古川ロッパ昭和日記 戦後篇 昭和20年-昭和27年

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  • 晶文社
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  • / ISBN・EAN: 9784794930675

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  • 戦後復興期の日本社会の雰囲気が、伝わってきた。皆が苦労をしているのだが、生き生きと活発に逞しく生きているように感じられる。ロッパは、戦前、戦中期と比べ、活動に勢いがなくなっており、まわりに批判的なところが目立つ。美空ひばり、越路吹雪、藤山一郎、森繁久彌など、私の知っている人たちも登場し、ロッパとの人間関係が面白い。

    「想像もつかなかったこの頃の日本の有様。勝ち抜かう一色だった新聞も今は降伏一色に塗りかへられてしまった。戦争中は、何となく張合があったのが、気抜けしてしまひ、元気を失った(S20.9.4)」p9
    「軍の嘘つきめ、今出るか出るかと思っていた連合艦隊は、もう一隻もなしとは、何ごとぞ(S20.9.5)」p10
    「寄れよと言っといた山田五十鈴が、ひょっこりやって来た。彼女もまた家さがしで苦労している(S20.9.11)」p12
    「新聞を一と通り読む、何しろ、戦争中は嘘ばっかり書いてあったのが、今度は本当のことばかりだから、してみると、いい世の中になったものだ(S20.9.19)」p14
    「銀座の街路には、チェスターフィールドやラッキー・ストライクの紙が沢山落ちている(S20.9.22)」p17
    「月田のチイ坊が、何と、メチルアルコールを飲み、心臓麻痺を起こして昨夜死亡せりと(S20.9.28)」p24
    「新聞、満鉄・鮮銀・台銀など即時閉鎖を命令とある(S20.10.1)」p27
    「放送局では一般聴取者に、誰の放送がききたいかを投票させた。その結果は、僕が断然第一で、二位とのヒラキが大分ある由(二位は川田・エノケンの順)(S20.10.28)」p42
    「終ると、昨夜のGIが、約束通り来てて、「面白かった」と言ひ、「お肴です」と言って、ピーナツの缶を呉れ、新橋まで送って来て呉れた(S20.12.15)」p67
    「ここよりは蒲田のが凄いといふので、又行ってみる気になり、田園調布のりかへ。蒲田駅下りる、成程、スゴいや。空地、焼あと一面の人出、何百千と露天並び、食もの店も何百とある。全部は、とても歩き切れない、人に押されつつ露天を見る、封筒、マスク、ローソクなんぞ買ふ。小さなボストンバッグ、清にと思って買ふ25円、小さな玩具のハンドバッグ、もとなら7銭位のもの4円。店々には百円紙幣が、うづ高く積んである(S20.12.19)」p69
    「今夜の「音楽紅白試合」とかいふものは、佐伯孝夫の構成ださうで、男女紅白軍の野球試合になっているのだが、てんで成っていない。10時すぎから12時までやらされて、そのドン尻に、男軍の司会者僕、女軍のターキーが一つ宛歌ふので、実にその間、ちょっとちょっと宛喋る馬鹿馬鹿しさ(S20.12.31)」p77
    「紋付羽織に更まるでもなく、「おめでたう」も、「焼けまして」のおめでたうだ。屠蘇つひになし、雑煮も鴨なく鳥なく、餅は入っているが。10時に出る。国旗もなし、門松もなし(S21.1.1)」p81
    「ジョニオカ出し、アメリ缶のピーナツで飲み、ごきげん、天上十時前(S21.1.5)」p82
    「電車、三月より料金三倍になったのだが、やっぱり混雑(S21.3.7)」p97
    「つくづく電車に乗るのが哀しい、押され通し立ち通し、新橋まで一時間以上かかる。それから又テクテク放送局へ(S21.4.7)」p106
    「何と明日はメーデーで、従業員は休み、即ち撮影なしと定ったとの報告、やれやれ、めちゃめちゃだ(S21.4.30)」p112
