手話の世界へ (サックス・コレクション)

  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794925251

作品紹介・あらすじ

音声言語にまさるともおとらない、豊かな表現力をもつ「手話」。人間のコミュニケーションに新しい可能性をひらくこの言語を通して、ろう者の文化に光をあてる。14歳まで言葉をもたなかった少年。空間を自在に演出する少女。手話で夢みる老女…手話が禁じられた時代から今日まで、ろう者の歴史を辿りつつ、人間の脳に秘められた驚くべき潜在力を明らかにする。ろう者の「声」としての手話を考察し、言葉とは何か、人間とは何かを新しい視点で捉えなおす、優れたメディカル・エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 490.4-サツ

    少し古くなりましたが、「レナードの朝」を書いたオリバー・サックスの一連の著作が翻訳されています。
    まだ読んでいない方は映画から入るのがお薦めかも。
    現在も入手可能で、その魅力は今も色褪せていません。

  • 門外漢だったサックスが、ろう者の歴史を書いたハーランレインの本「こころで聞く時」の書評をきっかけにろうと手話の世界へのめりこみ、85-90年にかけて書いた。3部構成で1部はろう者の歴史。2部がアメリカの手話研究の歴史と、サックスの専門である神経科学の立場からの考察。3部は90年にアメリカ最古のろう者専門大学であるギャロデット大学でおこった学長選挙運動についてのレポート。そのほか150くらいある註も読み応えあり、ざっと読んだかぎりでは論点を網羅的に渉猟できるものの、とうてい十分に理解できてはいない。訳者あとがきにも書いてある通り、ろうを「疾患」ととらえるのではなく固有の文化ととらえることには慎重であるべきなのだろう。補聴器、人工内耳などろう者の助けとなるテクノロジーもさることながら、めまぐるしく発達するテクノロジーが手話によるコミュニケーションとどのように付き合ってきたのかもまた、今後の読書の課題(本書執筆当時新たなコミュニケーションの方法としてFAXが紹介されているのが隔世の感)。

    2部において語られるろう者カルチュアーを固有の民族集団としてとらえるのが過激である。チョムスキーをひきながら生成文法とアメリカ手話との関係、そして脳科学による活性箇所の特定を根拠に、単なるジェスチャーやマイムとは異なる独自の言語であることを説明する。この主張をはじめたのはウィリアムストーキーという中世学と言語学専門の学者で、60年に「手話の構造」65年に「アメリカ手話辞典」を発表した時は批判にさらされた。学者の間だけでなく、手話使用者たちからも理解をえられなかった。その背景にはアメリカのろう者の悲劇とでもいうべき手話の不遇時代があった。
    ここで手話の前史をメモしておく。
    第1部に詳しい。近代的手話の発明は18世紀フランスではじまる。1750年ころまでろう者は「おし=うすのろ」と考えられており、いくつかの基本的な手話や身ぶりしかつかえなかった。当然読み書きや社交とも無縁で、最低レベルの仕事をおしつけられていた。この背景には、モーセの律法に唖者が人間以下とみなされ、神との対話は声と耳によってなされていたこともある。そんななかド・レペ神父はろうあ者が告解による罪の許しをさえ得られなかったことにも心を痛め、ソクラテスに触発されて声以外の方法でのコミュニケーションを模索し始める。こうしてほとんどはじめてさげすみの対象だった手話を健聴者が学び始める。生徒のつかっていた手話と手指仏文法とをむすびつけた系統的手話をつくりだし、平均的なろう児がはじめてフランス語の読み書きを理解し、教育をうけられるようになった。1755年に創立されたろう学校は、公的支援をうけた最初の学校となった。ドレペ神父は教師を育成し、神父が亡くなる1789年には弟子たちはフランスとヨーロッパに21校を設立した。1791年パリにて国立聾唖院と名前を変え、文法学者シカール神父が院長となった。またピエール・デロージュの「観察記」(1777、ろう者自身によるはじめての書物)なども出版された。
    1816年渡米したシカールの孫弟子ロラン・クレールはアメリカのろうあ者の絶望的な状況をみて、トーマス・ギャロデットと協力してコネティカット州ハートフォードにアメリカ聾唖院を設立。すでにアメリカに存在していた土着的手話と手指仏文法をあわせたアメリカ手話ASLを形成した。数々の教育者がハートフォードを訪れ、学び各地にろう学校が設立されていく。レインの見積もりでは1869年時点で、全世界のろう者を教える教師は550名、アメリカではろう者を教える教師のうち41%が自らもろうであった。1864年、ろうあ者のための国立大学設立の機運が高まり、トーマスの息子エドワードギャロデットが初代学長となりギャロデットカレッジ(のちユニヴァーシティ)を設立する。
    フランスで半世紀ほど熱狂的に発展したろう者解放の旋風は、ここアメリカでもまきおこったものの、アメリカでは1870年を境にその勢いに陰りが見え始める。いくつかの理由がある。
    ①聾唖院創立の立役者クレールが1869年に亡くなったこと。
    ②ビクトリヤ朝風の抑圧的大勢順応をよしとする不寛容がたかまり世界中で少数民族、少数言語(たとえばウェールズ)が順応を激しく迫られたこと。
    ③そしてろう者に発話を教えるべきだという風潮が巻き返してきたこと。皮肉にも、手話がひろまるにつれて、手話の習得が一般社会への参入を難しくしろう者を孤立させることになるのではないか、という懸念から手話を禁じるような風潮が盛り上がり始める。発話か手話か。冷静なギャロデットは欧州の視察などから口話主義の教育機関より手話を採用した学校のほうが一般教育においてまさっていることを確認していた。ところが当時大きな影響力を持っていたアレクサンダーグレアムベル(電話の発明で著名な科学者。母と妻がろう者)は、1880年ミラノで開かれた国際会議で学校での手話の使用を禁止した。かくしてろう児は音声言語の使用を強要される時代に逆戻りしたのであった。この状態は1世紀あまりつづき、ろうの教師が教育現場から減っていった。
    口話法がうまくいったのならそれもよかったが、結果は惨憺であった。1850年代のろうの生徒は健聴者とそん色ない識字能力と教育水準をたもっていたのに、手話の抑圧により能力は一気に低下してしまった。理由として、健聴者が会話や音声メディアで偶発的に情報にふれられる一方で聾唖者にはそうした偶発的可能性が乏しい。また発話をおしえるのに5-8年かかるので複雑な学習までてがまわらない、などがある。こうした結果から、折衷案として、また大きな勘違いから、英語と手話の中間言語(手指英語)が導入された。

