〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組: 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した

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  • 新評論
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794806529

作品紹介・あらすじ

現代大衆社会の「正体」を明快に分析し、
暗さと閉塞感を突破する最もシンプルな思想を提示

 本書の目的/まず「現代」というものの正体を単純にあからさまに提示する。その上で、具体的に実行可能な提言をし、現代の状況全体に対して漠然と「暗さ」と「閉塞感」を感じている人々に脱出口を提供する。それが本書の目的である。
 本書の内容/「現代の全体」をおさえるためには、「現代大衆社会」の全体的性格をおさえなければならない。そのためには、その「大衆社会」を作り出したものを知る必要がある。それは紛れもなく「科学技術」と「民主主義」と「資本主義」であり、それらの背景にある「科学主義」、「自由主義」、「個人主義」、「人権主義」である。しかし一番重要なことは、それらのもう一段奥にある「ものの見方・感じ方・考え方」をおさえることである。ところが解りやすいことに、「科学・民主制・市場経済・大衆社会」は、ある一つの「単純な古代思想」と関連している。その関連を理解するための思考枠組を本書では提供する。
 本書の結論/現時点で「普遍的真理」も「普遍的正義」も政治的・学問的・哲学的に成立していないという現実を踏まえた上で、若干挑発的・反常識的な主張を経由し、「暫定的原則」、「無原則の友好」、「無条件の寛容」、「二重基準の標準化」が結論される。

感想・レビュー・書評

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  • 2023年1月に再読。
    この本による世の中の捉え方は多いに共感が持てる。
     『肯定主義』:人間には不純な部分も、理屈に合う部分も合わない部分も、優しい部分も残忍な部分もあって、そしてそれもいろいろな種類があって、そのどれも否定的でないことを認める「見方・感じ方・考え方・生き方」です。つまり、人間の「両面性」と「多様性、さらには「非合理性」を丸ごと認めて、それらを解放する立場。

     この名前と、平易ではあるが意味する馴染みのない主義を、無自覚に設定してきた自分の捉えてきた世の中の枠組みと入れ替えるかが少し手こずるが、この枠組みを設定して世の中を眺めると、スッキリし、見通しが効いてくる。

     こういった世の中の枠組み設定を考えだす人は、怪しい宗教家のように、『神』の領域を持ち出してこそ成り立つものだと思っていたが、最後に掲げられた楽観的な「現代観」は息苦しさを感じること一方だった未来に人間の可能性に賭けてみようという気持ちにさせてくれる。
     特に、『民主主義の限界』や『民主主義』と『資本主義』の相性の悪さ、『新しい民主主義』などとこの閉塞感が漂う状況世の中で、容易に『民主主義』を手放そうとする言説を繰り広げる知識人や言論界には、是非この枠組みを持ってして世の中を見つめ直して欲しい。
     そして、絶望している若者も、自分がとんでもない迷路に迷い込んでいたことに気付かされることだろう。
     ちょいと古い2005年2月発刊の本だが、今でこそ的を得ているのがわかる。
    氏は自死し、もうこの世に生きていないが、この本と『自死という生き方』をともに読むと、氏の生への覚悟と彼の長年の研究が彼にこの世の中の枠組みを見せたとも思えてくる。

  • p.85~86
    観念的虚しさ
    ①宗教、伝統、道徳、などによって与えられるる「価値」や「意味」の体系は、どれも嘘っぽい、根拠がない、と気付いた時の「哲学的な虚しさ」。
    ②人生や世界全体についての「意味」や「価値」の体系的理論が構築できないという「理論的虚しさ」。

    生活上の虚しさ
    ①自分が依拠していた宗教・伝統・主義が破綻した時の「喪失感としての虚しさ」。
    ② 伝統,宗教・主義の中で本分をまっとうしながら生きていても感じる「時折の虚しさ」。
    ③昔から、死 失恋、失業、失意、病気に際して、誰しも感じる「人生上の虚しさ」。
    ④ある種の集団や社会において全般的にはびこる「退廃的雰囲気としての虚しさ」。
    ⑤何かに変にこだわる人間の裏に隠された「潜在化した虚しさ」。

