ウクライナ・ショック 覚醒したヨーロッパの行方

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794226228

作品紹介・あらすじ

本書は2022年2月24日に起こった「ウクライナ侵略」の背景を描き、その原因や影響を考察したノンフィクションである。著者は読売新聞のべルリン特派員を10年近くつとめ(現在はフリー)、『ドイツリスク』(光文社新書)で山本七平賞を受賞しているドイツ通のジャーナリストである。

今回、戦闘地そのものには取材できなかったがウクライナ西部の国境の街リヴィウや隣国ポーランドなどを著者は実際に訪れて取材している。また過去に何度もウクライナに取材したことがあり、とくにクリミア併合のあとの2015年にドンバス地方の内戦地で義勇軍の取材をしている。

この戦争により理想主義で夢見がちだったドイツが覚醒し、大胆に政策転換したことに著者はまず驚いている。ドイツ内部にあったロシアの民主化への甘い期待は裏切られ、経済的なつながりが平和を生み出すと考えられたメルケルにいたる戦後の融和策は抑止策へと変化した。

またそれに増してポーランドやバルト三国、北欧の2国などの抱える歴史的な恐怖心はすさまじい。ウクライナも含めて、第二次大戦でのナチドイツと共産主義ソ連の戦いに翻弄された過去がこの戦争には色濃く反映している。このあたりの各国の微妙な立ち位置を描く著者の分析は見事である。

つまるところポストモダンな西欧のリベラリズム(環境主義、エネルギー問題、過激な文化運動、移民政策など)が社会に分断を生み出し、ロシアに侵略の口実を与えたというのが著者の指摘の一つでもある。

最終章で著者は日本は明日のウクライナかドイツかポーランドかと問いかけている。
日本も覚醒せよということなのかもしれない。

感想・レビュー・書評

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  • ロシアはスターリンとその遺産を清算していない。スターリンはロシアで最も人気のある政治家の一人。非常に深刻な事態だ。プーチンはソ連の解体は前世紀で最大の地政学敵な悲劇だという。

  •  実際には「ウクライナ」は遠い国、一生の間に訪れることはないだろう。しかし、本書は、ウクライナを一挙に私たちに近づけてくれる。
     冒頭の引用。
    「自由貿易体制や他国間強調を基軸にしたリベラルな国際秩序の、また、国の徳利を確かにするための領土保全の原則の最大の享受国が日本である。それを公然と破壊する国や行動を容認できないのは自明」(28頁)
     少なくとも、我々が、可能な限りで支援の輪を広げることを正当化する。遠い国の問題ではない、我々の問題でもある、ということを教えられた。

  • ロシアによるウクライナ侵攻後、欧州がどのように変わったか5つの章に分けて書かれいてる。
    1. ドイツ
    第二次大戦以降、復興にあたり戦争に関わらない平和主義、事勿れ主義が国の根幹にあった。また同国にとってロシアは主要なエネルギーの供給元であったが、ウクライナ侵攻後、ロシア依存のリスクを認識しエネルギーの多角化に取り組むとともに、ウクライナへの軍需物資の支援に動いた。
    2. ポーランド
    ロシアの怖さを認識していたポーランドはウクライナでの出来事を自分ごとと捉え、積極的に避難民の受入、支援を行ってきている。また早くからエネルギーの調達をロシアに頼らない体制を作っていた。
    3.歴史戦争的側面
    歴史的なウクライナの独立国家としての正当性とそれを否定し、元々ソ連の一部であり自国に取り込むべきと主張するロシアの歴史的な側面を持つ戦争である。
    4. ロシアの戦争
    冬戦争とウクライナ侵略を比較するとロシアの戦争の仕方は変わっていない。
    ①安全保障上の理由で侵略
    ②相手国へのみくびり、計画の杜撰さ、自国民の犠牲の多さ
    ③国家の危機を通じて相手国が団結した。

  • 東2法経図・6F開架:319.3A/Mi91u//K

  • 現実から抽象された理念や理想は現実において実際の力を持つ。
    相対主義とは、正義の感覚が希薄であるために陥る考え方のこと。

    「普遍的な判断基準を希求しない姿勢は状況追随的で、ある状況での正義が別の状況では不正義になったりする。よく言えば柔軟性があり、「神々の闘争」とでもいうべき原理的な対立を生まない利点はあるが、既成事実を追認するだけに終わることがしばしばである。」p.36
    カティンの
    「日本の「平和主義」は戦後の、米国の軍事力に守られるという恵まれた条件でしか通用しないイデオロギーではなかったか。この疑念から出発しなければ、いかなる思想も深さを持てるわけがない。」p.37