    こうして後退を余儀なくされたアメリカの手話事情に、転機が訪れる。1950年代後半、ウィリアムストーキーがギャロデット大学に赴任する。当初はチョーサーを教えるつもりだったが、この言語環境をみるにつけただちにその価値に気づく。
    P122
    スト―キ―はごく早いうちから、手話には少なくとも位置・手型・動きの三つの構成要素(初の音素に相当するもの)があり、各構成要素にはかぎられた数の組み合わせがあると考えた。「手話の構造」では、19種の手型と、12種の位置と、24種の動きをとりあげ、それらの表記法を提案しているが、じつはこのときまで、アメリカ手話を紙の上に書き写したことのある人間はひとりもいなかった。「アメリカ手話辞典」は、各手話が(食べ物の手話とか動物の手話とかいった)主題別に並んでいるのではなく、構成要素や構造や言語の原理にしたがって配列されているという点でも画期的だった。それは3千の基本的な手話「単語」の言語学的相関関係、すなわち語彙の構造を示していたのである。

    親や近親者から文法を体系的に教わったわけでもないのに、子供が言語(や手話)を覚えることができるのは不思議だ。それをチョムスキーによる生成文法の概念で説明している。生成文法とは、「有限の手段を無限にもちいる」もので、文法の「深層構造」であり、p125実際の言語使用によってかきたてられるまで神経系のなかに隠されている、種に特異的な生得的特徴とみなしている。この神経回路については、失語症などの疾患によって逆説的に存在を認められている。
    この生得的構造は、誕生時には十分な発達をとげていないし、月齢18カ月となってもまだ不明確である。これが21-36カ月にかけてめざましい発展をとげる。それから徐々にその能力を低下させ、12―13歳ごろにはもうそのような能力を示さなくなる。これが第一言語獲得の「臨界期」というわけである。
    1970年代にはいると、手話の3次元的な空間利用に注目した研究が現れる。それはおそろしく複雑で微妙な差異を表現することができる。スト―キ―がこの研究に関心をしめし、以下のやうに書いている。P134音声言語には時間という1次元の広がりしかない。書記言語には二次元の広がりがあり、構造モデルには三次元の広がりがあるが、四次元の広がりがあるのは、唯一、手話言語だけである。ここでいう四次元の広がりとは、手話使用者の身体が利用できる三次元の空間に、時間という1次元をあわせた広がりを指す。「手話」はこうした四次元の表現経路における統語上の可能性を存分に引き出している。

    このあと神経研究について書いているがざっと読む程度。ひとつだけ事例をメモしておく。右脳に卒中をおこした患者が空間の左半分を認識できなくなるのに、手話を使うと能力が保持されたまま。つまり空間をつかさどる部位でなく、発話とおなじ言語野をつかって手話をつかっているらしい。すなわち手話は言語である。

