるけど、そうでないものの場合、どういう特徴があってなにが面白いのかということを説明しなければならないという必要にかられてきたために、好きなものを説明すること自体にも楽しみを見つけた(言い換えたら、説明すること自体を楽しむ必要があった)んじゃないか、とか、自分が共感する人の共通点は何だろうと思った時に、自分と他人との違いを感じた時、その違いが自分に瑕疵のあるもののように言われるなどして納得できず、そういう気持ちについて考え込んだことがあって、その結果数の論理に不賛成だって思うようになった人なんじゃないだろうか、とか思っていた。

    今回この本のあとがきで、保坂和志さんが
    (引用)「と、こんなことばかり書くから、私のことを「理屈っぽい」と批評する人がいるけれど、私はむしろ「好き・嫌い」を判断の最初の基準におく感情的な人間だ。しかし、私の「好き・嫌い」の基準が世間一般とかなり違っているために、周囲の人たちとの接点を作り出すためにどうしても理屈が必要になってくる。子供時代から、自分と周囲の溝を埋めるために私は一所懸命考えて、相手を理解しようとした(中略)。そういうわけで、自分が考えたり感じたりすることが多数派の意見と同じだったことなどほとんどないから、多数派と意見が合わない人の苦労はなりわかると思うし、エッセイを書くとき、私はいつもそういう人たちのことを考えている。」(引用おわり)
    と言っていて、まさに、このような考えが下地にあるから、色々なことを共感するのだな、と思って、とてもうれしくなった。

    本文では、他にも考え方に同意する箇所が多くて、挙げたらきりがなかったのだけれども、全ては上記の件に尽きると思った。

    そして、同意しているばっかりでもなくて、自分にはなかった新しい視点もあって、刺激を受けた。

  • 考えて考えて考える。

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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