骨董屋の非売品

  • 晶文社
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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794966018

作品紹介・あらすじ

勝見的としかいいようのない、独自の眼をもつ骨董屋さんの、珠玉の骨董エッセイ。少年の日に買ったラジオや革のカバン。季節ごとに取りだす常滑山盃や刷毛目徳利。どうしても手にしたかった陶片に大和絵…。大事な品をそっとお見せいたします。

感想・レビュー・書評

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  • P123 暦のうえでは立秋が終わり、秋分となる。微妙な季節の移り変わりに節目をつけるのは難しいけれど、私は「酒を燗にし始める日」から秋になるものと、決めている。

    熱燗が飲みたくなった

  • 何事にも中途半端で、あれこれと手を出しかけるのだが、これだけはというものがない。それだけに、何とか一筋という人の話を読むと、羨ましいと思う半面、たいへんだろうなあ、といういらぬ心配をしたりもする。

    著者の勝見氏は、東京は代々木上原で「自在屋」という骨董商を営む本物の骨董商である。商売なのだから、商う品物は売り物、買い物。それにいちいち愛着を感じていたりしては、骨董商は勤まらない。とはいうものの、もともとが趣味が高じてこの仕事に入った人たちである。自分が惚れ込むほどの物でなければ、大枚をはたいて購う気にもならないだろうし、逆にそれだけ惚れ込んだ物を人に譲るのは、筆舌に尽くしがたいものがあろうというものだ。欲しいから金を貯めては買う。ところが、そうして自分の手許に集めたコレクションも、さらにもっと欲しいものが現れると、それを買い求めるために売らなければならない、このジレンマ。

    「骨董屋は非売品を持つな」というのがこの世界の掟らしい。ところが著者はそれに異を唱える。氏にとって、「取り扱う品物は、すべからく自分の分身なのである」。その勝見氏が、骨董に興味を持ち始めた若い頃から現在に至るまで、常に身辺に置いた偏愛の小物たちを紹介しつつ、氏独特の骨董美学に蘊蓄を傾けた、いわば好事家向けの一冊。そう言うと、興味のない人にはつまらない本のように思われるかもしれないが、さにあらず。一つ一つの品にまつわる思い出話や、この世界ならではの逸話に事欠かない先輩の骨董商たちのエピソード、と読んでいて興味が尽きない。

    若い氏がまず心惹かれたのは、日本では歴史の浅い西洋骨董であった。「初級編」は、骨董商というイメージからはほど遠い、洒落者の奇人たちの織りなす非日常が哀歓こもごも描かれている。「メンズクラブ」や「GORO」、くろす・としゆきの『トラッド歳時記』などという雑誌や本を共有する世代には懐かしい時代の空気のようなものが流れている。古いアルバムをめくるときのひんやりとした部屋の空気が甦り、鼻の奥につうんと来るものがある。

    季節の移り変わりに絡めて酒器や茶道具という身辺に置く道具類について触れた随筆風の文章を集めた「中級編」は、すでにひとかどの骨董商としての風格を見せ、独自の美学らしきものを漂わせている。仏教美術や大和絵という古美術の世界に入っていく「上級編」になると、長年馴染んだ友人が偉くなっていくのを傍らで見るような寂しさを感じたりもするが、紹介されているのが、英国の教会のタイルだとか初期伊万里の陶片だとか、あまり威圧感を覚えるような物でないのが救いである。

    しかし、それでも高価であるのはまちがいない。コレクションの一つとして本物の円空仏などを見せられると、机の上に複製品を飾って喜んでいる身分としては、少々辛い物がある。一途に何かを追い求めた人の姿というものは、そうでない凡庸な者には、唯々、目の毒、気の毒なものなのである。そうかといって、かねてより気になっていた意中の五輪塔を手に入れた氏が、「家に着くなり、たまたま家内が留守ということもあって、五輪塔ともども、すっ裸になって風呂場に入」り、溶け出した泥で泥沼のような湯船に使っている様子を読んだりすると、伊達や酔狂で入れる世界ではないのだと、かえってあきらめがついたりもする。季節の酒と杯の合わせ方など、酒好きには参考になろう。大屋孝雄氏の写真ともども、傍に置いて時折眺めるに相応しい美しい本に仕上がっている。

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