漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う

著者 :
  • 草思社
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本棚登録 : 116
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794222022

作品紹介・あらすじ

江戸時代、流刑地・八丈島よりさらに三百キロ南にある鳥島に、十数年おきに日本人漂流民が流れ着いた。窮地に立たされた彼らの前に姿を現した洞窟。そこには、歴代の漂流者が生きる術を記した書き置きが残されていたという。その洞窟は、今もあるのか。
『ロビンソン漂流記』のモデルとなった漂流民の住居跡を発見し世界に報じられた探検家が、鳥島を踏査。漂流民たちの劇的な生涯に迫る壮大なノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 東京から太平洋を南に進むと、点々と連なる島がある。
    南の小笠原諸島と北の伊豆諸島に挟まれる豆南諸島は、島というより海に突き出た岩と呼ぶ方がふさわしいような無人島群である。
    その中の1つに「鳥島」がある。
    名の通り、かつてはアホウドリを初めとする海鳥の楽園であった。明治期に、当時高額で取引された羽毛目当てに乱獲されたため(しかも手段は「撲殺」と荒っぽい)、アホウドリは絶滅に瀕するまでになった。現在では国指定の天然保護区域とされている。
    鳥島は火山島でもあり、アホウドリ捕獲のために人々が移住した明治時代、島民全員が死亡するという大噴火が起きている。すでに多数のアホウドリを惨殺した後だったため、その祟りとも囁かれたという。その後、昭和期にも比較的大きな噴火が起きている。
    この島にはもう1つ、特筆すべき特徴がある。
    江戸期、1681年から160年の間に、記録に残るだけでも、13回の漂流事件が起きているのだ。鳥島は基本的には無人島であるため、記録に残っているということは、すなわち、島から生還したということを意味する。鳥島よりやや本土に近い八丈島(有人島)では18・19世紀の200年間で200件の漂着例があったというから、鳥島でも記録に残るよりは多くの漂着があったと考えるのが妥当だろう。誰にも発見されぬまま、島の土と化したものも多かったことだろう。
    漂流者の中には、アメリカの捕鯨船に救われ、渡米したジョン万次郎も含まれる。万次郎たちは5ヶ月間の無人島暮らしだったが、記録を紐解くと、何と19年も島で過ごした漂着民もいる(彼らは後、労をねぎらわれ、時の将軍・吉宗に拝謁を許されている)。
    鳥島の自然は厳しい。絶海の孤島で、かつ火山島である。植物も生えてはいるが、食用に適したものではない。島の常で飲料水確保も容易ではない。そこで彼らはどのように生き抜いたのだろうか。

    本書の著者は探検家である。
    『ロビンソン漂流記』を愛読し、そのモデルといわれる船乗りセルカークの足跡を追うプロジェクトを主導したこともある。
    その彼が、ロビンソン・クルーソーばりの漂流をした人々が日本にいることを知り、漂着民がどのように流れ着き、島での日々を過ごしたのかに興味を抱く。
    漂着民の記録を読んでいく中で、彼らが自分たちより前に遭難した人々の残した痕跡を発見していたことを知る。漂着民たちは、どうやら、前の漂着民と同じ洞窟を住処にしていたこともあったらしい。運よく再び島を去ることが可能になった者は、後世、やはりこの地に流されるかもしれない者のために、役立ちそうなものを残し、書き置きも置いた。
    彼らは何を見、何を考え、どう希望をつないだのか。彼らが住んだ洞窟を捜し出し、その地に立とう。
    著者の探検家魂に火が付く。

    本書は、簡単にいえば、著者が鳥島を目指し、漂着民の洞窟と思われるところを探し当てるまでの顛末記である。
    だが、ことは簡単ではなく、成り行き任せの心許なさ、もどかしさがつきまとった。
    これには、鳥島が絶海の無人島であること、そして天然保護区域であることの、2つの特殊な事情が大きい。そもそも探検や観光での上陸が想定されていない。原則的には、アホウドリや火山など、何らかの研究目的で許可を得て行くより道がないのである。許可なしに現状を変えることもできないため、発掘も困難だ。
    著者は火山研究者の助手という名目で上陸を果たすのだが、さて、目的の地を探し当てることはできるのだろうか。

