わたしはなにも悪くない

著者 :
  • 晶文社
3.50
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本棚登録 : 140
レビュー : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794970893

作品紹介・あらすじ

うつ病、貧困、自殺未遂、生活保護、家族との軋轢、周囲からの偏見のまなざし……幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びてきた著者。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉やひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活に陥ったのは、みんなわたしの責任なの?──苦難のフルコースのような人生を歩んできた著者が、同じ生きづらさを抱えている無数のひとたちに贈る「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

深い思索に裏打ちされた体験記は、どんな専門書より参考になる
──信田さよ子(公認心理師・臨床心理士)

「死にたい」の一言に隠された膨大な気持ちの奔流を、こんなにも代弁してくれた一冊はない
──鈴木大介(文筆業)

感想・レビュー・書評

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  • うつ病、貧困、自殺未遂、生活保護、家族との軋轢などを赤裸々に綴った『この地獄を生きるのだ』が面白かった著者の最新著作。

    前著『この地獄を生きるのだ』も本書も、著者の来し方を扱ったものだから、素材は基本的に同一である。が、前著とのエピソードの重複はほとんどないので、別物として読むことができる。

    前著は、生活保護受給体験に重きを置いていた。対して本書は、〝精神障害者としての自分〟に比重が置かれている。

    最初の章は丸ごと、20代初頭に自殺未遂をして精神病院に入院したときの体験記になっている。

    この章は、吾妻ひでおの『失踪日記2 アル中病棟』を彷彿とさせる。吾妻の場合は、アルコール依存症が悪化しての入院であった。そうした違いはあれど、入院中の出来事を微に入り細を穿って描く手際が共通なのだ。

    20年も前の出来事なのに、細かい出来事や自分の気持ちまで、よくこんなに鮮やかに記憶しているものだ。著者は〝天性の観察者〟だと思う。

    《思えば私の人生は、苦労のフルコースのようなものだった。》
    本書の開巻劈頭の一文である。
    「苦労のフルコース」というより、「生きづらさのフルコース」のようだと思った。「生きづらさ」という言葉から我々が連想するもの――機能不全家族・毒親・いじめ体験・うつ・貧困・発達障害など――が、著者の半生にはてんこ盛りで登場するのだ。

    その反面、著者には表現力という宝が与えられている。「生きづらさのフルコース」を潜り抜けてサバイブしてきた道のりを、すこぶる明晰に、味わい深く表現する力を、である。

    単純にエッセイとしても面白い。エッセイとしての完成度は、前著より一段上がっていると思う。

    個人的にいちばんよかったのは、「絶縁した父の話」。タイトルのとおり10年前に絶縁し、以後は会ったこともなければ連絡先も知らないという実父について、一章を費やして綴った長文のエッセイである。
    文章を読むかぎり、ずいぶんひどい父親なのだが、それでも著者は〝憎しみと背中合わせの愛情〟を込めて、父の思い出を綴る。

    絶縁前、居酒屋で父親と2人で酒を飲んだときのことを綴った一節が、とてもよい。

    《焼き鳥の煙にけぶる居酒屋で、私と父は世界中でふたりぼっちだった。お互い、この世界に所在がなく、有り余る時間を潰していた。私と父は似ているのだと思う。》

    最後の一文もよい。

    《こうして、父に会いたいという気持ちが芽生えたことは私にとって発見である。しかし、もう、父には会わなくてもいいのではないかと思う。会ったらまた憎んでしまうかもしれないからだ。だから、会いたいという気持ちだけを大事にして生きていきたい。》 

    このエッセイは私の中で、深爪さんが実父の思い出を綴った名エッセイ「父と私と魔法のコトバ」(『深爪式』所収)と同じ箱に入れられている。

    本書終盤のエッセイや「あとがき」を読むと、著者は少しずつ生きづらさを克服しつつあるようで、何よりである。

  • 「精神疾患も自殺未遂も生活保護も自己責任ですか?」と目立つ帯。加えて、親子関係の問題、周囲の偏見や幼い頃からのイジメ体験、と多重な苦労を経てきた著者のエッセイ。サバイバルしてきた人だけに、これまで出会った人や体験の良いところも悪いところも冷静に述べられている。精神科病院の問題や生活保護の問題については体験した人だからこそ言えることで考えさせられる。ダルクの体験やべてぶくろ、当事者研究など当事者としての体験は勉強になる。色々な問題が重なり援助者としても絶望感を感じることもあるが、回復している人の話を聞くと希望が見える。回復者だけでなく援助者にも参考になる本だと思う。

  • 《私は筋肉の少ない足で、必死に走る。遠くにはたくさんの人の姿が見える。その中には友達の姿もある。私は友達には「あなたはなにも悪くない」と言ってもらいたい。私が人と同じようにうまく走れないのは、私の走る道にだけ障害が多いのだ。私は足をもつらせながら、息を切らしながら、必死に走る。そして同じように障害の多い道を歩む人を見つけたら、隣に立って「仕方ないよ。あなたは努力しているよ。あなたはなにも悪くないよ」と声をかけたい。そして、私も私のことを「わたしはなにも悪くない」と思えるようになりたい。これはそんな思いを込めて、書いた本です》(p.5)

