- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794925251
作品紹介・あらすじ
音声言語にまさるともおとらない、豊かな表現力をもつ「手話」。人間のコミュニケーションに新しい可能性をひらくこの言語を通して、ろう者の文化に光をあてる。14歳まで言葉をもたなかった少年。空間を自在に演出する少女。手話で夢みる老女…手話が禁じられた時代から今日まで、ろう者の歴史を辿りつつ、人間の脳に秘められた驚くべき潜在力を明らかにする。ろう者の「声」としての手話を考察し、言葉とは何か、人間とは何かを新しい視点で捉えなおす、優れたメディカル・エッセイ。
感想・レビュー・書評
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490.4-サツ
少し古くなりましたが、「レナードの朝」を書いたオリバー・サックスの一連の著作が翻訳されています。
まだ読んでいない方は映画から入るのがお薦めかも。
現在も入手可能で、その魅力は今も色褪せていません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館
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聴覚障害者、その中でも先天的に耳が聞こえないろう者にとっての言語、コミュニケーション(手話)についてかかれた本である。
私は今まで生まれつき耳が聞こえないということを深く考えたことがなかった。しかしそのことは、成長過程において言葉を耳から覚えていくことができないことを意味し、語彙力や知的な遅れはもちろん、一年前や昨日と言った時の感覚を理解するのが難しくなる子も少なくないという。
本文の中には10代を迎えるまでなんの言語も持たずに育った子どもたちが何らかの形で言語に触れ、探究心の芽を開かせる様子などが描かれており、学ぶことには喜びがあるということを改めて気付かされた。
一般的に健聴者と言われる人々は、耳が不自由な人のことをかわいそうという類のマイナスな感情で見てしまうだろう。しかしこの一冊を通して、そう決めつけるのは違うかもしれないと思った。日本語、英語、中国語など様々な言語があるように、手話もひとつの立派な言語であると考えることができたからだ。マイノリティを普通じゃない、かわいそう、と考えるのではなく、それをひとつの文化として認めること、見つめる必要があると思った。このことは聴覚以外のことにも共通して言えることだろう。 -
普通、人間は脳内で「言語」を使って思索しているため、言語の獲得に失敗した人間(アヴェロンの野生児やカスパー・ハウザーなど)が十分に抽象的で高度な思索ができないことは、納得できる。では、生まれつき聴力に問題がある言語獲得前失聴者の場合は、どうなるのだろうか?
この本の中でオリバー・サックスは、実は手話がシンタックスとセマンティクスを兼ね備えた、発話による言語とまったく同じレベルの「言語」であり、聾唖であっても(おそらく脳内手話(!)による)思索を行い、健聴者と同様の能力を発揮できることを示している。特に幼児においては、複雑な口唇の運動を必要とする発話言語よりも手話の方が上達が早いし、また、空間把握に関しては健聴者以上の能力を発揮することも少なくないらしい。しかし、その一方で、耳からのフィードバックがない状態で発話によるコミュニケーションを強制された結果、言語獲得に失敗して、Deaf and Damn と呼ばれてきた聾唖者も多い。本書で最も感動的なギャロデット大学の反乱ですら、ほんのつい最近、1988年のできごとなのだ。
もう20年以上前の本であり、一部の科学的な記述は改められる必要があるだろうが、しかし、万人が読むべき一冊。 -
打ちのめされました。ヒトは言葉を欲している。いや、言葉を欲する動物がヒトなのだ。
そう。手話は言語。 -
20/5/21
ろう者11歳ジョーゼフ>精神が欠如していたのではない>精神が十分に活用されていなかったのである。
母親>A群子供と一緒に話し合って対話>子供の行動支援、支援できないときはその理由をきちんと説明する>B群子供に向かって話しかけようとする>子供の行動管理、理由の説明をしないことが多い。
ダイアローグ>月の裏側>未知の領域
「新しい理論の創造は、古い納屋を壊し、かわりに超高層ビルを建てるのと同じではない。それはむしろ、山に登って新たに広大な視野を手に入れるのと似ている」アインシュタイン
「事物の最重要の側面は、それが単純でありふれているという理由で、かえって見えにくくなる」ヴィトゲンシュタイン -
米原万里「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されていた本。
自分自身、手話には全く無縁の世界で生きてきたので、非常に多くの興味深い知見が得られた。
手話の歴史を扱った第一部はやや読みにくく感じたものの、第二部以降はぐんぐんとサックスの「旅した世界」に引き込まれていった。
人間の脳には生来の文法能力が備わっている(p.156)という記述は非常に考えさせられた。
第三部「幻想からの解放」では、聾者が「解放」され自分たちの「民族」としてのアイデンティティを確立するまでのドラマが描かれているが、
聾者に限らず、マイノリティを「弱者」として「子供扱い」し、結局のところ援助される側を無気力化してしまう危険性に(感覚的に危険だとは感じてはいたものの)気づかされ、ボランティアに携わる身としては改めて身の引き締まる思いだった。 -
連絡会ニュース NO.102 '02/9/6