    「いよいよ家も米に困る話、食糧難深刻なり(S21.5.13)」p115
    「ホームで待ってると、淡谷のり子に逢った。古賀政男の音楽会の不入りの話(S21.5.30)」p117
    「諸君よ、こんな馬鹿な時代が永く続くとは思はない。役者のとり分よりも、大道具や音楽が何倍と高いのだ、これを逆にして、役者が大半をとってしまふ世の中が、来なくて何うする、僕は希望は失はない、その時代を来らしめるために、僕自ら隊長となって突撃しようぢぁないか(S21.6.3)」p119
    「品芳楼へ入ると、支那人のなじみの顔、然し、こいつ等は急に威張っているので驚いた(S21.6.28)」p125
    「池上線に乗ると、笠置シヅ子に逢ふ。この女、いつも思ふことだが、舞台は嫌だが、人間はよろしい(S21.6.28)」p125
    「カブリつきの子供が、悪人の出るところで、「ロッパやっつけちゃへ」とか「強いぞロッパ」などと言ふ、浅草らしくて嬉しくなり、そっちを向いて笑ってしまふ(S21.7.4)」p127
    「全く景色の変った神楽坂。久しぶりで会った女将も、ただ苦笑している。芸妓も昔のが大分帰って来て十何人とかいる由、一寸木更津って感じだねと笑う(S21.7.6)」p128
    「他座皆赤字らしい、劇団てものが皆苦しがっている。映画は映画で外国物に押されているらしいし困ったものである(S21.7.23)」p132
    「京都へ着くと、先づ焼跡のない町々が美しかったが、この宿の昔に変らぬ姿は、実に嬉しい(S21.7.29)」p133
    「車内へ駅員が入っていて、「ここんとこは進駐軍の方が来ますから」と人を乗せないやうにしている(S21.10.16)」p156
    「品川、五反田、長原駅へ着いてホッとした。駅の近くには大分バラックなど出来て復興している(S21.10.17)」p156
    「帰り道に一ついいことがあった。車が品川辺りへさしかかった時、巡査にとめられ、運転手の免許証をしらべた後、「どちらまで?」ときくので、「放送の帰りです」と言ふと、「あ、さうですか、ご苦労さま」と言って、「今、除夜の鐘が鳴っていますよ」と巡査が言ったのである。日本は、よくなる。いいなあ、巡査が人間のことばを言ふやうになった(S21.12.31)」p179
    「放送局内に働く人々の、まるで礼節がなくなったこと実に情ない。すべてが、自棄である、自棄起す奴は自殺した方がいい(S22.1.17)」p186
    「明日よりの全国的ストライキは、マッカーサーの命令で中止となりし由、それぢぁあ明朝、スティル撮影があるわい、と少々参り、省線ダレつつ帰る。帰ると、ラヂオしきりにスト中止のこと伝へる。労働者側の代表が、泣いて中止の無念なるを演説している(S22.1.31)」p189
    「紀元節である、国旗をかかげている家も、五十軒に一軒のわり合位である。それでも、紀元節は、あるのである(S22.2.11)」p191
    「「雪は何寸位積りました?」と、みどりにきくと、「サア寸は分りませんが、20センチばかり」センチではこっちが分りません(S22.2.13)」p192
    「マッカーサー司令部よりチョンまげ不許可の命令あり、「弥次喜多」は映画化不可能となった(S22.5.2)」p214
    「ラヂオ「先週の国会から」といふ討論会、各党の代表が出て喋るのだが、日本の政治は、こんな、物もろくに言へないのばかりなのかと哀しくなる。共産党員の何とかいふのが一ばん気持ちのいい喋り方をする(S22.6.8)」p225
    「永田町辺り一面の焼土だが、ぽつぽつ復興した景色(S22.6.23)」p228
    「先日撮ったのがNG、フィルムアウトしてたのを知らずに回していたといふ、そのための撮り直し、スタッフ一人としてすみませんとも言はないんだから映画界はひどいところだ(S22.8.2)」p240
