なにもない空間 (晶文選書)

制作 : 高橋 康也  喜志 哲雄 
  • 晶文社
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794921673

感想・レビュー・書評

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  • ピーターブルックの名著。
    演劇とは退廃、神聖、

  • 演劇は、ひとつの<空間>を浮きだたせる装置であり
    ブルックのいうイリュージョン、すなわち「イメージとしての言語」の伝達を可能せしめる。それは実体としては「象徴」という語に示されるものであろう。

    演劇においては、その「象徴」は、舞台の照明や道具の配置はもとより、脚本、演者、音楽などその他様々なものが複雑に絡まり合い構成されることで、浮遊されるように思うが、

    それでは、書においてそれはどうであろうと考えた場合、おそらくそれは独立した「展示空間」の構成というよりは、かつて掛け軸が掛けられていた「床の間」での作用を私は想起する。

    つまり「祈り」による「異化」を誘発せしめる<空間>の構成に影響を及ぼす存在としての書作と言うものを想像する。手紙文などに話を移しても、それはおそらく「送られ」<巻物を広げる>といった流れをも、「舞台」的な構成へ寄与しており、現代において「書」が「儀式性」を帯びるためにはどのような条件が挙げられるのかということは一考を要する。

    ●以下引用

    能の場合は、口伝されるのは意味であるーそして意味とは決して過去のものではない。それはひとりひとりがおのれの現在の体験の中で検証できるものだ。

    自分の意図や意味を、解説によってはっきり固定しようとする作家もいるけれど、すぐれた劇作家ほど自作の解説をしないものだという事実を、わたしたちは感動をもって認めないわけにはいかない。ーそれ以上の説明は無駄である

    ひとつの言葉を正しく語ろうとするものは、それを生み出したもとの創作過程に見合うような過程をくぐらなければならない

    ひとつの定義に合わせて演じようとした途端に、言葉の素朴な響きに対して、いかに硬直した不自然な争いが始まるか

    演劇においては生まれたかたちはすべて死すべき運命をもつ。すべてのかたちはあらたな受胎を繰り返さなければならない

    この作品の痛ましい主題がじかに身につまされて感じられてくるような生活体験

    聴衆はただちに理解した。彼らは彼と、台詞と、一体になった。

    それが完壁だったのは、ぎこちない自意識にわずらわされたり、自分の声の抑揚がおかしくないかと思案したり、そんな余分な関心を彼がまったくもちあわせていなかったからだ

    そこには彼と聴衆が分かち合っているひとつの情緒が在った。

    生まれつきもっている可能性を正当に開花させる機会に恵まれずに終わる俳優はかぞえきれないほどいる

    駆け出しの劇作家の作品が厚味に欠けるのは、人間的共感の振幅がまだ十分に伸びていないせいかもしれない

    メッセージの値打ちがどうであれ、それがものをいうか否かは、ひたすら舞台そのものにおける価値によってきまる

    初めから単純になろうと狙うのは、結局ろくなことにならない。単純な答えにゆきつくための厳しい手続きを安易に逃げてしまっても無駄なのだ

    舞台とは目に見えないものがあらわになる場所である

    さまざまな芸術の根本を定義したければ、おそらくこう言うにしくはないーある型がリズムとして、または形として、みずからを現したとき初めてわたしたちはその型を認識する、芸術とはそういう型について語るものだ

    いくら激烈な感情を抱いても、それだけでは足りないのであって、ひとつの創造的な跳躍をとげて、ある新しい形式を創り出す必要があるのだ

    自分の内的な衝動に盲目に身をゆだねてはならない、形式を求め形式を運ぶという責任を背負った芸術家として自覚し、一つの身振り、ひとつの叫び声を、ひとつの客体ー自分が発見していく客体、いや自分が作りかえていく客体ーたらしめなければならないのだ

    目に見えぬものが目に見えるということを悟達するのは、一生の仕事なのだ

    訓練の狙いは、ひとつの動きが初めてくりひろげられるとき、その中に流れるかそけきものをさらに鋭く意識することにある

    ★真の象徴とは実はきわめて具体的なものであり、ある一定の真実が姿をあらわしたのはこの形しかない

    その象徴によって、わたしたちの内部に畏怖にみちた大いなる虚空が開かれる

    ★イスラム教の托鉢僧の修道生活などでは、踊りや音楽が自己修練、自己探求の手段となっている

    ★俳優は自分をありのままにさらけ出すことをためらってはならぬ。なぜなら、訳の秘密を知るためには自分自身を開き、自分自身の秘密を暴露しなければならぬ、ということを彼は悟はずだからだ。そのため、演ずるという行為は生贄を供える行為、人がふつう隠しておきたいと思うことを犠牲として差し出す行為となる

    日常の生活がおおい隠しているものに祈りかけ、それを明るみに引き出すのだ

    異化とは停止への要求だからである。異化とはなによりもまず、観客が自分の頭を働かすように訴えること。

    もしもこういうことが徹底的に行われたら、やがて私たちはみずからが抱いている正邪についての見方が頼りないことを、突如として目を開かれるであろう。

    ★あらゆるものはイリュージョンである。イメージを通じて行う印象の交換ーそれが、我々の基本言語なのだ。ある人間があるイメージを表現しているその同じ瞬間に、別の人間が、信じるちうかたちで彼に応じる。その時に二人が共有する連想が、言語なのである。もしもこの連想によって第二の人間が何も呼びさまされなければーもしもイリュージョンが共有される瞬間がなければー高官は成立しないということになる

    ★彼はわたしたちに向かって複雑に組み合わされた一連の印象を送り出す。そしてわたしたちはそれを認識した時にそれを信じ、こうして少なくとも一時的には我を忘れてその印象に浸るのだ

    ★言葉、介入、遠くの音楽、舞台袖の音、登場、別れーこれらは、次第次第に、イリュージョンの言葉を通じて、人生の断片という全体的なイリュージョンを作りだしていく。こういう一連の印象は、同時に一連の異化作用でもある。起こることはすべてみな観客に対する挑発であり、観客に頭を使わせようとするものなのだ

    ★私たちはすでに劇の中に浸っていた

  • 舞台の話を基本として、表現や表現と関わってくる社会の話まで読み応えのある一冊だった!でもアルトーとかブレヒトを読んでればもっと面白かったのかもなー!だから端々の言葉に惹かれつつも難しく感じたところもあったかも!

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  • 舞台やってるならこれは読んでおくんだろうなあ。きっと。

  • 読んでもいいが、微妙な反感しか起こらない人もいるでしょう。
    でも、そんな切り口と歴史があるってお勉強にはもってこい。
    時々、めちゃ的を得ていて飛び跳ねてうれしくなる。

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