    著者は、自身の上陸を軸に、過去の記録や現在の地図、写真、そして鳥島漂着事件を題材にした小説の描写を織り交ぜながら、漂着者の実態へと徐々に迫っていく。道のりは平坦ではなく、語りも流暢というわけではないのだが、薄紙を剥がすように、少しずつ少しずつ、遭難したものたちへと視点が近づいていくところが本書の白眉だろう。
    学術目的であっても、孤島での暮らしは不便で危険も伴う。天候次第では、迎えの船が遅れ、殺伐とした空気が漂う。いずれは必ず迎えが来ると知っていてさえそうなのだ。生きて再び故郷に帰れるか判然としなかった漂着民たちの絶望と焦燥はどれほどのものだっただろう。わずかな食糧。喉の渇き。故郷に残した妻子への想い。生還できぬまま力尽きる者、また自ら死を願い、命を絶つ者もいた。
    海は彼らの前に、縹渺と、果てしなく続いた。

    「魂は責てあの船に乗らん」。
    遠くに見える船影に合図を送るも顧みられず、絶望して身を投げようとした漂着民が発したものである。
    自分はここにいる。誰か気付いてくれ。魂だけでも連れ帰り、自分がここにいたと皆に知らせてくれ。
    そんな魂の叫びのようなひと言である。
    著者は、漂流民の洞窟と思われるものを見出した後、鳥島への再度の上陸を願ったが、その希望は事実上、断たれた。自然保護以外の目的で、彼の地へ渡ることは現在、許されない。本来ならもう少し調査をした上でまとめたいところだが、それはおそらくかなわない。ならば一縷の望みを繋ごうと、不完全を承知で発刊を決めた。
    ある意味、これは、著者が流したメッセージボトルであり、遠くの船影に託した「魂」でもある。将来、調査が可能となったとき、漂着民の実態にさらに迫る探検家が現れる、「その日」のために。

    無骨ながら不思議な感動を誘う1冊である。

  • 漂流記は数多いが,探検家が自分で漂流者の痕跡を書くとこのようになるのか,と感じた.吉村昭などの小説家は漂流者の心情,内面を描くことにその美学があるが,探検家はそこを描ききれない,ということ.事実の積み重ねを最重要視するとこうした,記録としての作品になるのであろう.

  • 読了。
    吉村昭の「漂流」が、あまりに良かったので、実際この島を見てみたいと思って調べてみると、現在でもちょっとやそっとじゃ辿り着ける場所じゃない、ということが分かった。
    しかし、やはり同じ事を考えるトンパチな人はいるもので(笑)、物凄い手間と苦労を経て、鳥島に辿り着いた筆者の苦闘録。
    ただ確かに、吉村昭の筆致と長平の物語には、ここまで魅せられてしまう何かがある。

  • 江戸時代の鳥島漂流民たちを追ったルポルタージュ。
    著者は探検家で、以前ロビンソンクルーソーの島を探検した本を読んだことがある。今回は日本の漂流民がいたと言われる鳥島で彼等の生活の痕跡を探す。
    鳥島は東京都の南方に位置する絶海の無人島であり、そこへ行くには手続きや交通手段等かなりハードルが高い。レポートは鳥島に向かうまでの
    困難から始まり、島の紹介、漂流民の痕跡探し、著者の推理など前回のルポ同様に面白く読めた。読後は多少モヤモヤした印象が残ったが、現代の探検というのは、昔とは違う困難さ(社会のルールなどの障害)があることがよく判った。
    現代の探検は、テーマに深く興味があって、準備の煩雑さを厭わず、社会的な障害を乗り越えて実行できる高いモチベーションを失わないことが必須なのだろう。

