- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794969835
作品紹介・あらすじ
【いかにして始原に立ち戻ることができるか】
60kgの米俵を5俵担ぎ、3日3晩の行軍に徒歩で伴走し、佐渡から江戸まで2日で渡った時代ははるか昔。
聞こえなくなってしまった「からだの声」にいかに耳を傾けるか。
外に向いていた気持ちを、内側の「見えない箇所」に向けることで立ち現れる、本来の姿。
現代人が生きるために本当に大切な指針とは。
武術の稽古法と伝統的な坐禅・行法から見えてくる、日常でも実践できる稽古法と見方を詳細に伝授。
驚きのエピソードと見解が満載で、読めば読むほど
こころとからだが活き活きと動き出す!
【光岡】皮肉にも長い年月をかけて足腰をなくすための練習を私たちは日常の中で徹底的
にやってきたんです。人は足腰が奪われたり、足腰の経験が消えてしまうと一瞬にして自信を失います。
【藤田】禅宗のお坊さんの坐禅嫌いが生じています。曹洞宗の大本山である永平寺でも、
それが問題になっているんです。坐禅は本来は「おもしろい」ものなんです。道元さんは、
坐禅は「安楽の法門」なのだから、「普く勧めなさい」と言っているんですけど。
感想・レビュー・書評
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読了。難しかった。読んだだけではわかるのは、かなりの人と思う。嫁さんが、別の本をちらりと見て男版の三砂ちづるのようだと言っていた。
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すごい本でした。光岡さんの体からずしんと出てくる言葉のひとつひとつがとても力強く、自分の中に染み込んでいきました。ほんとうにすごい人ですね〜
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参考文献
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人間の知識は親から子へと自然に引き継がれない為に、文字を発明しました。しかし、私達の体には何か文字にならない重要な知識が感覚として引き継がれていると思います。脳を絶対視する身体機械論では、それを読み取る能力がどんどん失われてきました。取り戻す鍵が退歩です。単純に昔の生活に戻るわけではなく、21世紀の今それを取り戻す方法です。
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帯表
禅と武術、衝撃の邂逅。
帯裏
江戸時代に佐渡の人が手漕ぎの船で「江戸まで二日かかる」と記しています。
現代人は同じことができるでしょうか?
禅はレッスンをマイナスから始める。
それを道元禅師は「回向返照の退歩」と言っています。
見返し
禅と武術に共通するのは、
「何を行うか」ではなく「いかに何かをしないか」
削ぎ落とされた無心での動きと行いである
「型稽古」から生まれる
「人間が本来持っている力と働き」を見つめるなかで、
現代人が生き残るための指針を探り出す。 -
働き方改革といった話も前に進むのではなくて、削ぎ落とし尽くしたところから始めないと本当の改革にはなり得ないのではないかと思う。
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18/01/27。
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おばちゃんが60kgの米俵を5つ平気で担げていた時代の身体の使い方って明らかに現代人とは違うと思うんだけど、その時代の身体の使い方のヒントって事なのかなと思う。週数回の武道のお稽古だけでは難しそう。生活自体から変えないとダメな気がする。
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禅僧と武術という異色の組み合わせの対談。
光岡氏の深い洞察が対談のあちこちにちりばめられており興味深いです。
ただ光岡氏の武術論に関しては違和感がとてもあり、はっきりと何がと言われると答えづらいけどなんだかすっきりしません。
全体としては悪くはないけどちょっともやもやも残る本でした。
著者プロフィール
藤田一照の作品





