〈凡庸〉という悪魔 (犀の教室)

著者 :
  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794968197

作品紹介・あらすじ

「思考停止」した「凡庸」な人々の増殖が、巨大な悪魔=「全体主義」を生む。21世紀の全体主義は、ヒトラーのナチス・ドイツの時代と違い、目に見えない「空気」の形で社会を蝕む。ハンナ・アーレント『全体主義の起原』の成果を援用しつつ、現代日本社会の様々な局面で顔をのぞかせる、「凡庸という悪」のもたらす病理の構造を抉る書き下ろし論考。思考停止が蔓延する危機の時代に読まれるべきテキスト。

感想・レビュー・書評

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  • 凡庸さに気づいて
    真面目さと凡庸を履き違えていないか。

    自分は真面目だと思っている人へ読んでほしい一冊

    なにせ私自身、自分の事を真面目だと思い込んでいたけれど、この本を読んでハッとした。
    俺は凡庸だ。

    一人称 おれが凡庸すぎる。


    自分が何か書いて読み返しても面白くない。
    もっと上手に書くにはどうしたらいいんだろう。

    この本を読んで気づいた。
    自分の問いがつまらない。

    ぼんやりとした、全体としての
    みんな や 誰か に対して書くと総じてぼんやりとしてつまらない問いかけになると気づいた。

    ただそんなの気づけるはずがなかった。
    なぜなら、つまらない、空っぽの問いやテーマが正しくて本音は間違いなのが和の中のルールだから。

    つまらなこそが正解だったけど今は真逆だ。

    おもしろいが前提だ。

  • 「思考停止」した「凡庸」な人々の増殖が、巨大な悪魔=「全体主義」を生む。 ハンナ・アーレント『全体主義の起原』

  • とりあえず日本の政治レベルの落ちっぷりを見て
    この本を読んでみたくなった。

  • 第1部
    全体主義とは何か?
    第2部
    いじめ、新自由主義、グローバリズムなど現代の全体主義を展望。

  • この本こそ凡庸、引用も示さず論理も編まず語意に不備も

  • 社会

  • <i>
    「全体主義運動は大衆運動であり、それは今日までに現代の大衆が見出し自分たちにふさわしいと考えた唯一の組織形態である」(ハンナ・アーレント)</i>

    麻生太郎副総理(当時)の「ナチスの手口に学んだら…」という発言が端的にいまこの国が全体主義運動に覆われていることを表している。
    「全体主義とは<いじめ>です」と著者は書いているが、政治や社会活動だけではなく獲物を探し求め、少しでも炎上の煙が出ようものならハイエナのように食い散らかしていくネットイナゴも全体主義運動の流れにあると感じるし、所謂ブラック企業というものの存在を許しているのも全体主義運動的な流れだろう。

    <blockquote>「大衆」という存在は、その定義上、自分で物事を考えたり判断したりすることが出来ない「カラッポ」な存在です。つまり大衆人達は完全に「思考停止」に陥った「凡庸」な人々そのものです。(P.47)</blockquote>

    「こまけぇこたぁいいんだよ!!」というネットスラングがある。確かに枝葉末節にこだわり、重箱の隅をつつく様はウザったい。が、このスラングの周縁は無知を開き直るような「思考停止」に陥った「凡庸」さを多分に含んでいるように感じてならないのである。

    そもそも人間は「思考停止に陥った」時に不安を覚えるものである。なぜなら、思考を停止して、判断をしないということは、刹那刹那に変わっていく状況の中、真っ暗闇に放り出されるようなものだからだ。
    そうなると、<i>「人間としての最低限の尊厳」</i>を失い、挙句に「<i>偶然と恣意に為す術もなく没落」</i>してしまう。だから、人間はそうならないように、どのようなデタラメなものであっても、一見"首尾一貫"して見えるものに縋ってしまうのだ。

    <i>『人間は完全な「真空」状態よりは「ウソで満たされた一貫性」を自ら進んで嬉々として受け入れてしまう』(P.55)</i>のだ。丁度DV被害者が加害者と離れられないように。

    翻って日本社会の話に焦点を合わせよう。失われた20年によって日本は経済的に大きく凋落してしまった。隣国の韓国や中国に市場での立場を持っていかれようとしている。この不安を背景にレイシズムが強くなった。

