人はどこまで合理的か 下

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794225900

作品紹介・あらすじ

「理性に従う」ことは、カッコ悪いのか?

理性こそが、進歩と繁栄を導く――。
理性的思考のための最強ツール群を、倫理学や経済学、統計学、
ゲーム理論など幅広い学問から抽出。その考え方を解説、伝授する。

この1000年あまりの間に、人類は本来持っている合理性を拡張すべく、
数多くの合理性のツールをつくり出してきた。
そのツールとは、「論理」「批判的思考」「確率」「統計」「意思決定理論」
「ゲーム理論」など幅広い学問分野から生まれた、
合理的に思考するための数多くの“道具”である。
こうしたツールは、危険な選択を修正し、疑わしい主張を値踏みし、
おかしな矛盾に気づき、人生の浮き沈みや悲劇について洞察を得るのを助けてくれる、
人生にとっても社会にとっても、非常に重要なものだ。
にもかかわらず、これらツールをすべてまとめて説明する本はこれまでどこにもなかった。

本書は人類の英知の結晶である、最強の合理性ツール群をまとめて解説・伝授する、初めての本である。
ハーバード大学の人気講義が教える、理性の働かせ方!

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    感想は上巻に書いた。

    人はどこまで合理的か 上
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/479422589X

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 合理的選択理論
    合理的選択理論は、リスクのある判断を迫られたとき、合理的行為者は自分の「期待効用」――ある選択をした場合に得られる可能性がある報酬を列挙し、それらの大きさにそれぞれの確率をかけたものの和――が最大になるような選択肢を選ぶと説いている。
    合理性の公理で説明される選好パターンには、それを喜びや願望といった主観的感覚の通りに人間が行動するための指針だと考えたくなるような魅力がある。だが厳密にいえば、これらの公理は意思決定者をブラックボックスとして扱い、あるものよりも別のものを選択するという意思決定者の選好パターンだけを考えたものだ。合理的選択理論という箱から飛び出す効用尺度は、一連の選好パターンから再構成された仮想のものであり、選好に一貫性をもたせるために推奨される仮想の尺度である。
    効用は私利と同義ではない。どんな価値尺度でも、合理的な意思決定者が一貫して最大化しようとするものならば、効用尺度になりうる。たとえば、ある人々が子供や友人のために犠牲を払い、病人を助け、貧しい人に施しをし、金の詰まった財布を持ち主に返すなら、それは愛や慈善や誠実が彼らの効用尺度に入っているからだ。合理的選択理論はただ、どうすればその尺度から逸脱せずにいられるかについてアドバイスしてくれるだけである。

    お金と効用の関係は直線的でなく、上に凸の曲線になる。専門用語で言えば「限界効用逓減」だ。100ドルを追加されると誰でも幸福度があがるが、その上昇幅は自分が裕福になるほど小さくなるという理論だ。逆に見れば、100ドルを得る喜びよりも100ドルを失う悲しみのほうが大きくなるということでもある。

    合理的選択は、実際には軽視されたりわざと守られないケースもある。その一例がモノの価値に判断がつかないときだ。井戸に落ちた少女の救出に100万ドルかけるべきか?絶滅危惧種の保護に多額の予算を割り当てるべきか?そうした曖昧な場面において、人は効用と異なる選択をしうる。また、生身の人間は確率と利得について完全な情報を持っているわけではない。考慮すべき可能性を無限に検討するわけにもいかないため、ときに非合理な選択を取ることも不思議ではない。

    とはいっても、やはり合理的選択が本当に合理的なことは多い。この世には、リスクと報酬に確率をかけて比較すればもっと賢い選択ができたはずだという事例が数え切れないほどある。タブー、限定合理性、非推移性、選好の反転、後悔回避、リスク回避や損失回避、フレーミングなどは、人々が公理を軽視している例だというだけで、軽視すべきだと示すものではない。確かに、人間関係のかけがえのなさや死への畏敬がかかわるケースのように、時には理論どおりに計算しないほうがいい場合もある。だがわたしたちはいつでも自分の選択を価値観に一致させたいと思っている。期待効用理論が役に立つとすればそのためでしかなく、それなくして何らかの一貫性が保たれると考えてはいけない。だからわたしたちは、自分の価値観に合わない判断をしたときそれを愚かと呼び、価値観に合う判断をしたとき賢明と呼ぶのだ。


