- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794968531
作品紹介・あらすじ
11歳の少女ヘンリエッタは、半日ほどあずけられたパリのフィッシャー家で、私生児の少年レオポルドに出会う。レオポルドはまだ見ぬ実の母親との対面を、ここで心待ちにしていた。
家の2階で病に臥している老婦人マダム・フィッシャーは、実娘のナオミとともに、自宅を下宿屋にして、パリに留学にきた少女たちをあずかってきた。レオポルドの母も結婚前にそこを訪れたひとりだった。青年マックスもこのパリの家をよく訪れていた。
パリの家には、旅の途中、ひととき立ち寄るだけのはずだった。しかし無垢なヘンリエッタとレオポルドの前に、その歪んだ過去が繙かれ、残酷な現実が立ち現れる……。
20世紀イギリスを代表する女流作家、ボウエンの最高傑作。
感想・レビュー・書評
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気が合うとか出来心とかでもなく、二人の間には何もなく、何もないがゆえに一緒にいることになったたった一日。そのひずみの置き土産のように誰にも知られることなく生まれたレオポルド。そんな彼が九歳にして初めて自分の母親に会うために、彼の運命を大きく変えることとなった事件が起きたパリの家に行く。
二人の手が重なって重みでしおれた芝生が起き上がる様子、日本の小説にありがちな過剰に子供子供した子供ではない、ざらざらとした質感の二人の子供、何かが起こるときにいつでも少女マンガ的な枠を出ない言い訳しか描かない日本の恋愛小説では絶対に描き出せないボウエンならではの間と辛辣さに満ちた小説だった。帯に「奇妙にねじれた小説」と書かれていたが、きっとまっすぐ過ぎた結果としてねじれてしまったのだと思う。それは本当に奇妙なことだ。ボウエンの長編は初めて読んだ。やはり短編とは息遣いが全く違う。ほんの少し、サルトルを思わせる。それにしてもミス・フィッシャーは気の毒だ。マックスにとっても読者にとっても最後まで彼女は暗闇か家具以外の何物でもなかった。 -
最初『ホテル』より読みやすいかなと思ったけどそうでもなかった。手強い。
話の流れはだいたい解るけど人物の心情や心理的な関係などが掴みにくく、それがとても不穏な感じに謎めいていてとにかく怖い。ほとんどホラーに思えるくらい。
それぞれが、檻というか何重もの制限の中にあり、誰かとの関係によって、その姿は消えたり現れたりする。それは肉体とは全く別のもの。
時間は薬ではなく常に人々を見張っており、逃れることはできず癒しが訪れることもない。
レオポルドにとってヘンリエッタと出会えたことがいずれ救いになるのだろうか。 -
つまらなくもないが、あまり印象に残らない作品だった。
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親友ナオミの婚約者マックスと恋に落ち、マックスの死により結局自分の婚約者であったレイと結婚するカレン。時を経てマックスとの子供レオポルドとナオミの家で逢おうとするが体調を崩す。内緒でレイが変わりに逢いに行き里親に断らず連れて帰ろうと悩むところで話は終わる。そのナオミの家にたまたま居た母のいない、少し大人びた少女ヘンリエッタも巻き込まれ、過去と現在が入り混じりながら、親友同士、親に隠れて親友の婚約者と、それを知った上で結婚した者、里親の元で馴染むことなく生きてきた者それぞれの気持ちがセリフの中や態度で表現されている。言い回しが少しわかりにくいセリフも多いが、何かの欠けた人生の在り方を考えさせられる作品。
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まだ見ぬ母に会うためにパリの家に来たレオポルドと出会ったヘンリエッタ。その昔、同じその家に下宿していたレオポルドの母。パリの家でかつてあった真実は?
純真な二人が向き合う真実は?
ちょっと、実はかなり好きかも! -
いや、もう、これは、読む気にならない・・・
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“彼は彼女に役割を振ったのに、彼女はその役割を拒否した。ということは、彼女は思索の産物ではないのだ。彼女の意志、彼女の行動、彼女の思索は、電報のなかで語っていた。(…)やはり母は彼の外側で生きていた。本当に生きていたのだ。彼女が打ち立てたこの対立こそが愛である。”
“そう、少年は犬のように、どこであれ眠れるはずだ。しかし盗まれた少年は扱いが難しくなる。細い足でつっ立ったまま、目をこちらの顔に注いでいる。僕らはどこに行こうか? どこに行こうか?” -
フィッシャー夫人。ナオミ・フィッシャー嬢。
マックス・E。カレン。レイ。レオポルド少年。
一番残酷なのは誰?
一番正直なのは誰?
一番病んでいるのは? ・・・それは作者ですがなw
この人とかキャサリン・マンスフィールドとかヴァージニア・ウルフとかジェーン・オースティン後継の意地悪婆さんたちの小気味のいいことったら。
・・・明日の我が身のような気がしないでもないですが ^^;
ただ、「現在-過去-現在」の枠構造は野暮ったい。
狂言回しで気の毒な少女=ヘンリエッタの持つ猿のぬいぐるみは、絶対”アメデオ”だー。 -
過去に集英社から出ていたものの新訳版。
全体は3部に別れ、現在のパートで過去を挟む構成になっている。
過去パートはロマンス小説にありそうな三角関係だが、その結果生まれた子供の目で語られる現在パートは、無邪気さと残酷さ、そして複雑な感情と人間関係の対比が面白い。
どうやらボウエンはこれから復刊が続きそうな気配がするのだが、『日ざかり』だけは吉田健一訳のまま復刊する版元が現れてくれることを切に願う。頼むから新訳とかやめてえええええ。