    何故、日本経済は低迷するのか? という現実の前に「思考停止」して、デタラメであっても"一見して首尾一貫した"似非歴史、似非物語に身を預けてしまったのである。悲しい。
    <blockquote>政治とはそもそも、めまぐるしく移り変わる状況の中で絶えざる判断と実行を繰り返していく営為です。だから、その営為において「思考停止」に陥るというのは、ジャンボジェット機のパイロットが、麻薬を打って「ラリって」しまったようなものです。(P.73)</blockquote>

    それも国を代表する人間が「思考停止」に陥ってしまったのだ。これではジャンボジェット機は墜落してしまうだろう。


    <blockquote>人間は人間である以上、思考停止をしてはならない責務があるのです。
    そしてここのことは、思考停止に陥った人間は凡庸にならざるを得ない以上、凡庸は罪であることを表しています。(P.97)</blockquote>


    <blockquote>人間として生まれ、そして人間として他者と関わるにもかかわらず、<凡庸>であるということは、それ自身が罪である。(P.91)</blockquote>

    <凡庸>であることが罪であるのであれば、<凡庸>に陥らないように抗わなくてはならない。自らを省みて「自分は<凡庸>ではないだろうか?」と不断の自問自答が必要なのではないだろうか。

    <blockquote>「愚者は、自分を疑うということをしない。つまり自分はきわめて分別に富んだ人間だと考えているわけで、そこに、愚者が自らの愚かさの中に腰を据え安住してしまい、うらやましいほど安閑としていられる理由がある。(中略)彼が慣れきってしまっている鈍重な視覚をもっと鋭敏な物飲み方と比較して見るよう強制する方法はまったくないのである。ばかは死ななければなおらないのであって、ばかには抜け道はないのだ」(P.263)</blockquote>

    これは本書著者がスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』から引用した文章だ。『〈凡庸〉という悪魔』という題名の書物の巻末にこの言葉を引用したというというのは何よりも雄弁に著者の思いを訴えていると感じる(が、ここでそれを簡潔に述べるには評者の力は未熟過ぎる)。

    <blockquote>
    「全体主義」現象における7つの特徴
    1.思考停止   → 大衆人達の思考停止。全体主義が立ち現れる大前提。
    2.俗情     → 大衆人達の俗情。全体主義現象を駆動するエネルギーの源泉。
    3.テロル    → 全体主義現象の必然的帰結として遂行される暴力行為。
    4.似非科学   → テロルを中心として全体主義活動を正当化するために繰り返されるもの。
    5.プロパガンダ → 後付け論理/似非科学を無理やり生徒化するために繰り返されるもの。
    6.官僚主義 → 全体主義における諸活動の効率化のためにあらゆる領域で横行する。
    7.破滅 → 全体主義活動を推進した場合に必ずたどり着く終着駅。
    (P.118)
    </blockquote>

  • 〈凡庸〉という悪魔 (犀の教室)

  • 読みながら、自分も知らず知らずのうちに「官僚主義」に陥っていたときがあったことを思い出した。
    一人でも多くの人に読まれるべき著作である。
    ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』も読んでみたいと思う。

  • よかった。少し過激な論調や語り口が目立ってしまうが
    述べていることは、概ね賛同します。
    ハンナ・アーレントの本はいつかよみたいと思って
    いたのですが。この本はアーレントの論述を(詳細に)
    とりあげているわけではないのですが、アーレントの
    論を取り入れて展開している感じです。
    「全体主義」とは、それこそ昔の軍国主義や戦争時の
    イメージがありますが。
    ”「兎に角、全体にしたがくべし」という考え方、および
    それに基づく社会現象”を全体主義というということで
    あれば、今の日本や世間は全体主義が蔓延している
    と思ってしまいます。
    いじめの問題。なんでもかんでも改革ということ。
    新自由主義経済。グローバリズム。。。大阪都構想
    マスメディアの報道の仕方。社会を構成する空気。
    会社に流れる変な雰囲気。
    すべておかしいし、全体主義に陥っているような気がしてきます。

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著者プロフィール

京都大学大学院工学研究科教授、1968年生。

京都大学卒業後、スウェーデンイエテボリ大学心理学科客員研究員、東京工業大学教授等を経て現職。

2012年から2018年まで安倍内閣・内閣官房参与としてアベノミクス、国土強靱化等の政策アドヴァイスを担当。

2018年より保守思想誌・『表現者クライテリオン』編集長。


「2024年 『「西部邁」を語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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