    2 信号検出理論
    ある物事を測定するとき、それが実際に起こっているという「信号」だけをキャッチするわけではない。測定には常に「ノイズ」、つまり偽信号がつきものである。信号とノイズが重なる場合は多々あるので、わたしたちはカットオフ(しきい値)を設定する。
    わたしたちがこのカットオフで平均的にどの程度うまくやれているか見てみよう。判断とその結果には4つの可能性があり、①ヒット(わたしたちがイエスと反応し、かつそれが本当に信号)、②誤警報(イエスと反応したのに、ノイズだった)、③ミス(ノーと反応したのに、実際には信号だった)、④正棄却(ノーと反応し、そのとおりノイズにすぎなかった)である。やや軽率になって基準を下げたり、あるいはやや慎重になって基準を上げれば、ヒットと誤警報、ミスと正棄却のトレードとなる。

    合理的な意思決定者は、期待効用が最大になる位置にしきい値を設定すればいい。そのためには4つの結果の場合どれが耐え難く、どれなら耐えられるかを大雑把にでも把握し、コストが便益との間で釣り合う点を見つければ、筋の通った判断を下すことが出来る。

    代表的なケースとして、犯罪行為の捜査・審判を見てみよう。裁判官は被告人の不正行為の有無に関する証拠と向き合い、それぞれ①正しく有罪、②有罪を無罪と判決、③冤罪、④正しく無罪、の判断を下す。
    犯罪については、かつてから誤警報に高い道徳的コストを割り当てるというのが標準的前提とされてきた。10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ、である。
    信号検出理論を応用すれば、わたしたちの実践が価値観と矛盾していないかどうかを確かめることができる。たとえば、有罪の人間が誤って無罪とされる率が1パーセントを超えてはならず、また無実の人間が誤って有罪とされる率も1パーセントを超えてはならないとわたしたちが信じているとしよう。また陪審員は全員理想的な観察者で、信号検出理論を忠実に適用するとしよう。その場合、1パーセント未満という目標を達成するにはどの程度強い証拠が必要だろうか?正確にいうならば、感度d′、すなわち信号(有罪)とノイズ(無罪)の分布間の距離は、どのくらいでなければならないだろうか?
    心理学者のハル・アークスとバーバラ・メラーズの計算によれば、この目標を達成するには『証拠の強さを表す感度』が4.7でなければならない。つまり有罪とする証拠と無罪とする証拠のあいだの距離が標準偏差のほぼ5倍でなければならない。これは圧倒的に高い感度だ。陪審判断よりも客観的に行える医療判断――現在の最先端の医療技術による検査でも実現できていないレベルである。一方、学生を対象に道徳的願望の実態を調査したところ、標準偏差の3倍程度が望ましいという結果が出た。これでもかなり高い感度だ(脳のCTスキャンが2.4~2.9である)。
    肝心なのは、科学捜査手法の精度を上げ、尋問や証言の手続きをより公正なものにし、検察官の暴走を抑制する努力をすることであり、また2種類の(無罪を有罪、有罪を無罪とする)誤審に対してあらゆる予防策を講じることであるのは間違いない。


    3 なぜ人々はこんなに非合理なのか
    パンデミックと同時に、世界にはワクチン関係のフェイクニュースや迷信、陰謀論が大流行した。なぜ人々は合理的に推論ができないのか。
    望ましくない結論にたどり着く前に、論理の筋道を断つための昔ながらの方法は、その主張者を力ずくで阻止することである。だがそこまで荒っぽくない方法もある。どんな問題にも必ずつきまとう不確実性を利用し、詭弁、情報操作、その他の説得術を使って議論を望ましい方向へ誘導すればいい。
    レトリックを駆使して議論を望ましい方向に導くやり方を「動機づけられた推論」という。これは多くの戦術を伴う。確証バイアス、選択的接触(自分の考えに合う情報を選ぶ)、人身攻撃論法、感情の誤謬といった、数々の錯誤、論法により自分の主張を正当化する。
    わたしたちの推論の多くが議論に勝つために調整されているように見えることから、ヒューゴ・メルシエやダン・スペルベルをはじめとする認知科学者たちは、これを「推論の適応機能」だと考えている。つまりわたしたちは直感的な科学者ではなく、直感的な弁護士として進化してきた。自分の立場を守るためにはいい加減な言葉でごまかすくせに、他人の主張となるとすぐに間違いを指摘するというわけだ。

