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本 ・本 (138ページ) / ISBN・EAN: 9784794961778
感想・レビュー・書評
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ナチスドイツ人を猫、ユダヤ人を鼠、ポーランド人を豚に置き換えて描かれるノンフィクション漫画の第2巻、完結です。
ホロコーストを生き抜いた父ヴラデックの物語を、息子であり著者のアートが漫画にしたものです。
2巻は父へのインタビュー自体に多く割かれ、過去の凄惨な記憶は強く残っているものの今を生きる力が徐々に失われていく様が描かれています。
当時の内容はアウシュヴィッツへ送られてから戦争終結、そして父と母の再開までとなります。
可愛らしい動物で表現された漫画ですが、恐ろしい内容が脚色無く自然に散らばっています。
“なにかが地面で、25回から35回もはね、のたうちまわり、そして動かなくなった。
「ああ」そのとき思った。「犬でも殺したんだろうか」
わしが子どもの頃、隣で飼っていた犬が、狂って人に噛みついた。
隣人は出てくると、ライフルでその犬を射殺した。
犬は転げまわった。ごろごろのたうち、空を蹴り、そして死んだ。
死体に近づいた時、わしは思った。
「人間が隣の犬と同じ死にかたをするとは。なんて驚きだ!」”
怖いでしょうが、勇気を持ってたくさんの方に読んでいただきたい漫画です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
NDC8版
209.74 -
現実は小説よりも奇なり
全体的にダークなネズミが主人公の物語
ナチスのユダヤ人迫害、アウシュビッツの話は数あれど、やはり当事者の話は胸を鷲掴みにされる
作者のアート・スピーゲルマンは前作からの続編製作に心身ともに消耗しきったけれども、なんとか父の物語を終わらせた
とことんまでケチを貫く父の姿に、アウシュビッツの辛い思いが重なる
繰り返してはいけないけど、知っておくべき真実のマンガ -
全2巻の完結編。 作者の両親がアウシュビッツに収容されてから、現在までを描いている。
アウシュビッツの中で、語学力やブーツを直すスキルなどを使い、上手く生き延びた父親の生き様がすごい。身体が丈夫だったのも大きな要因だったようです。点検のようなものが頻繁にあり、身体が弱っているとガス室送りにされるです。
激しい重労働とほとんど食事を与えられない日々の壮絶さは、筆舌に尽くしがたいものがある。看守が囚人の帽子を奪って遠くに投げ、「早く取りに行け!」を言って、走り出すと射殺する。すると「逃亡を防いだ」ことになり休みが与えられたという。そんな恐ろしいエピソードに満ちています。
ガス室に送られた人々は、シャワー室だと教えられて服を脱いで大きな部屋に押し込まれ、そこで死に絶えて生きました。ナチスドイツも最悪だし、人間って本当にどうしようもないなと思う。
本当に面白くて、読み終わるまで手を止められなかった。 世の中に面白い漫画は沢山あると思うけど(詳しくないですが)、これほど素晴らしく意義深い作品はあまりないと思う。
すべての人に読んでもらいたい、素晴らしい作品です。
寡作なアート・スピーゲルマンさん、色々あるとは思いますが、もっと書いて頂けるととても嬉しいです。
よろしくお願いします。 -
スプーン1本は半日分のパンと交換できた。
近所のポーランド人が雇われてアウシュビッツで働いていた。囚人ではない建設工事専門の労働者だった。彼らは農場でとれる食べ物を持っていたので、交換は歓迎された。
1日分のパンはタバコ3本分だった。 -
先を見越して備えておくこと、愛想良くして味方につけること、商売の手法などなど、生きていくためのサバイバルの知恵多数。
生き残るために戦時中に本能的に培った強かさや知恵が、環境が変わり平和な時代になった途端に、図々しさや頑固さ、自分勝手さやケチくささといった性格の歪みとなり、「厄介者」となる虚しさ。
環境によって人は形作られ、必要とされ、評価されるものも変化する。危機的状況で培われたものは、平穏な時にも精神を乗っ取り支配するということ。戦争の傷跡というのは、サバイバルの歴史でもあり、戦後も人々の心の中で生き残りの戦いは綿々と続いていく。危機的状況に陥り激しく癖づけられた人間の歪みは、一代限りではなく代々受け継がれていくものでもあるのだ。
この凄惨な体験が実話なのだと思うたびゾッとするが、ヴラデックという人の生きる情熱の凄まじさには虚しささえ感じる。
戦場にしか自分の居場所を感じられない兵士や、危険な山ばかり登りたくなる登山家、大航海時代に未開の地に踏み入った冒険家なども、『素質に合った環境で活躍した』という観点で見れば、皆適材適所なのかもしれない。
平和時とサバイバル時のモードを自在に使い分けられるような柔軟な器用さを持てればいいのだろうが、生死に関わる体験は非常に強烈なものであり、精神に深く刻みこまれる。その溝は深く、本能と結びつくが故にコントロールは難しく、二度と元に戻ることは叶わないのかもしれない。 -
第2部はアウシュビッツに収容されてからの話。メインテーマは引き続きアウシュビッツでの体験談にあるのだけど、そこにもう一つ新たな要素が強調される。
それは、戦時中の体験を回想する父とそれを取材する息子の今。父は戦時中の体験が元でか極めて頑固で偏屈に成り果て、それは息子にとって常に受け入れ難い存在。だから、父と子、取材者とその対象ではあるけれど、決してあいいれることはない。
息子は息子で、第1部が評判を呼び一躍時の人となったことに対応できず戸惑い、また、人として尊敬することのできない父をそれでもネタにしてマンガを描くことをうまく処理できないでいる。
こうしたアウシュビッツ後の今を描くことで、アウシュビッツの経験者である父を美化しない効果をもたらしている。しかし、なにより重要なのは、アウシュビッツが歴史的事実としてではなく、現代におけるアイデンティティの問題に接続する現象として立ち現れるということ。それはユダヤ人という民族的なアイデンティティではなく、よりパーソナルな、それこそ人格のラベルでのアイデンティティ。ただアウシュビッツを描くだけではなく、さらに広い射程を得たことにこの作品の意義があるように思う。
翻訳版は第1部、第2部ともに絶版状態で、読むためには古本を探すしかない。こういう世界の傑作をいつでも読める環境こそがクールジャパンだと思うんだけどね。 -
この本を読んで感じたことは、命の尊厳を無視した、不条理さと脆さ。戦時中の事実は忘却の彼方へ送られるべきことではなく、後世に伝える必要性を感じます。とはいうものの小4の娘から何を読んでいるの?と尋ねられて自分なりに説明してみたものの、娘は困った顔を浮かべました。そりゃそうですよね、普段の娘の読書しているジャンルというのはまだまだ狭いですから。もう一人、小1の息子が同じ質問をしてきたので返事したときの反応の方がストレートでした。なぜ捕まえられてしまうのか?・なぜ死んじゃうのか?・なぜそういう悪いことをしていてよいのか? うーむ、返答に窮してしまいます。
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WW2のユダヤ人とポーランド人の関わりは知らなかったので意外でした。戦争は終わってもある人の人生の中では終わらない。