    「広尾へ着き、巡査服着る。ところがまた小道具の手ぬかり、ピストル忘れたといふので交番へ借りに行く始末、もうもうこの組とはやらん(S22.8.3)」p241
    「車で日本橋へかけつける。巡査来り、笛をもらって3分ばかり教はると、直ぐ本番。交差点のまん中、象の乗るやうな台に乗り、ピーッと笛吹いてやり出す。両手にサッサッと、不器用だね俺は、動きはゼロだ。動きはエノケンが日本一、こっちはまるでいかん。ほんの二十秒ばかりが、たまらない長さ。何しろほんものの電車や自動車が、このピーピーのままに動くんだから恐い。やっとこさ済んで、ああやれやれ(S22.8.17)」p247
    「紅屋の小女の口上をききながら、何たる愚かな国にわれわれは生れ来りしものぞ、それに引きかえて、「ハリウッド・キャンティーン」のやうな映画が出来るアメリカの幸福よ、神さま、何でこんな国に私どもは生を享けたことでございませう、と思った(S22.4.23)」p324
    「明日からサマータイムを実行、時計一時間すすめる(S22.5.6)」p327
    「六時一寸すぎ、むかしの五時だもの、陽はカンカン照って、まぶしい。こんなに早くハネては、これから毎日何うして暮すのだ(S22.5.18)」p331
    「(上野行、急行)十時発。動くとすぐ「エー、おやかましうございますが」と社内の物売りが始まる。甘納豆、カステラ買って食ひ、次にはアイスクリームと、一々買はされる(S22.5.18)」p331
    「元日の感といふやうなもの、今年あたりは、まるでなし(S24.1.1)」p401
    「エノケンを見よ、彼は戦争中に便乗しようにも出来なかった。戦争劇が出来なかった。そのおかげで罰も当たらない、さういふ見方を、今や俺は、する。戦争中に、戦争があった方がよかったといふ生き方をした者には、戦後に於て罰が当ってもいいと思ふのだ(S24.1.9)」p403
    「俺は日記を、こんなに克明に書いて、そのために急しい思ひをし、眼も悪くし、馬鹿々々しくもあるが、これらの日記帳を、死後、出版することによって、俺は「大いなる遺産」を残して行くつもりでもあるのだ(S24.3.15)」p431
    「「大分、脂肪心臓だから酒をつつしんで下さい」と言はれたのは、気になった(S24.3.19)」p433
    「(警視庁)宮崎部長といふ人来、若い人である。「古川さん、今調べたところ、昭和十四年に罰金刑がありますね。今回の証明書には、犯罪記録なしと書かなければならないのですが(前科なしの証明は出来るが、警察記録なしの証明は出来ない)。然し、こんなことで、国際的な仕事の邪魔になるのは残念ですから、何とか課長に計ってみませう」と、課長室へ連れて行って呉れた(S24.4.11)」p443
    「一日の出来事を、ただ毎日毎日書いて一体何になるのだと、日記をつけながら時々思ふ(S24.5.21)」p460
    「今朝、家の近くへ天皇陛下がいらっしゃるので、近隣大さわぎ。然し日本も変った、天皇行幸がこんなところにあり、それと知っても、僕にしてからが、平気で風呂に入っているんだ(S24.10.19)」p501
    「藤山一郎、やっぱり、かけ出しとは違って、本当の声を出す。かういうことをやっていると、つくづく音楽の中に浸っていることはいいと思ふ(S24.12.31)」p523
    「しろとなら一っそ何の用意もしないで、自然のままの方がいいかも知れないが、われわれの場合は、チャンと用意して、自然であるかの如き「芝居」をしなくてはいけないといふことをしみじみ感じた(S25.1.23)」p538
    「「又そろそろ行きませうか」とエノケン。又ぞろ食堂へ行く。エノケンとさしは苦手、話題に困る(S25.5.24)」p581
    「ファンからの年賀状、大半は子供だ(S26.1.1)」p669
    「宝塚の新がほ、八千草何とかいふ子(あまりよくなし)も一寸出る(S26.1.10)」p672
