• Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794958662

感想・レビュー・書評

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  • 主観性と客観性、嗜好性と記録性の両義的な役割をもつ写真。スマホ時代の写真にも適用できる写真論である。知らない写真家が多く、イメージが沸かない箇所もあったが、随所に鋭い指摘が満ちていた。写真の可能性と言うよりも、写真に象徴される時代と人間性との題が付けられる論考だ。

    ・写真家がひとつの題材に情熱をもやすのはその内容とか価値、つまりその題材を分離可能にするものとは本質的に関係がない。
    ・世界を美化するカメラの役割は大成功を収めたので、世界よりも写真の方が美しいものの基準になってしまった。
    ・偽ものの絵画は美術史を歪める。偽ものの写真は現実を歪める。
    ・一枚の写真はそれが見られる文脈によって変るものである。
    ・ヴィトゲンシュタインは言葉を論じて、意味とは用途であるといったが、写真もまた同じである。
    ・写真の好きなモラリストは言葉が写真を救うことをいつも望んでいる。
    ・キャプションは私たちの眼の証言を踏みにじる傾向がある。しかしどんなキャプションも、写真の意味を永久に制約したり、保証したりすることができない。
    ・写真家たちは定期的に自分たちの得心ぶりを拒絶し、自分たちのやっていることを再度神秘化する必要があるらしい。
    ・写真においてはいつでも被写体が面に出て、異質の被写体が大きな作品群のある時期とべつの時期の間に橋渡しできない溝をこしらえ、署名がわからなくなるである。
    ・新しい立場は芸術としての写真を技術的な完成という重苦しい基準から解放し、同時に写真を美からも解放することをめざしている。
    ・絵画と写真が共有するひとつの評価の基準は革新性である。・・・もうひとつの両者が共有できる基準は存在感の質である。
    ・写真家を流派や運動に分類することは、写真と絵画の抑えがたい、しかしきまっている類推に(またも)基づいた一種の誤解のように思われる。
    ・写真映像を通じて世界にあるもの(芸術、大災害、自然の美)をたくさん知ってしまうと、人びとは現実のものを見たときよく失望したり、驚いたり、無感動だったりする。
    ・カメラは私の道具である。それによって、私は身の廻りのあらゆるものに対して理由を与えるのである。アンドレ・ケルテス

  • 批評家ソンタグの代表的写真論。

  • 70年代の本 古さは感じない
    ダイアン・アーバスについて 興味をもったので
    知ってはいたけど改めて観るとする

  • 「飛行機事故やテロリストの爆弾破裂等の激しい事件に巻き込まれた際の経験を「映画みたいだった」と人々が主張するのは今では普通になっている」―これは911に関する話ではない。スーザン・ソンタグが70年代に執筆した本作で述べた言葉である。写真とは瞬間を永遠に留める芸術であるが、瞬間の当事者を拒否するものでもある。「写真は同情を生み出しもするが、同時に同情を切りつめ、情緒を引き離したりもする。」ソンタグの抵抗の言葉は切りつめ捨てられた感覚を懸命に拾い上げようとする、世界が安易なリアリズムに塗り潰されてしまう前に。

  • 知人が勧めてくれた「写真論」で、スーザン・ソンタグという人に触れた。

    写真論、と聞いてなんだかありがちなもの?なんて思ってそう乗り気ではなかったけれど、読んで一気に引き込まれた。

    ひとつひとつの論説が非常に明快でわかりやすい。わたしの既知の写真論といったらもう、手垢のついた言い回しで目は口ほどに物を言う、とか言葉を超えて人に行動を起こさせるとか、ま、その、そんな感じばっかりだったから。だから彼女の言葉にひるんだ。

    強いんだ、ひとつひとつの言葉が。知人は名文を評して「そこに思わず立ち止まるような、とどまらせる重力のある文章」といったがこの文章の強さといったら、とどまると怪我するんじゃないか、そんな強さだ。こういったら誤解があるか?ま、いいか。

    彼女の文章は非常に、恰幅がよい。

    『過去の情景や現在の知覚範囲にもっている知識の大部分は、いまや、映像によって与えられているのである。人物や出来事について書かれるものは率直にいってひとつの解釈であって、それは絵やデッサンのような手描きの視覚的言説についても同じことである。〈中略〉写真は世界を包むが、自らも進んで包まれることを好むようだ』

    予想できるような、はじめに写真の沿革から入り、といった客観的なクッションがまるでない。そんなありきたりなこと書いてたら紙がもったいないからね、とでも言わんばかりに、ぎっちりすみからすみまでまさに、彼女の思いの丈が、つまってる。本全体がだから、オーガナイズされてるとはおよそいえない。叫びと感情のパッケージング、いっちょあがり。

    そして彼女の生い立ちで、あたしはちょっと、納得する。彼女は東欧ユダヤ系移民のアメリカ人としてニューヨーク市で誕生。父親は貿易会社を経営。後にカリフォルニア大学バークレー校、シカゴ大学、ハーバード大学、オックスフォード大学のセント・アンズ・カレッジ、パリ大学の大学院では哲学、文学、神学を専攻した。
    17歳で、シカゴにいる間、10日間の熱烈な求婚を受けて、ソンタグはフィリップ・リーフと結婚。

    彼女が商人の娘だったこと、カリフォルニア、シカゴ、マサチューセッツからイギリス、パリと渡って学んでいること。

    常に目的が明確で、結果を出すための最短の努力をし、その目的を見つけたら最後、とことん、攻めて攻めて、わけいり、捩じ伏せて手に入れる。自説を展開するのに徹底的な自信とno韜晦。

    ソンタグの一生と骨太の文章。それはまさに商人の、アメリカ人の、あるいは移民の生き方そのものじゃあないか。

  • 古今の沢山(膨大な)の写真を見てきた観賞者から見た写真論。
    70年代に書かれた本なのでデジタル全盛の今では陳腐化している所も有りますが、それでも写真を撮る人も見るだけの人も今迄とは違う世界が見えてくるかも。
    本の中に写真が一枚も無くでもそこから映像が見えてくる様な本でした。

  • 写真を撮ることは被写体を自分のものにするということ…これは衝撃的な文言だった。

    なぜ写真を撮るという行為をするのか,その行為の意味は何なのか,そして写真を芸術としてみることにどういった意味があるのか,そしてそれに意味づけをすること自体に意味があるのか。

    旅行先で写真を撮るべきかどうか,迷うことがある。ファインダー越しに対象を眺めたいのか,それとも生の感動を味わいたいのか。本当はどちらもしたいのだけれど,その瞬間にできることはただ一つだけ。どちらを先にするか,どちらに重きをおくか,そういったジレンマがある。

    そういったことを改めて考えさせられた。

  • 前半は全くイメージができなく、苦痛を伴う読書となったが、後半は納得できる箇所が多く、なんとか読破。

  • 読んでおくべき本。

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著者プロフィール

1933年生まれ。20世紀アメリカを代表する批評家・小説家。著書に『私は生まれなおしている』、『反解釈』、『写真論』、『火山に恋して』、『良心の領界』など。2004年没。

「2018年 『ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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