    ウクライナ人はIDが電子化されているので、外国からでも身元確定が可能だった。そのこともポーランドがウクライナ難民を受け入れやすい要因となった。

    第二次世界大戦でドイツ側として戦った東欧やバルト三国は、ナチズムに賛成したわけではなく、ソ連の全体主義から自由になりたかったんだ。

    「ちょうどキーウ近郊ブチャの虐殺が報道された直後で、「集団埋葬地を見ると、ブチャで起きたことは本当にひどい」と、ロシア軍の非人道性を激しく批判することから(ワルシャワ大学政治・国際学部ウカシュ・ゴヴォタ准教授の)話が始まった。

    「後ろ手を縛り射殺するやり方は、『カティンの森の虐殺』と同じ。ロシアは変わっていない。ロシアは啓蒙思想の影響を受けていない。生命、私的財産といった価値への尊敬の念がない。我々とはまったく異質の価値観だ。海外旅行を楽しむロシア国民もいる一方、国民の70%はこうした価値に無関心だ」」p.129

    「「かつて(のウクライナ)は腐敗の程度は信じられないくらいひどく、国家とは言えなかった。ポーランドは冷戦終結後、30年間、NATO、EU加盟、経済発展、西側との結びつきなど努力してきた。ウクライナは20年を無駄にした」

    「ただ、2014年からは完全に違う国になった。NATOがウクライナ軍を支援し、ポーランドも訓練を行った。ウクライナも我々も時間を無駄にしなかった」
    ポーランドの姿勢については、「ウクライナを支援してきたのは、次は我々がロシアの侵略にさらされるかもしれないという気持ちからだ。ウクライナが我々のために戦っていることを知っているからだ」と簡潔に表現した。ポーランドにとって、ウクライナの安全保障と自国のそれは、不即不離のものなのである。」p.129‐130

    「ことさら道徳的な優位を見せたがる(ドイツ人の)傾向は、ホロコーストが生み出したいびつな贖罪意識も加わっている。平たく言えば何かにつけてナチ時代を持ち出され、道義的な批判を受けてきたことへの内心の反発が、「我々のほうが実は道徳的に優れている」ことを示して、心理的な代償を得ようという姿勢に結びつく。」p.140

    「ロシアに対する嫌悪はプーチンやロシア軍に対してばかりでなく、ロシア社会、国民にも向けられている。というのは、ロシア国民は政府のやることに支持ばかりを与え、抵抗しないからだ。
    ロシアにも1990年代、一種の民主主義があったが、ロシア人はそれを好まず、この20年間、プーチンと権威主義国家を選んできた。他方、ウクライナは常に民主主義的な選挙を行ってきた。けっして順調ではなかったが、政権交代は民主的だった。」p.144

    「プーチンがナチのパラダイムを使うのは、ロシア国民にとってわかりやすいからだ。ソ連存立の神話は第二次世界大戦のナチ・ドイツに対する勝利にある。ロシア人のマインド・セットに非常によく適合する。だからいまでもロシアのプロパガンダに利用されている。

    新ロシアでないすべての政党、政府はナチになる。ウクライナの非ナチ化とは、新西側世界の政党、政治家、組織、活動家を一掃することだ。」p.144

    「人間は自分が生きることや周りの世界を意味づけなければ生きられない動物だが、その一つが国家に関するものである。ウクライナ侵略にも見られるように、国家とは場合によっては国民に死をも強いる存在であるだけになおさら、強力な正当性が要求される。」p.174

    「ヨーロッパ大陸部の力の実体は、19世紀後半以降は、ほぼドイツ帝国とロシア帝国、そしてナチ・ドイツとソ連に独占されていたので、狭間の国の政治勢力にとって、何か実効ある政治行動をしようとすれば、どちらかの力を借りざるを得なかった。どちらにも属さない独立した民族運動がありえたとしても、それはおそらく非力だった。ウクライナだけではなく、フィンランド、バルト3国、ハンガリーなど、おしなべて同じような状況に置かれていた。

