まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)

制作 : Italo Calvino  河島 英昭 
  • 晶文社
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レビュー : 19
  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794912435

感想・レビュー・書評

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  • ★★★
    ぼくの叔父、テッラルバのメダルド子爵は、特に善くも悪くもなく、悪意と善意の入り混じった普通の人だった。
    キリスト教徒とトルコ人との戦争に向かった叔父さんは、大砲の前に飛び出て身体を真っ二つに砕かれる。
    叔父さんの右側は味方の医師たちにより生き返り、ぼくたちのいる領土に戻ってきたんだ。

    帰ってきた叔父さんは、花や動物を真っ二つにし、家々に火をつけて周り、小さな罪で領民を死刑にし、村娘のパメーラとの結婚とその後殺すことを望んで、それらの悪行を諌めようとした乳母のセバスティアーナを癪病患者たちの集落へと追いやった。ぼくだって何度も殺されかけた。
    叔父さんは言ったよ。「完全なものは半分になるのだよ。半分になることによって無知で鈍い完全さから抜け出せる。私もかつて完全だったころ、すべてが自然で愚かしく混乱していた。だが私は世界の半分を失い、そして何千倍もの意味を持つ残る半分を得たのだ。美も知恵も正義も断片でしか存在しない」
    だから村人は言った。あれはメラルド子爵の悪い半分だ。善い半分は戦場においてきてしまったんだ。

    それでは叔父さんの左側は?
    それも戻ってきた。
    叔父さんの左側は善意ばっかりでできていた。
    でもそれは非現実的で非人間的だったんだ。
    「私は自分がまっぷたつになったことにより、この世のすべての生き物が不完全であることの辛さに気付いたのだよ。以前私はいたるところにばらまかれた傷や苦しみに気が付かなかった。
    だがまっぷたつになった今、かつては知らなかった連帯感を持てるようになった。この世のすべての半端な存在と、すべての欠如した存在感に対する連帯感だ」

    ぼくたち領民は、叔父さんの善い半分にも悪い半分にもウンザリしていた。

    ある時両方の叔父さんがそれぞれパメーラと結婚することになったんだ。
    結婚式の場でパメーラを取り合う叔父さんたちは、決闘で勝負を付けることになったんだ…。

    ★★★

    子供の目線と言うことで軽く書かれているけれど、領民たちや異教徒たちの生活は相当過酷だ。

    第二次世界大戦をはさんで、母国イタリアが受けた傷、沈黙する文学界の圧迫感から書かれた小説。

  • いつものとおり語り手は少年、このお話もまことに奇想天外! 
    叔父のメダルド子爵は、戦争で砲弾を浴びてまっぷたつに飛び散ってしまいます。なにかをどうにかして、叔父の右半身は故国に戻ってきます。でも人が変わったように悲惨な悪行の数々……ほどなくすると、叔父の左半身が故国に戻ってくるのですが、こんどは彼の息詰まるような美徳の数々……。

    「……ぼくたちの感情はしだいに色あせて、にぶくなっていった。そして非人間的な悪徳と、同じくらいに非人間的な美徳とのあいだで、自分たちが引き裂かれてしまったことを、ぼくたちは思い知っていった」

    「この世のすべての人が、そしてすべての生き物が、それぞれが不完全であることのつらさに気づいてさえくれれば。かつて、完全な姿をしていたときには、わたしもそれがわからなかった。そしていたるところにばらまかれた傷や苦しみに気づかずに私は平気で歩き回っていた。完全な姿のものには、なかなか信じがたいのだ。パメーラ、わたしだけではないのだよ。引き裂かれた存在は。あなたもそしてすべてのものがそうなのだ。いまにしてようやく、わたしはかつて完全な姿のときには知らなかった連帯の感覚をもっている。それはこの世のすべての半端な存在と、すべての欠如した存在とに対する連帯感だ……」

    ***
    第二次世界大戦末期(1943年~45年)、ドイツ軍のイタリア占領がはじまります。イタリアでは、祖国解放をめざすパルチザンと、ドイツ軍を後ろ盾とする勢力が激しい国内戦を展開し、若きカルヴィーノはパルチザンに参戦しました。
    きっと……祖国をかけて同じ国の人々が相争っているうちに、人々の心はしだいに引き裂かれて石化して、互いの悪徳を唾棄して憎しみ、互いの正義と美徳に自己陶酔し、結局、人は何を得ようというのか? 果たして誰が悪いのか? たぶん誰も悪くない……それなら、人は一体なんのために闘い、その命を賭すのか?