    人はある結論にたどり着くために、あるいはある結論から逃れるために推論するのであって、それが個人的に得にならなくてもそうする場合がある。要するに目指す結論が、自分が属している政治的、宗教的、民族的、文化的な集団の正しさや気高さを裏づけるものであればいい。これは明らかにマイサイドバイアスであり、このバイアスはあらゆる種類の推論を乗っ取ってしまう。
    スタノヴィッチはこのバイアスを今の政治的状況に関連づけている。彼によれば、わたしたちはポスト真実の社会を生きているのではない。わたしたちが今生きているのはマイサイドの社会であり、それこそが問題なのだという。ここでいう「サイド」は右か左かということで、どちらも真実を信じているのだが、何が真実かについてはまったく違う考えをもっている。このマイサイドバイアスがわたしたちの議論に侵入し、そこかしこにはびこりつつある。
    これはかなり気の滅入る傾向だ。その理由の1つは、人為的気候変動の否定や創造論などの、科学的コンセンサスを認めない考え方が生まれるのは、数学や科学の素養の問題ではないかもしれないからだ。その理由の2つ目は、これだけ再現性の危機が叫ばれているなかで、悩ましいことにマイサイドバイアスは再現性が高いからだ。心理学者のキース・スタノヴィッチは『わたしたちを分断するバイアス』のなかで、マイサイドバイアスは人種、性、認知スタイル、教育レベル、IQを問わずに見られると述べている。基準率無視やギャンブラーの誤謬といったほかの認知バイアスには陥らないような賢い人々でさえ、例外ではないという。

    疑似科学、超常現象、そしていんちき療法は、人間の心の最も深いところにある認知直感の一部に働きかける。人間は直感的な二元論者で、心は体とは別に存在しうると感じている。わたしたちはごく自然にそう感じるのだが、その理由は、自分や人の信念や願望を作り出している神経ネットワークが見えないからだけではない。心が体につながれていないことを、わたしたちの経験の多くが示唆しているからで、そのような経験には夢、トランス状態、幽体離脱、そして死も含まれる。人間にとっては、心が物理的な媒体を必要とせずに現実と、また他の心と交信できると考えることに無理はない。だからわたしたちはテレパシー、予知能力、生まれ変わり、あの世からのメッセージなどを信じがちになる。
    また人間は直感的な本質主義者でもあり、生物にはわたしたちの目に見えない謎の物質が含まれていて、それが形や力を与えていると感じている。人が植物の種、薬になる成分、毒などを調べるようになったのも、そうした直感によるものだ。だがその同じマインドセットが、ホメオパシー、ハーブ療法、瀉血などを信じることや、ワクチンや遺伝子組み換え食品といった異物の混入を一切拒否することにつながってしまう。
    さらにわたしたちは直感的な目的論者でもある。人間は何らかの目的があって計画を立てたり物を作ったりするので、他の生物や非生物の複雑な世界にも目的があると考えたがる。そのせいで、創造説、占星術、シンクロニシティ、あるいはすべての事象には理由があるという神秘主義的な考えを受け入れがちになる。

    科学教育はこのような原始的直感を制御するためにあるはずだが、実はその効果はいくつかの理由からかぎられている。一つは、創造説、霊魂、聖なる目的といった信念は、宗教上、文化上の諸グループによって神聖なものとみなされていて簡単には払拭できないし、人々の心の神話ゾーンに大事にしまい込まれている場合もあるからだ。もう一つは、高等教育を受けた人々でさえ科学の理解が浅いからである。

    規範というものは、さまざまな社会的ネットワークのなかで暗黙の賛否が広がることによって時とともに変わりうる。そしてその過程では、わたしたち一人一人が合理的な習慣に微笑み、非合理な習慣に眉をひそめることで自分の役割を果たすことができる。そのようにして規範が変わり、自分のクリークのドグマに忠実な戦士が信頼されるのではなく、自分の信念が不確かだと認めたり、自分の支持政党のドグマに疑問を投げかけたり、事実が変わったときに自分の考えを改めたりする人が信頼されるようになったら、どんなにいいだろうか。またその逆に、逸話を過大解釈したり、相関と因果を混同したり、連座の誤謬や権威に訴える論証などの非形式的誤謬を犯したりすることが恥ずべき失態になるとみなされるようになったら、どんなにいいだろう。