    3部では大学の学長選挙に抗議した学生たちが活写される。父権的態度で接せられてきた学生たちが、ろう者の権利(デフカルチャー、ついでデフパワー)を主張して、創立以来初のろうの学長を選ぶ。広場で公然と手話をつかって会話する学生たち、あちこちにはられたスローガンやアメリカに手話をもたらしたロラン・クレールの名前を掲げるなど大学はにわかに熱気に包まれ著者も興奮を隠さないが、ここにはろう者の自立と、経済・社会活動との微妙な問題が含まれている。

  • 図書館

  • 聴覚障害者、その中でも先天的に耳が聞こえないろう者にとっての言語、コミュニケーション(手話)についてかかれた本である。

    私は今まで生まれつき耳が聞こえないということを深く考えたことがなかった。しかしそのことは、成長過程において言葉を耳から覚えていくことができないことを意味し、語彙力や知的な遅れはもちろん、一年前や昨日と言った時の感覚を理解するのが難しくなる子も少なくないという。

    本文の中には10代を迎えるまでなんの言語も持たずに育った子どもたちが何らかの形で言語に触れ、探究心の芽を開かせる様子などが描かれており、学ぶことには喜びがあるということを改めて気付かされた。

    一般的に健聴者と言われる人々は、耳が不自由な人のことをかわいそうという類のマイナスな感情で見てしまうだろう。しかしこの一冊を通して、そう決めつけるのは違うかもしれないと思った。日本語、英語、中国語など様々な言語があるように、手話もひとつの立派な言語であると考えることができたからだ。マイノリティを普通じゃない、かわいそう、と考えるのではなく、それをひとつの文化として認めること、見つめる必要があると思った。このことは聴覚以外のことにも共通して言えることだろう。

  • 普通、人間は脳内で「言語」を使って思索しているため、言語の獲得に失敗した人間(アヴェロンの野生児やカスパー・ハウザーなど)が十分に抽象的で高度な思索ができないことは、納得できる。では、生まれつき聴力に問題がある言語獲得前失聴者の場合は、どうなるのだろうか?

    この本の中でオリバー・サックスは、実は手話がシンタックスとセマンティクスを兼ね備えた、発話による言語とまったく同じレベルの「言語」であり、聾唖であっても(おそらく脳内手話(!)による)思索を行い、健聴者と同様の能力を発揮できることを示している。特に幼児においては、複雑な口唇の運動を必要とする発話言語よりも手話の方が上達が早いし、また、空間把握に関しては健聴者以上の能力を発揮することも少なくないらしい。しかし、その一方で、耳からのフィードバックがない状態で発話によるコミュニケーションを強制された結果、言語獲得に失敗して、Deaf and Damn と呼ばれてきた聾唖者も多い。本書で最も感動的なギャロデット大学の反乱ですら、ほんのつい最近、1988年のできごとなのだ。

    もう20年以上前の本であり、一部の科学的な記述は改められる必要があるだろうが、しかし、万人が読むべき一冊。

  • 打ちのめされました。ヒトは言葉を欲している。いや、言葉を欲する動物がヒトなのだ。

    そう。手話は言語。

  • 20/5/21

    ろう者11歳ジョーゼフ>精神が欠如していたのではない>精神が十分に活用されていなかったのである。

    母親>A群子供と一緒に話し合って対話>子供の行動支援、支援できないときはその理由をきちんと説明する>B群子供に向かって話しかけようとする>子供の行動管理、理由の説明をしないことが多い。

    ダイアローグ>月の裏側>未知の領域

    「新しい理論の創造は、古い納屋を壊し、かわりに超高層ビルを建てるのと同じではない。それはむしろ、山に登って新たに広大な視野を手に入れるのと似ている」アインシュタイン

    「事物の最重要の側面は、それが単純でありふれているという理由で、かえって見えにくくなる」ヴィトゲンシュタイン

  • 米原万里「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されていた本。
    自分自身、手話には全く無縁の世界で生きてきたので、非常に多くの興味深い知見が得られた。
    手話の歴史を扱った第一部はやや読みにくく感じたものの、第二部以降はぐんぐんとサックスの「旅した世界」に引き込まれていった。
    人間の脳には生来の文法能力が備わっている(p.156)という記述は非常に考えさせられた。
    第三部「幻想からの解放」では、聾者が「解放」され自分たちの「民族」としてのアイデンティティを確立するまでのドラマが描かれているが、
    聾者に限らず、マイノリティを「弱者」として「子供扱い」し、結局のところ援助される側を無気力化してしまう危険性に(感覚的に危険だとは感じてはいたものの)気づかされ、ボランティアに携わる身としては改めて身の引き締まる思いだった。

  • 連絡会ニュース NO.102 '02/9/6

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