    《回復とは回復し続けることであって、結果ではないのだ。私は一生病気であって、できないことや諦めなければならないことは健常者より多いと思う。けれども、私は私の人生を満足する形で生きていきたい》(p.91)

  • 酒乱の父に苦しめられた子供時代、学校でのいじめ、ブラック企業での就労と貧困、自殺未遂、精神病院への入院、生活保護受給、と著者自身が「苦労のフルコース」とする半生を振り返るエッセイです。全五章に分かれていますが、それぞれの体験が均等に記録されているわけではなく、自殺未遂を絡めた精神疾患の話題がもっとも多く、次いで父の人物像を中心に過去の家族の様子について紙数が多く割かれています。

    まず全体としては、過去の体験を綴ることがベースとなっていますが、ところどころで有名な事件やTVドラマにも触れて、個々の経験を社会問題として回収しようとする流れが見られます。ただし、社会問題につなげるための考察はありきたりで、体裁を整えるための蛇足にも感じました。ひとつひとつの問題だけでも多くの著書や研究の対象となる分野だけに、雑な一般化は逆効果にも思えます。文章そのものは、良く言えばわかりやすく親しみやすく、悪く言えば幼く、一般のブログに近いと思います。

    著者自身の経験から印象的だったのは、直接関わった精神病院の看護師と生活保護ケースワーカーについて、それぞれ本来の職務を果たしていないとしたうえで、患者や受給者の尊厳を無視していると、はっきり否定的な見解を示していることです。この点については別途、詳しく他の当事者の声やケースワーカーと看護師側の意見や事情も知りたいところです。また、入院者のほとんどが普通にしか見えなかったという所感やそこでの扱いなどから言及される、日本の精神病院についての問題は他の著書でも読んだ内容と重なりました。著者自身の経験から引き出した知見としては、自殺未遂から回復すること自体が人生の目的となってしまうことや、父の飲酒は孤独から逃れるためだったとする指摘に、空虚さを回避する代償にマイナスの要素を取り込むような人の在り方について考えさせられます。

    読書の動機は、東畑開人さんの『居るのはつらいよ』で著書の他の書籍に触れられていたこと、そして自己責任を追及しがちな風潮への疑問から、「みんな自己責任ですか?」とする帯の問いかけへの同調もありました。通読した感想として、先に述べた安易な社会問題への言及も含めて著者の言葉に引っかかる部分もそれなりにありました。本書のまとまりのなさは、書籍として結論を提示していても著者にとっての苦悩は本書刊行時点も進行形であって、実際には納得できていないことが多々あるところによるのではないかと勝手ながら推測しています。

  • 私は精神科病院に勤務し、日頃精神障害者の患者さんを援助する立場にあるが、この本を読んで、精神障害者について、入院する患者さんについて、理解しているようで理解できていなかったと思い知らされた。患者さんがどんな思いで入院し、退院してどんな生活をしているのか、解っていない。治療により回復した喜びと、退院後の生活への不安、その葛藤の中でどんな支援ができるのか、初心にかえることができた。

  • ☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
    http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB28565786

  • 生きるって単純じゃない。自分で選べない子ども時代、周りの影響は計り知れない。親だったり学校の先生だったり、友人だったり。
    ひとりの人と出会ったとき、その今のその人を見ると思うが、それまでの経験がいかに大事かが、このノンフィクションのエピソードから感じられる。精神障害者というラベルで人を見ると、どうしても先入観がまさる。
    当事者という役割を著者は意識しているのだと思うし、それが動機づけにもなっている。社会的立場の弱い人にとっても、勇気づけられる書籍ではないだろうか。

  • 精神疾患を持つ本人のエッセイなので、精神疾患の患者さんや今の社会では生きにくいと感じる人が持つ孤独がよく描かれています。
    が、一冊通して矛盾がいくつか気になってしまうのが残念。
    タイトルは「開き直り」のように感じますが、決して開き直りというものでもないのでしょう。精神障害者は、自分を過剰に責めてしまう傾向があると思いますし、過剰に自分を責めるのはいっそやめようというメッセージも込められている気がします。

  • うーむ。まったく共感できない。言ってること、言いたいことは理解できるが、それを認めたくないのは強者の奢りか、同属嫌悪か。成人してからも親がどうこういうタイプは嫌い。今、縁が切れてるならもういいでしょと思ってしまう。甘ったれの戯言にしか思えない私も別のところで病んでいるのかもしれない。この本を読んだ精神医学の専門家の意見が聞きたい。うまく生きていけない、生きづらい人というかあくまでもこの作者の方の個人的事情はわかりました。

  •  わたしは何も悪くない。著者はブラック企業に勤め、鬱になり、生活保護を受け……そして今は生活保護を受けずに働いてくらしている。
     タイトルの通り、わたしは何も悪くない。
     前作に比べると……つらそう。悪くないと言い聞かせているようにも思えてしまう。悪いという気持ちを押し殺すような。

     なにも悪くない。

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著者プロフィール

1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。
現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。
ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。
著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)がある。

「2019年 『生きながら十代に葬られ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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