  • 東京から500km以上離れた「鳥島」という無人島。そこには江戸時代に何度も漂流民が流れ着いた。ジョン万次郎もその一人であったし、吉村昭の「漂流」の舞台でもあるらしい。
    本書は、そんな無人島と漂流者に魅せられた著者の鳥島探索の記録に漂流民の記録が丁寧に綴られたノンフィクション。
    「好奇心に限界などない」という言葉が本書に出てくるが、それを地で行く著者の行動力と漂流民の壮絶な実態に驚愕した。
    写真や地図が豊富で読み易いのもよい。

  •  東京から南へ約600キロメートル離れた場所に、鳥島(とりしま)という無人島がある。この絶海の孤島に、ジョン万次郎をはじめ江戸時代から何度も日本人の漂流民が流れ着いたという。
     探検家の著者は、憑かれたように鳥島の記録を調べ、本土に無事帰ることができた生還者の証言を読み込み、特別天然記念物であるアホウドリ保護のため立ち入りが制限されている島に一度だけ許された上陸を経て、かつての漂流民が暮らしていた痕跡をたどり、思いをめぐらせていく。後半は、上陸の際に見つけた二つの洞窟をめぐる謎解きにもなっている渾身のノンフィクションだ。

     ほとんどの日本人に知られていないと思うが、伊豆諸島と小笠原諸島にはさまれた中間地帯に今もこのような東京都管轄の孤島があり、江戸時代に何度も漂流民が流れ着いていたとは。さらに、真水も十分な食料もない島で、中には19年も生き延びていた江戸漂流民もいたというから驚きだ。
     江戸時代の記録の中で何よりも胸をつかれるのは、島を脱出した漂流民たちが、いつか同じ島に流れ着くであろう人間のために、島の洞窟に書き置きや生活道具を残していったということだ。自分が生きるか死ぬかの状況下で、このような配慮ができたということには当時の漂流民たちの生命力だけでなく、人間としての尊さも感じる。
     後に、命からがら漂着した無人島で、先人たちの残した遺物を吉兆ととらえた漂流民たちの記録を見つけた著者は、そこに時代を越えた不思議な縦糸のような結びつきを感じる。

     現代の著者が、鳥島の上陸規制が解除されたあかつきには、自分が見つけた漂流民の洞窟の跡を調査・保護してほしいと後世の人間に託そうとする願いも、同じような結びつきを信じているのだろう。

  • 日本本土から500km。小笠原諸島との中間地点にある絶海の孤島「鳥島」。
    潮流の関係か古くから漂流者が流れ着き、そのうちの何人かは本土への生還を果たしている。
    ロビンソンクルーソーのモデルとなった人物が実際に暮らした場所を突き止めたことがある著者は鳥島に漂流者の痕跡を求めて取材を始める。
    今、鳥島は島全体が天然記念物に指定されており、アホウドリの保護目的か火山の研究目的以外での上陸は認められていない。
    そんな中で証言者と文献研究の末、漂流者が生活したと思われる場所を推定するノンフィクション

  • 伊豆諸島と小笠原諸島の中間に位置する絶海の無人島、鳥島に漂流した人たちの痕跡を追うが、明治と昭和の大規模な噴火で跡形も無くなっている。
    著者は探検家なのだが、アホウドリの保護区である鳥島に火山調査の手伝いで上陸できたのが一週間足らずでその後も調査許可が下りない。面白いんだけど、現地の探検なんだか文献考証なんだか中途半端でどっちも物足りなさがある。

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著者プロフィール

一九六六年、秋田市生まれ。探検家、作家。「物語を旅する」をテーマに、世界各地に伝わる神話や伝説の背景を探るべく、旅を重ねている。二〇〇五年、米国のナショナル ジオグラフィック協会から支援を受け、実在したロビンソン・クルーソーの住居跡を発見。探検家クラブ(ニューヨーク)、王立地理学協会(ロンドン)のフェロー会員。著書に『漂流の島 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う』(草思社)、『ロビンソン・クルーソーを探して』(新潮文庫)、『浦島太郎はどこへ行ったのか』(新潮社)、『間宮林蔵・探検家一代』(中公新書ラクレ)、『命を救った道具たち』(アスペクト)などがある。

「2016年 『文庫 12月25日の怪物』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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