    さて、メダルド叔父の善半と悪半の決闘では、

    「左右の剣客は……丁々発止とわたりあった。が、剣尖は相手の体に触れなかった。突きを入れるたびに、刃はあやまたずに相手のひらめくマントに差し込まれるが、どういうわけか、それぞれに相手の何もない側を、すなわち、おのれ自身があるはずの側を激しく突き立てるのだった」

    いや~寓話でここまで昇華させるとは凄いですね♪ 知性のペシミズムであり、意志のオプティミズムという感じがします。

  • メダルド子爵は、戦争で敵の砲弾をあび、まっぷたつにふっとんだ。左右べつべつに故郷の村にもどった子爵がまきおこす奇想天外な事件のかずかず…。イタリア文学が生んだもっとも面白い物語として読みつがれる、スリリングな傑作メルヘン。

  • 暴力が生む残虐さ。そしてその悲しさ。

    イタリアの作家、イタロ・カルヴィーノによる『我々の祖先』と題される三部作の1作目である(2作目:『木のぼり男爵』、3作目:『不在の騎士』)。
    詩情を湛えた不思議な世界で、寓話的とも幻想的ともいえるお話が繰り広げられる。
    戦争に駆り出された子爵は、戦闘の果てに、大砲で体をまっぷたつにされる。
    半分となった子爵の体には、悪い方の心しか残っていなかった。傷が癒え、故郷に戻った子爵は悪行の限りを尽くす。その恐怖の日々を、甥である「ぼく」が綴っていく。

    悪をまき散らして歩く子爵だが、元はといえば戦争で体を半分にされたためである。その意味で、このお話の底には悲しさが流れている。彼もまた、非情な暴力の被害者でもあるのだ。
    子爵の餌食となった小鳥、そしてその後の子爵の父の有様が悲しく、心に残る。
    医者であるトレロニー博士、子爵に命じられて処刑台の製作に励む大工の親方。「ぼく」を取り巻く人々は、けして清廉潔白でも根っからの悪人でもない。
    物語の背景はファンタジックだが、出てくる人々が生身の人間性を漂わせ、奇妙な現実感を生んでいる。

    ある日、「ぼく」は子爵に命を救われる。村人たちの中にも、子爵の善行を目にするものが増え始める。子爵に何が起きたのか。意外な事実が徐々に明らかになり、そして物語はある着地点に向かう。

    寓話性に満ちたストーリーは、読む人の人生観をいかようにも重ねられる懐の深さを持つ。子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、楽しみ、あるいは恐れ、味わうことが出来る不思議な世界である。
    誰しもが善き半分と悪しき半分で出来ていて、「責任と鬼火に満ちた世界」を渡っていく。
    余韻のある終幕は、希望と絶望の両方を呼び覚ます。


    *読み進めていくと、表紙と裏表紙の絵の意味がわかってくる。
    土橋とし子の骨太でどっしりした絵が、このお話の寓話性を強調している。これはこれで深い味わいだが、繊細で写実的な挿絵がついても、また別の味わいがありそうだ。

    *善と悪のシャープな二元論は、やはりキリスト教的な感じがする。日本的な発想からはちょっと生まれにくい気がするな。

    *原題は”Il Visconte Dimezzato”、dimezzatoは「二分された」の意。パンチの効いた訳語がよい。

  • 解離傾向、もしくは強迫傾向のある人とshareしてみたい。

  • 誰もがロールパンナちゃん。
    善も悪も持っている。

  • 完全な善も完全な悪もありえない、両者を併せ持つことの自覚が生きていく上で必要な知恵・・・と要はそういうことなのだけれど、そこで終わらないのがイタロの面白さ。善と悪とに引き裂かれた存在を目の当たりにした少年「ぼく」は、めでたしめでたしのラストでもハッピーではない。若き主人公の抱えた、漠然とした孤独感、不安感は、この小説の書かれた時代背景を表したものだろうし、それは今なお私たちも共有するもののように思った。
    根性の座ったしっかり者、パメーラがいい味。

  • 戦でまっぷたつになった体で自分の領地に戻って来た子爵。右側は良心をなくし悪行をつくし、そこへ左側が帰って来て今度は善行を行う。極端な善と悪の行いに振り回される人々。恐ろしくも楽しいおとぎ話に引き寄せられます。善と悪とは規律とは幸せとはと考えさせられる素晴らしい寓話です

  • 最後が…
    引き裂かなくてはならないとか、二人の意見が興味深い。

    ぼくが一番可哀想かなあ

    騎士>子爵>男爵

  • 上半身と下半身がまっぷたつだとずっと思い込んでいたら、じっさいは、縦にまっぷたつの子爵だった。
    子爵は善と悪の部分に、まっぷたつに引き裂かれるわけだけれど、善の半分が必ずしも善い者じゃないのが面白い。いわばありがた迷惑。
    善悪両方併せ持ってようやくもとの子爵になりました、という結末がカルヴィーノらしい。

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著者プロフィール

1923年キューバ生まれ。両親とともにイタリアに戻り、トリノ大学農学部に入学。43年、反ファシズム運動に参加、パルチザンとなる。47年、その体験を元に長篇『くもの巣の小道』を発表、ネオ・リアリズモ文学の傑作と称される。その前後から雑誌・機関誌に短篇を執筆し、49年短篇集『最後に鴉がやってくる』を刊行。エイナウディ社で編集に携わりつつ作品を発表、一作ごとに主題と方法を変えながら現代イタリア文学の最前線に立ち続ける。主な長篇に『まっぷたつの子爵』(52年)『木のぼり男爵』(57年)『不在の騎士』(59年)『見えない都市』(72年)『冬の夜ひとりの旅人が』(79年)などがある。85年没。

「2018年 『最後に鴉がやってくる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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