    国家独立のための闘争の歴史と、他民族殺戮への下端の歴史をどう整合性をつけて一つの歴史物語にまとめ上げるのか。錯綜した「歴史戦争」をうまく切り抜けて、誇るべき自国史を紡ぐために、ウクライナの歴史家ジンチェンコやパトリュラクの論理はどこまで通用するのか。」p.194

    「冬戦争と今回のウクライナ侵略を比較すると、次のような異同が浮かび上がると思う。

    第一に、両戦争ともソ連(ロシア)の安全保障上の懸念が、侵略の大きな要因となっていたと思われることである。ソ連にとってはナチ・ドイツであり、ロシアにとってはNATOである。NATOは侵略的な組織ではないが、プーチンの主観的な認識はまた別問題である。

    第二に、ソ連(ロシア)の見くびり、誤算、ずさんさ、そして、フィンランド(ウクライナ)の準備と果敢な光線は共通する。さらにソ連(ロシア)の犠牲者の大きさが物語るように、自国兵の生命を軽視した戦い方はあまり変わっていないようである。

    第三に、ウクライナには西側諸国からの支援が集まっているが、フィンランドは独力で戦わざるを得なかった。途中から計画された英仏の軍事介入もあまりあてにならない規模のものだった。そのことが、冬戦争ではフィンランドから早期に講和を探る動きにつながったのだろう。

    第四に、危機を通じて国民の団結が促された。当時のフィンランドは内戦によって国内に亀裂があったが、戦争を通じて連帯が高まった。ウクライナでも同じ現象がみられる。

    第五に、自衛のために果敢に戦うことの重要性である。両方のケースとも犠牲をいとわずに優先し、戦果を挙げる状況を目にして初めて、諸外国も支援に本腰を上げた。

    ソ連(ロシア)の周辺国に対する姿勢は一貫している。事あらば、周辺国の政権そのものを、自国に都合のいい政権に挿げ替えることもいとわない。ずさんな作戦計画に基づき、自国兵の犠牲を省みない戦い方だが、ともあれ領土を簒奪する。

    この二つの戦争に限らず、双方がまだ相手を圧倒できると認識しているうちは、停戦に応じるインセンティブは薄い。一方が継戦の意志がなくなるくらい敗北する、均衡状態となり双方とも戦局の打開ができず、戦争長期化の不満から国内情勢が不安定化するといった状況にならない限り、当事者から停戦が提起されることはないだろう。

    冬戦争の場合は英仏介入の可能性が高まり、フィンランドの政権転覆という一方的勝利を得ることができないとわかって、ソ連側が停戦交渉に応じた。

    さらに、いったん講和に持ち込んでも、片方、あるいは双方に不満が残れば、戦争再燃の可能性は十分にある。フィンランドは諸外国から支援を得られなかった冬戦争を教訓に、ナチ・ドイツとの協力関係を強化し、「継続戦争」では、ドイツと協力してソ連を攻撃した。」p.218‐219

    リトアニアの外務省NATO担当の外交官タダス・ヴァリオス
    「リトアニアにとって、戦争を始めた二つの邪悪な国があった。ドイツとソ連、ヒトラーとスターリンだ。ドイツはヒトラーを清算したが、ロシアはスターリンとその遺産を清算していない。ドイツがヒトラーを祝うことはないが、スターリンはロシアで最も人気のある政治家の一人だ。非常に深刻な事態だ。プーチンはソ連の解体は全盛期で最大の地政的な悲劇だという。我々にとって最大の悲劇はソ連の一部になったことだ。我々は自由に戻っただけだが、そのことが大きな隣人にとっては問題というのだ」p.222

    「NATO東方拡大がウクライナ侵略の原因となったという主張に対する反論として、次のことが言えるようだ。

    第一に、NATO東方拡大はしないという、外交交渉での米国交渉者などによる発言は、公式な文書となっておらず、外交上の約束とは言えない。

    第二に、プーチンも就任後、2000年代前半までは、欧米との協調路線をとり、NATO東方拡大を容認していた。前述のように、ロシアは1997年にNATOと基本議定書を結び、互いに敵とみなさないことを確認した。2002年には「NATOロシア理事会」新設に関する「ローマ宣言」にプーチンが自ら署名した。ポーランドなどが加盟した第一次東方拡大(1999年)、バルト3国などが加盟した第二次東方拡大(2004年)を容認したと解釈できる。

