本はどのように消えてゆくのか

著者 :
  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794962447

作品紹介・あらすじ

活字本と電子本の大共存時代が始まった。宮武外骨からDTP、OCR、WWWまで「本」の再定義をこころみる最新エッセイ集。

感想・レビュー・書評

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  •  対話的とか双方向的というためには、まずだれかがハッキリものをいわなくてはならない。そして、それを気持ちよく読めるようにしておかねばならない。デジタル文化であろうとなかろうと、基本はやはりそこにある。電子本はそのための実験と訓練の場なのだと思う。「電子本をバカにするなかれ」といいたい。(p.42)

     たしかに、だれでも書くことができるデジタル・ネットワークの世界では、作家も官僚も先生も、そうじて書くことのプロー文書をつくり、それを効果的に利用することの専門家が、これまでどうりのふるまい方をつづけるのはむずかしいかもしれない。
     その生きにくさを専門家がすすんで経験し、他方、非専門家の側もそのことによって、たんに受け身ではない自分のあり方を発見してゆく。そこから統制ではなく対話にもとづく新しい社会秩序が生まれてくるかもしれない。(p.70)

     敗戦後、日本人の朝食がご飯と味噌汁からパンとコーヒーにあっさり置き換えられてしまったみたいなもので、どんなに中身がちがおうと、ご飯もパンもおいしく食べられる食品であることに変わりはない。しかし、食事という習慣を捨てて、それを宇宙食みたいな薬品(だろう、あれば)の摂取に変えるとなれば、話はちがってくる。同様に、活字本から電子本への転換は、一つの印刷技術から別の印刷技術への転換ではない。それは印刷から印刷でないものへの転換なのだ。技術や素材ではなく概念そのものの転換である。この転換過程がそうそう簡単に完了しないであろうことは容易に推測がつく。(p.94)

    「印刷という複製技術が存在しない世界で読書というような行為がなりたちうるのだろうか」という問いは、「私たちは仮想現実のうちにあっても、はたしてなんらかの安定した生活習慣をつくりあげることができるのだろうか」という、さらに大きなもう一つの問いにつながってゆく。もしそこで安定した生活習慣をつくることに失敗すれば、私たちはもう、これまでどおりの意味での人間でありつづけることはできない。すなわち、人間はお化けになる。(pp.95-96)

  • 発掘したので遡って登録。以下,読了当時(2008/08/18)の感想: 10年ほど前の本。意外と原稿用紙はまだ市販されてる。紙媒体がなくなるには、まだまだとてつもない時間がかかるんじゃなかろうか。

  • 本よ、永遠なれ。

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著者プロフィール

1938年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活動。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する。植草甚一やリチャード・ブローティガンらの著作の刊行、雑誌『ワンダーランド』やミニコミ『水牛』『水牛通信』への参加、本とコンピュータ文化の関係性の模索など、編集者として多くの功績を残す。2003年『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』で新田次郎文学賞、09年『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、20年『最後の読書』で読売文学賞を受賞。他の著書に、『したくないことはしない 植草甚一の青春』『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』、『百歳までの読書術』、『読書と日本人』など。

「2022年 『編集の提案』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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