原子力時代における哲学 (犀の教室)

著者 :
  • 晶文社
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レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794970398

作品紹介・あらすじ

3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。並み居る知識人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。ハイデッガーのテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシア哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。

感想・レビュー・書評

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  • ギュンター・アンダースとハンナ・アレントが、原子力について、どう述べていたか、を始まりとして、ハイデガーに至る。

    キーワードは「放下」と「アンキバシエー」。
    原子力という、絶対的、悪魔的な力を人間はどうして手放せないのか。
    人が求める全能性と絡めながら、そこを突破する思惟的姿勢として、この「放下」なる言葉と、考えのレッスンとしての対話の在り方を突き詰めてゆく。

    色々と思うことはあって。
    まず、1950年代の日本(だけでなく世界的にあった)、核兵器には反対だけど、原子力の平和利用に掛けられていたという、肯定的な推進力、または推し進めるムードについて。
    この本では日本内のことについて、あまり言及されていないのだけど、朝永振一郎の『プロメテウスの火』という本には、1950年代の日本の科学者の苦悩や予感が描かれていることを付け加えておきたい。

    「放下」については、仏教用語として取ると「一切の執着を捨てること」であり、ある意味では「知足」に似ているのかなと思う。
    原子力を是非とも使いたい、と思う人ばかりではなく、もちろんそんな力があったって使いたいとは思わない、という人も沢山いる。
    問題なのは、筆者の言う「考えを放棄する態度」であって、考えてないけどとりあえず使いましょうということではないような気がする。

    そうして、私たちに何も考えさせないことが得だと思っている人こそ、全能性に駆られた一握りのナルキッソスなのではないか。
    とか偉そうに言っているけど、本を出す、というアクションをしていること、そのものが考えることから一歩踏み出した、凄いことだというのも、分かっているのでした。

  • 「僕はこの事故に大変なショックを受けました。(中略)自分が原発のことを真剣に考えてこなかったことを悔やみ、そして反省しました。」
    「僕の率直な気持ちとしては、一方で、原子力発電がコスト高であり経済的に割に合わないということさえわかれば、原発に関する議論はもう答えが出たも同然ではないかという気持ちがあります。原発は割が合わない。原発が持つ潜在的な危険性の話をしなくても、もう利用し続ける意味がないことは明白なのです。これを最初に確認しておきたい。
    ただ他方で、そのことを確認した上で、やはりもう一歩議論を進めなければならないのではないかという気持ちもあります。というのも、これだけだと、コストが安く済むならば原子力発電をしていいのかという話にもなりかねないからです。それは違うだろうと僕は思っています。」
    「原発は膨大なコストがかかり、核廃棄物という人間の手に負えないものをもたらす。だからこれらだけでも脱原発の理由としてはほとんどよい。こうした理由で脱原発が実現されるならそれは望ましいことです。」

    「ショック」「率直な気持ち」。
    そういう、感覚論が先にあり、哲学、論理はそれを補強するために使われている。
    「論理は、好悪の奴隷でしかない」という言葉を乗り越えるなにかを期待して、最後まで読み進めたが、新しい気づきは得られなかった。

    この本に書かれた「原子力発電(技術)」を「火力発電(技術)」「火を使う生活(技術)」「農業技術」等に置き換えても、同種の著作、論述は多分可能ではないかと思う。
    人類が新しく得た技術は、メリットもデメリットももたらす。これまで、さまざまな技術を手に入れ、メリットを最大化させ、デメリットを最小化させるよう取り組んできたというのが、人類の歴史の流れだろう。
    であったとして、得た技術は、どのようなものでも必ず使う、というのが正しいのか。という問が、この本であるのかもしれない。

    もしなんらかの理由で既に手に入れた技術を放棄できたとしよう。この際、問題となるのは、技術のおかげで、人々の暮らしが既に豊かになってしまっており、技術なしで維持してきた生活、人口に戻すために、誰を犠牲にするのか、誰を殺すのか、どういう方法で、昔の生活に戻るのか、という社会的合意を得ることなのではなかろうか。

    先進国で既に豊かな生活を享受し、仮に豊かさが損なわれてもなお、真っ先にそのデメリットを自らの生活、生命に受けることない安全な場所からの、呑気な顔の評論に見えてしまう。