    ○不正義と非真理
    何が「不正義」かに関しては、私たちの「見方・感じ方・考え方」はかなり一致します。すべての犯罪に関しては無理であっても、強盗、強姦、誘拐など、ほとんどの凶悪犯罪は不正義です。
    ---
    p.159 ○直観と直感
    つまり、普遍的・客観的に「真理」と「正義」を確定することは難しくても、個別的・具体的・逐一的ケースに対して「非真理」と「不正義」を、いろいろな証拠・根拠・意見を参考にして、最終的には直感的に確定することは可能であるということです。そして、それしか可能ではないということです。
    ---
    p.161 ○「友好」と「正義・理想・真理」の険悪な関係
    そして、そのような逐一的・段階的歩みを阻害している最大の元凶こそ、既存の自称「正義」であり、「理想」であり、「倫理的共同体志向」であり、「宗教」であることは明白です。
    ---
    p.162 ○消極的立場
    要するに、何が良いか、何が正しいか、何か真理か、ではなく、何が悪いか、何が正しくないか、何が真理でないか、ということを、個別例に関してだけ判断を下すという「《消極的な場当たり的手続き》しか公共的にはないし、またあってはならない」ということです。

  • 須原教授の本。ぼくが勝手に恩師とおもってる人。亡くなられて5年くらいになるはず。教室でとにかく質問したのは懐かしい思い出。そんな補正が入っているので、どうなることかとおもったが、なかなか図太い内容であった。

    まずおもったのは、内容の濃淡が激しく、ギュウギュウなところとスッカスカのところがあったので、すらすら読めたり詰まったり、リズムがつかめなかった。
    哲学や思想には縁がないとはおもっていたけれど、考え方の極端な例や純粋な例には名前がつくこともあるらしいことを理解した。
    料理でいうと、ただの野菜や肉の炒め物であっても、回鍋肉と名付けられたり八宝菜という名前になったりするのとおなじで、特定のよくある形にはまったものに「ナントカ主義」とかいった名前がつくのだということ。

    世の中を憂うコメントがテレビやラジオなどのマスコミだけでなく近所の主婦やサラリーマン、学生や子どもにいたるまで、みんながなんとなくネガティブだったり、愚痴だけを抽出して他人と話したりするのを、
    考えなおしてみたら?
    と提案してる本というふうに理解。
    そうすると「哲学は思想を体系的に学問の体裁をとったもの」なので一般知識におとしこむことは無意味だということも、
    うしろめたいことをもみ消すために別のことに打ち込んで乾いた笑いをもらすことはしなくてもいいという結論も、
    よーくわかった。ぼくのことばにするとそういうことになる。
    「どうせ」とか「あの人はいいなぁ」とか「もっと若ければ」とかいう無意味な思考から解放されて、「けっこういい時代」の「いろんなことを自分で決められる世代」による「世の中ってなかなかいいな」と思い直すための入門書。かな。

    ただし、著者はもともと分析哲学のひとなので、クドかったり、複雑だったりするので、いっかいニーチェとかをマンガなんかで読んでからでもいいのかも。

  • 哲学の本であり、難しいだろうとは思いつつも、まえがきに“この本は1時間か1時間半くらいで、読み取ることができるだろう。”って書いてあったので、頑張って読んでみたが、理解するにはけっこう時間を要した。
    まず、現代は民主主義や資本主義などの自由無き肯定主義が叫ばれるようになり、実質的な死亡状態となっている。
    しかし、思想自体が死んだわけではないという事である。
    健康や幸福や安全に関心のある虚無主義(ニヒリズム)が衰弱した人間の典型とあることに少々動揺してしまった。

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