    第三に、ウクライナのNATO加盟が差し迫っているという状況にはなかった。ドイツ、フランスを中心に西欧諸国の大勢は紛争当事者になることを恐れ、ウクライナの加盟に消極的だった。もちろん、仮にウクライナのNATO加盟が具体化したとしても、そのことをもって侵略することが許されるわけはない。

    第四に、NATO拡大を控えていれば、プーチンの姿勢が軟化したかは妖しい。旧ソ連圏諸国を非同盟の状態に置くよりも、何らかの安全保障機構に組み込んだ方が一般的には安定の可能性は高いだろう。プーチンは力の信奉者だから、周辺国家が軍事同盟に入り侵略の誘因を作らないことの方が、安定と平和には近道かもしれない。」p.224

    「ウクライナ侵略は、日本とヨーロッパの関係にどのような影響を与えるだろうか。侵略に対して、日本はよく米国、ヨーロッパと連携して、ウクライナ支援、対ロ制裁を進めたと言えるだろう。地理的に日本から離れた紛争に関して、国際秩序や人権を守ることを基軸に外交を進めたのは、これが初めてではないだろうか。「志を同じくする国々」(like-minded countries)との連帯が広範に成立した画期的な出来事だった。

    西側世界にとってもう一つの課題は中国である。ヨーロッパにもアジアの安全保障に関心が生まれているが、日本はこの巨大権威主義国家と直接対峙しなければならないのに対し、ヨーロッパは中国の軍事的脅威にさらされているわけではない。日本が対中抑止にヨーロッパを引き寄せることができるかどうかが問われる。」p.252

    「中国の改革開放路線を受けて世界は、経済発展すればやがて自由で民主的な中国が出現すると考えた。経済的結びつきを強めることこそ、そのための捷径であるはずだった。しかし、それが見果てぬ夢だったとの認識がヨーロッパでも広まった。

    ヨーロッパ各国がアジア安保への関心を高めるのは、ヨーロッパでもこうした中国の異質さや影響力増大が実感されるようになったことが大きい。」p.259

    「スロバキアのシンクタンク「GLOBSEC」副代表のローラント・フロイデンシュタインは台湾訪問が続く理由として、世界が民主主義と権威主義という二つの政治体制の競争になっており、ヨーロッパにとって中国は「体制上の抗争者」、台湾は「民主主義の同盟者」であるとの認識が強まっていることを挙げた。さらに、中国は中国文化が民主主義と相いれないと主張しているが、台湾はその反証となっていることも重要だという。」p.176

    「日本として望むらくは、ヨーロッパ主要国が困難な中でも、対ロシア、対中国で使い分けるのではなく、ロシアの侵略に対して貫いたような原則的な姿勢を対中国でもとることである。そして、権威主義国家との間では、軍事的な均衡という戦略的安定の上でしか正常な外交も通称もないとの認識を共有して、日米、オーストラリア、台湾などを中心とした中国抑止の体制に少しでも関与してくれることである。

    日本としては、ヨーロッパ主要国の対中政策がどうあれ、自国自身が防衛努力を重ね、インド太平洋の安定に責任を負う覚悟を示すことが最も肝心だ。そうでなければ国際社会からの支援も期待できないことは、ウクライナが多大な犠牲を払いながら示している通りだ。」p.283

    「ウクライナ侵略の終結の在り方によって、世界の行方は大きく左右されるが、大きく言えば、経済活動や人の移動の自由を実現さえすれば、繁栄と平和を享受できるという微温的な考え方は当面放擲され、国家による警戒や管理が重視される時代が来るのだろう。」p.286

    「地政学がヨーロッパ主流のものの見方に復活しているとすれば、それは端的に言って軍事的な要素が外交にも復活したということである。これまでの言葉を使えば、対話、多国間協調、自由貿易に基づくポストモダンな国際政治観から、抑止、勢力均衡、経済安全保障に基づく古典的国際政治観への回帰である。」p.287

    「ウクライナ侵略の根拠は、プーチン、あるいはロシアの一部にある牽強付会な歴史認識や、過剰な西側世界への脅威認識しかない。ロシア系住民の保護であれば、もっと賢明なやり方はあった。侵略に正当性を認めることはできない。