    私自身は、原子力に関わる事業で生計を立てており、全く中立にこの議論に関わることができる人間ではないのかもしれない。
    しかし、技術一般のもたらす得失や、それをこれまでどうやって社会として飲み込んでいったのか、ということを整理し、その上で原子力技術がこれまでの技術とどう違いどう同じなのか、をもう一段深堀してもらいたかった。

    あとがきに「本書の内容に関する逡巡が筆者の中から完全に消え去ったわけではない。」と記されている。
    正直に言って、「脱原発を目指す」という目的から、問を発している著者のアプローチは、哲学者としてはなんだか、感情的、感覚的、衝動的だと、感覚的に思うが、もう一歩、二歩三歩、踏み込んで考えて、なにか新しいものを示してもらいたいとは思う。
    その結論が脱原発なら、それはそれでしっかり考えてみたいと思う。

  • タイトルから敬遠していたが、読んでみるとさすが國分功一朗氏。単に原子力にNOを言いたい主張本ではなく、「原子力という困難な問題に向き合うために、人類が鍛えるべき思考や態度は何か」をハイデガーを中心に紐解いた実践的哲学書。
    ハイデガーが「会話劇」というスタイルで主張したかったことは何だったのか?というマニアックな話が、なぜ近代科学技術への批判へと接続させるのか?なぜ紀元前の哲学者の言葉がカギになるのか?…etc.

  • 「原子力時代」とか言葉としてあったけ?と考えたら、日本ではどうかはわからないけど、英語では、"Atomic Age"というのがあったな〜。

    「原子力」(核爆弾を除く)が、科学が開く未来の希望であった時代に、ハイデッガーーは、それに否といっていた。ということで、ハイデッガーの「放下」の読解を中心に「原子力時代」における哲学を探究していく。

    ここで問題となっているのは、「考えないこと」。

    なるほど、アイヒマン問題以降のアーレントも「考えないこと」を大きなテーマにしていたて、アーレントとハイデッガーの間にはいろいろな緊張関係があるものの、昔からの師弟関係はあって、課題設定は近いんだな〜というところで妙に感心した。

    あと、ハイデッガーは、ナチ時代の反省もあって、「ニーチェ」という著作では、「意志」に批判的で(ニーチェには、「力への意志」という死後に編纂された著作がある)、「意志」が、「考えないこと」につながっていくとする。そして、この「意志」なるものが、西欧哲学の形而上学的思考の中心にあるのではないかと考える。

    なるほど、アーレントの遺著「精神の生活」の第2部「意志」のよくわからなかった議論にアクセスする道がちょっとわかったような。

  • 19/10/07。

  • 【書誌情報(版元ドットコムから)】
    著者:國分功一郎
    発行:晶文社
    四六判 320ページ
    定価 1,800円+税
    ISBN 9784794970398
    Cコード C0095
    発売予定日 2019年9月25日

    3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。並み居る知識人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。ハイデッガーのテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシア哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。


    【簡易目次】
    第一講 一九五〇年代の思想
    1 原子力を考察した二人の思想家
    2 核技術を巡る一九五〇年代の日本と世界の動き
    3 ハイデッガーと一九五〇年代の思想

    第二講 ハイデッガーの技術論
    1 技術と自然
    2 フュシスと哲学

    第三講 『放下』を読む
    1 「放下」
    2 「放下の所在究明に向かって」

    第四講 原子力信仰とナルシシズム
    1 復習――ハイデッガー『放下』
    2 贈与、外部、媒介
    3 贈与を受けない生
    4 結論に代えて

    付録 ハイデッガーのいくつかの対話篇について――意志、放下、中動態 

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著者プロフィール

1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学を経て、現在東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は哲学・現代思想。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、増補新版:太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『民主主義を直感するために』(晶文社)、『中動態の世界』(医学書院)、『いつもそばには本があった。』(互盛央との共著、講談社選書メチエ)など。訳書に、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)などがある。『暇と退屈の倫理学』で第2回紀伊國屋じんぶん大賞、『中動態の世界』で第16回小林秀雄賞を受賞。

「2019年 『原子力時代における哲学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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