パリの家

  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794968531

作品紹介・あらすじ

11歳の少女ヘンリエッタは、半日ほどあずけられたパリのフィッシャー家で、私生児の少年レオポルドに出会う。レオポルドはまだ見ぬ実の母親との対面を、ここで心待ちにしていた。
家の2階で病に臥している老婦人マダム・フィッシャーは、実娘のナオミとともに、自宅を下宿屋にして、パリに留学にきた少女たちをあずかってきた。レオポルドの母も結婚前にそこを訪れたひとりだった。青年マックスもこのパリの家をよく訪れていた。
パリの家には、旅の途中、ひととき立ち寄るだけのはずだった。しかし無垢なヘンリエッタとレオポルドの前に、その歪んだ過去が繙かれ、残酷な現実が立ち現れる……。
20世紀イギリスを代表する女流作家、ボウエンの最高傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 三部構成で一部と三部は現代の「パリの家」を舞台とし、間に挟まれた二部は十年前の親の世代の恋愛事件を扱っている。ヘンリエッタは十三歳。早くに母を亡くし、父の都合でロンドンを離れ独り伊仏国境近くに暮らす祖母の家に向かう途中、同行者の都合で、パリでの乗り継ぎを余儀なくされる。時間待ちにあてられた祖母の知人ミス・フィッシャーの家には、レオポルドという九歳の少年がいた。彼ははるばるイタリアからまだ見ぬ母に会うため、この家を訪れていたのだ。レオポルドの母カレンはミス・フィッシャーの友人で、かつては亡父の婚約者であった。

    母が来られなくなったという知らせをレオポルドが受けたところで、話は十年前に遡る。カレンはイギリスの上流階級の娘で、一家は人々に愛される名望家であった。ミス・フィッシャーの母親は元家庭教師でフランスの学校に通う名家の女子を寄宿させていた。カレンはアート・スクールの学生だった頃、そこに下宿していたのだ。娘のナオミと仲よくなり、家の客であったマックスともそこで知り合った。カレンがレイと婚約した頃、ナオミとマックスの婚約を知る。遺産相続のためにイギリスを訪れた二人はカレンと再会し、旧交をあたため合うのだが…。

    お互い婚約者がいるにもかかわらず、或は逆に婚約を発表してしまったことによるのかもしれないが、カレンとマックスの間に恋愛感情が生じ、ドーヴァー海峡を挟んでの逢引きに発展してしまう。カレンがフランスを訪れたブローニュでのそれ。マックスが渡英してのハイスでのそれ。どちらも許されぬ恋であるが故の切ない逢引きが描かれる。特に雨の日のハイスにおける情景描写は哀切極まりないのだが、皮肉なことに二人の言葉のやりとりは微妙にすれちがい、感情の交感もどことなくちぐはぐなまま。この違和感はどこから来るのだろうといぶかりたくなる。

    エリザベス・・ボウエンはヘンリー・ジェイムズやジェーン・オースティンを尊敬していたという。たしかに登場人物たちの取り澄ました会話や言葉と裏腹の関係にある心理の表し方などに共通するところを見ることができる。一口でいえば登場人物が一様に素直でないのだ。老嬢たちは意地が悪いし、子どもは早くから自意識が芽生えた結果、感受性が異常に肥大し、奇妙にひね媚びたませた口を利くくせにすぐに涙を流したりする。

    ひとつにはヨーロッパという土地柄があるのかもしれない。この作品でも、人物たちはさかんに国境をこえて移動をくり返す。簡単に他国にいききができる利点もあるが、考え方や気質のちがう者同士が同じテーブルを囲むのが日常茶飯という環境では、分かりあう努力をするより分かり合えないことを前提に話す技術を身につけることが肝要なのかもしれない。気持と裏腹な会話が行き交う所以である。

    それだけではない。同じ国の人間であっても階級差というものがあり、それにつきまとう貧富の差がある。結婚問題を主題とする小説にあっては、階級や資産というのは恋愛の妨げにはならずとも、その成就としての結婚ということになると、とたんに前に立ちはだかる巨大な壁となる。自分の気持ちに正直になることが幸せな結果にいたるというような気楽なお国柄ではないのだ。それに加えて人種の壁もある。アイルランドとイギリス、イギリスとフランス、それぞれ歴史的な角逐があり、ユダヤ人に対する偏見がことをよりいっそう複雑にする。

    さらに、世慣れた大人と若者の間にある年齢差が輪をかける。社会的な地位や評判を手にし、何不自由のない暮らしを続けることが当然といったカレンの母ミセス・マイクリスの冷徹とさえ思える泰然自若とした態度も凄いが、ナオミの母マダム・フィッシャーの人を支配して飽き足らない、情愛に寄せる業の深さも恐ろしい。世間知らずの若者たちは、この母親たちの犠牲者である。

    過去の恋愛事情が生んだ結果として、里子に出されたレオポルドの去就が問題して残る。
    来られない母の代理として登場するレイの困惑ぶりが生まれと育ちを感じさせ、登場人物のなかで唯一感情移入ができそうな人物として造型されているのが一抹の救いか。時代がかった三角関係の恋愛物をそれぞれが位置する層と層の間にある差に目をとめることで知的な意匠を施し、現代小説に仕上げてみせた作者の力量に脱帽した。新訳というからには、旧訳より読みやすくなっているのだろうが、いくつか分かりづらいところがあった。旧訳と読み比べるという手もあるかもしれない。