    「休み時間、舞台事務所のストーヴに当っていると、おどろいた!ストリップガール二人の尻に、真木小太郎が油絵具でかほを描いているのだ、ああ何と!背中位なら許せる、尻っぺたにかほを描くとは!これを堂々と舞台に出すのだ、恥!(S26.2.6)」p681
    「国税局からの男、何うしても会ひたいといふ由、しようがない、応接。「実は、差押へに来ました」と言ふ。実に若造のくせにいやな奴(根津といふ)(S26.5.26)」p714
    「雑誌読まうとしたが、枕もとの豆電気では読めず、視力も衰えけり。老醜は、せっせと追ひかけて来る。白毛も殖えたし、頭髪もまん中が割れて禿が出る。やれんなあ(S26.7.1)」p730
    「(結核)この病によって寿命の縮まることは全く恐れない。ただ、生き長らへて仕事の出来ない身体になることが、死よりもこはい(S26.8.30)」p748
    「午前中、ZENITHで美空ひばりをきく、うまい。にくらしい子が、にくらしいほどのうまさ(S26.11.7)」p775
    「セレナーデのママが、セレナーデ二十年の自祝の会。中々盛大、三百人以上集る。山田耕作先生、中気で半身半随なのにステッキついての出席は、ママの人気絶大なり(S26.11.13)」p776
    「交詢社の食事は甚だ粗末、オードヴルだけはいただけたが、あとは魚も鶏もひどい(S26.11.13)」p777
    「NHKは「紅白歌合戦」で面白く、昨夜の「クイズ・ショウ」といひ、今夜といひ、NHKの娯楽放送への力の入れ方もの凄し、ラヂオ東京たじたじの図なり(S27.1.3)」p798
    「今年の年賀状は約一千通、子供のファンが半分以上(S27.1.18)」p802
    「車が来て、きげん悪く出る。病気になると、きげん悪くなるものよ(S27.1.31)」p803
    「アメリカから帰った淀川長治に逢ふ。あちらの話をしきりにする、この人の愛嬌は、かういふ話してても反感をもたせない(S27.1.29)」p807
    「江利チエミ(近ごろ売出しの十四歳少女、ひばりよりも又大人っぽい、憎々しい子)の、英語の歌、何うしてかういうものを見せるのかなあ(S27.3.11)」p820
    「テストで、いよいよ茂庭村の皆の別れのところとなりハのハの歌を歌ひ出したら、突然涙ぐましくなり、危く泣きさうになった、こいつは、おどろいた、俺は中々センチメンタルなんだな(S27.3.30)」p824
    「美空ひばり、こんな人気のある者は、一体今までの日本に在ったらうか。雲右衛門・沢正・林長二郎などを頭に浮かべてみるが、これほど強烈なのは無いやうだ。今までのには理屈もあり、理由もあったが、これには、ただ不思議という他ない、わけのわからない、いはゆる人気があるのだ、そして本人は、さういうことに無頓着、火星から来た人間の如く、平気でふるまっている(S27.4.28)」p838
    (解説)
    「当初の計画では、これを「戦後編」として一巻にまとめる予定だった。日記の分量は「戦前編」や「戦中編」のおよそ10倍はあるが戦後しばらくして第一線の存在ではなくなってしまったロッパの日々の記録は、おそらく広く興味を惹くものではないだろうという見通しで、大量の削除をするつもりだったのである。ところが、これは、まことにお恥ずかしい限りではあるが私の誤りだった。戦後の日記を読み進むにつれ、そんな心算は、完膚なきまでに打ち砕かれてしまった」p929
    「なぜこれほどの才能を持つロッパが、戦後急速に落魄したのか。その答えは、ロッパが戦後の社会にまったく適応できなかったからである。ロッパの頭の中にある理想の社会は、昭和初期の、身分階層がはっきり区別されていた、あの時代だった。ロッパにとって民主主義とは、大道具が座長より先に風呂に入る間違えた社会としか思えなかったのである」p933

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