    4 合理性は人々や社会の役に立つのか
    批判的思考を広める活動をしているティム・ファーリーが、批判的思考の失敗がもたらした実害をウェブサイトにリストアップした。1970年から2009年までの期間(特に最後の10年間)のもので、それらを合算すると、死者が36万8379人、負傷者が30万人以上、経済損失は28億ドルにも上る。そのなかには、普通の医療を拒否したり、ハーブ療法や同質療法、ホリスティックヒーリングなどに頼ったりして自分や子供たちを死に追いやった人々、終末論カルトの信者の集団自殺、魔女や魔術師、あるいは不幸の元凶だとされて殺された人々、霊能者や占星術師その他のペテン師を信じて金をだまし取られた人々、陰謀の妄想にとりつかれて行動し、逮捕された無法者や自称法執行者、そして迷信やデマがきっかけとなった経済恐慌などの事例が含まれている。
    また、心理学者たちは合理的な推論能力がライフアウトカム(社会的達成など)を予想させるものであることを発見した。誤謬の少ない推論ができる人ほど、人生での失敗も少ないことが分かったのだ。

    世界の物質的進歩と貧困の減少は合理性――科学を軸とした創意工夫の成果である。また、平等、博愛、権利など、人間同士の接し方の向上も合理性によりもたらされている。宗教的迫害の禁止、残虐な処刑の禁止、同性愛の犯罪化の禁止など、ある行為が許されず、人々の価値観と矛盾していることを指摘する最初の一歩は、シンプルな論理的主張から始まっていた。

    健全な議論があれば、わたしたちは原則と一貫した実践を、また人間の繁栄という目的とも一貫した実践を行うことができる。健全な議論だけで世界をより良くできるわけではないが、それはわたしたちを変化へと導いてきたし、これからも導いていくべきものである。健全な議論は道徳的な力と野蛮な力を、正義のための行進と群衆によるリンチを、人類の進歩と物事の破壊を区別してくれる。
    そして、道徳の進歩が続くようにしたいなら、わたしたちに必要なのは道徳の荒廃を暴くための健全な議論であり、実現可能な改善策を見つけるための健全な議論だということになる。

    道徳の進歩を導く合理性の力は、物質的進歩と人生の賢い選択を導く合理性の力と一致している。わたしたちがこの無慈悲な宇宙のなかで客観的な幸福を少しずつ増やしていけるかどうか、そして本性に欠陥があっても他者に対して良い行いができるかどうかは、自分の偏った経験を超える公正原則を把握できるかどうかにかかっている。わたしたちは合理的思考の基本能力を与えられている種であり、その範囲を広げる方法とそのための制度を発見した種である。そしてその方法と制度があるからこそ、わたしたちはアイデアを得ることができるのだし、直感を惑わせはするが、それでも真実である現実と向き合うことができるのである。

  • ●パスカルの賭け。神を信じるべき理由。神を信じているのに神が存在しないなら、祈りが無駄になる程度のことだが、神を信じていないのに神が存在するなら、君は永遠に神の怒りを買うことになる。
    ●限界効用逓減。
    ●プロスペクト理論。プラスになるときは確実性を、マイナスになるときはリスクを選択する。
    ●知らぬ間に命をかけている人は大勢いる。1分でも時間を節約しようとして、制限速度を無視した事は無いだろうか?道路を横断中にメールのチェックをした事は無いだろうか?
    ●ナッシュ均衡。2人とも相手が最適な戦略を選ぶと言う前提で、自分も最適な戦略を選んでいて、どちらかが一方的に戦略を変えても得にはならない均衡状態のこと。