    プーチンは20世紀のヒトラー、スターリンと並ぶ世界史の極悪人と評価されるかもしれない。
    ただ、これほど無益な戦争を実際に起こしてしまう国、体制があるということは厳然とした事実としてある。一人の独裁者の誤った現状認識、独断的な野望によって、実際に権力装置が動きだし、他国を蹂躙し人間を殺戮する。

    プーチンは首脳会談に際して、他国の首脳を数時間待たせても恥じないなど、最低限の儀礼を無視することで自分の権威が高まると感じるような幼稚さを持つのではないか。そうした人間を最高権力者に祭り上げてしまい、独走を許してしまう体制、あるいはロシアという国の恐ろしさがある。」p.299

    NATO不拡大の約束はなかった
    ―プーチンの神話について
    袴田 茂樹
    https://www.jfir.or.jp/studygroup_article/7401/

    NATOの東方不拡大の「約束」はなかった ー最新の外交史研究の成果から
    細谷雄一|国際政治学者
    https://note.com/yuichihosoya/n/n778caf033b27

    2022年9月12日、国防相のクリスティーネ・アンブレヒト(1965年〜)(SPD)による、ベルリンのシンクタンク「ドイツ外交評議会」(DGAP)の講演。
    ドイツでは初めて策定される「国家安全保障戦略」の基本的な考え方について。
    「自由と平和の未来を欲するのであれば、方向転換しなければならない。軍事的な安全保障をこの国の中心的な課題としてとらえ、そして行動しなければならない。

    我々は軍隊を、海外での危機対応、あるいはコロナ、水害、森林火災支援の当事者とだけ考えることに慣れ切っていた。その時代は過ぎ去った。我々は再び、軍隊を我々の生存のための備えの中心的機関として見なければならない。

    ドイツ人がナチの犯罪、ドイツ軍による絶滅戦争の後に、軍事的なものへの会議を美徳としたのは、驚くべきことではない。

    しかし、73年間の民主主義、67年間の民主的な軍隊は、違う国家、違う信頼、違う自信を作り出した。

    ウクライナ戦争は、すべての人、平和慣れしたドイツ人にも、国家は最後の機関として軍隊を必要としていることを示した。つまり、ある敵が侵攻、破壊、殺戮、追放を行おうと決意したときには、である。そしてまさにそのことが、この瞬間に我々のすぐ近くで起きているのである。

    ウクライナは軍事的に防衛できているからこそ存在している。我々はそこから教訓を得なければならない。つまり、我々にも協力で戦闘可能な軍隊が必要であり、それによって自分たちと同盟国を緊急の際に防衛することができる。

    時代の転換とは、財布の中で起こるのでは無い。頭の中で起こるのだ。そして我々は全員、その変化が一番難しいことを知っている。考え方の転換は苦痛を伴う。確信を考え直すこと、政治文化を変えること、新しい行動を受け入れることは、我々の時代の本当の挑戦である。

    ドイツの大きさ、地理的な一、経済、つまり一言でいえば重要性が、好むと好まざるとにかかわらず我々を主導的な力にしている。それは軍事においてもそうである。そこから大きな責任が生まれる。また、ドイツの軍隊は必要な時にちゃんといるか、NATO同盟国を守るために本当に戦う用意があるか、といった質問が生まれる。

    ドイツはこの新しい役割を担ううえで不安を覚える必要はない。というのは、われわれの民主主義は安定し、諸機関はしっかりしており、政治文化は軍事的ではなく平和的であり、多国間の同盟関係は完全であり不可逆的である。さらに我々の歴史ゆえに、我々は力や軍事に対して冷めた目を持っている。

    こうした政治文化の転換についていえば、新しいドイツの役割について国民の支持があるからこそ成立している。ドイツを、時代と状況が求める新しい役割に導くとき、我々自身、われわれ国民を信じよう」p.289‐290

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著者プロフィール

1959年生まれ。東京大学教養学部相関社会科学分科卒。1982年読売新聞入社。バンコク、プノンペン、ベルリンの各特派員を経て編集委員。米ハーバード大日米関係プログラム修了。著書に『ドイツリスク』(光文社、山本七平賞特別賞)、『本音化するヨーロッパ』(幻冬舎)など。

「2021年 『日米の絆 元駐米大使 加藤良三回顧録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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