  • 気が合うとか出来心とかでもなく、二人の間には何もなく、何もないがゆえに一緒にいることになったたった一日。そのひずみの置き土産のように誰にも知られることなく生まれたレオポルド。そんな彼が九歳にして初めて自分の母親に会うために、彼の運命を大きく変えることとなった事件が起きたパリの家に行く。
    二人の手が重なって重みでしおれた芝生が起き上がる様子、日本の小説にありがちな過剰に子供子供した子供ではない、ざらざらとした質感の二人の子供、何かが起こるときにいつでも少女マンガ的な枠を出ない言い訳しか描かない日本の恋愛小説では絶対に描き出せないボウエンならではの間と辛辣さに満ちた小説だった。帯に「奇妙にねじれた小説」と書かれていたが、きっとまっすぐ過ぎた結果としてねじれてしまったのだと思う。それは本当に奇妙なことだ。ボウエンの長編は初めて読んだ。やはり短編とは息遣いが全く違う。ほんの少し、サルトルを思わせる。それにしてもミス・フィッシャーは気の毒だ。マックスにとっても読者にとっても最後まで彼女は暗闇か家具以外の何物でもなかった。

  • 最初『ホテル』より読みやすいかなと思ったけどそうでもなかった。手強い。

    話の流れはだいたい解るけど人物の心情や心理的な関係などが掴みにくく、それがとても不穏な感じに謎めいていてとにかく怖い。ほとんどホラーに思えるくらい。

    それぞれが、檻というか何重もの制限の中にあり、誰かとの関係によって、その姿は消えたり現れたりする。それは肉体とは全く別のもの。

    時間は薬ではなく常に人々を見張っており、逃れることはできず癒しが訪れることもない。

    レオポルドにとってヘンリエッタと出会えたことがいずれ救いになるのだろうか。

  • つまらなくもないが、あまり印象に残らない作品だった。

  • 親友ナオミの婚約者マックスと恋に落ち、マックスの死により結局自分の婚約者であったレイと結婚するカレン。時を経てマックスとの子供レオポルドとナオミの家で逢おうとするが体調を崩す。内緒でレイが変わりに逢いに行き里親に断らず連れて帰ろうと悩むところで話は終わる。そのナオミの家にたまたま居た母のいない、少し大人びた少女ヘンリエッタも巻き込まれ、過去と現在が入り混じりながら、親友同士、親に隠れて親友の婚約者と、それを知った上で結婚した者、里親の元で馴染むことなく生きてきた者それぞれの気持ちがセリフの中や態度で表現されている。言い回しが少しわかりにくいセリフも多いが、何かの欠けた人生の在り方を考えさせられる作品。

  • まだ見ぬ母に会うためにパリの家に来たレオポルドと出会ったヘンリエッタ。その昔、同じその家に下宿していたレオポルドの母。パリの家でかつてあった真実は?
    純真な二人が向き合う真実は?
    ちょっと、実はかなり好きかも!

  • いや、もう、これは、読む気にならない・・・

  • “彼は彼女に役割を振ったのに、彼女はその役割を拒否した。ということは、彼女は思索の産物ではないのだ。彼女の意志、彼女の行動、彼女の思索は、電報のなかで語っていた。(…)やはり母は彼の外側で生きていた。本当に生きていたのだ。彼女が打ち立てたこの対立こそが愛である。”

    “そう、少年は犬のように、どこであれ眠れるはずだ。しかし盗まれた少年は扱いが難しくなる。細い足でつっ立ったまま、目をこちらの顔に注いでいる。僕らはどこに行こうか? どこに行こうか?”

  • フィッシャー夫人。ナオミ・フィッシャー嬢。
    マックス・E。カレン。レイ。レオポルド少年。

    一番残酷なのは誰?
    一番正直なのは誰?
    一番病んでいるのは?  ・・・それは作者ですがなw

    この人とかキャサリン・マンスフィールドとかヴァージニア・ウルフとかジェーン・オースティン後継の意地悪婆さんたちの小気味のいいことったら。
    ・・・明日の我が身のような気がしないでもないですが ^^;

    ただ、「現在-過去-現在」の枠構造は野暮ったい。

    狂言回しで気の毒な少女=ヘンリエッタの持つ猿のぬいぐるみは、絶対”アメデオ”だー。

  • 過去に集英社から出ていたものの新訳版。
    全体は3部に別れ、現在のパートで過去を挟む構成になっている。
    過去パートはロマンス小説にありそうな三角関係だが、その結果生まれた子供の目で語られる現在パートは、無邪気さと残酷さ、そして複雑な感情と人間関係の対比が面白い。

    どうやらボウエンはこれから復刊が続きそうな気配がするのだが、『日ざかり』だけは吉田健一訳のまま復刊する版元が現れてくれることを切に願う。頼むから新訳とかやめてえええええ。

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著者プロフィール

Elizabeth Dorothea Cole Bowen (7 June 1899 – 22 February 1973)

「2012年 『なぜ書くか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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