  • 著者は、「信じなければいけないものとされるものは一切信じない」と断言する。人間の客観的な幸福を示す多くの指標は、時系列的にプロットすると満足のいく増加傾向を示すが、それは何かの力や弁証法や進化法則が人類をよいほうへ押し上げているからではない、と表明している。そして、以下の一文には単なる共感を超え、感動すら覚える。
    「「進歩」とは、この容赦のない宇宙のなかで、人類がかろうじて示すことのできた抵抗と、無理やりもぎ取った勝利の総体を指す略語であり、説明を要する一現象のことである。そしてその進歩を説明できるものが合理性である。人類の福祉を向上させるという目標を掲げ(栄光や贖罪といった疑わしいものを追い求めるのではなく)、自分たちの創意工夫を制度にして他の人々と共有できるようにしたとき、時折、人間は成功する。そしてその成功を維持し、失敗を防ぐことができたとき、時折、利得が蓄積される。この全体像を「進歩」と呼ぶ。」
    この進歩を説明するための合理性ツールについて、いくつか紹介してくれる。論理学、確率、ベイズ推論、ゲーム理論、相関と因果など。いくつかの領域は、本書を読むだけでは十分に理解が及ばないものも含まれる。しかし、このようなツールがあることを理解し、ある程度でも踏まえて生活することが個人的にも社会的にも肝要であることを改めて認識させられる。

  • 上よりも、さらに歴史的な背景色が強くなり、あまり面白さを感じることができなかった。

  • 前編より良かった
    合理的に生きるために人間のバイアスをメタ認知しておく必要がある。批判的思考を持つ
    平均回帰
    個人より集団の方か正しい判断ができるということから、色んな人と議論していくのがいいんだろうなと感じた。
    自分と似た思想の意見だけを摂取することへの危険性を感じたから自分と反対の思想の意見も積極的に摂取せねばと思った

  • 医学部分館2階集密 : 115.3/PIN/(2) : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410170155

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/789761

  • 【#Rationality #人はどこまで合理的か】
    とても難しい本でした。
    『合理的』と言う言葉の定義を再認識させられる内容です。
    .
    僕は『自分は合理的な人間』だと思ってましたが、この本を読んだ後ではそんなことは言えなくなりました。
    .
    この本にこんな言葉があります。
    『合理性は公平無私のものである。合理性はどこでも、誰にとっても同じであり、それ自体の運動方向と運動量を持つ。したがって、人間にとっては厄介事にも障害にもなり得るし、侮辱にさえなり得る。』
    .
    つまり、個人的な思想や考えは一切加味せず、データや確率を用いて数学的に解析し、傾向や法則を見つけ出すこと。
    それが『合理的』と言うことみたいです。
    たぶん。笑
    #難しいから半分くらいしか理解出来てない
    .
    そもそも、この本を読みたくなったのは疑問があったからです。
    帯にも書いてますが、
    「どうして合理的な発言をしている人が、非合理的な行動したりするんだろう?」
    とても不思議でメカニズムを知りたかったのです。
    .
    この疑問に対しての答えは見事に解決。
    てか、僕がふんわり思ってた事が力強く、明確に書かれていたので納得したって感じです。
    (知りたい方は下巻の10章を読むだけでOKです)
    .
    とにかく、読むのに苦戦したので、しばらく難しい本に手を出すのはやめときます。笑
    #カフェ #小松島 #自家焙煎 #コーヒー #ヒガシネコーヒー

  • 陰謀論が流行る理由は、この本のハイライトだと思うが、さ程説得力がある議論が展開されているわけでは無い。
    人間の認知には、日常生活用の「現実マインドセット」と、自分とは遠いものに対する「神話マインドセット」があり、現実マインドセットが扱う事柄では、真実かどうかの判断が行われるが、神話マインドセットに属する事柄(遠い過去、遠く離れた場所、予見できない未来など)については、真偽は問題にされず、楽しみや刺激となる。現代は、元々神話マインドセットに属する物まで、現実マインドセットに組み込もうとして(真偽、黒白をつけようとして)、または、ある人にとって神話マインドセットの事柄が現実生活に関わってくることによって起こるというのは、ちょっと面白い。

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著者プロフィール

スティーブン・ピンカー(Steven Pinker)
ハーバード大学心理学教授。スタンフォード大学とマサチューセッツ工科大学でも教鞭をとっている。認知科学者、実験心理学者として視覚認知、心理言語学、人間関係について研究している。進化心理学の第一人者。主著に『言語を生みだす本能』、『心の仕組み』、『人間の本性を考える』、『思考する言語』(以上NHKブックス)、『暴力の人類史』(青土社)、『人はどこまで合理的か』(草思社)などがある。その研究と教育の業績、ならびに著書により、数々の受賞歴がある。米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」、フォーリンポリシー誌の「知識人トップ100人」、ヒューマニスト・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。米国科学アカデミー会員。

「2023年 『文庫 21世紀の啓蒙 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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